第71話 麻薬かな?
「無事だったんですね! よかった……」
安堵のため息を漏らすテレシア。
一番気にかかっていたのが、自分と同じく食事をとっていたルーカスとシヴィのことだった。
しかし、ほっと胸をなでおろす彼女と違い、二人の顔色は芳しくない。
「……俺たちがどうしてこっちに立っているか、分からねえか?」
ルーカスの低い声に、テレシアは首を傾げる。
いったい何を言いたいのか?
「何かしら脅されているのでしょう。私のことは構いません。まずは、ご自身の安全のことを考えて……」
「……そんなのじゃ、ないのよ」
途中でシヴィの言葉にさえぎられる。
ますます、彼らが何を言っているのか分からない。
そうだ、分からないのだ。
ワカッテハイケナイ。
「君は不思議に思わないのかい? この二人に、拘束されているようなものが何もないのを。彼らが自由であることを」
「……何を、言いたいのですか?」
聞くべきではないのに、口から飛び出すのは問いただすような言葉。
止めておけ。後悔しかしない。
なのに、聞いてしまう。
「君がここにやってきたのは、偶然ではないということだよ」
そして、戻ってきたのは絶望的な答えである。
「帝国に来て、友愛派の彼を見つけたのは偶然だと思うかい? そのあと、すぐさま友愛派トップの屋敷に招待されたいことも、おかしくはないかな?」
おかしくはない。
何も不思議なことはない。
だというのに、テレシアの身体はガクガクと震えていた。
「ああ、いや……そもそもだ」
そんな彼女の様子を観察し、満面の笑みを浮かべながら、ツァルトはとどめの言葉を放つ。
「帝国に行くよう君に提案したのは、誰だったかな?」
ビシリ、と音がした。
何の音かは分からない。
だが、テレシアは自身の内部から確かにそんな音が鳴ったのを聞こえた。
「……嘘、でしょう?」
「…………」
問いかけても、応えてくれない。
二人ともむっつりと下を向いて、黙り込んでいる。
それが、腹立たしくて腹立たしくて堪らなかった。
テレシアが二人にそんな感情を抱いたのは、初めてだった。
「君の……勇者のうわさは聞いていた。そして、必ず僕の力になってくれると。だが、さすがに国境を越えて影響を与えることはできない。武断派ほど強大なら別だけどね」
ツァルトのネタばらしは続く。
それが、確実にテレシアの心を砕き、薬の入り込む余地を広げると確信しているからだ。
「だから、君の仲間に接触してみた。遠方から彼らに指示を送り……君をここまで連れて来てもらったということだよ」
「そんな……どうして……。私たちは、うまくやっていて……。私には、あなたたちしか……!」
切実に訴えるテレシア。
彼女の脳裏に浮かぶのは、自身を異物を見る目で見据える数多くの人の視線だ。
精神をすり減らし、それでも彼女が勇者たらんとすることができていたのは、ひとえに彼ら二人が傍にいてくれたからだ。
だというのに、彼らは自分を裏切り、こうしてツァルトに捕まえさせたという。
彼女は今まで生きてきた中で、最も狼狽していた。
そんな彼女に、ルーカスがポツリと呟いた。
「……怖かったんだよ、お前がな」
「え……」
怖い? 何が?
テレシアは何が怖いのかさっぱり分からないが、ルーカスは真剣な目で睨みつけてくる。
「怖いよ、お前。寝ることも休むこともほとんどしねえで、ひたすらに魔物を虐殺しまくるお前が、恐ろしくて仕方なかった。同じ人間とは思えねえんだよ。俺の隣に立っているのは、俺たちに笑いかけてくるのは、本当に人間なのか。ずっとそのことばかり考えていたよ」
ガツンと頭を揺さぶられる。
ルーカスとシヴィだけは、自分を理解して受け入れてくれていると思っていた。
だが、それは間違いだった。
彼らもまた、他の人々と同じく、自分のことを恐ろしく思っていたのだ。
「その剣が、いずれ自分に向くようになったらと思うと……こ、怖いのよ。怖くて、堪らないのよ……!」
「そ、そんなこと、お二人に私がするはずが……!」
シヴィの言葉に、かぶせるように言葉を発するテレシア。
そんなことをするつもりはまったくないし、ありえない。
自分がこれほど力を求めているのは、ひとえに暗黒騎士を殺すため。
ひいては、人類のためなのだから。
しかし、ルーカスは必死の呼びかけにも首を横に振る。
「今までのテレシアだったら、俺たちもそう信じていたさ。だがな、お前は変わっちまった。あの暗黒騎士に出会ってから、お前は今までのテレシアじゃなくなっちまったんだよ」
「たった一人との出会いでこんなにも変わってしまうのよ? 人間的な営みをすべて捨てて、まるで戦うことこそが、虐殺することこそが生きる意味みたいに動き回って……。今はあたしたちのことを仲間だと思っていてくれていても、それが変わってしまったら? そ、その剣は、あたしたちを殺すものになるかもしれないじゃない!」
テレシアは、暗黒騎士に出会ってから変わってしまった。
彼を殺すために、そのためだけに行動している。
力を異常なまでに追い求め、自分を犠牲にしてまで力を吸収していく。
それが、どれほど恐ろしいことか。
加速度的に膨れ上がるテレシアの力。
もともと頭一つ分とびぬけていたパーティーの戦力差は、今では比べものにならないほどである。
もはや、彼女と共に旅をしても、ただただ足手まといになるだけだろう。
それほどの力が、自分に向けられたら?
いや、たとえ向けられなかったとしても、その力と暗黒騎士がぶつかり合い、その余波が自分にぶつかれば?
間違いなく、命を落とす。
それが、ルーカスとシヴィには恐ろしくて仕方なかったのだ。
「お二人は……ずっとそう思っていたんですか……?」
「……俺たちが変わったんじゃない。お前が変わったんだよ、テレシア。人間から、化け物にな」
その言葉が、冷たい目が、もう二度とあの楽しかった勇者パーティーに戻ることはできないのだと無慈悲に伝えてきていた。
「……っ、……うくっ」
テレシアの頬を涙が伝う。
こうして泣くのは、いったいどれくらいぶりだろうか。
少なくとも、記憶にはない。
勇者として、人のために尽くしてきた彼女に、自分のことで泣く暇なんてなかったから。
「しかし、本当に何も対価を支払わなくてもいいのかい? ここまでしてくれたんだ。君たちが求めるものは、できる限り応えたいと思うんだけどね」
「必要ねえよ。もう、二度と俺たちの前にテレシアを出さなければ、それでな」
「ああ、約束しよう。むしろ、会いたいと言っても会えないよ。彼女は、もう僕の……友愛派の構成員になるんだから」
「そうかよ」
ツァルトとルーカスの会話も、テレシアはろくに聞けなかった。
しかし、二人が自分に背を向けて歩き出したことに気づき、切実に言葉を投げかける。
「ルーカスさん、シヴィさん! 私は……私は……!!」
「じゃあな、テレシア。お前との旅、悪くなかったぜ」
テレシアの声も届かず、二人は完全にこの場を去って行ったのであった。
呆然と彼らのいた場所を見つめるテレシア。
そんな彼女に、ツァルトは安心させるような柔和な笑みを浮かべる。
「さて、じゃあさっそく薬を使おうか。常人ならすぐに廃人になるほどの量を投与するけど、勇者なら耐えられるだろう」
通常なら、時間をかけて少ない種類の薬を継続的に少量投与していく。
しかし、そんな時間はない。
多くの種類の薬を、短期間に大量に投与する。
その効果も大きいが、副作用も計り知れないだろう。
肉体的にも変化がみられるだろうが、何より精神だ。
ボロボロになり、テレシアがテレシアではなくなってしまうだろう。
だが、ツァルトにとっては問題ない。
なぜなら、彼が欲しているのはテレシアではなく、彼女の力そのものなのだから。
「い、や……いやああああああああああああああああああ!!」
テレシアの悲痛な叫びは、誰にも届くことはなかった。
◆
「……おい。お前、雑草ばかり集めて大丈夫か? 膝枕くらいならしてやるぞ?」
【雑草じゃない! 俺を幸せにしてくれる素敵な植物だ!!】
「麻薬かな?」




