第72話 私の希望だ
ツァルトの屋敷は、非常に騒がしかった。
怒声、悲鳴、争う音。
鉄と鉄がぶつかり合い、血が飛び散る。
ツァルトは襲撃を受けていた。
少なからず護衛も配置しているのだが、それらはことごとく無力化されていく。
相手が悪い。
なにせ、相手は武断派。
最前線で戦う軍人が多く在籍しており、この襲撃でも投入されている。
そのため、多少腕に覚えがある程度のツァルトの護衛は、大して抵抗することもできずに倒されていった。
「…………」
それでも、ツァルトはうろたえない。
庭で、のんびりと空を見上げていた。
近くで殺し合いが起きているようにはまったく見えず、またその目的が自分の命だと分かっていても余裕を崩さない。
そんな彼のもとに、ツカツカと音を立てて近づいてくる者がいた。
「久しぶりね、ツァルト」
「やあ、ノーレ。いつぶりかな?」
ツァルトの前にやってきたのは、武断派頭目ノーレ・プランダートであった。
一人であるツァルトに対し、彼女は大勢の護衛をつけていた。
近接戦闘の騎士から、遠距離攻撃のできる魔導士までもそろえている。
今でも国軍で戦う歴戦の猛者たちだ。
彼らが相手ならば、友愛派の護衛たちの歯が立たないのもうなずける。
「以前の謁見の時以来じゃないかしら? それからも私たちが集まらないといけない時があったけど、あなたは来なかったじゃない」
「よく言うよ。あれだけ友愛派に攻撃を仕掛けておいて、のこのこと君の前に顔を出せるはずがないじゃないか」
襲撃をしている側と、受けている側。
それぞれ、そのような事情を微塵も感じさせないような、穏やかな会話である。
「先に仕掛けてきたのは、どっちだったかしらね」
「……君は、武断派は大きくなりすぎているんだよ。少し落ち着いてもらわないと」
「なぜ? 帝国を治めるために、勢力拡大に執心するのは間違いではないでしょう? あなただって、勢力拡大はしていたはずよ」
薄く笑うツァルトに、ノーレも嘲笑を返す。
帝国を治める王になるためには、後ろ盾となる勢力が必要だ。
いや、王とまではならずとも、自身の言動に影響力を持たせるためには、数が絶対条件である。
それゆえに、それを増やそうとするのは間違いではない。
なにせ、ツァルトも同じことをしていたからだ。
「とにかく、私は牙を向けたものを許さないわ。必ず報いを受けさせる」
強い声音に、聞く者は震え上がる。
その対象が自分ならば、なおさらである。
しかし、ツァルトは恐怖も怯えもなかった。
「ああ、そうだろうね。そうして君はのし上がってきたし……そうしないと、君の勢力は瓦解してしまうだろう」
「…………」
言葉を返さないノービレ。
それは、嘘や誤りではなく、事実だからだ。
「ノービレ。君のカリスマは凄いよ。君だからこそ、多くの人が武断派に入り、忠誠を尽くしている」
「あら、ありがとう。褒めてくれるの?」
茶化すようなノービレの笑み。
ツァルトはそれを無視して、言葉を続ける。
「だけど、それは【強いノービレ】だ。決して弱いノービレではだめなんだ。もし、ここで報復をしないで僕たちを許してしまえば、君の求心力は一気に衰える。そうだろう?」
「……そこまで分かっているのであれば、あなたがどうなるかも分かるわね?」
やられたことは、何倍にもしてやり返す。
苛烈ともとれるその報復は、しかしノービレに強い女という印象を与える。
弱ければ、弱腰になればダメなのだ。
ただでさえ男尊女卑がはびこるこの帝国で、ノービレが弱みを見せた瞬間、彼女は一気に転がり落ちていくことだろう。
それだけならばまだしも、彼女を鬱陶しく思ったり、また偏愛的な目を向けていたりする者が、それだけで済ませるはずもない。
だから、ここでツァルトは殺される。
「いいのかい? 僕を殺せば、確実に表に出る。水面下での派閥争いなんて生易しいものじゃない。内戦になるよ」
「構わないわ」
きっぱりと即答され、今度はツァルトが目を丸くする番だった。
戦争は大きな利益を生むが、逆に損害も大きい。
内戦ともなればなおさらだ。
いずれ自分のものになる国を疲弊させることになるのだから。
しかし、ノービレはそれを許容する。
「変革には痛みを伴うものよ。武断派が帝国を統一するために、内戦になるのも許容する。その代わり、帝国人には栄光を約束するわ。人類最高の国家になり、魔族を滅ぼして世界の中心となる。その栄光をね」
「……凄いよ。そうして言葉にして、そして実現できるのがノービレの凄さだ。僕も、少しボタンを掛け違えていたら、君の下に喜んでついていただろうね」
ツァルトはノービレに感服する。
その強い人となりは、人を引き付ける理由そのものだ。
目的が明確で、そしてそれに邁進する彼女。
彼女を支えたいと、彼女と一緒に夢を見たいと思う者が大勢いる理由が分かった気がした。
「だけど、君だと僕の理想の世界を作り出すことはできない」
だが、ノービレでは世界平和を作れない。
いや、作れるとしても、その道なりは果てしなく遠く、険しい。
その道中で、多くの者が倒れるだろう。
それではダメなのだ。
「そう。もうおしゃべりはここまでにしましょう。あまり席を外しているわけにもいかないのよね。じゃあ、さようなら」
ノービレの言葉を聞いて、彼女と共に来ていた護衛たちが動き出す。
ゆっくりと近づいてくる二人の騎士。
完全武装で、能力もツァルトを上回るだろう。
「ああ、さようなら」
だから、お別れだ。
ノービレはすでに後ろに下がっている。
だから、見えないだろう。
「――――――君がね、ノービレ」
ツァルトの口が、邪悪に歪んだことを。
「…………」
トン、と軽やかに空から降ってきた一人の女がいた。
ふわりと後からついてくるのは、銀色に輝く髪だった。
二人の騎士がそれに目を奪われ……次の瞬間には、彼らの身体は鎧ごと両断されていたのであった。
「なっ……!?」
血を噴き出して倒れる仲間を見て、騎士たちに動揺が走る。
下半身の断面から噴水のように血が吹き上がり、落ちてきたそれはまるで赤い雨だ。
二人を斬り殺した下手人は、ただそれを浴びる。
ツァルトを庇うように前に立ち、そして彼も余裕の笑みを浮かべていることからも、彼女が友愛派の人間であることは明白だった。
「相手は一人よ。騎士は前に出て、適度に距離をとりつつ囲みなさい。魔導士は魔法の詠唱を」
そんな中、最も冷静に指示を出したのがノービレである。
自分たちが忠誠をささげる絶対の存在の命令。
それは、混乱しかかっていた彼らを落ち着かせるには十分だった。
ノービレの指示通り、騎士たちが前に出て、魔導士たちは後衛に回ってノービレを固める。
陣形が整えば、そう簡単に突き崩せるものではなくなる。
武断派ともなれば、なおさらだ。
しかし、ツァルトの表情から笑みは消えない。
「僕はあまり戦闘に詳しいわけじゃないけど、それは遅いんだよ。彼女にとってはね」
それに応えるように、女の姿が消えた。
「がっ!?」
「ぎゃっ!」
「ぐえっ!!」
いや、消えたのではない。
高速で縦横無尽に動き回っているのだ。
その間に、騎士たちの身体を切り裂きながら。
まるで、踊っているかのようにその場で舞い続ける女。
その合間で煌めくのは、鈍く光る鉄の剣。
それが騎士たちを次々に切り裂いていく。
腕を飛ばされ、脚を斬られ、首をもがれる。
先ほど、二人の騎士が二つに両断された時もそうだったが、それ以上に血の雨が降る。
赤、朱、紅。
精鋭であるはずの騎士たちがろくに抵抗すらできず、次々に斬り殺されていく。
その光景は、ノービレにとって信じがたいものだった。
「ひっ、ひいいいいいいっ!」
「ま、待ちなさい! まだ撃てと命じては……!!」
それゆえに、魔導士が恐慌状態に陥り、自身の命を守るために魔法を使ったことを止めることができなかった。
まだ、あそこには騎士たちがいる。
魔導士が用意していた火球は、彼らを巻き込んでしまう恐れがあった。
普段なら、魔導士の男もそのような下策は行わない。
だが、恐ろしかったのだ。
あの化け物が、自分に近づいてくることが。
「し、死ねぇ、化け物ぉ!」
火球が撃たれる。
一人が暴走すれば、それに触発されて他の者も発射する。
次々に撃たれた火球は、動かない女に直撃した。
轟音と共に、爆風が吹き荒れる。
轟々と炎が燃え盛り、一帯を焼き尽くしていた。
あれでは、斬られていた騎士たちは……。
しかし、それと同時に女とツァルトの姿も見えなくなる。
業火の中に取り残され、焼かれているのだろう。
「はぁ、はぁ……やった……!」
魔導士は、自分が殺されることなく、敵を倒した喜びに浸る。
ノービレから罰を受けるかもしれないが、彼女を守れて、そして自分も生き延びることができたので、最高の結果である。
歓喜の歓声を上げようとして……。
炎の中から飛来した剣が、その魔導士の首に突き刺さった。
「げっ……? ごぷっ」
歓声どころか、悲鳴も上げることは許されなかった。
口から大量の血を吐き出しながら、魔導士は命を落とす。
倒れる魔導士を呆然と見つめるノービレ。
そして、業火の中からゆっくりと姿を現したのは、一切ダメージを負っている様子のない女とツァルトであった。
「それは……何なのよ……!」
こんな化物が友愛派に属しているなんて知らなかった。
調査でも、偵察でも、このような女はいなかった。
脂汗を浮かび上がらせながら問いかけるノービレに、ツァルトは自慢げに胸を張る。
「友愛派の理念に賛同し、僕の味方になってくれた子さ。名前を……そうだな……」
ツァルトは女を見る。
彼女は、生まれ変わったのだ。
ならば、同じ名前を与えるのは、失礼というものだ。
祝福と共に、新しい名前を与えよう。
「ナナシ、にしようか」
「…………」
ツァルトの命名に、女――――ナナシは反応を見せることはなかった。
◆
「暗黒騎士様……って、なんですの、この植物の多さは?」
【……私の希望だ】
「はい?」




