第302話 シーリン
アインハル玄爵領の中心地を馬車で進む。時刻は18時前。通りの飲食店には客が多く入っていた。俺の身体からは空腹を告げる音が響く。
「闘技場へ寄ったから夕食の時間が取れなかったね。到着したらまず食事を段取りさせよう」
「うん、お願い」
「ほら見えてきた。あそこがベンバレク海運商会本部だよ」
ほどなく通り沿いの建物内へ入る。ようやく目的地か。馬車を降りるとメフディは40代男性とやり取りを始めた。俺へ目線を移すと小さく何度も頷いている。
「キミがユニス・マズラウィか」
「はい」
「人物鑑定を行う。そのまま動くな」
男はそう告げるとおもむろに人物鑑定を行使した。
「うむ間違いない。私はムニル・ザキだ。ザキ課長と呼べ」
「はい、ザキ課長」
「ユニス、この方と商会の食堂へ向かうといい」
「メフディはどうするの?」
「総務部で諸々を報告して宿へ移動かな」
「そっか。じゃあここでお別れだね」
「キミは類稀なる才能の持ち主だ。正しく伸ばせば必ず成功する。周りの人たちの言う事をよく聞くんだよ」
「うん分かった」
メフディは笑顔で頷くと建物内へ姿を消した。
「では付いて来い」
ムニルと共に敷地内を歩く。この男はメフディに比べると不愛想だな。立ち居振る舞いはしっかりしており、隣りを歩いているだけで妙な緊張感がある。盗視鑑定を行うと人事部採用課長だった。なるほど面接官か。
む、手応えを感じた。スキルに進展があったらしい。
『人物36』
おお、人物鑑定が36に達している。鑑定情報を見返すと項目が追加されていた。
『祖父:アセム・サフリ
祖母:シルハ・サフリ
父親:エフサヌ・ザキ
祖父:サカール・ザキ
祖母:ジャダ・ザキ
母親:アルイラ・ザキ』
ほほう、祖父母も分かるのね。このムニルという男の家名は母方の両親から引き継いだのか。それほど重要な情報では無い気もするが役に立つ時もあるだろう。
食堂内は夕方にも関わらず賑わっていた。残業の確定組か、あるいは交代制か。
「この商会員たちはまだ仕事なんですか」
「敷地内に寮があり、外へ食べに行かない者たちが利用しているだけだ」
「お答えありがとうございます」
ふーん、商会から一歩も出ずに過ごせるのね。それはそれで味気ない日々に思える。
「この後の予定を教えてください」
「宿舎へ移動する」
「何処にあるんですか?」
「近くだ」
「他に子供はいますか?」
「行けば分かる」
まあそうだけど知っているなら教えてくれよ。他にも聞きたい事はあるが受け答えが面倒そうなので止めておこう。恐らく不要な言葉は発したくないタイプだ。
ああ、誰かに似ていると思ったら初めの頃のイグナシオか。都会で洗練された仕事できるオーラ全開だったな。まあ本性は割とよくしゃべる男だったが。
さて、せっかく周りに人が多いから盗視鑑定の訓練をさせてもらおう。
ほう、感知持ちとは珍しい。これまで盗視鑑定を覚えてからかなりの人数を鑑定してきたが、感知スキル習得者は100人に1人くらいだった。他の希少スキルである探知、隠密、死滅も同程度の印象だ。
もちろん感知スキルの派生には鑑定感知がある。加えて感知習得者はもれなく同スキルを所持していた。恐らく覚えるだけなら難易度は低い。もう感知持ちは鑑定感知もあると考えていいだろう。
俺は今、隠密で姿を消していない。従って人物鑑定の行使に気付かれる可能性もあるが、その心配はまず無いと踏んでいる。皆の鑑定感知レベルが低いからだ。
これまで見掛けたレベルは6~9で二桁はいなかった。考えてみたら訓練環境が特殊である。何しろ人物鑑定自体を受ける機会が少ないもんね。俺でさえまだレベル6止まりなのだから。
俺の盗視鑑定はレベル30だ。これを突破する者はまずいない。そりゃ才能ある人間が計画的に訓練を積めば高レベルも実現するだろうが、普通に暮らしている人たちには縁の無い世界である。
と言うことで今後も機会があればどんどん盗視鑑定を行使して関連するスキル向上に務めよう。人物鑑定レベル36で祖父母が見えたのだから37以降は更に情報が追加されるはず。
夕食を終え商会本部へ移動する。応接室らしき部屋には若い女性が待っていた。
「この子供がユニス・マズラウィだ」
「はいザキ課長。ブカリ部長から報告を受けています」
「では以降を頼む」
ムニルはそう告げると部屋を後にした。
「初めましてユニス。タルカザン養成所のシーリン・バハと申します。シーリンと呼んでください」
「はい、シーリン」
「今後は私があなたの世話役です。どうぞよろしく」
そう言いながら彼女は手を差し出す。俺も手を伸ばし握手を交わした。人に触れるのは久しぶりだな。訓練のため魔力波長を記憶しておこう。
「えっ!?」
シーリンは驚きの声を発して身構えた。自分の手のひらと俺の顔を交互に見ては困惑の表情を浮かべている。しまった。この人、感知持ちか。
俺の隠密はレベル40だが派生スキルの波長記憶はレベル16止まりだ。つまり彼女の波長記憶感知はレベル17以上の可能性が高い。
「あなた今、私の魔力波長を記憶しましたか?」
「えっ……」
やはりそうか。うーん、どうしよう。
「何のことか分かりません」
「あ……ああ、そうよね。あなたは探知スキルを所持していませんから。私の勘違いでした。気にしないで」
「はい」
ふう、何とか乗り切ったか。まあ俺の鑑定結果は伝わっているからね。そこに無いスキルはあり得ない。人物鑑定が大正義なのだ。
それにしても凄いなこの娘は。見たところ10代半ばなのに感知レベルがそれなりの域に達しているなんて。余程の英才教育を受けたか。
となると他の感知派生にも注意が必要だ。スキルレベルによっては今後の対応も考えなくてはいけない。
よし、盗視鑑定だ。
……なぬっ!?
『祖父:オークメイジ(魔物)
祖母:シャムス・バハ
父親:アルキダ・バハ
祖父:ゴブリンアーチャー(魔物)
祖母:エルミ・タウィル
母親:ミンザイ・バハ』
何だこれは! 身内に魔物だと!?
「はっ!?」
シーリンは声を上げ、目つきが鋭くなる。ま、まさか!
『鑑定感知31』
俺の盗視鑑定レベルを超えてやがる!
「い、今の感じは間違いない。あなた、人物鑑定を私に行使したでしょう」
「えっ?」
「とぼけないで! さっきの波長記憶も勘違いじゃなかった!」
ぐぬぬ。何故こんな若いのに感知レベルが31もあるのだ。いやまあ俺も8歳だけどザラームが作り出した究極の異物だからね。こんな化け物が自然には絶対生まれない。
そうか! このシーリンも普通の人間ではない。本当に魔物の血統を有しているなら非常識なスキル構成も十分可能性がある。いやしかし魔物の血が混じっているなんて一体どういう経緯でそこに至ったのか。
確かに亜人種は性別の特徴があった。この目で確認したからね。あの生殖器は飾りではなくちゃんと機能するのだな。しかも魔物と人間で交わることができるなんて。
アマーニは言っていた。亜人種と人間の交配に関する文献が一切残っていないと。誰でも思い付く組み合わせなのに試した記録が全く無いなんてあまりに不自然だとも。
やはり権力者が秘密裏に実験していたのか。そして現代でも研究は続いている可能性が高い。となるとアインハル玄爵の元で組織的に行われている線が濃厚だな。
まあ考察は後回しだ。今はシーリンへの対応を考えないと。彼女は警戒と疑念が混ざった視線を俺へ向けている。この上ごまかしを重ねれば逆効果を生んでしまうだけか。
やれやれ、仕方がない。
「……っ!? 音漏れ防止結界!」
「その通り。範囲はこの部屋全てだ。まあキミは結界感知があるから分かるよね」
「あ、あなた……もしかして魔人?」
「へっ?」
「じゃないとその能力の説明が出来ない。いえそもそもザキ課長は人物鑑定で確かめたはずなのに何も言ってなかった」
シーリンは表情を強張らせると扉へ向かう素振りを見せる。誰かに報告するつもりだな。そうはさせん!
「きゃっ!」
彼女は見えない壁にぶつかり床にへたり込んだ。
「今のは……障壁!?」
「俺の素性を漏らされると困る。キミはこの部屋から出られない」
「そ、そんな……」
シーリンは絶望の表情を浮かべて視線を床へ落とす。
「えっと、危害は加えないから安心して」
「ち、近づかないで!」
「あのー、俺は子供だよ。それに丸腰だ。何も恐れる要素は無いでしょ」
満面の笑みで優しく語りかけるが、今にも泣きそうな表情で怯えている。うーむ、確かに素性の一部を披露しておきながらこの言い草は信用されないか。では仕方がない。路線変更だ。
「立てシーリン」
「えっ?」
「俺の世話役なのだろう。まずは宿舎まで案内してもらおうか」
「……」
「分かっていると思うが変な気を起こすなよ。俺が本気になれば優れた護衛でも抑えきれない」
威厳に満ちた低い声でそう伝える。これで言う事を聞くだろう。正直こんなやり方は避けたかったが手っ取り早く事態を進めるためだ。
しかしシーリンは再び警戒と疑念の視線を向け、その場を動こうとしない。何故だ。ええい、威圧が足りないか。
ドーン
「きゃあっ!」
「これはヒュドラの頭角だ。他にも俺が倒したAランク魔物の素材を見せてやろうか」
「ひいいいいぃっ!」
彼女は頭を抱えて震えだす。ぐぬう、やり過ぎたか。だからってこんなの加減が分からん。もう面倒だなぁ。
「立てシーリン! 次は頭上に落とすぞ!」
「わ、わわ、分かりました!」
彼女は涙を流しながらゆっくりと立ち上がる。
「呼吸を整えろ」
「は……はい」
魔物素材を次元収納へ片付けて彼女が落ち着くまで待つ。うーむ、成り行きの展開とは言え心が痛む。いや彼女の心労に比べれば大したことは無いか。
「えーっと、ごめんね。かなり驚かせてしまった。でも最初に伝えた通り、危害を加えるつもりはない。どうか信じてくれ」
「……はい」
「では予定通り宿舎へ向かってくれるかな」
「分かりました。私に付いて来てください」
シーリンは消え入るような声で返事をした。




