第110話 絶望
暗黒騎士がすぐさまユリアの元に駆け付けられた理由。
それは、ひとえにルーナの指示のおかげだった。
すなわち、彼女はユリアの背後に潜んでいる存在に、薄々ながら感づいていた。
そして、今のように口封じに来る可能性も捨てていなかった。
監視という名の護衛をつけ、それで済むのであればよし。
だが、それをも突破されるような相手ならば……。
この最悪の事態に備えて、ルーナは最高戦力である暗黒騎士を近くに潜ませていたのだ。
そのことから、彼女がどれほどユリアに価値を見出しているかが分かる。
彼女の頭脳。ひいては、開発・発展させられる魔法によって、人類と魔族の戦争は大きく傾く。
それは、ルーナも、そしてスポンサーの男も十分に理解していた。
その結果が、これである。
【(監視の魔族って無能しかいないの? 無能のしりぬぐいをさせられる俺……悲しすぎるわ)】
そして、とりあえずとばかりに監視の魔族に呪詛を吐く暗黒騎士。
来るかどうかも分からないのに待機させられていたことへの不満。
そして、本当に来てしまい、自分が対応しなければならなくなった絶望である。
「暗黒騎士。長年我ら人類を脅かす、最大最悪の敵」
【(大罪人みたいな言い方しないでくれる? 俺ほど慈愛と善性に満ちた存在はいないんだけど)】
「どうせ、逃げられはしないだろう。なら、ここはひとつ大勝負に出てみようか」
エドウィンは冷や汗を垂らしながらも、暗黒騎士と相対する。
狭い研究室の中だ。
激しい戦闘はできないだろう。
身動きの取れる場所も限られている。
ならば、距離をとって、逃げながら遠隔攻撃をすることはできない。
【死ぬがいい】
そう言って、暗黒騎士は攻撃を仕掛ける。
と言っても、彼は殺すつもりは毛頭ない。
他人を殺して、何かを背負うのは絶対に避けたがる、責任大嫌い魔族だからである。
それに、そもそも剣を振るうことは、この狭い研究室ではかなり難しい。
それゆえに、暗黒騎士は徒手格闘を狙って襲い掛かったのだ。
重たい鎧を身に着けているにもかかわらず、その動きはバネが身体に入れているかのように素早かった。
重たく、巨大な身体がエドウィンに迫る。
「おい、どこを狙っている?」
だが、暗黒騎士の手が彼を捕まえることはなかった。
エドウィンの姿は、暗黒騎士の背後にあり、余裕の表情を浮かべていた。
まるで、避けられるのが当たり前とばかりに。
【むっ?】
ガイン! と鈍い金属音が鳴る。
それは、エドウィンの繰り出した刃物が、暗黒騎士の鎧にはじかれた音である。
内心ガクブルだ。
しかし、軟な刃は、この鎧は一切通さない。
「信じられなくらい硬いな。鎧の関節を狙ったのだが……」
鎧には、どうしても身体を動かすうえで覆えない部位がある。
エドウィンはそこを狙ったのだが、何らかの手段で、そこも非常に硬質化していた。
強烈な火力を持ち合わせていない彼は、こうしてナイフなどで的確に人体の急所を攻撃しなければ、勝つことはできない。
まさに、彼のようなタイプにとって、鋼鉄の鎧に包まれている暗黒騎士は、難敵ということができるだろう。
【うまく逃げられたようだが、それは今回だけだ。次はつぶす】
「そう簡単にうまくはいかないさ。私の能力があればな」
【なに?】
怪訝そうに眉を顰める暗黒騎士。
もちろん、その眉を拝むことは、エドウィンはもちろん暗黒騎士自身にもできないのだが。
あの悪名高い暗黒騎士の注意を引いているという事実に、彼は少し胸を張る。
「ほら、こんなふうに、君は私の攻撃を止めることができない」
エドウィンはナイフを放つ。
投擲術にも優れており、暗黒騎士の中身であれば、決して視認できず、いつの間にか身体に突き刺さっていることだろう。
だが、中身はあれでも、こういう時に動くのは鎧さん。
鎧さんならば、この程度のナイフは、簡単に撃ち落としてみせるだろう。
【むっ(また刺さりかけたぁ!)】
パッと消えたナイフは、気が付けば鎧にぶち当たり、甲高い音を打ち鳴らしていた。
視認できないほど速い投擲……ではない。
文字通り、消えたのだ。
エドウィンの手から放たれたナイフは、暗黒騎士の鎧に衝突するまでの間に、姿を消していたのである。
これでは、途中で打ち払うことはおろか、避けることすらできない。
「物の不可視化。それが、私の能力だ」
「しょぼい能力だと思うか? 確かに、派手さはない。この能力よりも強力なものは、腐るほどあるだろう。だが、使い方とタイミングによっては、非常に有用なものになる。そう、お前を殺せるほどにな、暗黒騎士」
「どうして鎧を狙ったか分かるか? 次の攻撃で、お前が死ぬからだ」
狙うは、目の隙間。
ほとんどが鎧で覆われている暗黒騎士の身体で、唯一鎧で覆うことのできない場所。
加えて、人体にとっての急所の一つである。
「ふっ……!」
エドウィンが腕を振るい、ナイフを放つ。
やはり、そのナイフを視認することができず、暗黒騎士は避けることも逃げることもできず……。
「暗黒騎士!」
目の隙間に、無慈悲にナイフが突き立てられたのであった。
◆
ユリアの目の前で、暗黒騎士の目の隙間にナイフが突き立てられた。
唯一と言っていい、暗黒騎士の隙。
そして、目はすべての生物にとっての急所である。
小さなゴミくずが入るだけでも、痛みで反射的に瞼を閉じてしまうような、繊細な場所だ。
そこに、ナイフ。
間違いなく大けがである。
「ふっ……。まさか、私のような低火力しかない人間が、魔王軍最強を屠るとは、誰も思っていなかっただろう」
エドウィンは達成感に浸っていた。
それと同時に、多くの人々から賞賛される未来を夢想していた。
彼は、表立って褒められるような仕事ではない。
もちろん、それは理解しているし、そんな自分にも納得していた。
だが、賞賛されたいと思うことは、人間ならば当然である。
暗黒騎士は無条件で誰からもあがめられたいと思っているくらいだ。
なら、そのチャンスが目の前に転がり込めば、喜ぶというのはありえないことではなかった。
「それなりに付き合いがあったから言わせてもらうけど……」
だが、目の前で自分が助かる綱を斬られたはずのユリアは、呆れたようにエドウィンを見るばかりだ。
「君、爪が甘いよね。暗黒騎士は、倒れていないよ?」
「……なに?」
エドウィンの目が、目の隙間にナイフを突き立てたまま立ち尽くしている暗黒騎士を捉えた。
どうして倒れない?
死なないにしても、致命傷だ。
激痛があるだろう。
地面をのたうち回っているのが、普通の反応のはずだ。
だが、暗黒騎士は静かに立ち尽くしているのみだ。
【人の顔面にナイフを突き立てるとは、なかなか危険な奴だな(ビビった……。失禁していないかな? 鎧の中だと分からん)】
暗黒騎士は、平然と話し始める。
目の隙間に刺さったナイフを抜き取り、地面に打ち捨てる。
カランと高い音が鳴り、落とされたナイフには、血のようなものは一切付着していなかった。
ちなみに、暗黒騎士にも理由はさっぱり分かっていない。
「ば、バカな……。目にナイフを突き立てられて、どうして平然としている……」
【さあな(なんでナイフが届いていないの? ナイフはどこにいったの? 助かったはずなのに、ただただ怖いんだけど)】
短く、冷たく答える暗黒騎士に、エドウィンは絶望するほかなかった。




