5話 2055年5月31日(月)
● 8月32日 11:00
「好意に気がついてたのに無視したんだ」
「……」
店員すらいないハッピータイム(高校時代の溜まり場になったファミレス)で勝手に厨房に侵入してホットコーヒーを二人分拝借した。
懐かしすぎる。沢渡に居た頃はだいぶ通ったな。
誰も人が居ない世界では無茶し放題だ。金を払えとも法律を破ったとも言うやつはいないのだから。
人類の消えた世界でキツネ耳女とランデブー。いかにも小説っぽい話。
おもしろいことにコーヒーメーカーはしっかり動いている。
「だって、自分一人で舞い上がってるのもダサいじゃん!」
「うわー言い訳だ!」
クスクス笑っている。やっぱり大抵の女の人にこの話題のウケは良いな。
「ズズズ、アッチッチ」
ホットコーヒーをすすって熱がるリュダさん。カップには「HOT!HOT!HOT!」と心くばりの方がVERYHOTだ。
この人、本当に何者なんだろう。
「それに結局告白されたしな」
「さりげない拒否反応だしたのに?」
「別に最初っから出したわけじゃないよ」
まー恋人にするにはしんどいやつだけどさ。
「藍にさりげなくやっても絶対通じない」
「話を聞いてると気づかない方が藍さんっぽい」
まあ、その通りだ。
「で、その話は当然してくれるんだよね?」
「その話って」
「その子が告白してきた話」
……なんか恥ずかしいな。
俺が告白した話でもねーのに。
● 2055年5月31日(月)
藍とのバスケの後、六時限目を挟んだこの時間になってくるとさすがに体育の疲れはどこかに吹き飛んでしまっている。
放課後は部活、つまりバスケの時間だ。
今週は掃除当番じゃないから、とっとと体育館に行ってバスケの準備をしてしまえ。とか思いながら俺は教室を歩いた。
「きよ君」
「どうした」
「話がある。部活の後に体育館裏に来てくれるか」
……何だろう突然。
「おうわかった」
「よろしく頼む」
藍は表情を変えることもなく、部活兼用の大きめのバッグを置いて掃除場所に向かっていく。
「告白されるな」
去った藍が見えなくなってすぐに西田が口を出した。
「そうなの?」
「そこは『ありえねーだろ』って突っ込むところだろ」
最近藍のカラミ増えたし告白はありそうだから否定できない。
「わからん」
俺は言われた通り部活が終わった後に体育館裏に来た。女バスは隣でバスケをしていたからもう終わっていることは知っている。
「まさか、俺の方が早いとはね」
体育館裏には山から水が湧き出ているところがあってスポーツドリンクが置かれている。うわさでは熱中症で倒れた先輩の供物だそうだ。基本的に沢高では体育館裏はこの場所だと暗黙の了解がある。
「きよ君」
後ろから俺を呼ぶ藍の声がして振り返ると立ち尽くしていた。
まだ体育着のままでバスケ部らしく細いけど少し筋肉質な体が見える。
「おう、藍、どうした」
「付き合ってください」
……
……
いきなりすぎて、固まってしまう。
何も考えてなくても、頭って真っ白になるもんだな。
ザッザッ。
顔を逸らさずジッと目線を合わせて迫ってくる。逃げ場を奪いながら言葉で圧力をかけてくる。
藍らしい。とてつもなく藍らしい。
「……」
手に触れることのできる距離まで近づいている。
「わたしはきよ君を愛さなければいけない」
まるで自分に言い聞かせてるみたい言う。
一歩近づいて藍は俺の手を握った。
「おまえは、本当に俺のことが好きなのか?」
「ああ、そうだ」
俺も誰かと付き合ったことがあるわけじゃないけどさ、この間のデート、どう考えても俺の事が好きって態度じゃなかっただろ。
それに『愛さなければいけない』という義務めいた言い回しが妙に引っかかる。
「どうして藍は俺を愛さなきゃいけないんだ」
当然人を好きになる理由なんてないと思う。ただ何となく一緒にいて、居心地が良くて気がついたら好き同士になっている。恋人ってそんなもんだと思っている。
藍の言い方はまるで誰かに命令されているみたいじゃないか。
「わたしはきよ君を愛するために生まれてきた」
全然理由になっていない。変わっている娘だと思っていたけどここまでとは。
「まさかきよ君はわたしのお願いを断るつもり?」
とても答えづらい。もしここで断ると藍を傷つけてしまうかもしれない。これから友達として接することが出来ないじゃないか。
「きよ君はわたしじゃイヤか?」
「イヤじゃない」
「イヤじゃないけど……」
「けど?」
つかんでいる手から汗がにじみ出る。
「もしかして他に好きな人が居るのか?」
……
「ごめん」
嫌な静寂に包まれた。
思わず目を閉じてしまう。藍にどんな顔をさせてしまったんだろう。どうしても直視することが出来ない。
「わたしはきよ君を愛するために生まれてきた」
……は?
「きよ君に断られたわたしは何をすればいいんだ? わたしがきよ君に入り込む隙間はないのだろうか」
「広橋藍はなぜ生まれてきたのでしょうか」
「なぜって……別に」
言ってくれることはすごく嬉しいけど。
「でもさ、藍が生まれてきた理由は俺を愛するためとは限らないよ」
「じゃあ、広橋はなぜ生まれてきたのですか?」
そんなこと知るかよ。自分の生まれてきた意味なんか考えたことないけど。
「それは藍自身が見つければいいじゃないか」
きっと間違いじゃない。誰だって生まれた理由なんて最初から決まっているはずなんかない。
「そう……なのか? わたし自身が生きる理由を見つけなければならないのか」
「そうだろう。人間なんだし」
「人間……人間とはそういう風に生きているのですか」
「たぶん」
いきなり藍の腕から力が抜けて手が離れる。重力に引っ張られてブランと揺れる。
「生きる意味を探す為に生きているんじゃないか」
驚くほど口がスラスラと言ってしまう。考えた事すらなかったのに。
しかし間違ったことは思わない。最初から俺と一緒に居ることがすべてだと人生を決めつけなくてもいいはずだ。
恋人は特別だ。その席は普通一人しかいない。そうやって意味をつけていくんだ。
「生まれてくる意味が決まっていないなんて、とても面倒なんだな」
え? 生きることが、面倒?
「わかった」
何言ってるんだコイツは。急に言われても意味不明だ。
しかしなぜだか『生きることが面倒』という言葉は俺の心に突き刺さった。
生きる意味を見つけようとしないことは死んでいることと同じ意味じゃないのか。
誰だって一人はさびしい。時には一人になりたいときもあるけれど、孤独では生きていけないように。
「生きる意味が決まっていれば、もっと迷わず生きていけるのに」
不意に猛烈な不安に襲われた。まるでこのまま藍が消えてしまいそうな言いぐさだったからだ。
だがもう断ってしまった。藍は何に自分の意味を見出すんだろう。
どこか、遠い、遠い何かを見るような、くすんだ目つきが恐ろしい。
「あ、藍……」
「すまない」
くるりと踵を返し走っていった。
タッタッタッ
小さくなっていく藍の背中。
俺には引き留める資格なんかない。
● 2055年6月1日(火)午前
「おはよう」
「……おはよう」
藍は昨日と何も変わらない。俺が意識しすぎてよそよそしい気がするだけだろう。
「ズコーズコー」
「どこ行くんだ?」
弁当を食い終るとそそくさと教室を出ていこうとする西田。
「告白」
「あっそ」
「……誰かとか聞かないのかよ」
「聞かねーよ。俺は個人を尊重するんだ」
この手の話を聞いていたら間違いなく俺がイラつく。
「5組の金田さん」
聞いてないのに話し出したし。もちろん一度も聞いたことが無い名前だ。
「だって今日、二回も目が合っちゃったし」
それでホレていると思い込めるお前の自信がすごいよ。
「連絡先知ってたからさ、もう呼び出し済み」
どこからそのバイタリティが来るか謎すぎる。
「だって俺モテるし。じゃーな」
ハイテンションの西田はウザいがフラれるわかっている以上ひがむようなことはないから。
アイツ絶対爆死するだろうな。
何もすることが無くなった。もちろん学校でスマホを広げるわけにもいかない。もしも鬼軍曹(2年担任のあだ名)にばれたら命がいくつあっても足りないだろう。
とりあえず机に突っ伏した。
「……」
無意識に顔を横に向ける。
「ぐがーずこーぐがー」
藍はいつものように色気のないいびきをかきながら爆睡している。
「……」
俺、何意識してんだろう。意識的に首を反対側に向ける。
……尾上、じゃない。綾子ちゃん。
綾子ちゃんはなんで『綾子ちゃん』って呼び方を強要するんだろう。カワイイってよりしっかりしてるのに『ちゃん』は浮いている。
昼飯を食ってる最中。綾子ちゃんだけがこっちを向いている。背中を向けた女子に話を合わせるように首を縦に振っている。
綾子ちゃんと目があう、俺はすかさず首を反対側に向ける。
何やってんだろう俺。急に藍のいびきがデカくなった気がした。
ポンポン。
「誰ー」
急に頭にやわらかい感触。優しく頭を叩かれたというよりは撫でられたに近い。
「清彦くん」
……志弦?
「当ててみて」
「……志弦」
つか、言われる前にわかったし。
「正解」
顔を上げるとショートカットの女の子が一人、陰になるよう立ちふさがっていた。
「座るね」
前の席、西田が座っていた場所に志弦は腰を下ろした。
「ヒマだから来ちゃった」
「と言われても俺に話題はないぞ」
「そんなことないでしょ、とっておきの話題が一つあるんじゃない?」
とっておきの話題?
「放課後に何かあったんじゃないの?」
なにも……あるっちゃあったけど、なんで知ってるんだろう。
藍的に言うべきか言わないべきか。
「ぐがーずこーぐがー」
これじゃアイコンタクトもできねーよ。志弦もここまで直球だと逃げられない。
「何もなかったんなら『無い』って否定するよね」
あら、今日の志弦おかしくないか。直接志弦と目線を合わせる。
自然な顔つきなのに表情が堅い。指で頬を突いても柔らかくなさそうな。要するに目が笑っていない。
「ちゃんと断ったから心配すんな」
でも志弦の顔つきは変わらないままだ。
「私の最低な感じ、どう思う?」
「志弦のどこが最低なんだ?」
「毎日ダラダラ過ごしたこととか」
「挙句に藍ちゃんが告白させるとか」
「勝ちを確信してこの席にくる感じとか」
……
「なら俺も共犯だな。俺だってダラダラしてた」
お互いが好きなのにズルズル放置したせいで、無駄に藍を傷つけた。
「もう決着をつけるよ」
「……」
いさぎよく、恋人になった方が誰も傷つかない。
「……」
「今日逢えるか?」
「う、うん……」
「俺らさあ」
「……」
「同じことを言おうとしてない?」
もう言う必要もない状況まで来ている気がする。
「でも言うわ」
「……」
「卑怯だもん」
「同じ土俵でぶつかるのが礼儀だから、藍がぶつかったように私もぶつかる」
「……」
女同士の流儀なのかな?
「どこで話しましょうか」
「いつでもいいなー放課後とかかな」
「でも清彦部活あるでしょ」
そうだった。すっかり忘れてた。
「だったら別の場所でもいいかな」
「じゃ部活後の高台公園で良い?」
「いいよ」
……
(じー)「藍」
「……!!」
「……!!?」
藍は寝返り(?)をうって顔がこちら側に向いている。
こわっ! 目が開いてる!
ガタッ。
急に立ち上がる藍は見上げるほど大きく見える。一部のクラスメイトも気づいているようだ。
「……0QDKF@YJW@D30PIUzWH;9」訳:(わたしのぶんまでしあわせになれよ)」
は? 何って言った?
俺たちにだけ聞こえる小さな声で言うと藍は教室を出ていった。
……
さすがに藍が歩き出したときにはクラス中が気づいた。藍が昼休憩中に立ち上がるのは最高に珍しい。
「藍ちゃん」
教室を出る寸前に志弦は藍を追いかけて立ち上がった。
「お、おい……」
バタン!
……
俺一人かよ。
「……」
うわ、本当に一人ぼっちって感じ。全員が俺の方を向いてるし。
「……」
行くよ。行きますよ。
ガラガラ。
……
「かあああ!フラれた!」
「……」
「あれ? 入崎、なにがあったの?」
「横山と広橋さんと遊佐さんが三角関係……」
「それは知ってる」
「西田の席で広橋さんが遊佐さんにツラ貸せやーって言って、出てったのを横山が追いかけたー」
「ホントかよ!俺の席じゃん!ちくしょおおおおお!!! めちゃめちゃ面白いのを見逃したじゃん!」
「どーなるんだろう!!」
女子たちがイキリ出す。
「みんなの目の前でやるとか度胸あるわ。さすが広橋さん」
「最初から教えて! 最初から!」
「おい入崎!聞きに行くぞ!」
「ええ……」
「聞いてきて! アンタ耳良いでしょうが!」
入崎と仲が良い女子がはっぱをかける。
「えー、なんで僕がー!」
「……」
「綾子ちゃんなーしよん?耳に手当てて」
「ごめん、ちょっと席はずすね」
「???」
「……」
ピーガガガ。
「……」
思わず真剣な顔になりながら綾子は耳を澄ました。
【志弦の声】「BzABzA」訳:こっちこっち。
【清彦の声】「3E……」訳:藍。
【藍の声】「……」
ピーガガガガ
……
【清彦の声】「UYTB@/Y」訳:なんか、ごめん。
【藍の声】「BYUIND@/UGMAFFD@/WQ@」訳:こんなに惨めな気持ちは初めてだ。
ガガーガーガーガー。
「電波が悪くてめちゃめちゃ聞き取りにくいわね。スゴイ重要なのに」
ピーピーガガ、ザッ、ザザザザーーーー。
【藍の声】「CMCMD¥A’YT@G9HYKBS<RGW@3.SDzWEQKQ@」訳:そもそもしーちゃんがきよ君のこと、好きであると知っていたのだ。
【清彦の声】「C4T」訳:そうか
【藍の声】「Q@TO<4F@zWDJ64S6MzQ」訳:だから、奪ってしまおうと思った。
……
【藍の声】「D¥A’Y>B@/Y」訳:しーちゃん、ごめん
【志弦の声】[……37JOUESE:UEKF0QDQ@9……」訳:……謝らないといけないのは私だよ……。
【藍の声】「2QLT@6UD@GMAUO9E」訳:二人が同じ気持ちなら良い。
……
キーンコーンカーンコーン
「(もう授業が始まっちゃう!)」
【清彦の声】「G)4DZW@XzG<UYzWEzQYQ@」訳:さっき、なんって言ったんだ。
【藍の声】「0QDK2@YJW@D30PIUzWH;SEzQYQ@」訳:わたしの分まで幸せになってくれと言ったんだ。
……
【清彦の声】「3LT@S4」訳:ありがとう。
「(チャイムが……!教室に戻りながら聞こう!)」
【藍の声】「D)HFZDQQ@:UKQ@U」訳:触発しただけなのだな。
……
【藍の声】「D¥A’YT04OYQ@LDUE>C;W@<G9HYF2L]TUEDU」訳:しーちゃんを恨んだりもしない。それできよ君は振り向かないしな。
【志弦の声】「……3LT@S4」訳:ありがとう。
【藍の声】「MS@.C@<M4D@(G)4T@FD@JzWE.」訳:戻るぞ、もう授業が始まっている。
【清彦の声】「4<4Y」訳:う、うん
タッタッタッ……
「(もう無理だわ)」
ピッ、ブツン。
【藍】「……RGUKI」
【藍】「C;W@M0QDFG9HYKBS」
【藍】「……RGUKI」
【藍】「3EDW.KI」
【藍】「0QDI2L]EW9G9HY[G9HYET@E3SFUIMEOUEYQ@9///」
● 8月32日 12:00
「清彦くんってさあ」
ホットコーヒーを持って車まで歩く途中。
「モテモテだよね」
「……」
別に好きでモテてるわけじゃないんですけどね。
「勝者の余裕?」
今、さりげなくディスったな。確実に悪意のある言い方だった。
飲み切ったホットコーヒーをそこのコンビニエンスで捨てる。
「で、藍さんを捨てたってことは、もちろん志弦さんを愛したんだよね」
もちろん、そのつもりではある。
「自殺したけど……」