第101話 私の体液はすべからく聖水
「え、なん……これ……」
言葉が突っかかって出てこない。
ありえない。理解ができない。
どうして、リリーが首だけになっているのか?
悪質な作り物か?
だが、そう断言できる要素がなかった。
しかし、ありえないことなのだ。
なぜなら、自分は彼女を助けて、見逃してもらうために、魔族の元へと渡ったのだ。
人類の裏切り者として蔑まれようとも、彼女のために。
「頭脳明晰で冷静な君がここまでうろたえるのは、初めて見たね。とても面白いよ」
激しく混乱するユリアを見て、男はほくそ笑む。
何年経っても、彼女をここまで反応させることは一度たりともできなかった。
それが、たった一人の少女でこんなにも劇的に変わるのである。
「なにって……これは、君の方がよく理解しているじゃないか。分かるだろう? これは、君の大切な彼女の……生首だよ」
「――――――」
男の言葉を、信じたくなかった。
だが、彼が言うのであれば、それは真実なのだろう。
自分が、人類を裏切った大罪人として名を遺すことになったとしても、それでも守りたかったリリー。
そんな彼女は、もうとっくに殺されていたのだ。
「治療はしていたんだけどね、その間も大変だったよ。君を解放しろって、よく食ってかかってきて……。少し魔法が使えるだけの人間が、魔族に敵うはずないのにね」
ペラペラと男が得意げに話してくるが、当然耳に入ってこない。
ユリアの中にあるのは、リリーが死んでしまったという事実だけだ。
「ああ、誤解しないでほしいのは、本当に私が殺したわけじゃないんだ。君との約束は守っている。しかし、少し騒がしくなってしまったからね。こういう可愛らしい人間を、ついかわいがりすぎてしまう者に見つかって……こうなってしまったというわけだよ」
「あ、ああ……」
言葉が漏れる。
それは、賛同の意味を成すものではなく、ただ無力感に打ちひしがれるものだった。
自分が、リリーのためにと必死に耐えていた苦痛は、ただ無駄だった。
呑気にリリーのためになっていると信じ込んでいた間に、彼女は……。
「だが、これで君も良かっただろう。完全に人間たちに対する心残りがなくなるわけだからね」
――――――魔族に殺されていたのだ。
「あ、嗚呼アアアア嗚呼嗚呼あ嗚呼嗚呼ア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼阿嗚呼アあああ!!」
膝をつき、頭をかきむしるユリア。
これほど大きな声を張り上げたことはない。
喉が悲鳴を上げ、吐血する。
それでも、ユリアは声を止めない。
血走った目で、男を睨み上げる。
「こ、ころし……殺してやる!!」
「君がここまで感情を露わにするとは……。よほど、彼女のことが大切だったらしい。心が痛むよ。だが……」
ユリアは感情のままに、男に襲い掛かる。
返り討ちに会うのは分かっているのに、それでも衝動的に襲い掛かった。
理性ではなく、感情で動いたのは、彼女もこれが初めてのことだったかもしれない。
しかし……。
「がっ、げほっ!」
全身に激痛が走り、立っていられなくなる。
先ほどの叫びとは別で、また吐血していた。
「なん、で……」
「言っただろう? 魔族は君のような人間が怖いと。魔族にする手当てに、突然逆らうことができないように、そういうものを埋め込んでいるのさ」
ユリアのことを、信頼なんてしていない。
彼女はとても有能で、それは逆に言えば危険性もはらんでいる。
敵対すれば、またあの苦しい戦いを強いられることになるだろう。
だから、こうして裏切り防止の措置をとることは、至極当たり前だった。
こうして、身体を改造して弄ることができるのだから、なおさら。
男は倒れるユリアを見下ろし、冷たく笑った。
「許さない……許さない! いつか、絶対に……生まれてきたことを後悔させてやる!」
「そうか。まあ、それはいいが、しっかりと魔族のために役立ってくれたまえ」
ユリアの怨嗟の声は、やむことはなかった。
◆
「いや、それ恨まれて当然だろ」
ルーナの話を聞き終わって、私は思わずそう言ってしまった。
いや、それは恨まれるだろ。
めちゃくちゃ非道じゃん、やっていること。
少しは私を見習ったらどうかな?
私の爪の垢、煎じて飲むか?
「それから、功績が認められて監禁生活から解放され、街のどこかに出て研究を続けているという話でしたわ。ちなみに、実行した男はいつの間にか行方不明になっていましたわ」
「復讐もされているじゃないか」
きっちりやることはやっているらしい。
ふっ……怖い……。
復讐者というのは、その目的を果たすために手段を択ばないところがある。
そういうやつと相対するのは、ただただ怖い。
邪魔するだけで殺されかねないからな。
暗黒騎士が殺されるのは構わないが……。
しかも、害意があって処理することができているということは、そのリミッターみたいなものも自力で解除されているということだ。
つまり、魔族だからといって、攻撃されないということもありえない。
……あ、私人間だったわ。
どちらにせよ、攻撃されていたわ。
「それで、魔族への恨みを晴らすために、魔剣騒動を……」
お優しい堕ちた勇者は、痛そうに顔を歪めている。
けっ。その優しさは私に向けるべきでは?
「っていうか、あいつの過去とかどうでもよくね?」
「うん」
トニオの辛辣な言葉に、メビウスが空気を読まずに頷く。
お、お前ら……よくもまああのルーナを相手にそんなことが言えるな。
怖くないのか?
殺されるぞ。
「奴が我々に敵対する理由は分かりました。しかし、目下の課題は、やはり暗黒騎士。奴の対処法を考えることが先決でしょう」
「そう、ですわね。では、我々を二つのグループに分けます。それぞれ、暗黒騎士様と魔剣持ちの対応に当たってもらいますわ」
私はハッと顔を上げる。
暗黒騎士と魔剣持ち。
どちらが危険なのか、私の中で天秤にかけられる。
考えるまでもない。
拮抗は一切せず、問答無用で暗黒騎士の方が危険だった。
「じゃ、じゃあ私は魔剣持ちの方で……」
こういう時は、自分の意見をはっきり言わなければならない。
そして、最初に言うことによって、意見は非常に通りやすくなる。
暗黒騎士なんかと戦ったら、マジで死ぬ。
死にかけたからこそ、私はあいつの下につくことになったのだから。
私は勝利を確信して……。
「フラウは暗黒騎士様対策ですわ」
「なぜ!?」
絶望。
ルーナの言葉に、私は絶望するほかなかった。
なぜだ!?
誰もまだ意見を言っていないだろう!?
「暗黒騎士様とつながりが深い方が相対した方が、彼の記憶を揺り動かすことができるかもしれませんもの。同じ理由で、メビウスとテレシアもお願いしますわ」
「……勝てないと思うけど」
「了解しました」
メビウスとテレシアが頷く。
はぁん!? 暗黒騎士を呼び戻すぅ!?
それはまったく構わないし推奨するが、あいつがそんな殊勝な奴だと思うか?
嬉々として殺しに来るぞ。
絶対に。確信しているわ、私。
「オットーとトニオは、魔剣持ちを。広範囲にわたって飛び回っていただきますから、あるいは暗黒騎士様対策よりも大変だと思いますが、よろしくお願いしますわ」
「承知しました」
「うーい」
オットーとトニオにまで話がいってしまった。
あぁ! 本当に私は暗黒騎士と戦わないといけないのか!?
心配だ! 私の身体が!
暗黒騎士のことはどうでもいいけど。
「わたくしはここに残り、指揮を。皆さん、この魔族の難事を、ともに乗り切りましょう」
『はっ!』
魔王らしく君臨するルーナに、幹部たちはひざまずく。
私もなんかノリに乗って跪くが……。
嫌だあああああああ!!
顔は涙と鼻水をまき散らすほどみっともなかった。
まあ、私の体液はすべからく聖水だからセーフ。