第100話 約束
「では、我らの仲間に真の意味でなってもらうために、手当てを受けてもらおう」
魔族領に入り、窓が一つもない無機質な建物の中に入れられたユリアは、男からそう求められた。
相変わらず、婉曲的なものの言い方だ。
ユリアには、その手当がどういう意味のものかは察しがついていた。
「手当? 改造や実験という方が正しいんじゃないかな?」
「それは、君の捉え方次第だろう。しかし、純粋な人間が近くにいれば、弱い魔族はとても不安になるんだ。理解してくれたまえ」
「よく言うよ」
この男がその気になれば、自分なんてたやすく殺すことができるくせに。
実直だったリリーを知っているからこそ、この男が嫌いで仕方なかった。
「安心してくれ。君を殺すことはない。私たちの仲間だからね。それに……君はとても有用だ」
「…………」
つまり、使えるうちは殺されないということだ。
安心するべきか、それとも……。
「さて、ではさっそく働いてもらおうか。私たち魔族のため、人類を滅ぼすために」
「……ああ」
手を伸ばしてくる男に、ユリアが抵抗することはなかった。
◆
「ぐっ、はっ……ぁっ!」
壁に手をつきながら、フラフラと歩くユリア。
彼女がここに連れてこられてから、長い年月が経っていた。
そして、彼女の身体には至る所に包帯が巻かれてあり、それは血をにじませていた。
息も絶え絶えの様子は、今まで冷静で落ち着いた彼女とは思えないほど疲弊していた。
そういったものは表に出さなかったユリアが、隠す余裕もないということである。
そんな彼女を、笑顔を浮かべて迎え入れるのは、連れ去った魔族の男だった。
「久しぶりだな。いやいや、よく似合っているぞ。その傷ついた姿は痛々しいが、しかし私たちの仲間になろうとしている過程だとすると、それすらも美しい」
ニヤニヤと爬虫類の顔を歪ませている男。
この嫌味な性格も、何年も付き合っていれば、慣れるものだ。
まあ、好きになることは一切ないが。
どうやら、彼がユリアの対応を任されているようで、今もなお付き合いがあった。
「……こんなに時間がかかるとは思っていなかったよ」
「種族を変えるのだ。本来であれば、絶対にありえないことを後天的にしようとしているのだから、時間も犠牲も費やすだろう。しかし、時間をかけているのは、拒絶反応で君を殺さないためだ。実験に使った人間は、すぐに死んでしまったからね」
「…………」
ユリアが長年受け、このように傷まで作っているのは、彼女の身体を作り変えているからである。
人間から、魔族へと。
種族の後天的な移転など、本来であれば決してできないことだ。
人の構造……もっと根源的なものを作り変えることなど、超常的なことを引き起こす魔法でもできない。
だが、魔族はその術を持ち合わせていた。
数多くの人間の実験体を消耗しながら、見つけ出した。
自分の身体に施されているものが、何百、何千という命のうえに成り立っているものだと思えば、何とも気が滅入る。
「だが、時間をかけるために、まずは君の寿命を延ばしただろう。喜びたまえ。人間は不老長寿を求めるのだろう? 君も、完璧な不老不死とは言わないが、かなり長生きすることになったのだから」
「私は、そこまで長い人生に興味はなかったんだけどね」
「おや、そうなのか。それは失敬」
ユリアがそのようなものに興味を示さないと分かっていて、言ったのだろう。
これは、強がりでも何でもなく、彼女の本心だ。
長く生きることに、それほど魅力は感じない。
限られた短い命を燃やし、何かを成し遂げることに意味があるのだ。
まあ、自分は人類の裏切り者となったわけだが。
思わず自嘲の笑みをこぼす。
「しかし、君の研究成果は素晴らしい。人間が手ごわくなったときは、いったいどういうことかと思ったが、君の頭脳があればこそだったんだね。今では、我々が一気に人間を押している」
「……そうか」
かつては、魔族を倒し人類のために役立てられていたユリアの研究成果。
それが、今では逆に魔族のために役立てられ、人類を追い詰めていた。
彼女の発展させた魔法は、強者であるはずの魔族を苦しめていた。
それがなくなるどころか、今度は自分たちの力になっているのである。
戦況が大きく傾くのは、当然と言えよう。
それを聞いても、ユリアは特段大きな反応は見せなかった。
少し虐めてやろうと思っていたのに、無反応では面白くない。
男は言葉を続ける。
「随分とたんぱくだ。同胞じゃないか」
「君たちほど、人間は団結していないということだよ。それに、知らない顔まで心配する余裕、私にはないからね」
人間は、種族という多きなくくりよりも、さらに小さなくくりで連帯感を持つ。
種族ではなく国家、宗教、文化。
とくに、ユリアはそういう連帯感などには希薄だった。
「賢明なことだ。君が大切なのは、あの少女だけかな?」
「……っ」
ピクリと反応するユリア。
抑えようとする。
ここを突かれるのは、彼女にとっても非常に痛い。
決して弱みを見せることのできない相手なので、無理やりにでも情報を与えないようにする。
「隠そうとしても無駄だ。あの時、私は君が彼女を庇ったのを見ているのだからね」
だが、もちろん男は知っている。
彼女を……リリーを突けば、ユリアはとても面白い反応を見せてくれると。
「……あの後、あの子に手を出していないだろうね」
「もちろん。私は約束は守るよ。私と、その配下は、彼女に一切手を加えていない。治療はしたがね」
「…………」
ユリアは安堵する。
反応を見せないようにはしているが、男には安心していることが丸わかりであった。
だから……この顔がゆがむのは、とても面白いだろう。
「だが……厄介なのが彼女に目をつけてね」
「……は?」
身体がスッと冷える。
とてつもなく不安になる。
何を言うつもりだ?
ニヤニヤと笑う男に、ユリアは嫌な予感しかしない。
ドクドクと心臓が嫌な高鳴りをする。
言葉で説明するよりは、と男が取り出したのは、水晶。
映像や画像を映し出すことのできる道具だった。
「これが、彼女を映したものだよ」
パッと光って画像が映る。
その画像に映っていたのは、首だけになったリリーの姿だった。
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