第291話 上流へ
9月22日、何かが動く気配で目が覚める。
「母さん?」
「えっ……ええ、そうよ」
ソフィーナだ。ああ俺は村へ帰って来れた。
……いや、違う。
「アマーニじゃないか」
「ふふ、おはよう」
彼女は得意気に微笑んで体を起こす。ワリドは俺たちと同じベッドに入りきらないので隣りの部屋で就寝した。
「故郷では母親と一緒に寝てたの?」
「秘密」
「まさか母親で性的欲求を満たしてた?」
「何言ってるの」
「じゃあ相手は若いメイドかしら。それとも同年代?」
「あのねぇ」
「いいじゃない隠さなくても。ユニスがどんなに変態でも構わない。年増でも女児でも準備してあげる」
「ハァ……」
一体、俺を何だと思っているんだ。
「誤解を防ぐために言っておく。俺の好みは20歳前後だ」
「きゃあ! やっぱり私のこと好きなのね」
「耳がおかしくなったか。あんたの魅力は外見であり内面ではない」
「ハッキリ言われると傷つくわ」
「何とも思っていないだろ」
「よく分かったわね」
暗い表情から一転、不敵な笑みを浮かべる。
「あなたは気が強い女が好みでしょ」
「へ?」
「ちゃんと覚えているわ。使徒を超えた存在と聞いて私が大人しくなった時にそう漏らしてたの」
ふむ、強気の女性か。特に好みではないのだが。まあ後ろ向きな性格に比べれば魅力的ではある。何にせよあの時は英雄の性格が混ざっていたかもしれない。
「アマーニの好みは? ああワリドか」
「あなたも好きよ」
「嘘をつけ」
「本当よ。大好き」
「魅力を感じているのは俺の能力だろ」
「いいえ。内面含めてよ。あなたはとっても優しいし気遣いも出来る。頭もいいし判断力も優れている。もし能力が平凡でも年齢が近かったら交際を求めていたでしょう」
「ほんと?」
「だから側にいて欲しい」
うるうるとした瞳で見つめてくる。
「気持ちは嬉しいけど俺は応えられない」
「そうよね。無理言ってごめんなさい」
アマーニは下着を身につけると廊下の洗面台へ向かった。うーむ。どこまで本音か分からない。
朝の支度を済ましサビク川で魚を獲る。昨日集めたキノコ類と合わせて朝食だ。
「残る高ランク魔物はベレチドのカルキノスだね。水上飛行なら2時間も掛からず着くよ」
「昼過ぎには孤児院へ戻れるな」
「半日も余裕があるじゃない。せっかくだからゲルミン川の上流を調査しましょう」
「いやいや真っすぐ帰る」
「ちょっと様子を見に行くだけ」
「そう言いながらどんどん奥へ進むに決まっている。行きたいなら1人でどうぞ」
「いじわる!」
頬を膨らませて眉間にしわを寄せる。本当に出会った頃と比べて表情が豊かになったな。
「ナージャがカルキノスの縄張りへ近づいて精霊石を拾いたいと希望したら1人で行けって応えていたでしょ。あれと同じ」
「よくそんな冗談を覚えているわね」
「ただでさえ予定より1泊多いんだよ。この上、あちこち寄り道したらきっと想定外の自体も発生する。それで時間が遅くなればミデルト基地へ戻る展開だろ。あんたの狙いは知っている。少しでも冒険者生活を楽しみたいだけ」
「うー……」
アマーニは口を尖らせて上目遣いだ。ちょっと可愛い。
「ゲルミン川沿いの高ランク魔物がケルベロスで終わりとは思えないわ。領兵の安全な活動のために少しでも脅威を排除したい」
「下山したらトランサイト3本が領兵に渡る。何が出ても対応できるよ」
「それはユニスの圧倒的な能力が伴っているから」
「とにかく俺の仕事はケルベロスから下流だけ。そう約束したよね」
「じゃあ追加で依頼するわ」
「報酬は?」
「えっと……」
タダ働きはしない。
「なあユニス、お前にとっても貴重なスキル訓練の機会を得られるじゃないか。それに次元収納だってより多くの種類を入れればレベル上げが捗るだろう」
「そりゃまあ」
「報酬は魔物素材の一部でどうだ? ガルダイアを抜けたらまた1人だろ。協力者を得る過程できっと役に立つぞ」
「ミスリルでビビってたワリドに言われたくない」
「うっ……俺は慎重過ぎるだけさ」
まあ協力者に関してはゼイルディク騎士団が待っているから心配ないけどね。
ただ不測の事態が起きれば収納物を利用して打開を試みる展開も考えられる。単純に持っていないより持っている方が選択肢が増えるのは確かだ。
使う場面が無くてもゼイルディクまで持って帰れば何かしらの利用価値はある。向こうにいない魔物なら研究対象として重宝するだろう。
やれやれ仕方がない。ちょっとくらい付き合ってやるか。
「分かった。素材で手を打とう」
「おおっ、助かる! アマーニもいいか」
「もちろんよ!」
ワリドも最初は真っすぐ帰る俺に同調していたのにアマーニの懇願を見て考えが変わったか。
「ただ報酬が素材の一部では曖昧だ。もっと具体的に決めよう」
「じゃあ10%ね。ヒュドラの牙は1,800本だから180本よ」
「肩角3本はどうやって分けるの」
「例えば頭角27本は2.7本、爪16本が1.6本だから、それぞれ3本と2本にする代わりに肩角は無し」
「そんなの割に合わない」
「じゃあ肩角1本出す代わりに頭角と爪は無し。牙も50本に変更」
「はあ?」
よく考えたら何でアマーニが主導権を握っているのだ。そもそも取り分が少な過ぎる。
「止めを刺すのは俺だ。最低50%」
「半分も取られたら困るわ。30%」
「うーん……分かった」
まあこんなところか。魔石と魔物装備は俺の物だからね。
「距離も決めよう。10km進んだら絶対に引き返す」
「そんなの直ぐ終わっちゃう。50km」
「はあ? ここからマクゼン城壁までの距離だよ。そんなに奥まで行ったら日が暮れる」
「水上飛行なら片道1時間でしょ。魔物戦闘含めても往復3時間に収まるわ」
「未開の地では何が起きるか分からない。30km、これ以上は延ばせない」
「……分かったわ」
アマーニは渋々受け入れる。30kmでもここミデルト基地からウェザン要塞までと同じ距離だぞ。昨日倒した魔物と同数かそれ以上と出くわす可能性が高い。またケルベロスやヒュドラが居座ってたら面倒じゃないか。
「時間も決める。正午になったら30kmに到達していなくても昼食を済まして引き返す」
「14時」
「ハァ……じゃあ13時」
「分かったわ」
「一気に奥へは行かないで進みながら討伐する。2人は戦力として期待しているけど絶対に無理はしないで。俺含めて負傷者が出たら時間や距離に関係なく探索は中止だからね」
「それは当然だ」
「回避を最優先ね」
「とにかく安全が第一。可能ならば手早く倒すよ」
「ユニスなら一撃さ」
「全力で援護するわ」
アマーニは機嫌良く朝食を続ける。そりゃ自分の急な提案が通ったのだから満足だよね。この人が貴族家で確固たる地位を築けば必ず周りは振り回されるぞ。
しかし思いもよらない展開となってしまった。カルキノスだけなら気分的にも楽だったが未知の進路は緊張感が増す。まあ決まったからにはしっかり働くか。
食事を終えて調理器具を片付ける。
「あっそうだ。新たに習得したスキルを検証したい」
「遅くなるわ。直ぐ出発しましょう」
「いってらっしゃい、アマーニ」
「……早く終わらせてよ」
まずは重力操作だ。壁に張り付いてスキルを発動する。おおっ、壁面が下になった。よし立って歩いてみよう。うひょー、これは面白い。
「お、おい。何がどうなってやがる」
「本当に不思議……いえ不気味ね」
「俺から見たら2人が変だよ」
「いや明らかにお前だけだ」
試しに軽く跳躍するとちゃんと壁に着地する。では跳躍中にスキルを解除したらどうなるか。
地面に落ちた。まあそうだよね。
「これって壁伝いに屋根近くまで歩いて飛び降りたらどうなるの」
「知らない」
「俺らから見て横方向に飛んでいくんじゃないか」
「試してみる」
壁に寝そべりながら屋根へ足を下ろす。まだ壁が下だ。両手を壁の端っこに掛けるまで下がったが下方向は変わらない。ここで手を離したらワリドの言う様に飛んでいくのか。そんなバカな。
両手を壁から離すと落ちる感覚が一瞬あったが直後に屋根の上に寝そべっていた。つまり重力操作は強制解除されて通常の重力方向へ戻っている。試しに壁から飛び降りたら背中から屋根へ落下した。もちろん空中浮遊で衝撃は回避する。
なるほどよく分かった。壁面に俺の体の一部があるうちは壁が下。壁面から体が全て移動したら僅かな時間だけ有効なのね。
次は室内の天井を試そう。2人と共に食堂へ入る。壁を歩いて天井に張り付き下方向を変えた。よしちゃんと天井が下になっている。そのまま立ち上がり2人の側へ歩く。
「ユニスの体が逆さまで目の前にあるのだが」
「ちょっと怖いわね」
「2人こそ天井からぶら下がってる。変なの」
「おかしいのはあなたよ」
むっ。よーし、ちょっと脅かしてやろう。隠密で姿を消して天井を歩き、アマーニの背後に位置取って声を掛ける。
「やあ」
「えっ? きゃあああっ!」
振り向いたアマーニの目前には逆さまの俺の頭だ。彼女は驚いて尻もちをつく。
「ハァハァ……恐怖だわ」
「その状態でスキルを解除したらどうなるんだ」
「多分、床へ落ちる。やってみるね」
身構えてスキルを解除する。やはり天井から逆さまに落ちた。
これって直接天井に立てないのだろうか。身体強化で跳躍すれば天井に手が付く。その瞬間に重力操作を発動して上下を逆さまにすれば出来るのでは。
手順通り進めると俺は天井に逆立ちをしていた。成功だ。何度か繰り返すと両手を天井に接触せずとも成功した。効果範囲は20cmほどか。
「まるで天井に粘着物があるみたいね」
「本当に不思議な光景だ」
「次は物体通過だよ。まずは扉で試してみる」
食堂の扉は精霊石由来の鉄合金で厚さ3cmだ。中は空洞だがこれを通り抜けるなら表と裏の金属板を同時に通過しなければならない。手を触れて物体通過を意識すると今までにない感覚を掴んだ。よしいける。
スキルを発動すると、次の瞬間、視界には廊下の壁があった。振り返ると食堂の扉だ。へー、扉の中を歩くのでは無く、反対側へ瞬時に移動するのか。再び扉へ触れてスキルを発動。すると一瞬で食堂内へ移動する。
「2人はどう見えた?」
「あなたが背中を向けて扉に触れたら突然消えた。しばらくすると正面を向いて現れたわ」
「アマーニの言う通りだな」
「ふむふむ」
「成功したのか?」
「うん。一度廊下に出て戻って来た」
「そうか……」
「ねぇユニス、これはとんでもない能力よ」
「もちろん。鍵が意味を成さないからね」
試しに扉の前へワリドを立たせると物体通過は発動しなかった。どうやら抜けた後にある程度の空間が必要らしい。
「おい、机は通過するのか」
「試してみる」
食堂の机に寝そべってスキルを発動すると瞬時に机の裏側へ移動して床へ落ちた。
「うおおおっ!」
「凄いわ!」
2人は驚きの声を上げる。
机の材質は自然由来の木だ。つまり通過対象は精霊石由来に限らない。食堂の壁は自然由来の石を積み上げている。厚さは30cm、物体通過を試みると不可能との感覚が戻って来た。これはレベルによる制限だろう。
「重力操作中でも有効なのか」
「試してみる」
一度廊下に出て扉を下にして立つ。そのまま物体通過を発動すると食堂の中へ移動して床へ落ちた。空中浮遊や隠密も全て併用可能だ。
「諜報でも暗殺でもお手の物ね」
「俺を何だと思っている」
「本当に惜しいわ。これだけの能力があるのに行ってしまうなんて」
「さあ検証ばかりではキリがない。そろそろ行くか」
「うん。付き合ってくれてありがとう」
急激な成長で人間離れが進んでいると思ってはいたが、いよいよ極まって来たな。
ただこれらはスキルの成せる技である。他の人間も可能性はゼロでは無い。いやザラームの話では時空スキル所持者が現代にも存在する。これもし敵対勢力へ回ったらかなり手強いじゃないか。
専門スキルを習得するために亜人種の肉を食べるなら、まず魔物のスキル確認に魔物鑑定、そして亜人種の肉を定着する高い錬成スキルが必要だ。亜人種発現地域の掌握含めて組織的な動きが無ければ実現しないだろう。
となると国家ぐるみの壮大な計画の元に産み出されたはず。それがマルズーク帝国などのクレア教影響下だと俺への刺客として育て上げるかも。むしろその可能性が高い。俺が神なら神託を利用して知恵付けをするぞ。
ハァ、やっぱりクレア教をどうにかしないと安息の日々は確保出来そうにない。
暗殺……か。盗視鑑定で時空スキル所持者を見つけて育つ前に抹殺する。いや本人には何の罪も無いのに俺の都合で殺していいのか。時空スキルも平和利用だけに使っているかもしれないぞ。
いやよく考えたら壁を抜けるだけだ。隠密、探知、感知なども高レベルでなければそれほど脅威ではないか。そもそもクレア教の盛んな地域に入ったら複数の強力な魔物に狙われる。積極的に関りに行く必要はないね。
そんな事を思いながら身支度を終える。ミデルト基地とは本当にこれが最後かな。何度も好き勝手に使わせてもらって助かったよ。
サビク川を水上飛行で下りゲルミン川との合流地点へ。ここから南が上流だ。見える範囲では川幅がほとんど変わっていない。源流は何百kmも先だろう。
さてさて何が出てくるやら。




