3つの箱
「こんにちは、お届け物に参りました。」
「…宅配便に用はない、帰れ」
開口一番、顔色も変えずに言い放つ。相手がしゃべる黒猫などという非常識極まりない存在であるにも関らず。
「そう仰らずに、是非」
「玄関開ければ5分で被害者になれる物騒な時代に、頼んでもいない荷物を黙って受け取るべき理由を、50字以内で簡潔に説明せよ。句読点も含むぞ?」
「私が受け取って頂きたいからです。」
あまりにも簡潔で自分勝手な言い草への返答は、肩をすくめる仕草だった。
「意思表明は自由だが、人生、いや猫生にも挫折はつきものだ。」
「つまり、受け取ってはいただけないと?」
「当然だな。」
「それでは仕方ありません。ご迷惑かも知れませんが、受け取っていただくまでお願いし続けるしかありませんね、ここで。」
部屋の主は、初めて眉をひそめる。居住空間の外で座り込みをされても痛くも痒くもないが、マンションの廊下は公共スペースだ。デカい荷物に居座られては邪魔くさいことこの上ない。しかも喋る黒猫なんて非常識な存在を受け入れることのできる、ふっきれた住民はそうはいないだろう。関わりがあると思われたらたまらない。ごたごたするのは勘弁だ。
「仕方ない、箱は受け取ってやる。」
「ありがとうございます」
返答は耳元で聞こえた。チェーンをかけたドアを開けた覚えはないのに、黒猫と荷物は室内に移動していたのである。
「…そういう便利な特技があるなら、不毛な押し問答の必要はなかったと思うがな。」
「とんでもない、主の許可なく部屋に押し入るなんて失礼極まりない行為じゃありませんか。私どもは因業な商売敵じゃありませんからね。お客様のご意向を第一に、誠実・親切・丁寧をモットーにしてるんですよ。」
「あくまで客自身が望んで受け取ったという形式にしたい訳か。言葉による押し付けも脅迫のうちだぞ?」
「…ところで受け取っていただく箱なんですがね。」
不自然なまでに明るく爽やかな声で、自分に都合の悪い会話を強引に打ち切って、猫は続ける。
「大・中・小とありまして、それぞれ中身が違うんですよ。昔話などではこういう場合、小さい箱に貴重な品が、欲張った大きい箱にはろくでもない物が入っていたりするんですが、昨今ではまた事情が変わってきまして…」
「謙譲なんていう、一応人間の美徳の範疇に入る綺麗事で、猫が説教たれるつもりなら、10億年早い。進化の枝道遡って、二足歩行出来るようになってから出直して来い。それに中身は関係なかろう。」
「はあ?」
いぶかしげな声に、冷静な声が告げる。
「“箱”は受け取ってやると言ったが、中身を受け取る約束はしていない。」
「い、いや、しかし」
強引な論法とはいえ正論に、猫は慌てて説得を試みる。
「金銀財宝などはいかがでしょう?」
「飾り立てても重いだけだし、換金が面倒だな。」
「いっそ現金では?」
「貯めとくだけで使わないのは馬鹿だし、派手に使えば税務署が喜び勇んでやってくる。入手ルートを尋ねられたら答えれられんし、ばれないようにちまちま使うなんてせせこましい真似は性に合わん。」
「家具とか絵画とか美術品とか…」
「家は狭いし、代わり映えのしない美術品を飾って一人で悦にいるご大層な趣味もない。そもそも美術館とか博物館で大勢でわいわい見るのが楽しいだろ、そういうのは。」
「広い家とか…」
「ものぐさでな、手を伸ばせば全てに手が届く位の方が楽で良い。掃除も面倒だしな。」
「…電化製品なんかは…」
「取り扱い説明書も品質補償もクーリングオフもお客様サポートもないやつか?ローン組んだ方がマシだな」
「それでは素敵な恋人とか地位とか名誉とか!」
「大概にしろ、このカボチャ頭。」
切り札のつもりの提案さえ、返ってきたのは冷たい侮蔑だった。
「いいか、貴様のすのいった頭でも理解できるように、懇切丁寧に説明してやるが、そういうのは自力で手に入れるからこそ価値が有るんだ。努力し、苦労し、必要なら競争相手を蹴倒して、互いに足元掬い合ってこそ、人生楽しいってもんだろ?過程を楽しめない報酬なんてありがたみのかけらも無いな。
大体、文句があるんなら、別に箱だって受け取らなくてもいいんだぞ?こちらからお願いして頂くわけじゃないんだから。」
「わかりました。ではどの“箱”をお選びになりますか?」
気難しくて口うるさい客が、気を変えては大変と、猫は慌てて尋ねた。
「『中』の箱がいいな。入れたいものもあるし、ちょうどいい大きさだ。」
はいはい、と残りの箱2つを消しながら、黒猫は思う。確かに箱を差し上げよう。だがさっきの台詞ではないが、『箱』自体に細工しないとは約束してないもんね、と。
相手が箱の内部に手を差し入れた瞬間、引きずり込んで絵にも描けない拷問フルコース。
ついでに一端閉じた箱の蓋を開けられるのは自分だけに設定しよう。この小賢しくプライドの高い人間が泣き喚きながら助けてくれと哀願する様を想像するとぞくぞくする…!!
そんなことを考えながら表面上はにこやかかつ熱心に、蓋を開けて示し、セールストークを開始する。
「ほら、こんなに丈夫で軽いですよ?」
「中に何か入ってるぞ?」
え、と困惑しながら黒猫は覗き込む。目くらましが甘かったかと。
「中身入りは受け取らんからな。」
「はい、わかってますよ、えーと、何も無いようです…あああっ~っ?!」
振り向いた猫の顔面中央にキック一発。猫は足跡とともに箱の内部に落ちる。
「何するんですか~!!」
「おとなしくしてないと脳天に釘が刺さるぞ。」
どこから取り出したか、ガムテープでぐるぐる巻きにした上に、ご丁寧に金槌で釘まで打ちつけ始めた人間は、脅しですらなく、さも当然のように言い放った。
「多少乱暴なのは認めるが、そこはお互い様だから許してもらおう。
さて、契約は中身が空の箱一つを受け取ることであったが、現在契約者Aである黒猫もどき自身がその条件を侵害しており…って聞いてないか」
箱は、ぎょぇ~っという身の毛もよだつ絶叫と、ばぐばぐぐしゃぐしゃずるずると咀嚼のような音を最後に静まり返っていた。何やら最奥のあたりではびくびくと断末魔のような不気味な律動が続いているようだが…
「…や~っぱり碌でもない仕掛けしてやがったか…
というわけで、契約条件の侵害により契約は無効であり、契約者Bである私に、箱を受け取る義務は生じない。また、契約者Aに条件を復元させる意思及び契約不履行の釈明を行う意思が見られない以上、契約の信頼性を著しく損なうものとして、今後契約者BはAと契約を締結する一切の行為を拒絶するものとする、とこんなもんか。」
滔々と語りながらもガムテープと荒縄でぐるぐる巻きに梱包し、ついでに赤かったり黒かったり長かったりびっしりミミズののたくったような文字が書き込まれてたりする札状の紙もさりげなくべたべたと貼り付けた、猫入り箱をひょいっと持ち上げて。
「やっぱりぴったりの大きさの“箱”だったな。自分の入る棺おけを担いでくるとは始末のいいヤツ。」
鴨ねぎならぬ箱猫だ、などと当猫が聞いたら憤死しそうな台詞を吐きつつ、階下に向かう。梱包は完璧だ。
さて、『悪魔』は燃えないゴミに分別されるのだろうか?
見事口先三寸で人外の者を撃退した人間の、目下の悩みはそれだけであった。