第245話 拠点(地図画像あり)
7月9日、晴天だ。朝食のため川原へ向かう。昨日のことがあったため慎重に周囲を窺いながら歩いた。同じ人間に対する警戒感がこれほどストレスになるとは。
寝床周辺や岩場において、特に砂の地面を注意深く観察する。結果、俺のブーツと魔物の足跡しか見つからなかった。流石に足跡1つ残さず潜伏なんて不可能だろう。
待てよ。よく考えたら魔物記録の日付は9月3日だった。この国の9月がカイゼル王国と同じ時期ならば10カ月前の記録である。そりゃ見て分かる程度の足跡なんて残っていないか。
地形探知はあくまで地形を把握するスキルだ。何と言うか大雑把なんだよね。最初の寝床の地表には見落とした小さな穴や隙間が複数あり、そこから水が大量に浸入してしまった。
もちろん大きな穴や窪みは草に覆われていても分かる。ただ地面の小さな凹凸、それこそ足跡なんかは細かく分からない。レベルを上げれば向上するのかな。
洞窟から北へ1km付近を探索中、開けた草原の一角に違和感を覚える。何かあるぞ。
褐色のそれは地面の様にも見えるが草は生えていない。地表に露出した岩に苔が密集しているのか。それにしては均一過ぎて不自然だ。なにより地形探知は平らな地面を示している。
生き物の皮膚か。魔物の反応は半径60mに無いため魔獣だな。イタチ類が突っ伏している、或いはシカなどの死骸が横たわっているのか。ただここまで小型のヘビやトカゲ、リスやネズミを少し見掛ける程度で、他に哺乳類はいなかった。
10mまで近づくと表面の質感まで分かる。
布。
それが頭に思い浮かぶと、咄嗟に地面に伏せて隠密と結界を行使する。
あれは服だ。間違いない。つまりあそこに人間がいる。恐らく俺の接近に気づいて伏せたのだ。
どうする……。
むっ、魔物が接近している。後方60mからテラーコヨーテ3体だ。うち1体はこちらへ向かっている。ええい、今は謎の人間と対峙してそれどころではないのに。ひとまず様子を見てかなり接近したら離脱するか。
コヨーテは俺に4mまで近づいたが敵意は感じられない。このままやり過ごせそうだ。あっ、伏せた人間に向かっている。おい、魔物の接近だ! しかし相手は動く気配がない。気づいてないのか。
えっ、魔物に踏まれたぞ。
ほどなくコヨーテ3体は魔物探知の範囲外へ出る。
どうしよう。行ってみるか。いつでも身を転がせる体勢で少しずつ近づく。
「あっ……」
上下長袖の服にブーツ。その隙間から白い棒が覗いている。人骨だ。そう思うとギョッとして体中の筋肉が強張る。鼓動が高鳴り、大きな動揺が心を支配した。
落ち着け。
「ふー……」
深呼吸を繰り返し息を整える。あー、ビックリした。人骨を目の当たりにするなんて父親の遺骨以来だな。付近には頭蓋骨も見つかり、俺は自然と手を合わせて目を閉じた。
服は大きく引き裂かれている。間違いなく魔物の仕業だな。レッドベアの爪か。服の下には小さなリュックがあるな。すまないが情報収集のために見せてもらうよ。
中にはインクや羽根ペン、そして筒状の物体。これは羊皮紙の保管具だな。捻じると蓋が開いて丸めた羊皮紙が何枚か確認できた。取り出して広げる。
こっ、これは! 地図じゃないか!
あの魔物記録ではテマラ湖の西端から南南西へ5kmがクエレブレの縄張りだった。この地図にもテマラ湖が記されているが同じ湖と見ていいだろう。これで人里までの道筋が把握できるぞ。
見たところ北東のウェザン要塞がこの辺りを管轄する中核施設だろう。コルホル村周辺で言えばブレイエム監視所か。そこから川沿いに延びる道には拠点らしき印も見える。恐らくフェスク駐留所の様な大型施設だ。
なるほど。ゼイルディクならずとも森の開拓と維持管理は似たような運用に落ち着くのね。ここから一番近い拠点はテマラ基地だな。距離は10kmほど。魔物の出現頻度にもよるが半日あれば辿り着ける。
そう考えると妙だな。この人物は白骨化するほど死後多くの日数が経過している。予定通り戻って来なければ直ぐ捜索に出るはずだ。初夏の今でも草で覆われておらず発見は難しくない。あまりに放置し過ぎではないか。
地図の裏には文字が書かれている。
『ウェザン要塞 サビク調査隊
魔物探知担当ジュナイド・アリフ』
あの魔物記録と同じ名だ。同一人物と見ていい。きっと遺体も彼だろう。しかし何故、魔物記録だけが川に流れたのか。
そうか、分かったぞ。恐らく魔物によって絶望的な状況に追い込まれ、死を覚悟した彼は記録を川に投げ捨てた。命懸けで集めた情報を下流の仲間に伝えるために。まあ分からんけどね。
ともあれ、この地図は大変助かる。悪いが拝借して下山の道しるべにさせてもらおう。
川原で夕食を済まして寝床へ戻る。ジュナイドの持ち物には照明もあった。魔石を挿入して魔力を送ると明かりが点く。魔導具か。久々の文明の恩恵に自分は人間であると再認識した。
地図を眺める。人里までの道筋が分かったはいいが、拠点に近づくほど人に出くわす可能性が高まる。その時、俺の存在をどう説明するべきか。
相手の立場で考えよう。森の奥から推定8歳の子供が1人で現れる。上半身裸でぼさぼさの頭髪、痛んだズボン、魔物装備の手袋とブーツ、背中には自作と思われる収納器具だ。
明らかに昨日今日迷い込んだ風貌ではない。それなりの期間をこの森で過ごしただろう。もちろん子供1人では不可能だ。他に行動を共にする人間、それも高い戦闘能力を伴った大人がいるはず。
うん、こう考えるよな。じゃあ架空の同伴者をでっち上げて、その人間の影響で仕方なくこの環境に身を置いている。つまり無理やり連れて来られた。
えーっと……闇の奴隷商人なんてどうか。極秘裏に運ぶため森の奥を通ったが、高ランクの魔物に襲われて移送隊は壊滅。俺は運良く生き延びたと。
待てよ。奴隷制度がこの国にあるのか分からないぞ。まあ非合法な完全な闇の商売とでもするか。いやよく考えたら俺がそんなことを知っている必要はないな。恐い大人に突然拉致された。うん、その程度でいい。
移送隊の場所を聞かれても逃げるのに必死で全く覚えていない。手袋とブーツは道中拾った。おお、いいね。通じる気がして来たぞ。
ただやはり問題は俺の素性だ。名前や出身地なんかをどう説明するか。記憶喪失を装っても人物鑑定は避けられない。拒否する理由も思いつかない。
あー、詰んだ。こうなったら誰にも気づかれずに人里まで下りるか。隠密を駆使して慎重に行動すれば多分いけるはず。ただうまく街中に辿り着いても、そこからどうすりゃいいんだ。
まず食べ物の確保だ。最悪、盗むしかないが、流石にずっと続けられない。そもそも失敗すれば色々と面倒になる。寝床も困るぞ。安心して眠れる場所なんて、そう都合よく見つかるか。
うーむ。人との繋がりを持たず街中で暮らすのは不可能に近いな。
では協力者を作るか。俺の保護者となる利点を示し、こちらへの詮索は一切しない。表向きの関係は、知り合いの子供を預かった、或いは隠し子がいたとでもするか。おお、いいね。何とかなりそうだ。問題は何を利点とするか。
俺の価値って何だろう。まあトランサイト生産能力か。じゃあ取り入る相手は武器商会だな。しかし他国でトランサイトを流通してもいいのだろうか。あー、もしクレスリンの手が伸びていたら直ぐに俺の存在に気づくぞ。
そもそもトランサイト生産を披露すれば、俺の身動きが取れなくなる。うん、絶対に離さないよな。ならば頃合いを見て抜け出すか。そうなると追走するよな。なんだ結局は第二のクレスリンを生み出すだけか。
じゃあ地球の知識を使ってストーンペーパーみたいな発明を提案する。相手は大きな利益を手にして、俺も十分な対価を貰う。頃合いを見てさようなら。あー、いいね。
いや待てよ。製法が漏れたら相手に不利益だ。結局は俺を離してくれないか。それどころかトランサイト生産と違って俺に依存しない。つまり口封じに抹殺だってあり得るぞ。ああ、いかん。これは絶対にダメな方法だ。
ぐぬう。他国で1人生きるってこんなに難易度が高いとは。何も詮索せず受け入れてくれる孤児院でもあれば助かるんだけどなー。或いは国を跨いで活動する吟遊詩人や行商人に何故だか拾われる。フッ、そんな都合のいい展開は無いか。
まあそのうち何か思い付くだろう。
結界を重ね掛けして眠りにつく。
◇
7月10日。朝から濃い霧が辺りを包んでいた。しかし探知スキルがあるため何の妨げにもならない。川原で焼き魚を頬張る。
今日は東へ向かいテマラ湖の存在を確認しておくか。ここからは4kmだ。普通に歩けば1時間、魔物に多く遭遇しても昼までには到着するだろう。
テマラ川沿いに東へ下る。日が昇るにつれて霧も晴れてきた。勾配は次第に大きくなり、急な斜面も何か所か通過する。テマラ川の流れも速くなり、小さな滝も幾つか経由した。
2時間半ほど進んだところで大きな湖が目の前に広がる。ジュナイドの記録通りだ。と言うことは、この先4kmにテマラ基地があるはず。
うーむ、どうしよう。ここまで人の気配は感じなかったが拠点付近ともなれば必ず人がいる。まあ先に発見されなければ隠密でやり過ごせる。もし見つかっても全力疾走で逃げればいい。とにかく近くまで行って情報収集だ。
今までかなり慎重だった俺にしては迂闊な選択だろう。しかしいつまでも怯えていては何も進まない。やはり地図が手に入ったことで、幾らか前のめりになってしまったか。まあしつこく追って来るならクエレブレの兄貴に始末してもらえばいい。
それにどうしても引っ掛かることがある。ジュナイドの遺体があまりに長期間放置されていたことだ。10ヶ月も捜索しないなんて絶対におかしい。いやあの白骨化の様子だと2年3年経っているかもしれない。
テマラ基地で何かあったのか。捜索にも出れないほど大きな出来事が拠点で起こった。そして直ぐに解決も出来なかった。まず思い浮かぶのは魔物の襲撃だ。拠点は壊滅し再建もままならない。これが最も可能性が高いな。
この憶測も直に見れば分かる。俺が向かう動機はそこにあった。
テマラ湖畔を進むこと約2時間。明らかな人工物が見えてきた。あれは城壁で間違いない。周りに人の動きは感じられないが、より慎重に近づこう。
城壁まで20m。見たところ損壊は確認されない。では反対側か。しかし裏側に回っても城壁は崩れていなかった。あれ? 無傷だぞ。魔物被害は無かったのか。
裏側には興味深い設備もあった。桟橋だ。なるほど地図で見る限り道路が繋がっていなかったので、川沿いに歩いて行き来していると思ったが、河運があったか。
さあ、どうする。入り口は南北に2個所。どちらも観音開きの金属製の扉だ。城壁の高さは7m、長さは南北15m、東西30m、覗き窓などの穴は見当たらない。
ここまで何の反応も無いため不気味ではある。中から様子を窺っているかもしれない。しかし俺には確信があった。この施設は無人だ。
南北2個所の金属扉。その前に背の高い草が生えている。城壁周辺も同様に草で覆われているが、それらと何ら違いは無かった。つまり人の踏みつけた形跡が全く無い。そもそも出入り口なのだから優先して除草するだろう。
かなりの長期間、人の出入りが止まっている。そう考えて間違いない。しかし何故。
中に入れば手掛かりを掴めるか。城壁は何とか登れそうだ。




