第72話 英雄クラウス
何だか温かく活力に満ちる感じがする。
それでいて体は重い。指先も動かないみたいだ。
俺は横になっている、ベッドで寝ているのか。
……。
ゴォォーーーン
鐘の音。夕方の鐘?
そうだ、サラマンダー! と言うことは通りで倒れている?
「……ん」
目を開けると、そこはどこかの部屋。ベッドの上だった。
「母さん?」
「!? リオン、目覚めたのね!」
ベッドの脇で座っていたソフィーナに話しかける。一瞬、記憶が戻った日を思い出した。
「ここは?」
「お城近くの治療施設よ」
「父さんや商会長は?」
「別の部屋でいるわ、みんな無事よ」
「そう、よかった」
ここは2階らしい。窓の外には通りや隣りの建物が見える。
「母さんは大丈夫?」
「治療をしてもらって、しっかり寝たからもう平気よ。でも今日1日、大きく魔力を使うことは出来ないわ」
「そう、でももう夕方だし、夜までそんなに時間ないね」
「今は朝よ」
「え!?」
「サラマンダーとの戦闘は昨日のこと、今はその翌日の朝6時半ね。リオンは15時間くらい寝てたことになるわ」
なんだって、そんなに時間が経ってたのか。
ぐう~ お腹が鳴る。
「ふふ、もうすぐ朝食よ。運んできてくれるみたい」
「お腹ぺこぺこだよ」
今が朝なら、昨日昼の肉料理から何も食べてないことになる。
「父さんも呼んでくるわね、3人で食べましょ」
ソフィーナは部屋から出ていき、ほどなくクラウスと共に戻ってきた。
「じゃ、私、ここへ3人分運ぶように伝えてくるから」
再びソフィーナは去った。
「母さんはもう普段通りみたいだね、父さんは?」
「俺も大丈夫だが、腹が減っているな」
「いつ起きたの?」
「朝4時くらいか、母さんは昨日の深夜に一度目覚めたらしい」
「ふーん」
ソフィーナが帰って来た。
「伝えたわ、もう10分くらいしたら食事が来るって」
「今日はこの後どうするの?」
「村に帰るよ、元々その予定だし。ただ申請討伐は無理だな。今日1日は安静にしておかないといけない」
「それがいいね、俺も何だか調子が変だ」
そう、サラマンダーとの戦いで受けた打撲や火傷はすっかり治ってる。傷跡すら残らないほどきれいに。体調もいいし健康だが、何だかスッキリしない。腹が減ってるからかな。
「お、来たぞ」
食事が運ばれてきて机に置く。ここは恐らく1人部屋だけど、机や椅子が多くあるのでそれを利用した。俺もベッドから降りて椅子に座る。
3人とも寝間着みたいな服だ。入院着と言うやつか。
「昨日あれからどうなったの?」
「サラマンダーを倒した後に、バイエンス男爵の部隊が到着して、俺たちをここへ運んでくれたそうだ。後はよく分からん」
「私もそのくらいしか聞いてないわ。食事の後に会いに来るそうだけど」
「ふーん」
なら、その時に聞くか。
「ところで父さん、あの技凄かったよ、剣から斬撃が飛んでた」
「ああ、はは、あれは魔物素材の力だ、滅多に使わないんだけどな。なにしろ多くの魔力と集中する時間が必要で、放った後も動けなくなる」
「へー」
「サラマンダーがこっちを向いて口を開いた時はもう撃とうかと考えたが、母さんの矢で注意が向いたから首へ撃つことが出来たんだ」
「ふふ、うまく当たったわ」
そう、あれで再び首が狙える角度になったからね。
「ただ俺の斬撃だけでは、サラマンダーの硬い鱗を切り裂くことは出来なかった。リオンが切ってくれたから、首の内側から切断することができたんだよ」
「へへ……」
でもその切り口を正確に狙って斬撃を飛ばすクラウスも凄いよ。まあまあ距離あったし。
「あれは共鳴いくつくらいだ」
「200%だよ」
「はは、そうか。じゃあ剣身10mだったんだな」
「うん。もう1歩2歩踏み込んでたら切り落とせてたけど、熱すぎて無理だった」
「あれは無理だ、近づけない」
熱風と表現していたが、見えない灼熱の空気の流れ、いやもはや壁か。それがサラマンダーの体から発せられてたんだ。常時では無いと思うけど、あの時はそうだった。
「ふー、お腹いっぱい。朝食なのに量があったね」
「1食抜いてるから多めなんだって、私も満腹だわ」
食器を下げに来た職員が、風呂に入れると教えてくれた。体は拭いてくれてるが、流した方がスッキリするので行ってはどうかと。俺たちはその提案に乗ることにした。
職員に浴場を案内される。よくある共同浴場だ。朝なのに湯船もお湯が張ってあるぞ。もしかして俺たちのために準備してくれたのか、これはありがたい。体を洗ってお湯に浸かる。
「ふー、いい気持ち」
「そういや本店長やリカルドさんは?」
「別室で療養中だそうだ、御者も含めてな。帰りは一緒になるんじゃないか」
「ふーん」
馬車がどうなったのか分からない。近くにいたから無事とはいかないだろうけど。
風呂を上がって部屋に帰る。
「あー、なんか落ち着いたね」
「そうだな」
「父さん、昨日は服が焼け焦げて肌も赤かったけど、すっかり治ってるね」
「お前もだったぞ。まあここは優秀な治療士がいるからな」
ほどなくソフィーナが戻ってきた。一緒に来たのは……。
「商会長!」
「元気そうだな」
あの顔に負った酷い火傷もすっかり治ってる。いや、元通りか、傷跡も全く無いぞ。凄いな、治療士は。これがスキルの力か。
ミランダの髪が少し濡れている。ソフィーナと一緒に風呂に入ったようだ。
「バイエンス男爵が会いに来る。話を共に聞こうではないか」
「商会長は今お風呂?」
「ああ、目覚めたのが今朝だったのでな、恐らくお前と同じ頃だ」
俺たちと同じ入院着だ。こうやって見ると普通の女性なんだけどな。
「なんだ、どこかおかしいか」
「ああいえ、騎士服の印象が強いので」
「……あまり見るな、騎士服も焼け焦げて着れないからな。代わりの服を男爵が用意してくれる、お前たちの分もだ」
ちょっと恥ずかしそうな仕草をする。ふふ、かわいいとこあるじゃないか。
「おお、そなたたち、気分はどうだ」
バイエンス男爵だ。一緒に数人、荷物を持って部屋に入って来た。
「お陰様ですっかり良くなりました」
「お助け下さり、ありがとうございます」
「いやいや、当然のことだ。町を守ってくれ、こちらこそ感謝する」
「それで、経緯を聞きたいのですが」
「うむ、そのつもりで来た」
男爵は椅子に座り俺たちを見渡す。
「昨日、そなたたちが帰った後に、城の訓練場で武器を試していた。そしたら応援要請の知らせが入ってな、急ぎ騎士を連れ向かったのだ」
はは、早速、試してたのね。
「現場はアーレンツに入って少しの所か。だが駆けつける道中、遠くからでもよく分かった、煙が上がっていたからな。そして現場付近まで近づくと騎士が10人ほどこちらに走って来た。その先には真っ赤な魔物の姿が見え、その時気づいた、相手はサラマンダーだったと。ドラゴンと聞いていたが、まさか上位種とはな」
注意を惹いた騎士たちかな、へー、あの時、もうそんな近くまで来てたんだ。
「我々は直ぐ馬車から降り、作戦を練った。相手はAランクの魔物、不用意に近づけないからな。そこへ先程の騎士がやって来て、もう終わったと告げたのだ。我々は直ぐに現場へ向かい、頭と胴体が切り離されたサラマンダーの姿を確認した」
まだ骨じゃなかったのか、ほんとに倒した直後だったのね。もしや俺が最後に目にしたのは男爵たちだったのかもしれない。
「北アーレンツの部隊より我々の方が現場に近い。一体誰が倒したのかと聞くと、近隣の騎士や冒険者、そして居合わせたそなたたちだと。我々は傷ついた者たちを直ぐにここへ運んだ。酷い火傷を負った者が多かったが、治療までが早かったため、ほとんどの者が助かった」
ほとんどの者、と言うことは、助からなかった人もいたのか。
「犠牲者は出たのですか」
「私が確認しているのは、アーレンツで住人5名、騎士4名、冒険者1名だ」
10人、そんなに。くそう、魔物め……。
「恐らくは即死だった、しかし、強大な魔物の襲撃を受け、それだけで済んだのは奇跡的だ。実はな、西部ボスフェルトの町にサラマンダーは先に降り立ったのだ。そこではかなりの被害が出ている」
「!?」
「なんと!」
「まあ!」
え!? そうだったのか。西部ボスフェルト、クラウスやフリッツがいた冒険者養成所のある地域だな。サラマンダーはゼイルディク西の森からやってきたのか。
「戦った騎士たちの報告では、サラマンダーの首を落としたのはクラウスだったと。間違いないか」
「確かに俺が首を落としましたが、リオンの一撃も効果的でした」
「私も目撃した。クラウスの斬撃が、見事、サラマンダーの首を切り離すのを」
ミランダ、倒れて目を閉じていたが、気を失ってはいなかったのか。
「うむ、分かった、止めはクラウスだな」
「父さん、かっこよかったよ」
「ええ、強かったわ」
「はは……そうか」
うん、クラウスは立派だった。最後まで諦めてなかったよ。
「さて、服を持って来た、寸法は昨日着ていた服から測り直している、ぴったり合うはずだ。すまんが騎士の指揮官用は丁度いいのが無くてな、一般女性騎士となった」
「十分です」
「着替えて準備が整ったら施設の者に伝えてくれ、そなたたちの荷物は別室で管理している、馬車まで持っていかせるからな。馬車は既に施設前で待機している」
「お手数をお掛けします」
「なに、大したことは無い。では私は行く、今日1日は療養することだ」
「ありがとうございました」
男爵とお供は去った。
「じゃあ着替えるか」
「ええ」
荷物から服を取り出し、ミランダとソフィーナは出ていく。
「おお、ぴったりだな」
「そうだね」
これは庶民のかなりいい服だな。
少し待つと女性陣がやってきた。
「じゃ行くか」
施設の者に伝えると、俺たちの荷物を持って通路をついてくる。
「おお、みんな!」
「本店長!」
通路にはフリンツァーとリカルド、そして御者が4名待っていた。合流して玄関を目指す。
「む、何やら外が騒がしいぞ」
施設を出ると、そこには大勢の人たちが待っていた。
「来たぞ! サラマンダーを倒した勇者たちだ!」
「町を守ってくれてありがとう!」
「素晴らしい功績だわ!」
「キャー! ミランダ様ー!」
なんだなんだ!? 玄関近くに待っていたバイエンス男爵が寄って来る。
「よく聞け、皆の者! このクラウス・ノルデンがサラマンダーの首を落とした! 正しく町を救った英雄だ! 偉大な英雄クラウスの名を称えよ!」
「クラウス!」
「クラウス!」
「クラウス!」
おいおいおーい! くっそ、男爵め、仕込んでやがったか。
「さあ、馬車に乗れ」
「はい」
施設の者が馬車に荷物を入れ、俺たちは足早に乗り込んだ。直ぐ馬車は動き出す。
通り沿いの人たちは歓声を上げ、手を振っていた。
「やられたな」
「はは、まいったぜ」
「……これは恐らくクラウスの叙爵を想定してのことだろう」
「と言うと?」
「名目はトランサイト、そしてシンクライトの製法を発見したとするだろうが、お前自身としては実感が薄いだろう。最初にトランサイトに気づいただけではな」
「まあな」
なるほど! そういうことか。
「だが、サラマンダーの首を落としたとなると、かなりの功績だ。それが叙爵に相応しいかは微妙なところだが、お前自身としては納得がいく材料となるだろう」
「え、微妙なの?」
「2体も3体もとなればな。1体ではゼイルディク極偉勲章止まりだ。それでもかなりの偉業だが」
へー、勲章もあるのね。それはそれで誇らしい。
「なら2体目をやればいいのだろう」
「おいおい、Aランクだぞ、そんなのが頻繁に来られてはたまったものではない」
「はは、そうだな」
「……しかしな、ここのところ魔物の動きが活発なのも事実だ。奥地ではAランクの目撃例も増えている」
確かジルニトラっていうのも見かけたんだよね。
「まあ来たら戦うだけさ。リオンのトランサイトを見ただろう。あの戦力が揃えば、昨日の様な惨状にはならない」
「うむ、あの切れ味は凄まじい。かなりの共鳴率だったろう」
「200%だよ」
「なんだと!? はははははっ! そんな数字聞いたことが無いぞ! いやしかし、そうか、あの間合いで到達していたのだからな、剣身10mか、はははっ! 本当にとんでもない性能、そしてリオンの魔力操作だな」
「ミランデルが強いからだよ」
「む、そうだ、剣を見せろ」
そう言うと、ミランダは俺の剣を持ち少し抜いた。
「……流石に刃こぼれを起こしているな。帰ったら商会に預けて補修してもらえ」
「うん、分かった。ちょっと扱いが悪かったかな」
「いや、そうではない、想定以上の使い方とでも言うか。200%で切り込むなんて考えてないからな」
「あー、そっか」
「基本値で言えば200%は……765か。はっはっは! なんだそれは! レア度4どころか、それ以上だな! リオン、無理に首を狙わずとも、体でもどこでも届くところを切ってもよかったかもな、Aランクだろうが、何だろうが、切り裂けないものはないぞ」
「ええ!? そうなの」
なんだー、無理して遠くを狙わなくてよかったんだ。
「しかし、いい実績が手に入ったぞ。共鳴率200%に耐えうるミランデルとは。はっはっは!」
ご機嫌だな、余程気に入ったらしい。
「ところでミランダ、その騎士服はあまり見ないな」
「私がいつも着ているのは防衛部隊のだからな、これは保安部隊、それも一般女性騎士向けだ。実はエリオットが昨日から来ていて、朝方帰ったのだが、屋敷に行って騎士服を持ってくると言い出したのだ。それを待っていては帰ることが出来んから、男爵が用意する騎士服があるからいいと、それで今着ているワケだ」
はは、一報を聞いて駆けつけるエリオットが想像できる。愛する妻だからね。
「エリオット部隊長、様子を見にきてくれたな。リオンはまだ寝てたが。そうか、先に帰ったのか」
「それなら着替えた私と一緒に帰ると言い出したが、今すぐ帰れと、あれも仕事があるのだ」
しかし、溺愛してるんだな。火傷を負った顔は見たのだろうか、気絶しそうだが。
「なかなか似合ってるわよ、ミリィ」
「!?」
「ミリィ!?」
「おい、ソフィ、2人だけの時と言っただろう」
「あらごめんなさい」
おやおや、いつの間にそんな仲に。
「……私がソフィと呼ぶなら、ではミリィと。そうなっただけだ」
「へー」
ふふ、ちょっと赤くなったミランダ。これは貴重な表情だ。
「おい、昨日の現場に差し掛かるぞ」
「え、あホントだ」
窓の外を見ると黒くなった石畳と壊された建物が見える。多くの人が解体や片づけを行っていた。
「うわー……」
そこからしばらく行くと、通り沿いの焼け跡が目に入った。
「結構、広範囲だったんだね」
「降り立った後、直ぐ吐いた炎だ。あそこで仕留めていなかったら、どれだけの被害が出ていたか想像に容易いな」
「うん、かなり危険な魔物だったんだね」
「本来、部隊1つで戦う相手だ、それも後衛を中心にな。実際、ボスフェルトでは戦力を揃える前に逃げられたのだろう。そうやって町をあちこち飛び回れたらどうしようもない。それを近接中心であの人数で倒したのだから、どれだけの功績だったか分かるだろう」
「うん、あそこで仕留めて本当に良かった」
今度あのクラスと交戦することがあったら、直ぐに倒すよう心掛ける。そうしないと多くの人に迷惑が掛かるからね。恐れてはいけない、俺は戦えるだけの力を持っているんだ。
「……リオン、そのためにはお前の力に頼らざるを得ない」
「うん! 俺、今度は最初から立ち向かうよ!」
「それは、心強いのだが、その、お前は職人でもある。あまり無理をするな」
「あ、そうだったね」
昨日、サラマンダーと分かった時に、ミランダは俺を逃がすよう指示を出した。それは職人の安全を確保するためだ。しかし、サラマンダーが接近してきたので、やむなく俺も戦うことになった。そしてミランダは倒せるのは俺だけだと。
最初も葛藤があったのかもしれない。守るべき最優先の俺が、最も戦力として期待できるから。それなら俺が死なない様に強くなればいい。俺が戦って早く終わるなら、被害も防げるし、何より俺も安心だ。
そう、サラマンダーは俺を狙っていた。俺を殺すと。ワイバーンと同じ殺気を確かに感じたんだ。あのまま城に逃げたとしても、きっと追ってきていた。ならば、立ち向かい倒すまでだ。トランサイトがあれば勝てる。武器を信じるんだ。




