第3話 辞めたい
人類と魔族は、決して相容れない。
たとえ、千年の月日が流れたとしても、彼らは相変わらず敵対し、小競り合いを起こし、殺し合いを続けるだろう。
まるで、そうすることが定められているかのように、彼らは戦う。
人類は、勇者という希望を作り。
魔族は、魔王という絶望を作り。
それらを頭として、激しい戦争を繰り広げる。
「ぐおっ……!!」
「きゃっ!」
悲鳴を上げて地面を転がる二人の男女。
二人とも傷だらけだが、大きく負傷しているのは男の方だった。
これは、女の方がサボっていたということではなく、前衛と後衛の違いである。
そして、彼らをここまで痛めつけた存在が、近づいてくる。
「まだ戦うのか? いくら頑張っても、お前たち程度では私に勝てんぞ」
金色の長い髪を優雅に揺らし、先ほどまで戦闘を行っていたのにも関わらず、まるで散歩しているような感じなのは、フラウといった。
金と銀のオッドアイを冷たく光らせながら、彼ら二人を見据えていた。
見られるだけでも、背筋が凍り付きそうな……そんな威圧感があった。
それでも、男――――ルーカスは怒りをあらわにする。
「テメエ……! 舐めてんのか!? どうして、俺たちを殺さねえ!?」
ルーカスはプライドの高い男だった。
望んで殺されたいとは思わない。
しかし、自分よりもはるかに格上の彼(彼女?)が、一向にとどめを刺そうとしないことに、ひどくいらだっていた。
明らかに見下されている。
それが、我慢ならなかった。
「は? 殺されたいのか? ……私には分からない感情だな。善意で助けてやっているというのに」
フラウはそんなことを言いながら、薄く笑う。
「魔族が善意ですって……? 笑わせないで!」
「そりゃあ、魔族だって善意は持つさ。お前たち人間だって、悪意を持つ者だっているだろう? それと一緒さ。魔族だって、善意と悪意を持つ者がいる。まあ、私は魔族ではないがな」
にっこりと笑いかけてくる。
なまじ容姿が整っているがゆえに、男でも女でもドギマギしてしまいそうな輝く笑顔である。
しかし、ルーカスにとって、それは煽りにしかならない。
「ふ、ふざけやがってええええええ!!」
怒りのままに突撃するルーカス。
男の中でも体格に恵まれている彼は、巨大な戦斧を振り下ろす。
どちらかといえば華奢な見た目の敵をつぶすには、十分すぎる一撃。
しかし、それはフラウの華奢な片手で持った剣でたやすく受け止められ、そしてはじかれる。
それだけで、地面を転がり新たな傷を作る。
「ぐあぁっ!?」
「ルーカス!?」
慌てて駆け寄るが、もうルーカスが戦うことはできないだろう。
肉体的な疲労やダメージはもちろんだが、それ以上に弄ばれたという精神的なダメージが非常に大きい。
プライドが高く、また今まで大きな挫折を経験したことがないルーカスだからこそ、手も足も出ずにいたぶられるということに強いショックを感じているのであった。
「(強い……強すぎる……。魔王軍は、こんなのが当たり前にいるの……? だとしたら、あたしたちに勝ち目なんて……)」
顔を引きつらせる女。
魔王軍。人類が打ち勝たなければならない怨敵。
だというのに、魔王どころか四天王でもない。
そんなフラウに、手も足も出ないという事実に、彼女は心を折られかけていた。
「お前たちが弱いのは、経験が少ないからだ……と言いたいところだが、希望の象徴である勇者パーティーがこのざまではな」
そう、自分たちは人類の希望を一身に受け、魔王を討伐する使命を受けた勇者パーティーである。
人類の中でも選抜された者たちであり、自負もプライドもあった。
しかし、それは目の前のフラウに粉々に踏みにじられてしまった。
それでも、女の目は死んでいなかった。
「……言っておきなさいよ」
「ん?」
「確かに、あたしたちは弱いかもしれない。でも、あの子は……テレシアは、あんたなんかには負けないわ」
この期に及んで、威勢のいいことを言うのは他人の力を借りて……というのは、言った本人も情けないとは思う。
だが、人類全体を……勇者パーティーそのものを見下すような彼の言葉に、耐えられなかった。
自分たちは、確かに弱いかもしれない。
しかし、勇者は……勇者テレシアだけは、違う。
彼女こそが、世界最強にして人類の希望の象徴なのだから。
「テレシア? ……ああ、勇者か。なるほどな。お前たちみたいな金魚の糞じゃなくて、勇者なら確かにそこそこかもしれない」
フラウは否定することなく、うなずく。
何でもかんでも否定するわけではない。
確かに、そのテレシアという少女は強いのだろう。
強く、美しく、清らかだ。
だからこそ、人類の希望である勇者に選ばれているのである。
彼女ならば、フラウを倒すことができる。
女はそう信じていた。
「でも、お前たちは気づいているか? 致命的な失敗を犯したことを」
「し、失敗?」
うっすらと笑いながら言うフラウに、嫌な予感が止まらない。
失敗なんて、していないはずだ。
ここで自分たちが殺されそうになっていることは想定外だったが、自分たちがここに残ったのは作戦通りである。
それは、フラウもわかっていた。
「お前たちは、ここで私を食い止めて、先に向かわせただろ? その先に、誰がいるのかも知らずに」
「…………ッ!」
言葉を詰まらせる。
そもそも、最初はフラウを相手にテレシアも含めた全員で戦うつもりだったのである。
それをしなかった理由は、彼女のその先にいる異質な空気を、テレシアが感じ取ったからである。
姿は見えないのに、まるで目の前に仁王立ちされているかのような圧迫感。
そして、それが善性のものではなく、ドロドロに煮詰め、この世すべての悪意を集結させたような悪性だとすれば、テレシアが無視できるはずもなかった。
『間違いなく、この世界の毒となる』
誰にでも優しい彼女が、これほどまでに断言することは、今までになかっただろう。
テレシアは、その存在と戦うために、先に向かったのである。
「だ、誰がいようと、あいつは負けねえ! あいつは勇者で、俺たちを引っ張ってくれるすげえ奴なんだよ!」
ルーカスが吠える。
彼らにとって、テレシアは絶対的な心の支柱である。
かわいらしく、清らかで、優しいテレシア。
しかし、その実誰よりも頼りになる最強の勇者。
だから、彼女が負けることはない。
すぐに、この先にいる【悪】を滅ぼし、自分たちを助けに戻ってきてくれる。
そうなれば、余裕を見せているフラウもおしまいだ。
そう信じていた。
「そうか。じゃあ、絶望するといい」
そして、その信頼は粉々に打ち砕かれた。
ふわりと空から落ちてくる人影。
高い場所から叩き落されたとは思えないほど、優しく地面に横たえられる。
しかし、その彼女はピクリとも動くことはなかった。
「え……?」
それを見て、最初勇者パーティーを構成するルーカスらは理解することができなかった。
だって、そこで力なく倒れているのは、人類の希望である……勇者テレシアだったのだから。
「て、テレシア……?」
「そんな……バカな……!?」
ありえないと目を見開く。
慌てて近寄れば、明らかに致命傷であるといったダメージは負っていないように見える。
だからこそ、異質だった。
そんな状態のテレシアを、いったい誰がどのように倒したのか?
「お前たちがみんな残って私と戦ったのは、私が一番厄介だと思ったからだろう? 時間稼ぎをしたんだろう? 残念。そうするべきだったのは、私相手ではない。まあ、同じことをしていたら、お前たちはとっくにあの世に行っていたわけだけど」
厄介だと思っていたのは事実だ。
だからこそ、こちらにテレシア以外のすべてのパーティーを残したのだから。
先にいる敵のことを優先するならば、テレシアのほかにルーカスくらいを送りこんでも不思議ではない。
時間稼ぎもそうだ。
テレシアが戻ってくるまでの時間を稼ぐため、フラウを倒すのではなく、フラウから倒されないような戦法をとっていた。
だが、それらはすべて間違いだった。
ザリ、ザリ……と地面を重たい何かが踏みしめる音が聞こえてくる。
そして、ガチャリ、ガチャリと重たい鉄の音も。
それは、強固な鎧が歩くたびにぶつかって立てる音だった。
「ぐっ!?」
「きゃっ……!? なに、これ……押しつぶされる……!」
何か、攻撃を受けたわけではない。
ただ、その存在が近づいてきているだけで、上から押しつぶされそうになるほどの圧力を感じる。
立っていられない。
まるで、その存在を前にして、ひざまずくことが当然であるかのように、しゃがみ込む。
敵であるはずなのに、頭を深く垂れる。
その光景を満足そうに見つめるフラウは、口を開く。
「聞いたことくらいあるだろう? この世界最強にして最悪の存在。世界を滅ぼし、破滅を齎す絶望の象徴。その名も……」
「あ、ああ……」
知っている。
知っているからこそ、ここにその存在がいるということに、彼らは光を……希望を失った。
――――――暗黒騎士。
この世の絶望が、降り立った。
「(……辞めたい)」
暗黒騎士の思っていたことに、気づきもせず。