6話 2056年2月23日(水)
翌日の放課後、誰もいなくなった教室。
「志弦」
「どうしたの」
「実は言わなきゃいけないことがあって」
俺が志弦にその話をする頃は、世界は紅色に染まりきってしまっていた。
どうしてかは分からなかったんだけど、志弦は元気がなかったんだ。
本当は言い訳なのかもしれないけど、少なくともその時の俺には志弦が落ち込んでいるように見えた。
放課後が始まる頃はまだ明るかったのに、気がつくとこんな時間になってしまっていた。
志弦を元気づけたかったんだ。
おかしいよな、これから落ち込むような話をしなきゃなんないのに持ち上げて落とすって最悪じゃないか。
でも俺は志弦が落ち込む姿をどうしても見たくなくて。こんな風に毎日過ごせればいいのにって思ったら……。
「俺、転校しなきゃいけない」
「……」
雰囲気なんか完全に無視してさ、言ってる自分ですらタイミングがおかしいってわかったもん。
二人きりの教室、静止した空気。志弦は驚くでも悲しむでもなく俺の顔を見つめている。
「すごい、唐突だね」
ありゃ、驚かないのか?
「どうして転校するの?」
「両親の都合」
親の事情からすれば沢渡に残るメリットなんか皆無なのは誰にでも明白だった。
当時俺が住んでいたのは賃貸のマンションで持ち家ってわけじゃなったし、長いこと沢渡には住んでいたけれどこの街は両親とも別の出身だ。
それが転勤で俺が生まれる前に住んでいた、親の出身の街に戻るだけだ。
笑顔が消える。ここに呼ぶ前、暗い表情をしていた志弦に戻ってしまった。
「……そっか」
静かに志弦は一言だけ呟く。
……
遠くで聞こえる運動部の声、赤い太陽に染まった志弦。
よく見えていたはずなのに志弦の表情は変わらないままだった。
本当は昨日、自分の頭の中でぐるぐると巡っていた。いや、巡らざるを得なかったのだ。
動揺が顔を覗かせても不思議じゃないはずなのに。彼女の表情は奇妙なほど窺い知れない。
「しょうがないよね」
しばらく間が開いて、志弦はそう言った。
歯切れの悪い返答だ。無理に笑わせてしまっているのが心苦しい。
……
「……ゴメンな」
大丈夫と言わんばかりに近づいて肩を抱き寄せる。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
静止しているとわかる。フルフルと小刻みに震えている志弦の腕。
「どう言えば良いのかな、この感情」
「いつ行くの?」
小さな声で聞いてくる。
「今週の半ばかな」
「ずいぶん、急なのね」
俺はもう志弦の顔を見ることなんかできなくなってしまった。
「急じゃないんだ。一ヶ月近く黙ってた」
俺は志弦のことが本気で好きだった。
言わないという形でずっとごまかし続けてきた自分が情けなくて、志弦の顔を見れなくなってしまった。
「ごめん」
「どうして謝るの?」
「もっと早くわかってたんだ、でもどうしても言えなくて」
机は赤い太陽に染められている。外を見ると赤いのか暗いのかも分からないほど日が沈んでいた。
「……いいよ。すごくわかるよ。言わなきゃいけないのに言えない清彦の気持ち」
……。
トン
志弦は座っていた机から飛び降りるとひょこひょこと近づいた。
「どうしたよ、志弦」
志弦は吐息の音が聞こえるぐらいまでに近くまで居た。
とても優しい顔だ。アルカイックスマイルとでも言うんだろうけれど不自然さ微塵もない。
そして志弦は俺の肩に手を回した。
「……」
ふわりと志弦から女の子の匂いがする。
そういえばこれほど近くで志弦を見たことなかった。数えきれないほどお互いの肌に触れてきたのにどうして俺は志弦がこんなにきめ細やかな肌をしていると知らなかったんだろうか。
途端に俺は志弦の事をなにも知らないような気がしてきた。いつも見ている顔なのに改めて向き合うとこんなにも知らないことが多かっただなんて。
「さいごに清彦の顔を見せてほしいな」
俺も同じだった。触れ合うというよりはもっと見ていたいんだ。
驚くほど自分は冷静な顔をしていたと思う。それは心も同じだった。
とても平穏だ。どうしてかはわからない。
もう居なくなってしまうのにどうしてこんなに落ち着いていられるのか不思議ですらあった。
でも、ただ穏やかで今が永遠なんじゃないかって錯覚してしまいそうで。
気がつくと抱きしめていた。
……
「志弦待って」
先を歩く志弦の腕をつかんで足を止めさせた。
振り向いて首をかしげる志弦。
「ちょっと、待ってくれないか?」
コクンと志弦は首を縦に振ったのを確認して、俺は校舎を見つめた。
校舎はもう赤くはない。闇に染まりつつあるベージュは電灯の力でわずかに照らされているだけ。
もう二度とここに来ることはないのだろうか。また来ることがあるのだろうか。
この校舎で過ごした一年半を振り返る。中学校で過ごした三年間を振り返る。
(……俺は)
俺はこの街が好きだ。
今から行くところが嫌いってわけじゃない。だがこの街で俺が感じたことは忘れ難いことばかりで。
俺を育ててくれた精一杯の感謝を心の中で告げる。
高校生の俺にそんなことを言うのは早すぎるのかもしれないけれど『ありがとう』って言いたいんだ。
「悪い、志弦行こ……」
「……」
志弦も沢渡高校の校舎を見つめている。
もしかして志弦も俺と同じ気持ちなのだろうか。
でもお前は二年生からもこの校舎に通うことになる。
「行きましょ、清彦」
「良いのか?」
「ええ」
……
……
「ここだよ」
志弦のリクエストで高台公園に来た。
キラキラと沢渡の街並みが写っていて西の地平線に日が沈もうとしている。
「こんな時間までふらついていても大丈夫なのか?」
「私は全然大丈夫。清彦に送ってもらうって連絡したから」
いたずらっぽく笑う志弦、かわいいと思うのは俺だけなのか。
「清彦の方こそ連絡したの?」
「彼女とデートしてくるって思いっきり言ってやった」
「じゃあ大丈夫だね」
もう転校する身だ。そこまで空気の読めない親じゃない。
「最後にこんなところまで付き合ってくれてありがとう」
「全然、志弦のお願いなら」
高台公園から見える沢渡の景色は高校から見るのとはまた違っている。
「綺麗だね」
展望台から身を乗り出して笑う志弦。街灯の光に白い息が映る。
「ああ」
しばらく静かに高台公園から沢渡を見下ろしている。向こうの方から列車が走る音が聞こえてきた。
「足元に星が散らばっているみたいだね」
志弦は笑いながら目下に広がっている沢渡の街を指さしている。
「あそこってどこらへんなのかな」
「多分、駅の方じゃないか」
赤色で点滅しているビル、何度か夜の沢渡を歩いたことはあるけれど少しも気がつかなかった。
よく知っていたつもりでも知らないことはあるもんだ。
「今日、すごく楽しかった」
ふわりと志弦が近づいて、俺を抱きしめる。
「お、おい」
そしてもう一度キスをする。制服越しに強く抱きしめる。
「ありがとう。絶対に忘れないよ」
「俺の方こそ」
「だから忘れないでね」
「……?」
するりと腕が抜けそうになる。
「おねがい、もう少し目をつぶっていて」
志弦の言われるままに俺は目を閉じていた。
タッタッタッ。
スルリとポケットの中に何かが入る感触がすると同時に志弦のぬくもりが消えた。
タッタッタッ。
「……」
……
どれくらいの時間が経ったのか、ガサッと木の葉が揺れる音がした。
「……」
……もういいか?
俺は目を開ける。
「志弦?」
志弦はいない。どこに行ったんだろうか。あたりを見回しても姿はどこにもない。
ガサッと音がもう一度音が聞こえる。冬なのに木の葉の音がするのか。
俺は無意識に展望台の端から下をのぞきこむ。
「……!?」
木の枝の下にうつ伏せに倒れている人が一人。
……は?
冗談だろ?
階段を駆け下りる。カンカンといった金属音が響いた。
どこだ、どこだ? 多分ここら辺のはずだ!上を見上げると展望台だから……いた、あそこだ!
なんだ、これは。
俺は思わず倒れ込む志弦の前で立ち止まってしまった。
地面には大量の血痕。おびただしいほどの飛沫が周辺を染めている。
【清彦】「う、ウソだろ?」
俺はカバンから電話を取り出してすぐにかけた。
「もしもし」
『……』
「きゅ、救急です」
『……』
「高台公園です、展望台から飛び降りて……はい、はい、自殺です」
『……』
「警察にも連絡しないと……はい、いらない、はい、わかりました」
『……』
「あの、何をしていればいいですか。俺に出来ることはありませんか?」
『……』
「わかりました」
……
「デートしてたんです。学校が終わって、そこのモールで買い物をして、その後志弦がここに来たいって言ったんです」
『……』
「目をつぶってって言われて、しばらくつぶってたら音がしたんです。展望台からのぞきこんだら志弦が倒れていたんです」
『……』
「心当たりですか? あの……俺、引っ越しするんです。だから帰る前に今日はめいいっぱい遊ぼうねって話をしてました。それ以外は……特におかしな様子もなかったと思います。はい、なかったと思います」
『……』
「俺? あるわけないじゃないですか失礼な! 学校の奴らにも聞いてくださいよ!」
『……』
「尾上?」
『……、……』
「ありがとう。行こうか」
『……』
「まだだけど、後で連絡するよ」
……
「横山くん」
疲れたような女の声がして気がつく。振り向いた先には私服姿の尾上が立っている。
「あ、ああ尾上か」
(ここは、どこだ?)
真っ白い廊下のベンチで座っている。奥の扉の窓は黒く染まっていた。
(もう夜か)
俺は今まで何をしてたんだろうか。救急車を呼んで、警察が来て。
さっぱり記憶が抜け落ちている。
「両親に連絡した?」
「まだ……だと思う」
「なーにやってんの、さっきも言ったでしょ。心配してるから早く電話しときなさい」
「ありがとう」
俺が耳から携帯電話を話すのを確認すると、尾上は俺が座っているベンチの横に座り込んだ。
「ありがとう、お疲れさま」
すこしぶっきらぼうに聞こえる尾上の声。
「ふー、やっと落ち着いたかしら。かなりバタバタしたわね。どう何があったか話せる?」
「ああ」
「じゃあったか聞かせて。わかる範囲でいいわ」
綾子ちゃんはベンチの横に座り込んだ。
……
すっぱりと記憶がない部分を除いて、一通り事情は話した。
一緒に帰ろうって言ったこと。高台公園で二人っきりで話をしたこと。
"ICU"と書かれた光る掲示板。擦りガラスを見つめながら話す。
「そうなの」
中空を仰ぎ虚ろな目をしながら尾上は静かにつぶやく。
そうして、廊下はしばらく静寂に包まれた。中学こそ違ったけど、高校を卒業したとしても続いていきそうな雰囲気をまとっていた。
志弦、どうして死んだんだ?
どうして俺をこんな思いにさせたんだ、尾上をこんな顔にさせるんだ。
「明日引っ越しだったわね」
「一応」
「どうするの」
「どう……すればいいんだろうな」
冷静でもどうすればいいのかわからないのに。
ガチャ
突然、初老の男性が扉から出てくる。
あれ、この人見たことあるぞ? どこで見たんだろう?
「綾子、言いにくいが……」
首を横に振りながら言う。
「哲治……黒崎先生! どうにもならないんですか!!?」
「どうにもならんな」
「うそ、そんな」
その場でへたり込む尾上。
「君は、志弦の恋人だな、本当にも申し訳ない事をした」
「……いえ」
あなたに責任はありません、と言いたい。実際そうだ。自殺したのは志弦だ。この人は何とか生き返らせる努力をしたのに。
「黒崎先生! どうして志弦を生き返らせてくれなかったんですか、黒崎先生!」
「やめろよ、尾上」
「かどっ!」
「やめろっ!」
「……」
……
「この先生は手を尽くしてくれたんだ。失礼だろ」
「……」
静けさが耳につく三人だけの廊下。すっかりうなだれている。
「行くぞ」
言っていることが聞こえないのか、まるで動かない。
「ほらっ」
しょうがねぇな、ムリに消沈した尾上を担ぎ上げた。
「うぐっ……ぐっ」
耳元で尾上のうめき声とボトボトっと肩に滴る涙の音が聞こえてきた。
「先生、ありがとうございました」
「君、名前は?」
「横山です」
「横山くん、綾子をしばらく頼む。綾子は私の一応身内でな」
「ありがとうございます」
「……」
黒崎先生が居なくなった、へたり込んだ尾上の手を取る。
「強く言って悪かった。謝る」
ゆっくりと顔をあげる綾子ちゃん。
「帰ろう」
ぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせず、涙まみれの顔で手をつかみあげた。
「ええ……」
悲しみに満ちた声で立ち上がることさえもままならない。
「歩けるか?」
「……」
しょうがない。
「よっ」
「わあっ!
俺は綾子ちゃんをお姫様抱っこで抱え上げる。
「これならいいだろ」
「ええ、そうね……ありがと」
つぶやくような声で言うと綾子ちゃんは俺の首に腕をかけた。
うっ、密着するな。
「こういうのイヤかしら?」
空気を読んでほしいかもしれない。正直あんな話をされた直後にそういう気分にもなれない。
「ほら、こうした方が清彦くん的にも楽でしょ」
確かにいくらか負担は減った。
綾子ちゃんの体重は意外に軽くAUG病院を出てしばらくの間はずっとお姫様抱っこで歩き続けることが出来た。
「……ごめんなさい」
「かまわないさ」
「なんか、みっともない所を見られちゃったわね」
「しょうがないさ、それよりお前の家はどこなんだ」
「左に曲がって少し行ったところのマンションよ」
そっか、志弦と同じマンションだな。
「大丈夫。ムリしておぶってもらわなくても」
「遠慮すんな」
「でも重いでしょ」
「んなこたない」
「悪いわ、本当に。下りるから」
「尾上、背負わしたままで居てくれないか?」
「え?」
……
「こんな時に言うべきじゃないのかもしれないが、人肌恋しいからかな」
「……そっか」
病院の塀を超えると3月の夜風が頬をかすめる。春はまだ遠く薄暗い蛍光灯に白い息が照らし出される。
「クラスのみんなに連絡しなきゃな」
「うん」
「葬式っていつ頃やるんだろうな」
「どうかしらね……」
「とりあえず、クラスのみんなの連絡先を知るのが先か、それとも鬼軍曹に聞いた方がいいか?」
「でも全員は知らないんじゃない?」
「じゃあ綾子ちゃんはクラスの女子の連絡先何人ぐらい知ってる?」
「半分ぐらいかな」
「そこからチェーンしよう。俺もできるだけ男子の連絡先を集める。あとは志弦の両親が葬式とかも決まるよな。決まったら教えて」
「わかったわ」
……
「清彦くんって強いのね」
「そんなことねーよ」
「あんな状況でテキパキ動けるなんてホントすごいわよ」
最も悲しんでるヒマなんかないのはその通り。
「綾子ちゃんだってちゃんと動いてくれたぜ」
本当はよく覚えていなかったけれど褒めておいた。AUG病院に居てくれただけで色々動いてくれたのは間違いない。
「でも死んだって聞いて何にもできなくなったわよ」
「……」
「それより転校するんでしょ、大丈夫なの?」
「親には先に行ってもらうさ。その間はホテルに泊まるよ。葬式くらいすぐ終わるだろう。週末近いし」
「……」
「あの、さ。今聞くことじゃないってわかってるんだけど。どっちが先に告白したの?」
「俺だ。高台公園でな」
「うわっ、ゴメン……」
「いいさ」
「……いつぐらい?」
「二年が始まった直後ぐらいかな」
「へーそうなの。まだ一年経ってないんだ。知り合ったのはいつ頃なんだっけ」
「中学校一年だ。最初あいつは人間味が無いヤツだったんだよ。それがどんどん変わっていった」
「どんなところが好きだったの」
「一つ上げるなら、賢かったとこかな」
「転校したらどうするつもりだったの」
「もちろんずっと付き合っていくつもりだった」
「そっか……」
「綾子ちゃんはいつ知り合ったんだ」
「高校一年。横山くんと一緒に」
……
「どうして友達になったんだ」
「そうね、何となくだと思う。修学旅行にも行ったね」
「行ったな。西田がみんなの水着に異常に興奮してた」
「藍がカヌーの川下りで木の枝にぶつかってたわよ、それに修学旅行で撮った写真を焼き増しできたでしょ、志弦が横山くんと入崎くんがホテルのバスケコートで遊んでる写真、こっそり焼き増ししてたのよ。自分写ってないのにしばらく大切そうに持ってたわ」
「そうなのか。写真くらいいつでも取らせてあげるのに」
「その写真、遠くから撮ったせいか二人とも写真写りがめちゃくちゃ良くて、すごいイケメンに見えたんだよね」
「おーい失礼だぞ。普段の俺がかっこわりーみたいじゃないか」
「イシシ、そうだった、ごめん」
……
「……」
……
「黙んなよ」
「清彦くんこそ」
……
「……あのマンション」
俺はマンションの入り口で綾子ちゃんを下した。
「部屋まで行かなくても大丈夫か」
「うん、さすがに上まで上がれると怪しまれちゃうからさ」
「みんなの連絡をよろしく」
「うん、わかった」
両親だけ引っ越し先の街に行ってもらって俺は志弦の葬式の日まで沢渡のホテルに泊まった。
泣いている人もいたけれど、ほとんどの人は俺と同じ様に起こった出来事に現実感がなかったようで泣いてすらいない。
志弦の白装束はとても綺麗だった。白い菊の花に囲まれた左前の着物。まるで眠っているように穏やかな顔。今すぐにでも起きて『おはよう』と言い出しそうだ。
でもいくら身体が綺麗でも、血の気が引いている真っ白な体は明らかに死人そのものだったんだ。
どうして涙が出ないんだろう。ずっと頭の中は真っ白のまま。ただ、むしゃくしゃとした感情だけが胸の中であばれている。
「……」
向こうの方で頭を下げている男性、ほとんどが白髪になっていて顔をあげると顔のシミも目立つ。
あれ……、あの人志弦の手術してた?
「黒崎先生……でしたよね?」
「ああ、横山くんか」
「え? 確か綾子ちゃんも親戚だなんだっておっしゃってましたよね?」
「綾子は養子でね」
横に居る女性顔上げる、女性はの母親じゃなく綾子ちゃんだった。
「ありがとう、清彦くん」
綾子ちゃんがゆっくりと頭を下げる。
「……よくわからん」
「ごめん、今度説明するわ。今は来て下さった人に挨拶しなきゃ……」
「うん」
二人は俺が退くとすぐに後ろに人の挨拶した。見ると葬列はどこまでも続いている。
「今は無理そうだな」
話を聞きたいけど葬式が終わったらすぐに沢渡を離れなきゃいけない。
……。
……。
外に出た。中ではまだ説法が続いている。
お坊さんの話はよく頭に入らない。真っ白なままの思考。
ダラダラ長い話を聞かされても馬の耳に念仏だ。俺にはありがたさなどみじんも分からない。わからない俺が聞く意味などあるのか?
ギイィ……
ビョオォォ
不意に強く生暖かい風が吹かれる。
「ふー」
まだ志弦は居ないという現実を受け入れられない。
沢渡を去る。行先のない感情と思い出ごとフタをする。
もう一度逢いたいけれどもう二度と叶わない。俺よりも遠いところに行ってしまった志弦。
俺がもう少し強かったら悲しまずに済むんだろうか。
「よっ」
西田の能天気な声。
「……」
「……」
「……」
黙ったまま何も言わない西田。
「何の用だ」
「大丈夫かなと思って」
「なに言えば良いかわからないなら最初から来るな」
「そうはいかないね。テメーも自殺しそうな勢いだ」
……
「そうでもないさ」
……
「まだ遊佐さんが死んだって受け入れられてないだけさ……思い詰めて自殺されるよりマシか」
「……」
「オマエ、マジで何しに来たんだよ……」
「ハゲのキレイ事に聞き飽きただけさ」
「……」
ビョオォォ
春の気配が頬をかすめる。
「春だな」
髪の毛が連れ去られそうなほど強烈な風に吹かれる。
「卒業でもないのに3年になったら2人も居なくなるのか」
「……悪いな」
「春らしくていいさ。心残りは笑って別れられないことだ」
ムリに今まで気づかないでいた。
春は別れの季節。
「がんばれよ」
そう言って寄りかかっていた鉄格子から離れる。
「じゃあな」
「どこ行くんだ」
「帰る」
「……」
「じゃあな」
葬式が終わって新幹線に乗った。時間は19時ぐらいだっただろうか、それでも向こうにつくのは24時近くを回るらしい。改めて遠い、遠すぎる場所へ行くんだと思った。
新幹線で外を眺めると様変わりする景色。在来線で通った線路の上を走る。高い場所を走るせいで見慣れた沢渡の街が遠くまで見える。
トンネルを越え、駅を通過するたびに思い出がどんどん少なくなっていく。むしろ沢渡の街にこんなに思い出があったことが驚きだ。
「……」
太ももに手をつくとポケットに入っていることに気がついた。制服のポケットには何もいれていない。無意識に取り出した。
「……生徒証」
俺のじゃない。志弦のだ。
「くっ」
俺は泣いてしまった。葬式ですら泣けなかったのに、この生徒証を見た途端、とめどなく涙があふれたのだ。
どうしてかはわからない。本当にわからない。ずっと押し込めていた感情が溢れたのか、現実が迫ったのか。
もう一度抱きしめて好きだと言いたい。一緒に遊びたくて、ワガママすらも愛おしくて……せめてそばに居てくれるだけで良くて。
叶わないんだ。もう叶わないんだ。もうこの世に志弦はいないんだ。
生徒証に写る志弦の顔は、俺の涙で乱反射してる。