第308話 イシュマ
召喚スキルによって現れた念体が俺たちに襲い掛かる。武器で排除を試みるが全く通じない。
「シーリン! 怪我は無い?」
「……はい」
彼女の隣りで辺りを見渡す。しかし念体の姿は確認できなかった。高レベルの隠密スキルでも持っているのか。
いや……ヤツはもうこの場に存在しない。そう確信できるスキルを俺は習得していた。
『念体探知36』
『念体感知36』
「悪魔は消え去った。もう安心して」
「何故そう言えるのですか?」
「スキルだよ」
「……分かりました」
「それより驚かせてごめん。召喚を試したら出来ちゃって」
「習得条件を満たしてるのですから当然の結果です。先程も遮断結界を直ぐに覚えていました」
経緯は何とか誤魔化せたらしい。しかし懸念していた事案が現実のものとなってしまった。
英雄の記憶が呼び覚まされる時、そのほとんどは俺自身が思い出したような感覚である。最近は別人格と対話する形もあったが、俺の言動に変化をもたらすほどの影響は受けていない。
今回、僅かな時間ではあるが人格を乗っ取られ、スキル行使にまで至った。もっと強大な念体を召喚していたらと思うとゾッとする。
……悪魔こそ人間の真の姿。
くっ、また出てきた。
……排除した報いを受けるがいい。
黙れ。俺は悪魔召喚士ではない。
……。
よし、引っ込んだ。同時に人格も掴んだぞ。これで今後は主導権を渡すことは無いだろう。
やれやれ。間違いなくザラームの仕込みだな。もちろん目的は社会を乱す要因の1つとして。そんな邪悪な振る舞いを俺に期待するなんて勘弁して欲しい。
「ユニス、どこか痛めましたか」
「え? いや平気だよ」
「そうですか。深刻な表情でしたので」
待てよ。ザラームの話と言えば。
「シーリン、今思い出したけど、召喚を習得するには高レベルの使役も必要だったはず」
「いいえ。不要です。現に習得していますよ」
「まあそうか」
「召喚した悪魔を操るためには使役の派生スキルが必要でしょうね」
なるほど。召喚後の制御も含めてか。確かに呼び出す都度、襲われては危険極まりない。
それにしても念体には俺の攻撃が全く通じなかった。切りつけた感触から察するに単に高い耐久力が備わっているワケではない。武器攻撃そのものを受け付けない。恐らく200%の蒸着飛剣でも結果は同じだった。
よく考えたら魔物とは作りが違う。魔物は魔素、念体は邪素だ。それは短時間で消えてしまった理由にも繋がる。人間界は邪素が無いため念体は存在を維持できない。
「この剣は魔物武器ですか」
「よく分かったね。ゴブリンブレードだよ」
「柄の台座に土の精霊石が装着されています。鉱物蒸着での強化が目的ですか」
「まあそうだね」
「魔物武器には無効と聞きましたが、ユニスなら特別なスキルがあるのでしょう」
「えっ!? 蒸着が使えないの?」
「はい」
それはかなり重要な情報だ。念のため試そう。
……本当だ! 出来ない!
何てこった。Sランク対策の切り札だったのに。
「魔物武器は火水風の3属性も付与出来ません」
「はっ? じゃあこの台座は何のためにあるの?」
「そこには魔石を装着します」
「ほう、魔石」
「契約の派生スキル魔導があれば魔石から魔物の力を引き出して武器を強化できます」
「へー!」
なるほど魔石か。
「シーリン!」
マズい。誰か来た。急いで武器類を次元収納へ片付ける。隠密結界もすべて解除だ。
扉を開けると50代の女性が立っていた。その後ろには武器を携えた数人が見える。
「寮長、何かありましたか」
「聞きたいのはこちらです。十数分前、この2階付近で大きな魔力を探知したと報告を受けました。それは武器戦闘に相当する程です。何か異変に気づきましたか」
「いいえ」
「では構いません。もう直ぐ15時です。予定通り鑑定部へ向かいなさい。それとイシュマ様が17時にお見えになります。遅れず戻る様に」
「分かりました」
寮長と警備と思わしき数人は去った。あぶねぇ。魔力は強化共鳴100%の時だな。探知無効は施していたが、人物魔力探知レベル29を超える者が近くにいたらしい。今後は著しく魔力が上昇する訓練は控えよう。
寮を出ると連絡路は通らず近くの建物内へ入った。
「鑑定部までは馬車で移動します」
「遠いの?」
「歩ける距離ですが座っているだけの方が楽でしょう」
「まあね」
馬車は2頭立て。荷台は箱型で長さ7mほど。中に入ると中央通路の両側にベンチシートが8列並んでいた。既に数人の子供たちが乗り込んでいる。定員は20人ほどか。さながらスクールバスだな。
窓からの景色を眺めていると数分で鑑定部へ到着した。シーリンが職員とやりとりを済ますと魔物装備科、略して魔装科へ案内される。実習室には30人ほどの訓練生が席についていた。俺とシーリンは教壇の横へ立つ。
「本日より魔装科へ在籍するユニスだ。年齢は8歳。彼は鑑定スキル持ちだがレベル3であるため皆と同じ訓練を取り組む。仲良くするように」
「ユニスです! よろしく!」
「おーう!」
「初めまして!」
「いらっしゃい!」
「ようこそ!」
概ね歓迎されている様子だ。
「ユニスは字を書けるか?」
「はい」
「では分かる範囲で記入しろ。席は4列目の端だ。3分間の模擬鑑定を終えたら魔物装備の名称を記録して右隣りへ渡す。ユニスは端だから床の箱へ入れろ。それを10回繰り返せば休憩だ」
「分かりました」
指示された席へ向かう。机の上には魔物装備が1つ置かれていた。
『ヘルラビットの指輪
定着:4ヶ月15日9時間35分
帰属:済
特殊:衝撃(1%)』
Fランク魔物か。やはり手に入れ易い低ランク品が多いのだろう。
「私はライーダ、よろしくね」
「こちらこそよろしく」
隣りの女児が声を掛けてきた。
「ここに自分の名前を書くんだよ。それで番号順に魔物装備の名前を書いていくの。分からなくても何か書いておけば当たるかも。点数が悪いと居残りになっちゃうから」
ほほう。試験も兼ねているのか。
「では始め!」
教官が声を上げると子供たちは一斉に魔物装備へ意識を集中する。初めに模擬鑑定と言っていたな。鑑定結果が浮かび上がる絵を想像しているのだろうか。
「ユニスはまず魔物装備の形状を覚えなさい。隅々まで観察して特徴を掴むのです」
ヘルラビットの指輪。ウサギの顔面がこちらを向いて額から角が伸びている。角は長さ1cmほどか。何かに引っかけたら簡単に折れそうだ。いや、よく見ると先端部が少し欠けている。せっかくなので復元スキルで直しておこう。
「3分経過。記録と対象物の移動だ」
さて何と記入するべきか。やはり魔物装備とは縁の無い孤児が色々と知っていたら不自然だよね。正解が分かっているだけに心苦しいがワザと間違えよう。
ライーダから次の魔物装備が回って来る。エビルヘロンの腕輪か。Fランクの鳥系魔物だな。表面には細かい傷が数多く見える。全て直しておこう。この魔物装備科は復元の訓練も同時に行えるから良い環境だね。
10回の模擬鑑定を終えて休憩時間へ入ると、数人の子供たちが周りに集まって来た。
「ユニスは何処から来たの?」
「ドラルガの孤児院だよ」
「聞いたことない」
「ウェッドゼム玄爵領の南東の端っこ。山脈の麓だね」
「……全然知らない」
「俺知ってるぞ! 魔物で壊滅した町だろ! だからお前、孤児になったのか!」
家族を失ったのに無神経な物言いだな。まあ10歳前後の男児なんてこんなもん。ああいや、ここは孤児院だった。周りも似た様な境遇だから気遣いは不要なのだろう。
シーリンが改めて俺を紹介する。
「すげぇ! 特待生かよ!」
「いいなぁ、世話役のお姉さんがいて」
「ねぇ、寮って個室なんでしょ? お風呂も独り占めできるって聞いた」
「今度遊びに行ってもいいか?」
「んー、他の子もいるし。どうなんだろ」
シーリンを見ると首を横に振る。
「ダメだって」
「じゃあ俺らの宿舎に遊びに来いよ!」
「そんな暇はありません。特待生は忙しいのです」
「そっかー、残念」
ちょっと興味があるけど、まあいいか。当面の自由時間はスキル訓練に勤しもう。
「休憩終わり。再開しなさい」
「はーい!」
教官が声を上げると皆元気よく返事をして席につく。
再び10回の模擬鑑定を終えて本日は終業となる。居残りは5名だ。俺は0点だったが対象外とのこと。何回かの座学を受講すれば皆と同じ扱いになるらしい。
スクール馬車で特待寮へ戻ると、豪華な乗用馬車が玄関付近に停車していた。明らかに貴族家の所有だな。
「えっ!? まだ10分前なのに。ユニス急ぎましょう」
「何?」
「タルカザン蒼爵のご長男、イシュマ様がお待ちです。あなたと面会のため、お越しになったのですよ」
ほう。貴族家が俺に用事か。足早に特待寮の応接室へ向かうと、護衛らしき人物が扉の前で睨みを利かせていた。シーリンが到着を伝えて扉が開かれる。奥の豪華な椅子には身なりのいい男児が座っていた。
「お待たせしました。イシュマ様」
「ああ、構わんよ。私が予定より早く来たからね。キミがユニスかい」
「はい!」
男児は席を立ち、俺へと歩み寄る。護衛らしき取り巻きも数人付いてきた。
「登録上とは言え、私たちは兄弟だ。ベンバレク家の名に恥じない振る舞いを頼むよ」
そう告げて彼は手を差し出す。握手か。
「将来は優秀な操石士と聞いた。我が海運商会を支える一員として大いに期待している」
「はい! 日々精進いたします!」
「いい返事だユニス。世話役はキミかい?」
「はい。シーリン・バハと申します」
「彼の成長はシーリンの肩にかかっている。全力で挑みなさい」
「誠心誠意、取り組みます」
男児は優しくほほ笑むと、取り巻きを連れて応接室を去った。おや、見覚えのある顔が残っている。寮長か。
「お見送りに行きます」
「それは不要と伺いました。続けて登録作業へ移りますからソファに掛けて待っていなさい」
そう告げて寮長は姿を消した。俺とシーリンはソファへ腰を下ろす。どうやら部屋全体に音漏れ防止結界が施されているな。じゃあ人物鑑定の内容を聞いてみるか。
「イシュマを盗視鑑定した」
「えっ!? 何と恐れ多い事を!」
「あんなのただの子供だよ。遠慮なんか要らない」
「無礼な物言いは慎みなさい」
「うーん、あのさ、人間に身分の差があるのなら俺とその他だけ。高位貴族だろうが国王だろうが、ザラームの全権大使の前では平民と同じ。気を使うのはむしろ相手側だからね」
シーリンは驚きと困惑の表情だ。
「どんなに威張り散らしても能力を示せばひれ伏す。単純なんだよ世の中って。いいかい、シーリン。キミはこの世界の支配者にもなれる相手と話をしているんだ。そもそもの次元が違い過ぎるんだよ」
「……」
「もう一度言うけど、俺が上で他はみんな同じ。その俺の配下であるシーリンが、貴族家程度と比べて主人に無礼なんて言っちゃいけないよ。分かったかい?」
「……はい」
かなり大袈裟な表現だがまあいいだろう。今後を考えれば主従関係はしっかり意識づけしておくべき。今は唯一の協力者だからね。




