第五話 『タルトの分、命で償わせましょう!』
「お待たせいたしました。こちら、さくらんぼのレアチーズケーキです」
慣れた手付きで、莉子の前にレアチーズケーキを置く女性店員さん。
男と対峙していたときとは別人のような笑顔を見せ、一礼をしてから離れていった。
レアチーズケーキは乳白色のクリームチーズの上に、こぼれそうなくらい沢山のさくらんぼが敷き詰められていた。
そして、莉子はキラキラした瞳でケーキを見つめている。
「……先に食べてて良いよ?」
ケーキを見つめるだけで、一向に食べようとはしない莉子。
「ううん、陸と一緒に食べるからもう少し待ってる」
小さくかぶりを振る莉子。
僕が頼んだタルトはまだ来ていなかった。
「お姉さん、それ、限定スイーツじゃない?」
そこへ、またも例の男の声が聞こえてきた。
それを僕は目の端で確認する。
絶対に関わり合いになるべき相手ではないのはよく分かっている。
莉子もいることだし、注意しなくてはならない。
男はまたも女性店員さんに絡んでいるようである。
「ちょっと……!? これはあちらのお客様のものですので……!?」
こんな男に絡まれる店員さんの苦労が偲ばれる……。
「やっぱり旨ぇじゃん! ブルーベリーのタルト~!!」
どうやら人の注文に手を付け始めたようである。
全く……。
……って、ん!?
……ブルーベリーのタルト!?
思わず男の方へと、顔を向けてしまった瞬間――。
「おい、お前。何見てんだ!?」
……ヤバイ。
男と目が合ってしまった。
慌てて目を伏せるが遅かったようで――。
「何か文句あるのか? 言ってみろ?」
ヤバイ、ヤバイ。
こちらにつかつかと近付いてきて、今度は僕へと矛先を向けてきた。
「何でもないです。すいません……」
必死に謝り、何とか事を収めようとする。
僕は別にこの男が怖いわけではない。
僕が本当に怖いのは――。
「……陸から、離れなさい!」
莉子の大きな声が飛ぶ。
その声には殺気がこもっている。
――そう、僕が怖いのはコレである。
この男を敵と認識した莉子が、戦闘態勢に入ることだ。
まあ、もう完全にその状態になった気がしてならないけども……。
「ああ? なんだ…………と!?」
予想外の方向から声が飛んできたと思ったのだろう。
悪態を付きながら、莉子を確認し――。
視認した瞬間、男の目が大きく見開かれた。
「……聞こえなかったの? 陸から今すぐ離れなさい!!」
両手に包丁を持った莉子が、物凄い殺気を放ちながら言い放つ。
無言で襲い掛かることも多い莉子ではある。
しかし、今回は違った。
ボックス席の机が邪魔になっているようだ。
両手に包丁を持っているせいもあり、すぐには立ち上がれずに襲い掛かることもできていないようだ。
まるで導火線を火花が渡っていくかのように、ずりずりと少しずつ通路側へと移動している。
その間も男への殺気は途切れることがない。
むしろ、増幅しているようである。
おそらくは莉子が通路へ出た瞬間に、この男の命は終わりを迎えるだろう。
男もそれを悟ったようだ。
「ひぃ~~~~」
悲鳴を上げ、青ざめた顔となった男は莉子からすぐに離れようとする。
僕というと、すでに行動を開始していた。
通路へと這い出て、莉子の席の通路側へと身体を滑り込ませる。
これで莉子が通路へと出るのを少し遅らせることができるはずだ。
この間に男が逃げてくれれば……。
しかし――。
男は莉子の強烈な殺気に、腰が抜けて立ち上がれなくなったようだ。
床に尻餅をついて、歯をカチカチ鳴らしている。
マズイ……。
早くに店外に逃げてくれれば、あとは何とか莉子を説得できるかと思ったのだが……。
僕一人では、獲物を前に戦闘態勢に入った莉子を抑えきれない……。
「そう、観念したようね。良い心掛けよ」
「それは違っ……」
「大丈夫よ、陸。あとはあたしに任せて」
獲物を前に、俄然やる気の莉子。
レアチーズケーキを前にしたときとは異なる目の輝きが見える……。
「莉子、僕はもう大丈夫だから!」
「陸は優しいのね。でも、こいつが陸のタルトを食べたという罪は消えないわ。だから……」
どうやら僕が注文したタルトを食べた時点で、男はロックオンされていたようである。
「……だから??」
聞き返しながら、僕はごくんと唾を飲み込む。
「タルトの分、命で償わせましょう!」
「!?」
「ひぃ~~~!?」
店内に男の情けない悲鳴が響く。
莉子的に、タルトとこの男の命は等価なようだ。
限定タルトの価値が高いのか、この男の命の価値が低いのか、どちらかはちょっと分からないが……。
悲鳴を上げた男は未だに立ち上がれずにいる。
ただ、一緒にいたもう一人の男が何とか男を引きづって逃げようとしているようだ。
何とか時間稼ぎができれば……。
そのとき、机の上のさくらんぼのレアチーズケーキが僕の目に入った。
(これで行こう!!)
そう思うと同時にレアチーズケーキの皿を手に取り、スプーンで一口分をすくった。
そのスプーンを莉子の口先へと持っていく。
「莉子、はい。食べさせてあげる!」
僕は賭けた。
莉子が甘い物が好きなこと、僕のことを好きなこと、そして、僕がしたいと思っていることを全面的に肯定してくれることに。
それらが、男に包丁を向けることよりも上回ることに。
莉子は最初、面食らっていたようだ。
そして、僕が何をしたいかを理解し、少しずつ頬を赤くしていった。
「莉子、――食べてくれないの?」
緊急事態だから仕方なくしている、というわけではない。
今まで勇気が無くてできなかったけれど、いつか莉子にしてあげたいと思っていたことである。
だから、タイミング的には最悪かもしれないけれど、実のところ、これを断られると僕的にはかなり痛い……。
大好きな莉子からの拒絶と、少しだけ思ってしまうかもしれない……。
「――大丈夫よ、陸」
僕を見つめていた莉子はそう言い、スプーンを口に入れた。
「うん、美味しい」
にっこりと笑顔になる莉子。
大丈夫って、もしかして……。
「一口だけ?」
ニコニコしながら、次を要求してくる莉子。
(優しいのはどっちだよ……)
ホッとしながらも心が温かくなっていた。
そして、僕は急いで二口目を準備し、再度莉子の口にスプーンを運んだ。
その後、そのまま莉子の口にせっせとスプーンを運び続けた。
――そこで再度、認識をしていた。
ケーキを美味しそうに頬張るこの子が、僕は本当に大好きなのだと。
「あの……、よろしければ、こちらもどうぞ」
レアチーズケーキを食べさせ終わった僕に話し掛けてきたのは、男に絡まれていた女性店員さんだった。
店員さんは、丁寧な手付きでブルーベリーのタルト一つとプリン二つを机の上に置いた。
「ブルーベリーのタルトは、シェフに特別に用意してもらいました」
そう言って頭を下げる。
「そして、プリンは男を追い払って頂けたお礼です。どうぞ召し上がってください」
店員さんは満面の笑顔だった。
例の男二人組は、莉子がレアチーズケーキを食べている間に何とか逃げ出していたのだ。
「あっ……、いや、ありがとうございます」
下手すると、このお店は惨劇の舞台になり得たわけである。
何だかひどく恐縮してしまう……。
「ただ、ですね……」
何かを言いにくそうにする店員さん。
「そろそろ、その、しまっていただけますでしょうか? ……彼女さんが持っている包丁を、ですね……」
「はい……、本当にすいません……」
そう。
机に置かれたプリンに気を取られている莉子は、未だ両手に包丁を持ったままだったのである。
◆ ◆ ◆
「あの……、陸……」
喫茶店を出ての帰り道。
歩きながら遠慮がちに話し掛けてくる莉子。
「また一緒に……、スイーツを食べに連れて行ってくれる?」
莉子は少し不安そうな表情をしていた。
「ああ、もちろんだよ。また一緒に行こう」
言った瞬間、莉子の表情がパッと笑顔になった。
僕の返事は決まっている。
僕の決意も変わらない。
何があろうとも、僕は笑顔の彼女の傍に居る。
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