第74話 消えうせる
「やあ、久しぶりだね。座ってくれ。まあ、武断派みたいに豪華な家具ではないから、座り心地はあまりよくないかもしれないけどね」
ツァルトはにこやかにほほ笑んで目の前の彼らに、席に座るよう勧める。
今や、武断派を追い落とし、破竹の勢いで快進撃を続ける友愛派のトップ。
そうそう会える人物ではないのだが、彼らはツァルトの方から招かれていた。
「……なんで俺たちを呼んだんだ?」
招かれたのは、かつて勇者パーティーに加入していた二人……ルーカスとシヴィだった。
自分たちの仕出かしたこともあるため、すぐさま王国に戻るわけにもいかず、帝国でただ無為に時間を潰していた彼らを、ツァルトは招待していた。
ちょうど、二人が帝国を出て、どこか遠いところに行こうと話し合っていたころだった。
ツァルトに促され、椅子に座る。
すぐにワインが差し出され、飲んでいく。
質素な生活を心がけているツァルトには珍しく、非常に高いワインだ。
飲む気なんてなかったのに、悔しいことにどんどんと飲めてしまう。
「君たちが帝国を離れると聞いてね。最後に、お礼を言おうと思ったんだよ」
「そんなの……」
求めていない。
ただ、静かに去らせてほしい。
シヴィが言外に告げても、ツァルトは首を横に振る。
「君たちが求めずとも、僕がやりたいんだよ」
そういうと、ツァルトは深く頭を下げた。
あの友愛派のトップが、今では何の地位にもない外国人二人にである。
「ありがとう、勇者を売ってくれて。彼女のおかげで、僕たちは信じられないほど飛躍することができた」
「…………ッ!」
強く歯をかみしめる。
こんなのは……こんなのは、感謝でもなんでもない。
「おや、どうして君たちがそんな顔をするんだい? 君たちがしたことじゃないか。恥じることはない。君たちは金銭も受け取らず、ただ勇者を引き渡してくれた。怖いという理由だけでね」
ニコニコと笑いながらツァルトが言う。
感謝していると言うが、内容は明らかに煽っている。
後ろめたさ、罪悪感を持っている二人は、頬を引きつらせる。
「ほ、本当に感謝しているの!?」
「もちろんさ。感謝しているから……」
彼らをいじめようなんてことは微塵も思っていない。
だからこそ……。
「できる限り、楽に死なせてあげようとしているんだ」
ポカンと二人が口を開ける。
何を言われた?
聞き間違いだろうか?
ツァルトはニコニコと柔和な笑みを浮かべるばかりである。
「がはっ!?」
「ぐっ、おぇぇ……っ!」
次の瞬間、二人は口から血を吐き出す。
ルーカスはテーブルの上のワインを払いのけ、シヴィは耐えられずに倒れ込んでしまう。
その惨状を前に、ツァルトは優雅に自身のワインを飲んでいた。
「な、んだ、これは……!?」
「あまり口に合わなかったかな、このワインは?」
ワイン……そうだ。
二人がここに来てから口に入れたのは、このワインだけ。
そして、原因として考えられるのは、これしかなかった。
「テメエ……最初から、俺たちを……!」
「当たり前じゃないか。今回のことを、ペラペラと喋ってもらっちゃ困るんだよ。そういう火種が、後々命取りになることもあるんだからね。そういう危険の芽は、摘んでおかないと」
人身売買のように年若い勇者を貰い、そしてそれを薬物漬けにして洗脳し、非合法な殺しをすべて押し付けている。
言葉にすると分かりやすいが、とんでもない外道である。
目的のためにそれも仕方のないことだと理解しているが、一般庶民が理解できるとは思えない。
その不安要素がある限り、いざ帝国を手中に収めんとするときに、突然足元が崩れ落ちていくことだってある。
そんな毒を、ずっと残しておくことなんて、ツァルトがするはずもなかった。
「俺たちが、そんなことを……!」
「信じられると思うかい? 仲間を恐ろしいという理由だけで売り飛ばした君たちを」
信じてくれ、なんて言えるはずもない。
自分たちは、心の底から信じてくれた少女を、ツァルトに売りつけたのだから。
歯がみすれば、隙間から血が漏れる。
「し、シヴィ……!」
「身体が小さいからかな。毒の周りが早いね。まあ、君もすぐに後を追うことになるから、安心してよ。二人仲良く、地獄に行ってね」
シヴィはすでに倒れて動かなくなっていた。
ルーカスは身体が大きいので、まだ完全に毒が回っていないのだろう。
逆に言えば、小柄な体躯のシヴィはすぐに全身に毒が回り、命を落としたのだ。
猛毒は、致死性で即効性もある。
解毒薬も飲めない今、ルーカスの命は今まさに消えようとして……。
「――――――ッ!?」
ズドン! とすさまじい音と衝撃が走る。
また何かツァルトが余計なことをしたのかと顔を上げれば、彼もまた怪訝そうな顔をしていた。
「何が起きているんだ……?」
「いや、考えるよりはまず行動だね」
そう言って、ツァルトは壁の一部を触ると、そこだけガコンと音を立てて開いた。
隠し扉である。
中には、どこかにつながっている階段が見える。
いざというときの隠し通路だ。
まったくもって想定されていないことが、この屋敷で起こっている。
そう察したツァルトは、すぐさま逃げることを選んだ。
その危機管理能力の高さが、彼を今まで生かしておいたのである。
「がっ……!?」
だが、逃げるには少々遅すぎた。
扉を突き破り、凄まじい勢いで飛来したのは剣。
それは、ツァルトの腹部を貫き、壁に縫い付けた。
何が起きたのか理解できない。
剣で刺されたツァルトも、毒を盛られていたルーカスもだ。
そんな中、ツカツカと音を立てて部屋に入ってきたのは……。
「な、どうして、君が……ごふっ!」
勇者テレシア。
薬物による洗脳が終了し、ツァルトから新しい名前として、皮肉を込めてナナシと呼ばれた女だった。
「はぁ、はぁ……洗脳が、解けた……? 念入りにしていたはずなのに、なあ……」
「暗黒騎士……暗黒騎士ぃ……!」
テレシアが答えることはない。
理知的に、理性的にツァルトに反撃したのではない。
ただ、本能の赴くままに、自身に危害を加えた男への復讐をしているだけだ。
すなわち、薬物の影響が完全に除かれたわけではない。
一度壊れた人格は、取り戻すことはできない。
テレシアは、ずっと壊れたままだ。
「……どうやら、完全に解けたわけでもないらしい。不完全に……ああ、そうか。彼が……。まったく、余計なことを……。調子に乗って、君のことを教えるんじゃなかったな……」
血を吐き出しながら、苦笑いを浮かべるツァルト。
彼の脳裏に浮かぶのは、アルマンド。
テレシアは薬物によって身体をめちゃくちゃにされているため、寿命も大幅に減っている。
ずっと自分を支えさせるわけにはいかないので、代わりにアルマンドを求めたのだが……どうやら、それは失敗のようだった。
あの男も、そしてこの女も、制御できるはずもなかった。
テレシアはそんなツァルトに近づいてくる。
「君は、僕を殺す権利がある。だけど、もう少し待ってほしかったな……。あと少しで、皆が……あの子が求めていた、自由で平和な世界が……」
そんな彼女を見て、ツァルトはかつての幼なじみを思い出す。
決して似ていないのに、かすれる目に映るのは、自分にいつも笑いかけてくれた優しい幼なじみだった。
彼女が理不尽に殺されたことこそが、ツァルトが平和な世界を求める原動力だった。
腹を貫かれ、助からないことは分かっている。
もしかすれば、幼馴染は迎えに来てくれたのかもしれない。
志半ばだが、彼女と一緒にいられるのであれば……。
「あああああああああああああああああああ!!」
そんな感傷に浸っていたツァルトは、その途中でさえぎられる。
腹部を貫いていた剣をテレシアが握り、力づくで両断したのである。
噴水のように血が吹き上がり、壁や天井を真っ赤に濡らす。
「お前が……テレシアか……?」
呆然とテレシアを見るのは、ルーカスだ。
彼もまた命を落とそうとしているのだが、そんな恐怖も忘れて彼女を見る。
これが、あの優しかったテレシアか?
誰にも……それこそ、魔族にすら慈愛を与えた勇者。
それが、真っ赤に返り血を浴びて立っている。
それに、身体が信じられないほど急激に成長している。
子供から大人だ。
いったい、彼女はどのような目に合っていたのだろうか?
自分がした行いの結果だが、だからこそなおさら信じられなかった。
「はぁ、はぁ……! あんこく……暗黒騎士……!」
ギロリとテレシアの目がルーカスを捉える。
その目に、今まで向けられてきていた温かい色は一切残っていなかった。
そもそも、理性すら残っていないのだから、それも当然だろう。
ただ、殺意にまみれた目で睨みつけられ、ルーカスは恐怖でも怒りでもなく……受け入れた。
「……そりゃそうだよな。お前がこうなったのは、全部俺らのせいだ。だから……殺せよ」
近づいてくるテレシアに、ルーカスは言い放つ。
ツァルトに毒を盛られて殺されるくらいならば、テレシアに報復で殺される方が何倍もいい。
その想いを込めて、彼はうっすらと笑みを浮かべた。
「前も言ったが……お前との旅、悪くなかったぜ」
「――――――!!」
そうして、ツァルトの邸宅はすべての命が消えうせるのであった。




