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8話 2061年8月29日(月)

● 2061年8月29日(月曜日)


 そういえば、この間俺が住んでいる街までリニアモーターカーが開業されたらしい。

 街はどんちゃん騒ぎだったようだが、駅までそこそこの距離がある俺の大学の近郊まではお祭り騒ぎは聞こえてこなかった。

 検索サイトのニュースで取り上げられるぐらいの盛り上がりを見せていたが、一介の学生に過ぎない俺にとっては新幹線ですら金銭的に厳しい乗り物なのに、リニアモーターカーなんて冗談じゃない。

 リニアの良し悪しはともかく、学生には関係のない乗り物だという悲観的な考え方は同じゼミの奴ら、強いては学生全体の通説だった。

 それでも一部は実家の帰省や教授の講演に活躍しているらしいから悪いものじゃない。ただ俺には関係のないものだ、というだけだ。

 だから俺が就活や実家に帰るときのような遠くに行くときはもっぱら高速バス。

 決して早くないが、一晩寝ているだけで下宿近くから一気に自分の実家近くまで行ってくれるのだからこれほど便利なものはない。

 まぁ大学に入って三年経つのに、実家に2回しか帰ってないけど。

『横山くん、久しぶり!』

 先に控える就活の金の工面を考えている折、俺のスマホに一通の連絡がきた。

『同窓会を企画してるんだけど、久しぶりに沢渡に戻ってこない?』

 連絡をくれたのは『尾上綾子』。今、俺の実家がある場所は高校二年と浪人した一年の合計三年。正直、沢渡に居た頃の方がよっぽど思い出があって今の場所にはあまり思い入れがない。

 どちらかというと俺の青春は親の実家よりも沢渡市だ。気の合う友達も多かったしな。

 とはいえ、俺が中学と高校を過ごした沢渡は親が住んでいるところよりも更に遠い場所で高速バスでは乗り継がなければ行けない場所だ。(社会人なら高速バスという手段自体候補に入らないだろう)

 いかんせん遠すぎるため接点がない都市同士。大学のゼミ仲間に聞いても沢渡という街の名前ぐらいは知っても、行ったことがある人がいないだろう。おそらくイメージすら湧かない。漠然と遠いところってだけだ。

『うん、行こう』

 同じゼミの奴らと酒を飲んでいた俺は考え無しに沢渡に帰ると尾上に言い、次の日酔いが醒めて愕然とした。どうやって帰ろうかと。沢渡には戻りたいが覚悟が足りていない。(おもに金銭的な意味で)

 しょうがないので大学生の特権である『時間』をフルに使って沢渡に帰る覚悟を決めた。

 時間を金に換えるのが仕事なら、金を時間に換えるものが交通手段だろう。リニアモーターカーは無謀すぎる金額だ。素直に時間を浪費しよう。そして移動中は本を読もう。ネットサーフィンは何も得られない気がして空しい気がするから。

 飲食店のバイトを全部キャンセルした後、しばらく留守にする旨をゼミで言う。

 普段は絶え間なくバカ話をする面々ではあるが、俺は過去沢渡に住んでいた頃の話に大学の連中は興味津々だった。

 俺の話を聞いた友人は凍り付いていた。

 女の子は泣いていた。

 別に同情されたいわけじゃない。あくまで俺自身の経過を辿っただけだったのだが、他人にはドラマティックな話に聞こえたらしい。

 おもしろい話でも無かろうに。


 スマホを取り出して昔撮った写真を見てみる。


「……」


 めくるめく友達の写真。5年も経った気しないけど今はどんなふうに変わったんだろうか。

 尾上……確か当時は『綾子ちゃん』と呼んでいた。もちろん西田とか入崎とかいまだに沢渡に居るのか。それともわざわざ帰ってるとか。


「っ……」


 めくっていると一枚の笑っている女の子が写った写真に行きついた。

(志弦か)

 久しぶりに見た気がする。沢渡から離れた直後はよく見ていたような気がするが、ここ最近はめっきり見なくなってしまった。

 元カノのはずなのに沢渡から転校するとほぼ同時期に自殺したから、『死んだ』ってイメージがあんまりないんだ。

 友達と一緒に置き去りにした……といった所か。

 志弦のことが好きだった。でも結局墓参りすらしていない。

 俺は志弦のために沢渡に帰る。

 旧友よりもむしろコイツの方がメインだ。

 いろんな期待を込めて乗り込んだ高速バス。まずは実家に帰るバスに乗らなきゃならない。

 沢渡はリニア以外の方法で1日で行くには遠すぎる。新幹線を始発で出ても昼は過ぎてしまうし飛行機はない。


 俺は深夜の高速バスで6時間ほどかけて実家に戻った。久しぶりに母親の晩飯を食べるとこんなにおいしかったのだろうかと思うものだ。

『1日も居ないのか』という文句を浴びせつつバスターミナルまで連れて行ってくれる親を感謝しないわけにはいかない。

 おかげで遅れることもなく俺は沢渡行の深夜バスに乗り込むことができた。

(15時間か……)

 まったく、同じ国とは思えんね。

 しょうがないから、俺は適当にスマホを見たり課題をしたりしながら心地よく揺れる深夜バスに身を任せていたのだった。

 ……


「くはーっ!」


 ぞろぞろと沢渡駅で降りる乗客。俺も荷物を持ち上げて狭い車内を無理矢理進んでいく。

 バス軟禁状態の次はうだるような暑さか。


「何年振りかなぁ」


 俺が居た頃は微塵も存在しなかった摩天楼。高くまでそびえ立った駅ビル。それ以上に高く、空を狭くする高層マンション。それらに反射した光からしかうかがえない太陽。

 沢渡駅に吸い込まれるように入っていくリニア。舗装されなおして垢抜けた駅前ロータリー。バスが止まる場所まで完全に変わっている。


「ここはどこだ?」


 もう俺の知っている沢渡駅はどこにもなかった。『沢渡駅』と書かれた看板も新しい物になっている。

 高層ビルがあった場所は昔駐車場だったっけ? 新幹線駅だって観光客を騙せないぐらいボロかった。リニアが通るときに建て替えられたのだろうか。

 人の流れも変わっている。向こう側の出口の方が利用客は多かったはず。でも明らかに今はこっち側の方が多い。

 向こうにあるバス停から高校に行ってたはずなんだが、そこには当時を忍ばせるものは何もなく、待ち合わせの車ばかりが止まっている。

 俺が知っている沢渡駅はどこにも残っていない。消え去った世界。


「……」


 悲しいを通り越して本当に全く知らない街に来たようだ。郷愁にすら浸れないよ。

 俺はポケットのスマホを取り出してメッセージをもう一度確認する。使い倒したせいでさすがにくたばりかけた電池が目についた。

『12時ぐらいに沢渡駅で待っててー』

 一番下に書いてある文字はその一文。送り主は尾上だ。文面が丁寧なのは何も変わっていない。改めて腕時計を見てみると11時30分過ぎ。

 見回すと見慣れたチェーン店のカフェがあった。とりあえずあそこで飯を食いながら尾上を待つか。

 軽い飯を注文して、窓際の席で目の前を移り変わる待ち合わせの自動車を見つめていた。

(確か黄色い外車だって言ってたよな)

 到着したら連絡すると言っていたから焦る必要はないんだろうが、どうしてもすることが無いから探してしまうよな。

 10分ぐらい経った後だろうか、俺が座っている席の目の前に黄色い外車が止まった。あれだ。あれに間違いない。

 運転席から降りてきた女の人、身長は普通ぐらいだが凛と背筋が伸びて落ち着いた色合いの服と薄化粧のイメージが似合う女性だった。

(あ、尾上か?)

 俺、見間違ってないよな? あれ尾上だよな。自信が無いんだが。

 彼の女性も歩道にでてキョロキョロを辺りを見回している。そしてすぐに片手に持ったスマホを触る。

ブルッ。

 間違いなさそうだな。

『ついたわー、どこらにいる?』

「目の前のガラスの向こうにいるよ」と。

 尾上と思しき人物が手に持ったスマホを見るなり、俺が目の前に座っていることに気がついたようだった。

 俺の方を向くと微笑みかける。早く行こう。あんまり待たせちゃわるい。


「みつけた」


 久しぶりに会った尾上は満面の笑顔で迎えてくれた。


「悪いな、わざわざ駅まで迎えに来てくれて」

「あー全然いいわよ。嫌なら嫌って言うしね。それにしても久しぶりねー横山くん」


 良かった、美人になってもひょうきんな物言いも含めてそれほど変わってないようだ。


「んん? こうみると昔とあまり変わってないように見えるかも?」

「尾上はめっちゃ変わった気がするよ」


 主に見た目が。


「あーらそんなことないわよ。私だって変わってないわ。笑ってみようか?」


 にっこー!と言わんばかりにいたずらっぽい笑み。こんなに愛嬌のある笑い方はしなかった気がする。そこまでやられるとわざとらしい。


「もー、全然効いてない。大概の男はこれで悩殺なんだけどな」

「悩殺って、普通色気とかでやらないか?」


 今の尾上からすればそっち方面から攻めた方がいいだろ。世間からすれば充分悩殺バディだ。

「どうなんだろうね。ずーっとお転婆が抜けないのよね。黙ってりゃそういう風に男を吸い取ることもできるんだろうけど」


 すげー自己分析できてるな。自覚してるんだったら俺がどうこう指摘する必要もなさそう。


「ありのままが一番気楽なのよ。ムリに取り繕う方が向いてないわ」

「ずいぶんしっかりしてんな」

「んー、あなたに言われるほどじゃないわ」


 さすが秀才。俺の話も軽くいなされる。


「とりあえずー荷物を車に乗っけましょー」


 ゆっくりと黄色いスポーツカーのハッチバックを開ける。


「よっこいせっ」


 背中に担いだ巨大なリュックサックを荷台に乗せた。


「あら、すごい量の荷物ね」

「これでも結構削ったんだけどな」


 お土産とかも入っているし。


「そうだ忘れないうちにお土産」

「うおっ、まじで、いいの? 遠慮なくいただきます。わーこれ有名なやつよね。この間お土産ランキングで二位か三位だった」

「おー知ってたか。わかってくれて嬉しい」


 高校の時はこういうのは興味無さそうだったからわかってくれてよかった。

 そういえば大学に帰るときのお土産も考えとかなきゃな。


「それじゃ、行きましょ」


 素直に助手席に乗り込んだ。


 ヒュイイイィィン。

 電気自動車特有のモーター音と共に走り出す尾上の車。

「なんか、改めまして。お久しぶりです」

「あ、そうよね。お久しぶり。横山くん沢渡に帰ってきてないの?」

「うん、全く帰ってない。引っ越し以来かな」

「そっかー。じゃあ志弦のお葬式が最後だったっけ」


 本当は高校にいるうちに沢渡は戻ってこようとは考えてたんだが。


「結局それ以来、ずっと戻ってないな」

「遠いもんね、実家が沢渡ってわけでもないって志弦から聞いたことあったからさー、こっちに来る機会も作れないよね」


 低い声で尾上はうなづいた。


「尾上って、こんな車乗ってるんだね」

「軽バンもあったんだけど、お客様を軽バンはちょっとねえ、っていうかさ『尾上』ってやめよーよ。昔みたいに『綾子ちゃん』でお願い」

「そうだったね。お前高校の時もクラスのみんなに『綾子ちゃん』を強要してたよね」

「そーだっけ? でもその方が私らしいわ。 清彦くん!」


 よかった、笑顔の多さは俺が昔から変わってないようだ。


「今からどこに行くの?」

「とりあえず荷物を降ろしにホテルに行こうかなって」

「そういえば、ちゃんとホテルって手配してくれてるんだよな」

「ええ、用意してるわ」

「なにからなにまでありがとうな」

「長旅でお疲れでしょ。せっかく帰ってきてくれるんだからやってあげないと」


 大概遠いって知ってたけど、ネットで調べて片道1000キロってのはさすがにビビった。


「まさか清彦くんが沢渡に戻ってくれるとは思わなかったわー、嬉しいよー」

「ハハ……まぁ、今住んでるところからは遠いからな」


 大学に通って一人暮らしの苦学生。実家に帰るのも厳しいのに沢渡に来るのは現実不可能だと思っていた。


「それに、いろいろと……な?」


 この地にはいろいろな思い出がありすぎる。もちろん良いこともあるがそれだけじゃない。もやもやとした感情がくすぶった土地でもある。


「沢渡に来たのは、同窓会だけじゃないけどな」

「……」


 赤信号で止まっている隙に、綾子ちゃんは一瞬、俺の方向を向いた。


「志弦の墓参りもしなきゃな」

「……そっか」


 志弦は特に辛い話題だ。でも志弦のことで頼れそうなのは綾子ちゃんしかいない。

「志弦も喜んでくれるわ」


 しまった、自分からこんな話題を出すんじゃなかった。


「あとで志弦の墓に連れて行ってくれないか?」

「ええ。明日でも、高台公園に行きましょう。あの裏手に墓があるの」

「そうかすまん、気を遣ってもらって」


 まぁ……もういいやこの話は。

 せっかく沢渡に帰ったんだ。もっと楽しい話題をしよう。


「ところで綾子ちゃんは就職は決まったの?」

「もちろん、ソッコーで内定取ったわよ」

「すげーじゃん、どこ貰ったの?」

「AUG研究所」

「うわ……えらく大きな会社に入ったな」


 AUG研究所ってのは沢渡に本社がある医療系のメーカーだ。


「もちろん! AUG病院ぐらいはチョチョイと内定貰わなきゃ!」


 俺が居た頃からある。地元では優良な大手企業だが、業界関係者以外ではあまり有名じゃない会社だった。

 だが近頃は『再生医療』という遺伝子から心臓とか肝臓みたいな人間の臓器を移植ではなく一から作り上げる研究が成功したそうだ。

 おかげで医学賞やか化学賞学者を輩出したり、ニュースやドキュメンタリーに取り上げたりしてこの街のみならず世界的にもその名が有名になり始めた今一番波に乗っている会社である。

 ちなみにそのAUG研究所と一緒に設立されたAUG総合病院というのが志弦が住んでいたマンションの裏側で、志弦が搬送された場所でもある。


「清彦くんは?」

「いや、俺は一年浪人してるから、就活は来年だな」

「あらそうなの? どんな業界にしようかとか考えてる?」

「え、AUGに紹介してくれるの?」

「あーっはっはっはっ! 私が人事部だったら考えてあげれたんだけどね。残念ながら総合職なのよー」


 冗談で言ってみたけど当然か。まだ綾子ちゃんは入社すらしていないんだし。


「あでも、就職活動経験者だからいくつかのアドバイスはできるわ。もし意見が欲しいときは仰っていただければいくらでも教えちゃうわよ」

 わざとうやうやしく返した綾子ちゃんだが電卓より早く計算できるコイツに言われても差があり過ぎるので抵抗する気力もないままさっさと屈伏してしまう。


「サンキュ」


 一応経験者だし、頼る機会あるかもしれないな。

 ……


「あとでねー」


 綾子ちゃんに送ってもらったおかげでホテルにはついたけど、同窓会が始まるまではまだ三時間から四時間ほど時間が余っている。

 ホテルの中でじっとしているのも俺の性じゃないし、ポケットに財布とスマホだけ突っ込んで俺は久しぶりに沢渡に繰り出した。


「……」


 通りぬける車。歩いていく人並み。すべてがあの頃と違っているように見えた。

(俺らが通ってたファミレスがなくなってる)

 坂を下りきったところにあった『ハッピータイム』。志弦と一緒に勉強したっけ。

 でも、その喫茶店の面影はすっかりなくなって見慣れたコンビニになってしまっていた。

(ハッピータイムはチェーン店ではなかったんだけど、一品一品がすごい安くて学生がたむろしていたっけ)

 当時は沢高の学生でごった返していた。安い値段で居座ってたから経営が成り立たなくなったのかな。あり得る話だ。


「ラーメン屋も無くなってるな」


 メガ盛りとかいう2000円するとんこつラーメンがあったお店だ。

 一度も頼んだことが無かったが、店に入ったらラグビー部の人が頼んでいたのは覚えている。

 周辺一帯ぶっ壊されて、この地方でポピュラーなスーパーマーケットになっている。

 こう見ると高校の時にあったお店が全部なくなっている。というかこんな景色をしていたのかな。もっとボロッちい建物がいっぱい建ってなかったか。

 今は道も大きくなって真新しいビルばっかり立ち並んでいて俺が知っている沢渡の景色なんてどこにもないんだけど。

 恐るべし沢渡。たった5年でこれほど変わっちまうか?

 寂寥感を胸に俺はコンビニでコーラを一本買って飲み干す。


「最近これうめーんだって!」


 コンビニから出てきたのは沢高の制服を着た生徒だ。1リットル入りの紙パックのジュースを片手にストローを突き刺した。俺も高校の時あれぐらいの量は飲んでた気がする。


「何も残ってないな……」


 変わったのは俺らだけじゃないのか。でも、もう少しぐらい面影を残してくれたっていいじゃないか。

 俺が知っているのは完全に過去の遺産になっちまっているみたいだ。

 ……

 バスに乗って沢渡市の中心部まで回ってみた。そこも俺が知っている光景とはまるで違った世界が広がっている。

 画一化された道にアーケードは一新されて綺麗になっている。中心部も高層ビル群みたいになってしまっていたし、ファッションブランドのお店も流行に合わせるように様変わりしているようで全く見慣れないものになってしまっていた。

 志弦と来たはずのお店も中がどんなふうになっていたのかすらも思い出せないほど記憶も色褪せている。


「切ないな」


 高校時代より確実に人は増えている。当時から人は多かったけど今はもっと多い。昔の祭りがあった時のような人出。普段からこんな感じなのだろうか。

 なんか俺は一人で取り残されているみたいな錯覚だ。完全に浮世離れしたような。

 俺が知っている沢渡はどこに行ったんだろう。なんか忘れてるような?


「……帰ろう」


 もうそろそろ帰らないと同窓会の時間も近づいてきた。

 綾子ちゃんに送ってもらっといて、遅刻するなんてもってのほかだ。


「あ……、高台公園」


 思い出した。一番最初に行こうと思ってたのに忘れてた。あの日志弦が消えた場所。


(ま、同窓会が終わってからでもいいか)


 あのホテルからもそう遠くないし。


 ……


「おまたせー」


 綾子ちゃんが止まったのは沢渡市内から高校寄りの落ち着いた場所にある居酒屋だった。10分前だけど、居酒屋の前の人がいる様子はない。


「まだ早めだから集まってないかも。来てなかったらごめんね。予約は『オガミ』ね。車を置いてくるから、よろしくー」

「りょーかい」


 バタンと席を閉めると足早に綾子ちゃんは走り去ってしまった。と言っても近そう。

 先に入っている人はいるんだろうか? さすがに10分前だし、誰も来ていないだろうか。

 ……みんな俺のことを覚えているんだろうか? それ以前に俺がみんなのことを覚えているかな。そう思うとこの暖簾をくぐるのがちょっと躊躇われる。


「あれ、待っていてくれたんだ?」

「もう停めた?」

「ええ、もう2、3分は経ってるもの」


 ポカンとした表情で俺を見つめぼやけている電灯が薄暗く綾子ちゃんを照らしている。


「大丈夫だから、行きましょう」


 何もためらう様子もなく、綾子ちゃんは引き戸を開けてその居酒屋に入っていった。


「おー、青春してる?」


 個室に入るなり話しかけてきたヤツ。


「その話は忘れろ!!!」

「ムリだなー、横山と言えば『青春してました!!』だろ」


 クッ……実話だから否定できない……!


「だろ!」

「思い出すな!っていうかお前誰だよ!」

「ひでぇ!西田だよ、覚えてないか?」

「あー思い出した! そんな顔だったっけ?」

「俺はー? 俺は思い出せるー?」

「入崎!入崎康介!バスケ部を忘れるわけないじゃん!」

「おー、正解! 僕は思い出せないけどー」

「なんだテメー! 全然変わってないな!」

「でも『青春してました』は覚えてるよー」


 一番覚えてなくていい……。


「でもどんなだったっけー?」

「遊佐さんがコイツを呼び出そうとしたのを広橋さんが真横で聞いてキレて遊佐さんを呼びだしてタイマンしだしたって感じ」


 ……言った通りで話が盛られてない。

 よく覚えてやがる。


「結局あの時どんな話をしてたんだ?」

「もう覚えてねーよ」


 しかもあれは藍が告白してフッた次の日だった。


 なんか誰か足りないな。誰が居ないんだろう。

 周りを見回した後、もう一度沢渡の友達を思い出す。


「あれ、広橋は?」

「藍は仕事で来れないらしいわ」

「そうなんだ」


 就職したのかな? 沢高で大学行かないのは珍しい。超進学校だから就職なんてちょっとも聞いたことないのに。


「来い来い来い来いコッコーイ!」

「はいはい」


 西田は相変わらずのようだ。

 ……

 同窓会が始まって結構な時間が経った。


「ふー」


 トイレから自分の席に戻った。


「ねぇこれ清彦くんの?」


 綾子ちゃんが手にしていたのは一つのスマホだった。


「俺の?」


 電源をつけると、この間撮った夜景の画面が出てきた。


「俺のだ。サンキュ」


 ずっとポケットに入れたまんまだったんだけどなぁ。


「電池少なかったから、ポータブルですこし充電したわ」

「まじで、わざわざどーも」


 そこまで気を遣ってくれなくてもいいのに。


「さーてさてみなさま、お忙しい中お集まりいただき誠にありがとうございましたー」


 居酒屋の前でみんなの前で丁寧に頭を下げる綾子ちゃん。

「おうぇぇぇぇぇ」

「やーねぇ、外でやりなさい外で」


 冗談っぽく言ってるけど本気なんだろうなぁ。少なくとも俺なら本気で言うだろうな。


「遠くから来てる人は私がお送りしますので」


 沢渡高校だもんな。頭が良い分、遠い交通僻地から来てるやつも結構いる。一通り話した感じこのメンツなら俺以外、終電やタクシーで帰れないレベルの人はさすがにいなさそう。


「清彦くんもね」


 ……え、なんで? 歩いていける距離なのに。


「大丈夫だよ。俺よりもずっと遠い人いっぱいいるじゃん?」

「いーのいーの、送られなさいとりあえず!」

「俺がお前を呼べっつったんだよ!」


 叫ぶように西田が言うが俺は全然聞いてない。綾子ちゃんは強く懇願してくるように言い寄ってきた。そんなに俺なんか送りたいかねぇ?


「お願い。送らせて」

 ……

「わかったよ。そこまで言うんだったら」

「そうよそう。素直に送られときゃいいのよ! 悪い事なんてなにもないんだから!」


 安心したように綾子ちゃんは息をつく。


「伊織ちゃんはどこらへんだっけ?」

「毘沙門の方、康介くんも同じ団地だから」


(すごく遠いな。車だと30~40分ぐらいかかるぞ。夜でも)


「遠慮はしないよー、ね? 康介」

「本当いいのー? 少し気がひけるよー」

「いいわよもちろん。綾子ちゃんにおまかせあれ」

「ありがとー」

「決まった! よろしく綾子ちゃん」

「伊織は落ち着こー」


 その後、手早くお金を回収してさっと会計を済ましてしまう。相当手慣れてるなこりゃ。


「おいー横山さー、どれくらい沢渡にいるつもりなんだ?」


 清算中の綾子ちゃんの横で泥酔状態の西田が聞いてきた。


「実はまだ決めてないんだ。クソ遠い所に来てるし一週間ぐらいはブラブラするつもり」

「マジならどっか遊びに行こうぜ。夏休みでヒマなんだよ。車だって出すぜ」

「全然OK」


 久しぶりに行ってみたいところもあるしな。

ガラララ。


「それじゃーみなさんお疲れ様でした。またいずれ同窓会するからその時もちゃんと来るのよ!」


 何人かは聞いてない人もいるようだったけど大抵の人は二次会はどこに行こうか、とかそんな話をしていた。


「フォーッフォッフォッフォッ!!」

「頭痛いよ……」


 とても二次会に参加するような雰囲気じゃなさそう。コイツら酒に飲まれ気味だ。綾子ちゃんについていく以外選択肢はなさそうだ。


「ちょ西田くん大丈夫?」

「なんとか……帰るよ」

「大丈夫だと思う? 清彦くん」

「本人がそう言ってるんだから大丈夫じゃないか?」


 責任は持てないけどね。


「今日はサンキューな」


 ヨタヨタと帰り道を歩いていく西田。この時間になれば車もそれほど走っていないだろうし事故りはしないだろ。


「ありゃー相当キテるわね……あの様子じゃ手を貸しても嫌がられそう」

「意外に強情だしな。いらないと言ったらいらないで突き通すヤツ」

「そうねー。心配だけど、無事に帰れることを祈りましょ」


 綾子ちゃんは腕を組んだままあきれ顔。西田は筋の通し方が男らしいから出るべき時に出ればカッコいいんだけどね。


「私らにはどうしようもできないことだし気にしてもしゃーないわ。それじゃ、伊織行きましょう」

「ありがとー、コースケも!」

「あやこちゃん、ありがとー」

「はいはい、清彦くん乗りなさい!」

「おーう」


 沢渡市内からかなりの時間、一時間弱ほどだろうか。でもかなり夜で渋滞に巻き込まれなかったから、相当遠くまで来たことは俺でもよくわかった。


「……この公園らへんで」

「ここらへんかな?」


 人が一人が歩いていない住宅街のど真ん中にある大きな公園。


「なんか、今更綾子ちゃんに悪い気持ちになってきた」

「なーに言ってんの。車に乗る前に思いなさい!」


 ニッコニコの笑顔で冗談をかますと二人は手早く後部座席から降りた。


「横山もわざわざ沢渡まで戻ってくれてありがとー」

「おう、久しぶりに会えてよかったよ!」


バタン

 ドアを閉める。窓越しに甲斐甲斐しく手を振っているのが街灯に照らされていた。


「いきましょっか」

「だな」


 ……


 走り出した後も、伊織と康介は二人が乗った車をずっと見つめた。

「それにしても、あやこちゃんはどうして横山を連れてきたんだろー?」

「バカねー、察しなさいよ」

「ー?」

「言いだしっぺは西田くんでも綾子が段取って横山くんを沢渡に呼び寄せてるんだよ? 横山くんは同窓会以外に予定が無いだろうから、夜中まで連れ回しても迷惑にならないでしょう。それに帰り道は絶対に二人っきりになる!」

「まだわかんない?」

「あぁーええ? そうなのー?」

「すべて綾子ちゃんの計算通り! ってわけね!」

「伊織、顔がニヤついてるよー。月明かりでわかるぐらい」

「ウフフ……、がんばれー綾子ちゃん!」


 ……

 全員送り終わった。時間は10時過ぎ。

「いやー遅くまで付き合ってもらって悪かったわね」

「同窓会が半分ぐらい目的だったからね、誘ってくれなかったらヒマだったよ」


 本当を言えば高台公園に行きたかったけど。というか綾子ちゃんなら連れて行ってくれるんじゃないか。聞いてみよう。


「綾子ちゃん、帰りに高台公園に連れてってくれない?」

 ……

「えっ?」


 ワンテンポ遅れて俺の方を向いた綾子ちゃん。せめて前を見て運転してほしいけどそもそも驚くようなことを言っただろうか?


「今から?」

「ダメか」

「うん。戻ったら10時近くだからやめた方がいいわ」


 言われてみれば確かに真夜中にふらふら公園付近をフラフラするのも良くないけど。


「ぜーったい明日にした方がいい。真夜中に行かなくてもいいじゃない」


 まぁ、こんな夜遅くに高台公園に行く必要はないか。


「志弦のことが忘れられないのは分かるわよ。私にしてみても大切なともだちだったしね。でも死んだ人の事ばっかり考えても前には進めないわ。いい加減に断ち切らないといけないわよ」


 そう、だな。綾子ちゃんの言うとおりだ。


「ごめんな、気遣ってくれて」

「あのー……」


 話をさえぎるように綾子ちゃんは大きめの声を出す。


「いやっ……」

「なんでもない」

 ……

 おかしい。どうしていつの間にギスギスした雰囲気になっちゃったんだろうか。

 ずっと暗い道を走っていた。単調な道と自然な沈黙についつい眠りに落ちてしまった。


「清彦くん……」


 右の優しく叩かれた感触、目を開くとキラキラとした光が目に入る。


「う……ん? もう、着いた?」

「うん、もうすぐかしらね」

「う、すまん。せっかく一緒に行ったのに寝てしまって」

「沢渡まで帰ってくれば疲れると思うわ。寝るのもしょうがない」


 まぁ綾子ちゃんの言うとおり、バスばっかり片道1000キロは堪える。


「うん、到着」

バタン。

「ね、ねぇ清彦くん」

「うん?」

「……」


 車の電灯では暗すぎて綾子ちゃんの表情はよく見えない。

 綾子ちゃんには何か言いたいことがあるのはわかるのだけど思い違いだったりしたら恥ずかしいし。


「にっ、荷物って取ったよね」


 多分そんなことを言いたいんじゃない。


「うん、さっき取ったよ」

「そう」

 ……

 ……

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 ……

 ……

「帰り道、気をつけろよ」

「ありがとう」

 ……

 ……バタン。

 綾子ちゃんが乗っている車の赤いテールランプを見つめていた。

 何だったんだろう、あの思わせぶりな態度は。


 ガチャンという音が部屋に響き渡るほどホテルの部屋は静かだった。

 風呂にでも入ろうか、寝てしまおうか。同窓会、楽しかったのは事実だけど何か足りないんだ。

 俺は倒れるようにベッドの突っ伏した。

 無意識に取り出していた志弦の生徒証。


「……」

 いい加減忘れられないのだろうか。俺が沢渡に戻ってきた理由は同窓会の為だけじゃない。


「ぜーったい明日にした方がいい。真夜中に行かなくてもいいじゃない」


 車の中で言う綾子ちゃんの声が思い出される。

 そうだ、別に何かがあるわけじゃない。今行く必要なんてないじゃないか。明日明るいときに行けば良い。

 ……

 ゴチャゴチャ想像してしまうぐらいならこのまま眠ってしまえばいいのに。

 ……

 ああくそ!

 悩んで眠れないぐらいなら言っそ行ってしまえよ!

 俺は財布とスマホだけつかんでホテルを飛び出した。


 ……


「もしかして、きよ君か?」


 高台公園に向かう途中、誰も居ない夜の住宅街を歩いていると、誰かを呼びとめる女の声が遠くから聞こえてきた。

 まさか俺じゃないよな。もう真夜中だし。5年ぶりのなのに見分けがつくはずない。

 大体、もうこの街に知り合いなんか数えるほどしかいないはずなのに。


「おーい、きよくーん」


 タッタッタッと走って近づいてくる音、いささか信じられないが二度も呼ばれると俺も探してしまう。どこから足音がするのか周囲を見回す。


「おっ、やっぱりきよ君じゃないか」

「俺を探してんのか?」


 誰だ!?

 暗がりの中にたたずむ女の子。


「ゴメン、ちょっと変わり過ぎちゃって」

「そんな……、私を思い出せないのか? きよ君に告白したこともあったはずだぞ」


 告白したことがある? 冗談よせよ。俺が告白されたことがある相手ってかなり限られるぞ。

 しかもそいつは、俺のことを『きよ君』と呼んでいた。

 まさか、ウソだろ。


「おまえ広橋か!?」


 すると電灯に照らされた女の子の顔が笑う。

「む、遅いぞ。もっと早く気づいてくれ」


 【綾子】「藍は来れないらしいわ」


「あれ、でも広橋って今日用事があったんじゃないの?」


 同窓会で綾子ちゃんが広橋は来れないって言っていた気がする。


「ああ、私仕事だったから綾子ちゃんに悪かったが、同窓会参加できそうにないよと先に言っておいたんだ。申し訳ない」


 言葉づかいに似あわずペロッと舌を出してあどけなく笑う。


「じゃー今、仕事帰りなんだ」

「もうクタクタだ。まだ1~2年でこき使われるなんてな。正直しんどいぞ」


 すごいな。サービス業ならまだこの時期に働かさせるのはしょうがないだろうけど。


「ところで俺ってよくわかったね。こんなに暗いのに」

「この近くで同窓会やってるのは知ってたからもしかしたらと思ったんだ」


 それだけでこの暗闇の中で俺ってわかるようなものか?

 それにしてもホテルで一息入れた後に出てきた。終わりの帰り際ってわけじゃない。こんなに遅い時間だったら同窓会なんて大概終わっているはず。

 こんな暗がりの中で俺だって分かるなんてすげぇな。


「そうだ、私まだご飯食べてないんだ、どうせだし二人同窓会しよう。いいか?」


 ノリノリで広橋は無理やり俺の腕をつかみあげる。


「よしー行こう行こう! この時間からでも開いてるお店知ってるからさ」

「行くから、行くから」


 腕を離す様子もなく広橋はグイグイと俺を引っ張りながら、元居たホテル方面へ引きずっていった。


「おっちゃーん、焼酎ロックくれ」

「いきなりかよ!」


 広橋は居酒屋に入るなり広橋はキツめの酒を注文する。


「せめておつまみぐらい頼めって」

「いいんだ。いつもこうだから」


 常習者なのかよ。


「ははっ、私たちだけの同窓会か」


 無垢な笑顔で笑いかけると、ペロッとわざとらしく舌を出して微笑みかける。


「しーちゃんともう付き合ってたのか?」


 酒の席が進んだとき、唐突に広橋が話題を振ってきた。しーちゃんか懐かしいな。そういえば広橋、いや藍は志弦の事をそう呼んで親しげにしてたっけ。


「ああ、」

「そうか……しーちゃんはもう死んだもんな」


 嘆くように言う。


「きよ君、今彼女居るのか?」

「えっ?」


 ……もしかして?


「言っとくけど、俺って沢渡に住んでないからな」

「ぶー! そうだったな」


 ムスッとした表情の藍。どうにも高校の突き抜けた性格が焼き付いてるというか。


「む、今また告白しても彼女にはしてくれないのか」

「…………すまん」

「どうして? やっぱりしーちゃんのことが忘れられない?」

「…………」

「しーちゃんはもう居ないんだぞ」


 わかってる。わかっている……。断ち切らなきゃいけない過去なんだってことも。


「今なら……わたしが……うぷっ」


 藍?

 変な声をあげる。なんか顔が真っ赤になってテーブルに突っ伏している。


「うげ」


 ほら言わんこっちゃない。あんなに大量にお酒飲むから。


「み、水」

「お冷ください!」


 大声で言うと奥の方から「お冷ねー」とオッチャンが水を用意する間、藍の背中をさする。

 綾子ちゃんとの同窓会もそうだったけど、すごい騒々しい帰省になっちまったな。

 でもまだ顔が真っ青になってない分取り返しがつくだろう。


「ほら水」

「す、すまない……」


 ぷはーと水を一気に飲み干す。

「ふー楽になった」


 回復早いな。1杯水を飲んだだけなのに。


「まだ清彦は志弦のことが残ってるのか、いい加減忘れたらどうだ」


 話が戻った。


「まあ、そうかもな」


 5年も経っていまだに高校時代の彼女が忘れられないのはさすがに女々しすぎる。


「うぐ、行こう。めちゃくちゃ頭痛い……」

「ムリすんな、もう帰ろう」


 一理ある。

 いつの間にか、藍が空けた酒瓶は無くなっていて、きれいなテーブルの上に藍が出した一万円だけが自己主張している。

 結局、藍は酒しか飲まなかった。つまみすら食わないとか大丈夫なのかよ。

 ここは社会人の財力に甘えよう。俺は藍の代わりに居酒屋の会計を済ませてグロッキーな藍を抱えて店を出た。


「藍の家どこ?」

「うひゅひゅひゅ……」

「お前、本当に大丈夫?」

「むーぅ」


 ダメだこりゃ、酔いつぶれてる。どこに連れて行けばいいのかわかんねぇよ。

 千鳥足の藍の肩を持って路頭に迷う男女が二人。他人が見たらちょっとうらやましくも見えたりするんだろうか。


「おい、大丈夫なのか?」

「うーん、大丈夫だよ……ヒヒ、ヒック」


 どう考えても大丈夫じゃないだろ。


「支えてー」

 藍は千鳥足のまま

完全に体重を預けてきた。

 重い! 重いって!


「うーん、ひどいー軽いよ」

「わかった、わかった」


 結構シャレにならない重さだけど、そんなことよりもコイツの帰る家だ。


「藍、家はどこなんだ」

「うーん」


 ボーっと虚ろな目でどこか遠くを見てる。大学に入った時に酒を飲み過ぎて乱痴気騒ぎをする同級生はいたが、藍の飲み過ぎは方向性が違うような気がする。


「家、わかんない! ヒック」


 ウザイ一言をぶちかます藍。


「寝かせて」

「え? どこに」

「きよ君ホテルかどっか取ってんだよな、そこでいい」

「いやいや! 何言ってんだよ!」


 ホテルに女を連れ込むとか勘違いされるから!


「清彦なら一緒のベッドでいい……」


 俺のホテルは近いけど藍が良くても俺が良くないんだよ。


「さみしーんだよ、一人でさぁ」

「え?」

「とにかく横に……」

 ……

「おい藍、寝たのか、藍!」


 なんか揺すっても動かなくなった。意外とめんどくさいヤツだな。

 これじゃ本当にホテルに連れて行くしかないじゃん。しかもめちゃくちゃ身体重いし。もうコイツとは飲みに行かない!


 ドサッ。

「ごめ……」

「……ズコーズコーズコー」


 かなり激しくほっぽり投げてしまったけど起きることもなくいびきを出して寝だす。

 結局俺のホテルまで連れてきて俺が寝るはずだったベッドに横たわっている。あまりに重すぎてベッドに藍を投げ飛ばしてしまうようになってしまったけれど。

 ふー疲れた。本当に虚ろな目をしたまま俺の肩で寝だすんだからとんでもないよな。


「……うーん」


 ベッドで横たわる藍は早くも酒に呑まれた顔から穏やかな寝顔に戻っている。


「……ずこー」


 さすが高校の時に告白されまくってただけのことはある。

 何考えてるんだ俺は。藍だぞ、広橋藍! 沢渡時代ヘンな奴の代表格だったじゃないか!

 でも薄明りの下で安らかな寝息を立てる藍はあまりにも無防備で、逆に俺のことを誘っているようにも見えなく……。

 いや、ダメだ。さすがに俺の良心が……。


「ずこーずこー」

「…………そうだった」


 藍はいびきがダサいんだ。安らかじゃないいびきも相まって高校の時からだけど全然色気がない。

 可愛げの感じられないいびきを聞かされ冷めてしまった。


「とはいえ、まだ眠くないんだよな」


 クソ重たい藍を担いでホテルまで歩いたからだろうか、不快なほどまでではないけれど、薄らと汗をかいてしまうぐらい身体は動かした。

 今何時だろうかと思ってスマートホンを取り出してみるが電池が無くなって電源が落ちていた。


「何時かもわかんねーじゃねーか」


 どうする、行くか? 藍に呼びとめられたせいで最初の目的地には行けなかった。

 こんな時間から高台公園に行くとかどうなんだろう。もうカップルすらも帰ってしまう時間だろう。


「………………かな」


 うん、藍が何か言ったか。


「起きたのか」


 ベッドに近寄ってしわがれた藍の声を聞き取る。

 おもむろに藍は俺の腕をつかむ。


「わたし、最低かな?」


 さいてい? どこからそんな言葉が出てくるんだ。


「わたし、今もきよ君のこと、好きだ。あわよくば、いなくなったしーちゃんの所に入り込みたいのだけれど。それはモラル的にやってはいけないことなのか?」


 寝返りをうった、藍のうるんだ瞳が俺の目に突き刺さる。


「きよ君はしーちゃんが自殺したところに行こうとしてる、わたしじゃ代わりにならないか?わがままだと、わかっている。しかしその分世界のだれよりもきよ君を愛している自信がある」


 ……それは。

 ……

「きよ君の中に恋人という立場の広橋の居場所はないか?」

 ……

「むしろ、どうして藍は俺のことが好きになったんだ」


 高校時代、言い寄ってくる男は多かっただろう。その容姿なら申し分ないし性格だって高校時代と比べると劇的に丸くなった。今だって充分モテるはずだ。

 どうしてそこまで俺にこだわるんだ。俺を好きでいてくれることはすごく嬉しいけれど。


 深夜の俺と広橋藍。二人っきりの空間は実に居心地の悪い静かな部屋だった。


「きよ君が、5年間も前に死んだしーちゃんが好きでいる理由もわからない」


 お酒の匂いが蔓延った妖艶な部屋。居るだけでアルコールの雰囲気が俺の理性を失わせようとする。


「しーちゃんはもう振り向かない」


 どうしてこんなに頭から志弦が離れられないんだろう。 もう5年前に死んだじゃないか、あいつは断ち切らなければいけない過去だ。どこで未練を残したんだ?

 幸せも欲望も何もかも藍にぶちまければ全て受け入れてくれるはずなのにどこまで志弦は俺を縛り付けているのか。なぜ囚われているのか誰か俺に教えてくれ。

 不意に藍が目を開く。


「やっぱり、ダメなんだ」


 透き通った目をしていた。今まで一度も見たことが無い藍。


「こんなに好きでも、きよ君は私を愛してくれないんだ」


 ……

「ごめん」


 はがゆい拒絶をしてしまう。


「高台公園に行け」

「わかってたのか」

「……」

 ゆっくりと藍は寝返りをうった。

 ごめん。心の中で何度も謝ってドアノブに手をかける。ベッドで寝たままの藍を横目に俺は部屋を出た。

 志弦が居なくなってしまった場所へ。

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