第272話 アマーニ
8月23日、午前7時半。ワリドは朝食から戻ると机にカゴを置く。中にはパンが3本。それぞれ縦に1本切れ目が入り、ハムや卵が挟まれていた。
「お前の朝食だ」
「どうやって調達したの?」
「持ち帰り専門店で買った。普段は全く利用しないからちょっと探したけどな。そのカゴも買わされたよ」
ゼイルディクでは食品を携行しない文化だと思ったが、少ないだけであるにはあるのね。何にせよ朝食抜きを考えていたからありがたい。
「アマーニには食堂で会えた。2時間後にギルドで落ち合う」
「うまく誘えるといいね」
「……先約が無ければ応じるはずだ」
朝食を終え、武器の調達へ向かう。前回は運よくトランサス合金を手に入れたが、元々ザファル王国では出回っていない鉱物だ。まだ在庫があるかは分からない。
「おう、お客さん。あの剣はどうだった?」
「とても気に入った。またトランサス合金を頼めるか」
「すまねぇ、あれが最後の1本だ」
やはりか。2軒目にもトランサス合金は無かった。
(中央区にも中古武器屋はある。やや遠いが)
(うーん……もうレア度3でいいよ)
あまりトランサスに拘っていると要らぬ勘ぐりを招きかねない。1軒目に戻り、プレシューズ合金、剣身70cmを購入した。
(夕方までに戻るから)
(分かった)
マクゼン城壁を越えて大通りを南へ進む。試しにゲルミン川を水上浮遊すると時速30km以上を出せた。100mなら約12秒だ。水面からの高度も30cmまで上がっている。ワリドランディングを繰り返した成果だね。
10時過ぎにはミスリルの隠し場所まで到着する。調理器具などが入ったリュックを背負い南下を続けた。ワリドの同行は1人ではない嬉しさを感じたが、同時に気を遣う存在でもあった。こういった調査活動は1人がやり易い。
フェズ川が見えてきた。時間は12時前。少し東へ進みキノコ類を炙って昼食をとる。ここから上流5km先がフェズ基地だ。
果たして賊の住処に利用されているのか。或いは他国諜報員の隠れ家か。いや命を狙われる有力者が身を隠しているかも。はたまた領主が秘密裏に運用する実験場かもしれない。まあ行けば分かる。
フェズ川沿いを西へ進むと1時間ほどで城壁が見えてきた。あれがフェズ基地か。見える範囲ではミデルト基地と同規模だね。おや、城壁の近くに人が。大人2人と子供2人か。
「オラオラ、止まったら死ぬぞ」
「……ハァハァ」
男は子供の腹へ蹴りを入れる。
「さあメシだ。俺が入ったら城門を閉める」
「……ぐっ」
子供は何とか立ち上がり男の後ろを歩く。もう1組の大人と子供も続いた。俺も一緒に城壁内へ。
「終わったかい」
「ああ、治してやれ」
待ち構えた40代女性が子供2人へ治癒スキルを施す。建物内へ入ると食堂へ向かった。
「昨日連れ込まれた女、具合はどうだ?」
「あれは上玉だ。最高に良かったぞ」
「ぐへへ。今夜が楽しみだぜ」
男が食事の載ったトレーを受け取りながら料理人と言葉を交わす。
食堂には大人30人、子供10人ほどが座っていた。食事中の子供たちは虚ろな目で無言だ。ひと通り盗視して人物鑑定を記憶する。大人は全員犯歴ありか。
「次の標的は決まったか?」
「ああ、精霊石商会だ」
「いつ?」
「近く憲兵が何人か戦場へ招集される。その穴を狙うなら数日中だろう」
これは強盗の段取りか。さっきの女性絡みの話題も拉致監禁っぽい。もうこのフェズ基地は賊の根城と見ていいな。直ぐに助け出してあげたいが、諸々の処理を考えると憲兵に任せた方がいい。もう少し我慢してくれ。
城壁をよじ登り外へ。憲兵事務所なら行方不明者や逃亡犯の名簿もあるはず。記憶した鑑定情報と照らし合わせて裏を取ろう。
フェズ川沿いを東へ下り町を目指す。道中はなるべく精霊石を拾った。ワリドへ渡さないとね。
16時過ぎ。マクゼン城壁へ辿り着く。憲兵事務所へ向かい情報を探すと、壁面に行方不明者名簿が貼り出されていた。フェズ基地の子供たち全員が一致する。
ワリドの宿へ戻り、部屋をノックするが返事は無い。波長探知にも反応が無いため外出中か。そのうち帰るだろうが探知訓練を兼ねて町中を探そう。
建物沿いを歩いていると反応があった。ここは娼館か。まあ彼も24歳独り身の男性だ。仕方あるまい。
ほどなく満足気な表情のワリドが出てくる。
(楽しめたかい?)
「うぇっ!?」
(シャ、シャキルか)
(ねぇねぇ何してたの?)
(……性欲を満たしていた)
(アマーニを想像して?)
(……服を取りに行くぞ)
(えっ?)
(ついて来い)
高級志向の服飾商会へ入る。どうやら服を仕立てたらしい。なるほど例のレストランへ着て行くのか。アマーニはうまく誘えたみたいだね。
宿へ戻る。
「例の店で19時に予約済みだ。そっちは?」
「思った通りだよ。フェズ基地は賊の根城だった。子供も複数人軟禁されている」
「ならばお前の素性に利用できる。俺は明日にでも西区のギルドへ登録するから、証明書偽造の鑑定士確保に動いてくれ」
「……うん」
とは言え、正直面倒だな。もうワリドには鑑定偽装の所持を告げてもいい気がする。万一、漏れても、俺が偽装を貫けばワリドの戯言にしかならない。彼もその展開が読めるからね。
「ねぇワリド、証明書なんだけど実は必要ないんだ」
「ほう?」
「鑑定偽装を知っているか」
「……知らん」
「人物鑑定情報を任意に改ざんできるスキルだ。俺はそれを取得している」
「はあ? ……ってことはつまり、名前やらスキルやら自分の好きな様にできるのか」
「その通り」
「大抵のことは驚かないと思ったが更に上を行くとは。もしやシャキルという名も」
「いや、俺はシャキルだよ」
ワリドの前ではね。
「まあいい……そうか鑑定偽装があれば商会に引き取られた後も何の心配もないな」
「うん」
「さて、少し早いが出るか」
「改めて聞くけどアマーニは信用できる人物だよね」
「もちろんだ。取引として話を持ち出せば必ずこちらの条件は守ってくれる」
ワリドの性格なら人付き合いも慎重なはず。その上で薦めるなら安心だろう。ただ彼には恋愛感情もある。やはり最後は俺自身の目で確かめるか。
「昨日の提案通り、俺は姿を隠してワリドの隣りに座る。話題は任せるけど出来るだけ彼女の本音を引き出して欲しい」
「人柄を見極めるのか」
「彼女を信頼できると判断したらワリドの肩を叩く。それを合図に窓のカーテンを閉めてくれ。俺は姿を現してアマーニと取引を開始する」
「分かった」
「これは彼女を試す様なやり方だ。気にくわないなら別の方法も考えるけど」
「あれだけ盗み聞きをしてよく言えたものだ。俺が女を抱いていた時も横にいたのか?」
「そんな趣味は無い」
ワリドの本音がちょっと見えた。そりゃ自在に姿を消せる人間が近くにいるなんて快く思っていないよね。逆の立場だったら精神的に参るかも。
「まあ結局は俺も片棒を担ぐ。それでもシャキルの能力を知れば必要な流れだったと理解してくれるさ」
「今更だけど巻き込んですまないね」
「お陰でいい経験が出来た。さあもう行こう」
レストランの2階へ。予約した個室へ入るとアマーニが待っていた。
「時間まで15分あるぞ」
「あなたこそ」
「まあそうか」
「食事は予約時間から運ばれるわ。結界はお店の人が展開済み。効果は3時間よ」
ワリドはアマーニの向かいに座る。
「先に飲み物をいただきましょう」
アマーニは席を立つとワリドのグラスへワインを注ぐ。装いは胸元が大きく開いたイブニングドレスだ。前かがみになると豊満な胸に視線が向く。なるほど。ワリドはこれを見越して予め性欲を処理したのか。
「ワリドの冒険者活動が安全に進むと祈って」
「アマーニの望む未来が近くに来ていると信じて」
2人は軽くグラスを掲げて一口飲む。
「私の未来?」
「貴族家に縁を持ちたいと言っていただろう」
「ああ、そのこと」
「昨日の男、ギーナスだったか。ドラルガ緋爵の家系か?」
「それが今日の話題なの?」
「言いたくなければ構わない」
「……彼はギーナス・アガシヒ。貴族家ではないけど親は大手服飾商会の経営者よ。緋爵家との取引もあるから、時には晩餐会にお呼びが掛かるみたい」
ふーん、平民だけど繋がりがあると。
「ギーナスの伝手で晩餐会への出席を目論んでいるのか」
「まあそうね」
「寝たのか?」
「想像に任せるわ」
「遊ばれるだけだぞ」
「あなたには関係ないでしょ」
「いや関係はある」
「どうして?」
「……今は言えない」
アマーニは小首を傾げる。
「今日は様子が変ね」
「いつも通りだ。とにかくあんな立場を利用した遊び人とは縁を切れ。真面目に冒険者活動を続けていれば必ず副支部長の目に止まる」
「パーティを抜けておきながらよく言うわ」
「それは……すまない」
「支部長の声掛けとは別の可能性を探っているだけ。私はもう23歳よ。あまり時間が無いの」
前菜が運ばれてきた。
「さあ食事を楽しみましょう。ワリドはここの味が気に入ったそうね」
「もう何度と来ている」
「でも1人だと変に思われるわ」
「アマーニが付き合ってくれ」
「それは期待しないで」
「今日来ているじゃないか」
「気分次第よ。あなたは異性として見てないから楽なの。今夜はそんな相手が欲しかっただけ」
「……誉め言葉として受け取ろう」
アマーニはズバズバ言うね。
「この町はいつ出るの?」
「しばらく留まる。西区へ登録して1人でやるさ」
「あらそう。私も行っていい?」
「本気か?」
「冗談よ」
「……南区でのメンバーは見つかりそうか」
「見通しは良くないわ。変な人しか残ってないから。ギーナスの取り次ぎが失敗したらいっそ他の町でやり直すの手ね。ワリドも一緒に行く?」
「冗談だろ?」
「もちろん」
そんな会話を交わしつつ食事は進む。何だかアマーニは掴みどころが無いね。人柄を見極めるまでは時間が掛かりそう。もうワリドの言葉を信じて予定通り彼女に任せるか。
話題が途切れるタイミングを見計らっていたが、よく考えると食事を中断して長話はやり辛い。結局はデザートを食べ終えるまで待ってしまった。
ワリドの肩を軽く叩く。
「アマーニ、失礼する」
「何?」
彼は立ち上がると窓のカーテンを閉めた。
「外から見えなくしてキスでも迫るつもり?」
「はっ?」
「思い出を作りたいなら協力するわよ」
「……お前、酔っているのか」
「本気よ。試してみる?」
アマーニは立ち上がりワリドへ密着する。おいおい、何やってんだよ。
「本当にいいのか」
「ふふ、最初で最後よ」
両者の唇が近づく。
「そこまで!」
「えっ!? ……子供?」
「2人共、席へ戻って」
「いつの間に入ったの。ここは別の部屋だから家族の元へ戻りなさい」
「アマーニ、俺はあなたに用事がある」
「私に? ごめんなさい。覚えが無いわ」
隠密で姿を消す。
「消えた!?」
背後に回り尻に抱きつく。
「きゃあ!」
「お姉さん、いい身体してるね」
「なっ、何なのこの子! ワリドも見てないで止めさせて!」
「シャキル! 離れろ!」
「……はーい」
しまった。あまりにエロい尻だったからつい。
「ワリドの知り合い?」
「まあな。実は食事中もずっと俺の横に座っていた」
「……全く見えなかったわ」
「こいつは高レベルの隠密スキルを有している」
「体験すれば直ぐ分かるよ。アマーニの手を握ってもいいかな」
「……ちょっと怖いわ」
「害はない。心配するな」
「ワリドがそう言うなら」
アマーニと手を繋ぎ空中浮遊、そして隠密行使。同時に魔力波長の記憶だ。
「……嘘、信じられない」
「俺の名はシャキル。今から破格の取引を話すからよく聞いて。応じれば必ず貴族家と結婚できるよ」
「はあ?」
「彼の言っていることは本当だ」
「どういうことなのワリド。説明して」
「俺から伝えても構わないが。どうするシャキル」
「あー……じゃあお願い」
ワリド目線で話した方がアマーニも聞きやすいか。
「話は長いの?」
「要点を絞って手短に話す」
「実は少し眠いのよ。なるべく簡潔にね」
そう言えば俺は夕食を食べていない。
「ワリドが話すなら俺は食事をしたい」
「おおそうか。追加で注文しよう」
店員を呼びつけると既にオーダーストップの時間を過ぎていた。
「対応は可能ですが5倍の料金です」
「問題ない。直ぐ頼む」
「無駄な出費だわ。話は明日でも良かったのに」
「気にするな。と言うのもアマーニ、俺の話を聞けば数十万タミルなぞ何とも思わなくなる」
「えっ!? ちょっと眠気が飛んだわ」
アマーニは身を乗り出して聞く姿勢に変わる。分かり易いな。
話はアマーニ班がミスリルを拾った日から始まる。ワリドは短くまとめようと努力するが、どうしても非常識な流れが多い。ある程度の根拠も交えた結果、終わる頃には2時間近くが過ぎていた。
「……以上。何か質問はあるか」
「今はいいわ。情報量が多すぎて整理できない」
「にわかには信じ難いが全て真実だ。これを見ろ」
ワリドは魔物装備をアマーニの前へ差し出す。
「デスマンティスの指輪、マンティコアの腕輪だ」
「……図鑑で見たけど確かこんな形ね」
「シャキルの戦闘力を示す根拠となるだろう」
「あの隠密スキルなら窃盗も容易よ。倒した証としては不十分ね」
「ならば隠し場所からオークスピアでも運ぶか。アマーニ自らギルドへ持ち込めばいい」
「その必要は無いわ。私はワリドを信じるから」
ほっ良かった。結果的にワリドから話して正解だったね。
「確かに突飛な話だけど他に説明が出来ないもの。特にオーク関連の流れはね」
「巻き込んですまない」
「謝らないで。むしろよく私へ伝えてくれたわ」
「ではシャキルの取引に応じるか」
「もちろん」
おおー、よし。
「具体的な話は明日にしましょう。2人共、午前8時に私の部屋へ来て」
「いいかシャキル」
「うん」
アマーニを部屋まで送り届けて宿へ帰る。ベッドに入り照明を消すと直ぐにワリドの寝息が聞こえた。やはり彼女くらい野心があれば話を進めやすい。取引を持ち掛けて正解だった。




