第246話 西棟
寝床の洞窟から東南東へ約9km、湖の近くに城壁で囲まれた人工物を発見した。出入り口の様子から無人と判断できたため内部調査を試みる。
7mもの高さがある城壁だが、壁面は垂直ではなく僅かに傾斜していた。恐らく断面が台形なのだ。ふふ、西区での訓練がこんなところで役に立つとはね。
城壁を難なく登り切りると、目に飛び込んできたのは石造りの屋根だ。城壁の南北面中央には出入り口があり、それを結ぶ通路を挟んで東西に建物が分かれていた。外壁はその1面だけで他の3面は城壁と一体構造である。
恐らくそれぞれ2階建てだ。3階部である屋上には内部へ通じる出入り口が突き出ている。金属製の扉に手をかけるが動かない。中から鍵が掛かっているな。
通路に降り立つ。足元は石畳だが所々隙間から草が生えている。やはり人気は無い。建物には扉の他に雨戸を閉めた窓が幾つか確認されたが、全て鍵が掛かっていた。
身体強化して押したり引いたりしたがビクともしない。そりゃ開かないよね。周辺にこじ開ける道具も見当たらない。うーむ、無理か。
扉横には金属製の板に『テマラ基地 東棟』と文字が刻まれている。よく見ると小さい文字で『ザファル王国暦12年9月1日完成』とあった。
むっ、9月1日? ジュナイドの魔物記録は12年9月3日だった。なるほど、このテマラ基地を足掛かりに奥地の調査を始めたばかりだったのか。彼はその最初の調査隊だったが、運悪く命を落としてしまう。
じゃあ尚のこと急いで捜索隊を出すべきだ。こんな立派な拠点があるのだから編成も容易だろう。それでも探さなかった理由は何だ?
うーむ、分からん。
さて、正午過ぎだ。あまり探索に時間をかけては日が暮れるまでに戻れない。今日はここまでにしよう。
昼食はブーツリュックで携行した木苺とキノコだ。建物の壁を背にして座り込みキノコを炙る。人工物の感触は久々だな。止むを得ず自然の中で生活しているが、やはり人間が作った環境が落ち着く。
食べ終えて出入り口に向かうが、扉には長い棒状の閂が固定され開くことはできない。あれ? これって内側から閉めているよな。つまり最終的に誰かしら残ったはず。
息を殺して扉や窓を窺う。やはり人の気配は無いな。うーむ。最後の1人はどうやって外に出たのだろう。まあいいや。城壁を登って外へ出るか。
城壁周辺を見渡すと地面に草の生えていない一角を見つける。金属製の板だ。叩くと少し音が響く。中は空洞か。地面をよく見ると土に埋もれた石畳が城壁に向かって続いていた。あー、これは排水処理だな。
コルホル村西区でも似たような設備を目にした。城壁内の排水は下水でまとめられて城壁外へ溜め込む。水分が昇華したら排水士が熱風乾燥させて最終処分場へ運搬するのだ。
恐らく地下内部は人が歩けるほどの高さが確保されている。保守点検も必要だからね。そうか、最後の1人は城壁内を施錠後にここから出たのか。
金属製の板の端には蝶番が取り付けられている。反対側には指を入れる窪みがあるので、開く構造と見て間違いない。下水路を経由して建物内部に入れそうだが、便器から頭を出すのも嫌だなぁ。
鍵は南京錠が1個所だ。これも今すぐどうこう出来ないので次回訪れた際に考えよう。
来た道を引き返す。途中、小さな滝へ差し掛かった時に違和感を覚えた。水中に何かあるぞ。どうやら人工物で間違いない。俺は意を決して冷たい水に手を突っ込み引き上げた。
革製のベルトだ。小さな収納袋が取り付けられている。むっ、袋に重みを感じるぞ。何か入っている。これは……鍵だ。『テマラ基地 西棟』と刻まれているぞ。やったぜ!
と言うことは、ベルトの主は調査隊員か。あー、ジュナイドの捜索に向かう途中だったのかもしれない。つまりテマラ基地総出で森に入り全滅してしまった。だから無人なのか。
そうだとしても拠点を長期間放置する理由が分からない。ウェザン要塞は何をやっているのだ。完成したばかりの最前線なんて一番気に掛けるべきだろう。まあそんな謎も鍵の入手で前進するか。きっと建物内には手掛かりがあるはず。
洞窟へ帰還。ちょうど日没だ。
土の精霊石からは小さなバケツ一杯の砂を出せるまで成長した。容量にして2Lくらいか。でもこれって魔力の続く限り何度も出せるから、量が必要な場面においては解決している気もする。
問題は石に生成か。恐らく一度出してしまうと出来ないのだろう。砂を出すと同時に任意の形に固める。これってかなり難易度が高いじゃないか。
西区の城壁を修理していた製石士たちを思い出す。去年、少し見た程度だからはっきりとは覚えていないが、精霊石から砂を出している様子は無かったな。確かいきなり地面に大きな石が現れていた。うん、そんな感じだ。
もしかして根本的にやり方を間違っているのか。この砂は魔素由来だ。スキルの力によって魔素が実体化する。実体化……ああ、撃性具現も同じ様な仕組みか。つまり魔素状態で空気中に出し、密度を高めて一気に形を作り出す。
土の精霊石から魔素だけを抽出すると念じてみよう。
……。
あっ、光った! きっと成功だ!
よ、よーし、これをレンガの形、直方体に生成して固めるぞ。
……。
手応えあり! 同時に光が消えた。
付近を探ると小さな石が手に当たる。えっ、これ? それは板ガムを3枚重ねた程度の大きさだった。鑑定によると俺が出した石で間違いない。うーむ、これを積み重ねて寝床を作るなんて途方もない作業だな。
ともあれ、一応はブロックの生成に成功した。後は大きさだ。
土ばかりの訓練では飽きるので水に切り替える。こちらも一度に1Lくらい出せるほどに成長した。数日前はコップ1杯、恐らく200mlくらいだったので大きな進歩だ。
これも魔力が続く限り何度も出せるので、単純に多く必要なら解決はしている。しかし俺が目指しているのは風呂だ。もちろん汚れや痒さは気にならなくなったし消臭結界で臭いも防げる。入浴を特に急ぐ必要はない。
そもそも小さな石しか出せないので浴槽は作れない。同時進行で訓練して、下山する時に実現出来たらいいな程度に考えていた。ところが拠点の発見だ。テマラ基地、あそこにはきっと風呂がある。
現在出せる水温は17度。冷たくはないが湯にはほど遠い。
これも石と同様に魔素状態で抽出してから温度を上げて実体化するのか。
温度変化……ああ、そうだ。シーラが放っていた氷の槍。あれも元は水だが、水を出してから槍の形に凍らせたのではなく、魔素から直接氷の槍なのだ。つまり凍結と実体化、そして形成を同時に行っている。なんと高度なことか。今思うとシーラって本当に天才なんだね。
同じ8歳の俺にだって出来るはず。
まずは魔素状態で抽出だ。
……。
おっ、光ったぞ! 何だかコツを掴んだ気がする。よーし、では温度を上げてから実体化だ。水温の上昇には熱が必要、つまり水分子を活発に運動させればいい。そうか、魔素に運動エネルギーを加えながら実体化、それがお湯なのでは。
……。
光の質が僅かに変化した。
どうだ!
おっ、出した水が温かいぞ! 30度くらいか。一応は成功だな。
しかし水量がコップ1杯まで減ってしまった。まあ何度も出せば解決するが、あまり時間をかけると外気温に触れて冷めてしまう。湯船がぬるくなっても追い炊きは出来ず足し湯だけだ。ある程度の湯量は一度に出したいところ。
水温と水量、この両方を同時に訓練するか。
さて次は風の精霊石だな。テマラ基地にタオルがあればいいのだが、無かった場合は温風乾燥に頼るしかない。しかし風の温度を上げるってどうすりゃいいんだ。
ドライヤーは吸い込んだ空気を熱源に当てて吹き出している。じゃあ水温変化みたいに抽出した魔素に運動エネルギーを加えて出せばいいのか。
……。
よし光った。もう魔素抽出は完全に身についたぞ。さあ温風となって出るか。
おっ、僅かに温かさを感じる。20度くらいか。まあ成功だな。しかし風量が大幅に下がってしまった。これも水と同じ様に温度と出力を同時に訓練しよう。
それにしても不思議だ。風って、つまりは空気の移動であり、気圧の高い所から低い所へ動く。じゃあ風の精霊石って気圧を変化させているのか?
まあいいや。ここは異世界だし。何かしら特有の原理があるのだろう。
◇
7月11日。テマラ基地へ赴く。昨日拾った鍵を試すと難なく開錠された。うーむ、今更ながら無断侵入はちょっと気が引ける。でも情報収集のためだ。
建物内は暗く静まり返っている。薄気味悪いな。そう思うと背筋がゾクッとした。おいおい、幽霊なんて出て来るなよ。火の精霊石が照明代わりだから不気味さが増すんだよな。
天井を照らすと照明の魔導具が目に入る。もしやと思って魔力を送ると室内が明るくなった。何だ、魔石も抜かず放置していたのか。ともあれ、これで探索が捗るぞ。
最初の部屋はテーブルの周りに椅子がいくつかあり、会議室の様な雰囲気だ。おや、壁に何か貼ってあるぞ。これは予定表か。
『9月1日
正式運用開始。
テマラ湖、北岸調査。
9月2日
テマラ湖、南岸調査。
サビク調査隊から4名到着。
9月3日
テマラ湖、水上調査。
サビク調査隊、テマラ川上流調査。
9月4日
精霊石第1便を輸送。
サビク調査隊を捜索。
9月5日
ゲルミン川流域が魔物により壊滅。
テマラ調査隊は復旧活動へ合流。
9月10日
被害甚大につきウェザン要塞配下は全員撤収。
テマラ基地は放棄する。
無念』
これは……。
ゲルミン川とは北へ下る大きな河川だ。いくつもの支流が注ぎ込み、沿岸には大き目の拠点が点在した。ウェザン要塞からは30km近くまで道路が整備されている。あの流域が壊滅なんて、一体どれほどの魔物が雪崩れ込んできたのか。
しかしこれで謎が解けた。ウェザン要塞配下、つまりこの地図全域に渡って拠点の再建を諦めたのだ。テマラ基地は完成して数日で放棄か。最後の無念の文字が悔しさを物語っている。
そして9月4日にはサビク調査隊を捜索とあるな。やっぱり探しに行ってたんだ。しかし遺体を回収する間もなく下流の復旧活動へ。そして撤収か。何ともな展開だな。
魔物襲撃からどれほど年月が経っているのだろう。下流域から少しずつ復旧をしているのかな。いやウェザン要塞の先、街中まで被害が広がっていたら、復興までかなりの期間を要するぞ。
確かめるためには近くまで行くしかないな。テマラ基地から最も近い拠点はミデルト基地だ。川沿いに12kmか。朝一で出れば何とか日が暮れるまでに辿り着く。
しかし人が戻っていたとして、俺の接し方がまだ定まっていない。もし相手が敵対するなら逃げればいいが、日が暮れた森の移動は避けたいところだ。クエレブレだって遠すぎる。
建物内の探索を続けよう。
会議室の左手に進むと扉が5つ並んでいた。1つはトイレだったが他の4つは施錠されており手持ちの鍵では開かない。2階は扉が9つ。1つはトイレだ。他は間隔から推測すると個室だろう。一通り鍵を試すと1つが解除された。中に入る。
3畳ほどの広さにベッドと机と椅子、そして収納家具。どうやら個人部屋で間違いない。ありがたいことに布団や毛布が残っているぞ。情報収集のために引き出しも物色するか。もうまるっきり空き巣だな。
むっ、布を発見。肌着や下着か。女性モノだな。それぞれポーラと刺繍されている。持ち主の名前か。恐らく彼女は魔物に襲われてテマラ川に沈んでいる。俺はどうしていいか分からず、下着に手を合わせて目を閉じた。
外へ出て昼食をとる。
しかし拠点なら風呂や厨房くらいありそうなものだが。あー、東棟か。さっき入った西棟は会議室と個人部屋の建物なのね。まあ仕方がない。運良く東棟の鍵が見つかることを祈ろう。




