第317話 脅迫
上位貴族家であるスライヤ・ニザム。その30代半ばの女性にAランク魔物が完全に成りすましている。ヤツは俺の鑑定偽装をレベル33と認識し、その高い能力を自らの影響下へ取り込むつもりだ。
「俺はあんたに仕える気は無い」
「現状を正しく理解していない様ですね。ここは私の闘技場ですよ」
「拷問でも始める気か」
「そんな野蛮な真似は致しません。従わなければ出られないだけです」
さも当然の様に拉致を宣言しやがって。
「何日も監禁できるワケないだろ」
「この5階には一通りの設備が揃っています。食事含めて快適な生活を約束しましょう。加えて闘技場ですから娯楽にも困りません」
「そういう意味じゃない」
「特待生を1人買うくらい何のことはありません」
「え?」
「もちろん世話人も付随します。シーリン程度の人材なら価値は知れていますから」
人身売買を平然と言い放つ。つくづく強権者は感覚がおかしい。
「俺は将来に多大な期待を寄せられている。いくら金を積まれようが手放すとは思えない」
「このアインハルにおけるニザム家の地位を正しく理解していませんね。私が欲しいと言えば応じる。それだけの事ですよ。ほほほ」
おいおい。随分とベンバレク家は見下されているな。国は違えど同じ玄爵家だろう。
「時刻は正午を過ぎています。ひとまず食事に同席しなさい。その場で今後の活動内容をお伝えしましょう。もちろん報酬の話も含みます」
「従わないと言っているだろう」
「……ここまではあなたの能力に敬意を表し、穏便に事を進めて来ました。しかし頑なに態度を変えないのなら別の手段に頼らざるを得ません」
魔物は強い威圧を発しながら低い声で告げる。
「本性を現したな」
「先程から気になっていたのですが、私の圧力に全く動じませんね。これほど強い精神力の持ち主は大人含めて見た事がありません」
「なんなら殺意でも放ってみるか」
「ほほほ。随分と余裕ですね」
魔物は少し微笑んだかと思うと、一転して強烈な殺意を飛ばす。隣りのシーリンは涙を流しながら頭を抱えていた。
「こりゃ凄いね。とても人間の発する殺意とは思えない」
「……あなたは一体、何者ですか」
何だろうね。自分でもよく分からなくなってきた。まあ殺意に関しては神の魔物で鍛えられたか。Aランク魔物が複数同時に頭の中へ直接殺意を送り込む。あの状況に比べれば全然大したことは無い。
「ともあれ、なおさら配下として欲しくなりました。今ならまだ間に合います。痛く苦しい思いは嫌でしょう」
「脅すなら俺も本気を出す」
「ほほほ。それは怖いですね」
「事前に伝えておく。これは能力の誇示であって殺意は無い。だから過剰に反応するな」
「は? 丸腰のあなたに何ができると言うのですか」
「忠告はしたからな」
隠密スキルを全力で行使する。姿も気配も影さえも俺自身の存在を完全に消し去った。そのまま魔物の背後へ回り込み、空中浮遊で目前に後頭部を捉える。そして次元収納からゴブリンブレードを取り出し首筋へと静かに当てた。
「!?」
「しょ、商会長!」
「動くな!」
扉へ向かうバクルへ声を飛ばす。
「安心しろ。単なる脅しだ。殺す気なら姿を消したまま首を刎ね飛ばしていた」
「……バクル、ユニスの言うことは本当です。警備を呼ぶ必要はありません」
「いいえ! この者は危険です!」
魔物の言葉を無視してバクルは扉へ向かった。そうはさせるか。
「うがっ!」
彼は障壁に阻まれ床へと倒れ込む。俺は即座に近づいてゴブリンブレードを喉元へと当てた。
「勝手に動くなら一瞬で黙らせる」
「ひ、ひいいっ!」
「ユニスに殺意はありません! 大人しくしていなさい!」
「……は、はい」
バクルは恐怖に顔を歪めながら身体を硬直させる。それを見て静かに剣を引いた。
「武器なぞどこへ隠し持っていた」
「よく見ていろ」
ゴブリンブレードを次元収納へ仕舞いこむ。
「はっ!? き、消えた?」
「これは次元収納だ」
「何ですって!? そんな事はあり得ません!」
魔物は俺へ近づき周りを注意深く観察する。
「いくら探しても無駄だ」
「いいえ! 必ずどこかへ隠しています!」
そう告げて四つん這いになり床の絨毯を撫でながら動き回る。おいおい。上位貴族家がそんなみっともない格好をしていいのか。
「商会長お立ち下さい! 私が探します!」
バクルが物凄い速さで床に這いつくばると魔物はゆっくりと立ち上がった。その表情は懐疑の念に満ちている。こいつら全く信用していないな。
「だから次元収納だってば。そもそも警備の目を盗んで武器なんか持ち込めないだろう」
「……確かに無理はありますが」
「いいかよく見ていろ。絶対に隠せない大きさを出してやる」
ヒュドラの頭角を次元収納から取り出す。長さ3m、直系50cmだ。床から1cmの高さに発現させ、尚且つ絨毯が敷かれているため、重量による振動は完全に抑えられた。もちろん遮断結界は隠密行使済みだ。
突然現れた巨大な魔物素材を前にして、魔物とバクルは目を見開き固まっている。
「どうだ?」
「……こ、これは、認めざるを得ません」
「次元スキルは収納だけではない。建物探知によると隣りは寝室の様だな。今すぐ1人で移動してもらおうか」
「何故?」
「いいから動け。説明するより見せた方が早い」
「……分かりました」
「いけません商会長! この者は良からぬ事を企んでいます!」
「ならばこの目で確かめましょう」
「ここを出る時は俺の姿をしっかり確認しろ」
魔物は小さく頷き、廊下へ出て俺と目を合わせながら扉を閉めた。そして指示通り隣りの部屋へ入る。俺は物体通過で壁を抜けて魔物の目前に現れた。
「はっ!?」
「まやかしの類と疑われない様に、俺がここへ来た証を持とう」
そう告げて辺りを見渡す。机上の小さな板は写真立てか。どうやら家族の肖像画らしい。よし、これにしよう。
「先に商会長室へ戻れ。扉を閉める際は俺と目を合わせろ」
魔物は困惑の表情のまま廊下へ出た。それを見届けて物体通過を行使し商会長室へ戻る。魔物は扉を開けて俺の姿を捉えると目を見開いた。
「これに見覚えがあるか」
肖像画を机に置くと魔物は近寄り手に取った。
「そ、そんな……信じられません」
「いかがなさいました。商会長」
「バクル。私が出て行ってから戻るまでのユニスの動きを伝えなさい」
「は、はい!」
バクルは見たままを告げる。
「……か、壁を通り抜けたと言うのですか」
「壁だけではなく床でも天井でも自由に抜けられる。加えて高度な隠密で完全に存在を消し、次元収納からいつでも武器を取り出せる。この意味が分かるか?」
「……」
「今ここで見た事は内に秘めておけ。まあ口外しようが誰も信じないし証明も出来ない。そして今後、俺たちに一切関与するな。少しでも不利益を被れば脅しでは済まないぞ」
魔物は真顔で固まったままだ。ちゃんと聞いているかな。
「シーリン、立て」
「えっ!? あっ、は、はい!」
「では予定通り闘技場を視察する。昼食は養成所のみんなと食べるからお構いなく」
「待ちなさい! 聞きたい事が沢山あります!」
「答えない。行くぞシーリン」
呼び止める声を無視して商会長室を出る。廊下には警備が複数人立ち、俺たちへ目線を一斉に注いだ。ああしまった。こいつらをどうにかしないと。
「通してあげなさい」
「はっ!」
商会長室から出てきた魔物が警備へ指示を送った。
「ユニス、日を改めて面談しましょう」
「……恐れながらそれは難しいかと」
「私が養成所へ出向きます。話だけですよ」
魔物は優しくほほ笑むと商会長室へと姿を消した。まあ仕方がない。身分は向こうが遥かに上だ。顔を合わせる程度は止む無しか。
魔力波長を頼りに養成所の子供たちと合流を試みる。しかし3人ともお互いの距離は離れていた。
「シーリン、昼食は誰と一緒がいいかな」
「マリカです。他の2人は毎日食事を共にしていますから。この様な場は普段顔を合わさない女子と積極的に絡むべきです」
「まあそうか」
なるほど。だから行きの馬車内でマリカは隣席を希望したのか。
マリカと世話人を3階の観覧席付近で発見する。俺たちが近づくと昼食を誘われた。同じ3階のフードコートで食事を注文し、トレイに載せてテーブルへ運ぶ。
「ユニスは何してたの?」
「えーっと……」
「ニザム興業商会長と談話です」
「え!? 今までずっと?」
「まあうん」
「ドラルガ地域に大変興味を持たれ、魔物戦闘なども多く話しました」
「そっかー。ユニスは遠くから来たもんね」
マリカの問いにシーリンが返す。そういう事にするのね。
むっ! 何やら違和感が。これは標的感知だ。反応の方向に目を向けると数人が集まり言葉を交わしている。距離は50mほどか。遠聴スキルでその内容を拾い上げる。
「アマト課長、私は13時に引き継いで商会長へ報告します」
「ええ、お願い」
「対象は午後から1階で魔物を視察します。許可申請は世話人のシーリンですが、本来の目的はユニスにあるでしょう」
「間違いないわ」
こちらへ注目したので目線を逸らす。どうやらスライヤ配下の者たちが俺を監視している様子だ。まあ当然の展開か。この程度は仕方ない。
ただアマト課長と呼ばれた人物がかなり特殊だ。外見は20代半ばの女性だが、探知によるとCランク相当の魔物である。つまりこいつも人間に化けた亜人種なのだ。
そのアマトが闘技場の職員だとすると、スライヤは正体に気づいているのだろうか。そう考えてサキュバスの所在を探ると5階に座標があった。この場所は……商会長室じゃないか! スライヤの反応も同室内だぞ!
むむむ。サキュバスの扮した女性は平民の遊び人だった。とても上位貴族家と繋がりがある様には見えない。一体どんなやり取りを交わしているのか気になる。
「ユニス、体調が悪いの?」
「え? ううん。元気だよマリカ」
「そっか。食事が終わったら魔物を見に行くんだっけ」
「うん」
「15時からはゴーレムリーグが始まるよ。一緒に観よう」
「分かった。マリカは何処にいるの」
「3階だよ。16番通路の下から7列目。隣りに2人分の席を確保しておくね」
「えっ、そんなことできるの」
「多めに握らせたら笑顔で譲ってくれるわ。もちろん養成所の持ち出しだよ」
その年齢で買収を心得ているのか。
食事を終えてマリカたちと別れる。1階へ向かっていると魔力波長探知を受けた。養成所の職員たちだな。探知元へ目をやると見覚えのある顔を確認できる。
むっ! そのうちの1人、40代男性とサキュバスが話をしている。よく見ると腕を絡めているぞ。おいおい、だらしない表情じゃないか。ありゃ完全に心奪われているね。妻子がいないことを祈るよ。




