第68話 警告
「ここが、帝国ですか……」
テレシアはポツリと呟く。
目の前に広がる巨大な街は、王都をもしのぐ。
往来している人々の数も、こちらの方が多い。
ここが、帝国。
人類の国家の中で、最大規模と呼ばれるほどのものがあった。
「やっぱ、国の規模はこっちの方が上だな。まあ、貧富の差もこっちの方がでかいみたいだが」
「弱肉強食が帝国よ。その分、王国みたいに身分で人生が決まることもないわ。実力こそすべて。力があればスラム街からでものし上がれるし、逆に力がなければ貴族からでも堕落するわ」
ルーカスとシヴィの言葉に、テレシアは街に目を向ける。
人々は多い。
それゆえに、幸せそうに顔を変えている者も多い。
だが、それと同じくらい世の中に絶望している者もいた。
それは、街の主要な通りを歩かず、少し外れた路地裏にいる。
座り込み、何の光も映さない目で通りを見ている。
ただ生きているだけ。
死んでいないから、生きている。
そんな人々が、大勢いた。
「では、ギルドに向かいましょう」
テレシアが彼らに手を差し伸べることはない。
助けられるのは、一人程度だ。
すべてを救い上げることはできない。
もし、あの場に一人しかいなければ、テレシアも恵みを与えることはしていただろう。
だが、あそこには複数人おり、もしその施しを与えているのを見て自分はもらえなければどうだろうか?
与えられた者に敵意が向き、強盗の被害者になっても不思議ではない。
だから、テレシアは歩き始めた。
決して、暗黒騎士のことで頭がいっぱいだというわけではない。
「……早速だな。そんなに暗黒騎士に近づきたいのか?」
「違います。近づきたいのではなく、殺したいんです」
「て、テレシア……」
シヴィが顔を引きつらせる。
……そういえば、自分はこんなにも簡単に殺すという言葉を使っていただろうか?
これも、暗黒騎士の悪影響だろう。
やはり、あの男は消さなければならない。
そう新たに決意をしたときだった。
「ひっ、ひいいいいいっ!!」
悲鳴が上がる。
しかし、往来する人々は気にすることはない。
いや、気にはしていて、だからこそ遠ざかろうとしている。
それは、決して間違いではない。
だが、勇者であるテレシアが見過ごすわけにはいかなかった。
……決してギルドに行くことを邪魔された、なんてことは思っていない。
勇者が……テレシアが、そんなことを思うはずがないのだから。
「……助けに行きましょう」
「ああ!」
「ええ!」
テレシアたちは、悲鳴のした場所に向かうのであった。
◆
「や、止めてくれぇ!」
そこは、人目のつかない路地裏だった。
一人の男が尻もちをつき、恐ろしいものから逃れるように後ずさりしている。
そして、そんな彼の前に立ち、剣を振り上げている男がいた。
「そこまでです」
「あ?」
気が付けば、テレシアは自然と彼を止めていた。
まさか、横やりが入るとは思っていなかったようで、剣を持つ男は目を丸くして振り返る。
そこに三人の人が立っていることを認識すると、目を細める。
「何をしているのかは分かりませんが、このままだとあなたはこの人を殺していたでしょう? だから、そこまでです」
そう言われて、ジロジロとテレシアたちの身体を見る。
下賤な目……というよりも、観察しているようだった。
「……あんた、帝国人じゃねえな? だったら、こういうことには首を突っ込まない方がいいぜ」
「もう突っ込んでしまいましたから」
「屁理屈言いやがって……」
舌打ちをする男。
よそ者が邪魔してきやがって……と呟く。
「たとえ、どのような理由があろうと、殺人を見過ごすわけにはいきません」
「今の帝国がどういう状況なのか、知らないのか?」
「状況……?」
首を傾げるテレシアに、男は説明をする。
「これまでにないほどの、強烈な派閥争いだよ。内戦と変わらねえくらいにな。その中でも、俺たち武断派とこいつら友愛派は一番激しく殺しあっている。友愛派の人間を殺すのは、上からの命令なんでな」
「派閥争い……」
王国でも、派閥争いはある。
というよりも、人間のような知性が高く集団生活を営む生物には、切っても切れないものなのだろう。
しかし、帝国でのそれは、王国のそれとは規模が違う。
もはや、内戦と呼べるほどの衝突が繰り返されている。
もっとも激しく衝突しあっているのが、武断派と友愛派である。
「わかったら退いてくれるか? なにも、強盗をしようとか快楽殺人を犯そうなんてことは微塵も考えてねえ。国のごたごただ。外国人のあんたらも関わるべきじゃねえだろ?」
確かに、ただの犯罪者ではない。
それ以上に複雑なものが……スケールの大きなものが、彼らの背後にはあるのだろう。
言ってしまえば、テレシアたちは外国人で帝国に永住するつもりもない。
完全な部外者である。
それゆえに、こういったことにも首を突っ込まず、見て見ぬふりをしていれば、無事に帰ることができるのだろうが……。
「先ほども言いました。国の問題でしょうが、目の前で殺人を見過ごすわけにはいきません。私たちは……勇者は、そういうことを義務付けられているのですから」
「……何を言っているか分からねえが」
チラリとテレシアたちを目で確認する。
どうやら、自分の説得にも耳を貸すつもりはないらしい。
邪魔をするのであれば、排除しなければならない。
……が、排除できる相手でもなさそうだ。
他の二人はともかく、自分と会話していた少女は別格である。
「ここで無理に押し通すと、俺もタダじゃあ済まなさそうだ。しょせん、そいつも殺す価値のない雑魚だ。今はあんたらに免じて見逃してやるよ」
男は撤退することにした。
ここで無理をしてでも殺さなければならない相手というわけではない。
予想外の妨害があったと、彼女たちのことを報告すれば、頭目は……ノービレは許してくれるだろう。
背を向けて歩き出す。
最後に、彼らにくさびを打ち込むことも忘れずに。
「だが、俺たちの……武断派の邪魔をしたことは、報告させてもらう。この帝国で自由に動き回ることができるとは、思わないことだ」
そう言って、男は今度こそ去って行くのであった。




