第99話 王国の裏切り者
宮廷魔導士の歴史は長い。
王国が誕生してから、ずっと存続している。
その理由は、魔法のさらなる発展と工夫。
では、なぜそのようなことをするのか?
それは、魔法を発展させて人間を強くする必要があるからである。
魔族。
人類にとっての最大の敵にして、共存することすら許されない存在。
今も戦争は続いている。
これは、種の存続戦争である。
人間と魔族。
どちらかが滅びるまで、この戦争は続くだろう。
そして、王国もまた人類の一員として、魔族と戦っている。
個の能力は、魔族の方が人類よりも高い。
それゆえに、宮廷魔導士という魔法の研究者を雇い、魔法の発展に邁進することで魔族に抗してきたのだった。
そのことは、魔族も……時の魔王も理解していた。
徐々に手ごわくなっていく人類。
敵対し、戦争をしている魔族にとって、見過ごすことはできなかった。
さらに、ユリアにとって不幸だったのが、ちょうど彼女の生きていた時代が、魔族との戦争が苛烈な時だったことである。
何百年、何千年と続く戦争。
それが、毎年血で血を洗うような総力戦であるはずがない。
戦いの激しさの波がある。
数年ほど、本当に自然が破壊されるほどの激しい戦争があれば、百年単位で冷戦のように表立って武力衝突がない時もある。
ユリアの生きていた時代は、その中で最も激しい戦争の時代だった。
それゆえに……宮廷魔導士として数多くの功績を残し、王国のみならず人類全体に名が知られるようになっていたユリアのことを、魔族が耳に入れないはずがなかった。
「というわけなんだ。ぜひ私と一緒に来ていただきたい、ユリア殿」
にこやかな笑みを浮かべ、ユリアと相対する男。
物腰柔らかな雰囲気と言葉から、彼を好青年と称する者は多いだろう。
その姿が、リザードマンでさえなければ。
そう、魔族だ。
人間の領域である王国。
しかも、最も中枢で重要な場所である王城に、魔族がいる。
それが、どれほどの異常事態か。
ここは、ユリアの与えられた研究室。
すなわち、彼は単身で忍び込むことができるほどの実力者だということである。
そして、そんなトカゲ男の目的は、明らかに自分。
ユリアは激しく混乱する脳内を理性で押しとどめながら、彼を見る。
まずは、時間稼ぎだ。
戦うすべを持たない自分は、彼がその気になれば、一瞬で首が飛んでいるだろう。
まだ死にたいわけではない。
ユリアはそんな思いから、言葉を発する。
「……ここは、そう簡単に入ってこられるはずはないんだけど」
「なに、私はそういう潜入などを得意としているだけだよ。ここに来るまでの人間を皆殺しにした、なんてことはないから、安心したまえ。まあ……」
チロリと長い舌が伸びる。
「やろうと思って、できないということはないが」
そう笑う男の顔は、爬虫類のそれということもあってか、非常に恐ろしく見えた。
実際に、彼がその気になればどれほどのことができるのか、ユリアには分からない。
しかし、男が虚勢を張っているようにも見えなかった。
ゾッとする。
こんなところで……王国の中枢で暴れられれば、どれほどの被害が発生するだろうか?
そうなれば、自分の大切な友人であるリリーも……。
「さて、どうするかな? 抵抗しても構わないが……私もあまり強いとは言えないからね。抵抗されれば、その分余波も出てくるだろう」
分かりやすい脅迫である。
ユリアは思わず眉を顰める。
ここで抵抗すれば、周りにいる人間を殺す。
そう言っているのだ。
どうやら、この魔族は随分と遠回しで、人間をいたぶるのが好きなようだ。
魔族に連れて行かれた人間が、ロクな人生を送られないだろう。
そんな悲惨な運命を、自分の手で選べと言っているのである。
それは、冷静沈着なユリアでさえも、躊躇するような言葉。
「ユリア!」
「リリー!」
そんな中、ユリアの危機に駆け付けたのは、一番の友人であるリリーであった。
普段の能天気で元気な姿はなく、ただユリアのことを心配して駆けつけ、息を荒くしていた。
そして、何よりも彼女の身体に付着していた血液。
それが、リリーがここに来ることがどれほど苦難の連続であったかを物語っていた。
それを乗り越えてまで、自分を助けに来てくれた。
それが、嬉しくて申し訳なくて……ユリアの胸中はぐちゃぐちゃになっていた。
「おや、お友達かな? それは大変だ。しっかりと話しておきたまえ。友との別れの時間くらいは作ってあげよう」
新手の敵が現れたというのに、男は余裕の表情を崩さない。
たった一人来たところで、運命は変わらないと信じているのだろう。
その反応を見て……ユリアは決めた。
「リリー、私は魔族についていくことにするよ。どうやら、あちらの方が待遇もいいらしい。だから……」
おそらく、自分とリリーが抗ったとしても、男は自分を連れ去ることができるだろう。
彼がまだそうしていないのは、円満に自分を手に入れるため……ではない。
悩み、苦しんでいる姿を楽しんでいるだけだ。
自分が求めれば、リリーは身体を張って助けてくれるだろう。
だが、そんな男にリリーを戦わせていいのか?
断じて否である。
この戦いだけは、絶対に避けなければならない。
リリーのためならば、自ら魔族に下ったという不名誉なことを受け入れることも、たやすくできる。
しかし、相手のことを大切に思っているのは、お互い様だった。
「ユリア、言ったでしょ? あなた、結構分かりやすいんだって」
「……っ」
その言葉に、喉を詰まらせる。
リリーも、無傷ではない。
ここに来るまでに、魔族の妨害があったのだろう。
その血は、少なからず彼女自身のものもあるだろう。
だというのに、彼女は他人であるユリアのために、強大な魔族に立ち向かう。
「魔族! あんたたちなんかに、ユリアは渡さないんだから! さっさと出て行きなさい!」
鋭く魔族に警告するリリー。
彼女の手には、すでに魔力が集められている。
宮廷魔導士である彼女も、とくに戦闘能力に優れているというわけではない。
しかし、今まで研究してきた魔法を駆使し、時間を稼ぎ、援軍を待つことくらいはできる。
いや、しなければならないのだ。
それは、勇気のある行動だっただろう。
多くの者が賞賛し、そして彼女の味方をするに違いない。
しかし……。
ズパン! とリリーの腹部にめり込んだのは、鱗で覆われた男のしっぽであった。
「あっ……!?」
不幸だったのは、そんな味方になるような人々がこの場にいなかったということである。
魔法は使えても決して身体を鍛えてこなかったリリーが耐えられるはずもなく、研究室の備品を吹き飛ばしながら転がる。
「がっ、げぇ……っ!」
ボタボタとリリーの口から漏れるのが、赤いものではなく嘔吐物であるのが幸いだ。
吐血するということは、内臓に甚大なダメージが入っている証拠。
リリーの場合は、そこまでの大けがではなかったのだろう。
しかし、それは彼女が生きているという意味での、最低限の安心でしかない。
状況はまったく好転せず、むしろ悪化していたのだから。
「私は強くないが、それよりも弱い者が粋がってどうする? ほら、私みたいな悪い魔族にたてつくと、このように殺されてしまうよ?」
ニヤニヤと厭らしくほくそ笑む男。
彼は、ユリアとリリーがお互いのことを大切に思いあっていることも、すでに承知している。
だから、こうしてリリーをいたぶり、ユリアを動揺させているのだ。
何とかこの場を切り抜けようと……リリーを助けようとするユリア。
そうすると、思いつくのはたった一つのことしかなかった。
この男を満足させ、リリーを見逃せる方法。
それは……。
「待ってくれないか」
「うん? なぜかな? 私は君の言うことを聞く義理はない。まあ……」
ユリアの言葉に驚きもせず、そうくると分かっていた男は、にやりと笑う。
「志を共にする仲間になるというのであれば、話は別だけどね」
「……もちろん、分かっているとも」
なんて厭らしい男なのだろうか。
シュルリと伸びた鱗のしっぽが、リリーの身体をはい回る。
いつでも殺すことができる。
そう脅しているのだ。
ならば、彼の求める行動をして、リリーを見逃してもらわなければならない。
魔族の元へと下る。
そう暗に言っているのに、男は満足しない。
「ならば、言うべきことがあるんじゃないかな?」
徹底的に貶めたいのだ。
気取ったユリアを、地面に這いつくばせたいのだ。
それを理解している彼女は……。
「……私を、あなたたちの仲間にしてください。私は何でもするから、この子は見逃してあげてください」
何の躊躇もなく、土下座した。
長い赤髪が地面に広がることもいとわず、彼女は魔族に土下座した。
プライドも、みじめさも、リリーのことを考えれば、大したことではない。
「もちろん! いいとも、いいとも。このような虫の命よりも、君の意見を尊重するとも。なにせ、私たちの仲間なのだから」
一方で、魔族の男は歓喜していた。
任務を果たすことができ……さらには、相手の最も無様でみじめな姿をさらさせることに成功したのである。
「では、行こうか。なに、彼女の回復は私たちに任せたまえ」
「ゆ、りあ……」
ユリアは男に促され、研究室を出ようとする。
地面に倒れ伏すリリーは、ただ彼女を見送ることしかできず……。
「……また、必ず会おうね、リリー」
肩越しに見えたユリアの表情は、儚い笑顔だった。
こうして、王国最高の宮廷魔導士と呼ばれたユリアは、自ら魔族に下った王国の裏切り者と呼ばれるようになったのであった。




