第240話 ドリル
川原の焚火地点に戻ると魚は炭になっていた。ぐぬぬ。もう一度だ。
ほどよい枝を見つけて漁を再開する。直ぐに20cmの獲物を仕留めた。焚火を準備する。先ほど利用した火の精霊石で着火し白い煙が上がった。
この煙は目立つな。きっとファイアワイバーンを引き付けた要因の1つだろう。とは言え生魚は食べる気がしない。何とか焼け上がるまで気づかないでくれ。
いや待てよ。この焚火が目立つ要素なら別の方法で火元を確保すればいいのでは。よく考えたら火の精霊石があるじゃないか。火属性を上げれば火力や持続時間も増えるはず。
いずれ山を下る時も焼き魚は主たる食事だ。ただ森の中での焚火は延焼の危険性もあるし、毎回枯れた枝葉を探すのも面倒である。うん、火属性も訓練内容に組み込もう。土属性と定着ばかりでは飽きるから丁度いい。
さて、魚が焼けるまで先ほどの浮遊を試すか。身体強化して念じると地表から20cmほど体が浮き止まった。凄いな。まるで身長が20cm伸びた感覚だ。
でも浮くだけか? 移動を念じたが動かない。足を踏み出すと落ちた。あらら。本当にその場に浮くだけなのか。こりゃ使い道が限られるな。まあ着地制御の効かない高所落下でも安全に下りられる点は大きい。
さあ、魚はいい感じに焼けた。焚火は消したが煙はまだ上がっている。ここで食べては魔物に見つかりそうだな。場所を変えよう。
少し離れたラズベリーの茂みに腰を落とし焼き魚をむさぼる。うまい。何の味付けもないが魚肉であるとこが何よりの調味料だ。ああ、俺はここで生きていける。そう確信した。
しかし火属性も訓練となれば精霊石の確保が必要だな。周りは自然の山中なので探せばほどなく見つかるが毎回そうとも限らない。土属性含めて、ある程度は寝床に溜め置きたいところ。
その為には物を入れる袋が欲しい。服装は長袖長ズボンで小さなポケットがお尻に1つあるだけ。直径5cmの精霊石は1つ2つしか入らない。
服をお腹の前で広げて載せればそこそこ運べるが、全力疾走時にはそんな体勢は取れない。服は他に肌着と下着と靴下だ。保温結界があるため肌着無しでも寒くは無い。肌着を袋にするか。
半袖の肌着を脱いで裾を結んだ。うん、いいね。精霊石なら30個くらい入る。ただ無理に詰め込むと破れるかもしれない。常に余裕を持たせよう。この環境において布は非常に貴重だ。
そう考えると牙や爪などの先端の尖った魔物素材は入れられない。素材は手で持って運ぼう。
肌着を脱いで分かったが、若干臭い。そりゃ全力疾走を何度も繰り返せば汗もかく。排泄後の尻も処理していないから下着も臭うぞ。こりゃ1回洗うべきだな。
全裸で川辺に近づき服を洗う。今、魔物に見つかるととても困る。
むっ、上流からテラーコヨーテの反応が。まだ見つかっていない。息を殺して茂みに身を隠す。痛い。背中にラズベリーの棘が当たった。脚も何か所か引っ掻いたぞ。ハァ、やれやれ。
コヨーテは俺に気づかず下流方面へ姿を消した。
洗った服は茂みにかけて乾かす。日が昇って気温も上がって来た。乾くまで茂みでじっとしていよう。
それにしてもクエレブレとワイバーンは何処へ行った? 縄張りの中心には姿が見えない。そんな遠くまで追い払いに飛んでいったのか。或いは風上側で戦闘中かな。いずれにしろクエレブレが負けるはずはない。そのうち帰って来る。
服が乾いた。ひとまず寝床へ戻るか。
いくつか拾った精霊石を肌着の袋に入れて寝床へ向かう。その途中、クエレブレが縄張りの中心に戻って来た。ワイバーンはいなかったので仕留めたか、追い払ったか。
寝床に下りる時には肌着袋の袖口同士を結んで腕に通した。これは沢山入れると結べないな。まあ集めた精霊石は地表に置いてもいいか。穴の中では訓練に必要な数があればいい。
さーて、腹が減るまで土抽出と定着訓練だ。
◇
飽きた。火属性の訓練に切り替えよう。
精霊石に魔力を送りひたすら点火を繰り返す。
◇
飽きた。いや苦痛だ。もはや精神修行に等しい。こんなの続けていたら無我の境地に辿り着くぞ。ふっ、山籠もりして仙人にでもなるつもりか。
いや俺は俗人だ。ましてや性欲に溺れていた変態だ。女で遊びたい。うまい飯が食べたい。極上のベッドで寝たい。くっそう、俺はトランサイト生産職人だぞ。何でこんな山奥で1人辛い思いをするのだ。
止めだ! 俺は寝る。
……。
ハァ、嘆いても仕方がない。やるか。
……。
しかし何か気分転換が必要だ。そう言えば対岸の魔物素材を確認していないな。数がいたから魔物装備があるかもしれない。
穴の入り口に立つ。亀裂の底まで10m。着地制御をしても骨折の危険性がある高さだ。浮遊を試してみるか。
トンッ
浮遊!
おっ、落下速度が徐々に遅くなる。
そして地面から20cmで止まった。
足を踏み出して着地する。なるほど急ブレーキではなくゆっくり制御か。これは恐らく、常に浮遊を試みているが地面から高過ぎるため十分な効果が発揮されないのだ。つまり今は高さ20cmなら完全浮遊できる。
訓練すれば高度を上げられるはずだ。
対岸を上る。もし滑っても浮遊があるから安心だね。
地表に到達。100m先の素材が散らかった地点へ向かう。
何かあるぞ。ブーツだ!
『エビルバッファローのブーツ』
ほほう野牛か。確か時速90kmで突進するDランクの大型だよな。早速装備だ。
スポン スポン
今まで履いていた靴は寝床に持って行くか。
よし、走るぞ。
ダッ!
速い。間違いなく走力増加だ。体感10%増しか。特に加速の向上はありがたい。もちろん滑り辛いから立ち回りも良くなる。これはいいものだ。
この速度で助走すれば亀裂の間も楽々跳べるはず。もし落ちても浮遊があるから心配ない。
よし行くぜ! 全力疾走!
そして踏み切り!
タンッ
ズザッ
亀裂を余裕で越えたぞ。7m以上は跳んでいたな。地球の女子世界記録に並んだかもしれない。このブーツは跳躍力上昇の効果もありそうだ。
これで対岸にクエレブレがいても魔物を引っ張っていける。あー、いや、地上の魔物は無理だから追走から逃げるだけか。その後にクエレブレを誘導すればいい。
寝床に戻り訓練を繰り返す。昼食は木苺と焼き魚だ。午後は下流域の森まで足を伸ばした。
モミの木の根元を注意深く見渡す。ほどなく橙色のキノコを発見。傘を軽く折ると赤い乳液が滲み出る。形状からもほぼ間違いなくアカモミタケだ。しかしうーむ。地球の知識では食用だがこの世界でも同じだろうか。
これは食える。
えっ?
生でもいけるが軽く火に炙るといい。
あー、そうだった。
……。
今の感覚は何だ。もしや英雄の記憶か。じゃあ料理人? おー、探索王レクス。きっと彼だ。確か探知レベル38で精霊石やらを大量に発見して財産を築いた。森の中で過ごす時間が長ければ、食料の現地調達もお手の物だったはず。
はは、俺は一人じゃない。頼もしい英雄たちの記憶も一緒だ。
アカモミタケは脆いので肌着袋に入れて運ぶと乳液で生地が赤く染まってしまう。面倒だが手に持って運ぼう。
川原に小さい焚火を準備して着火し、枝で挟んだキノコを火で炙る。あまり歯ごたえは無いが旨味は十分感じた。美味しいじゃないか。夕食は焼き魚と一緒に食べよう。
調子に乗って森の中でキノコ探しを続ける。もちろんクエレブレの縄張り外なので魔物は多い。隠密と探知を駆使して見つからない様に細心の注意を払う。
やや奥でブナの木を見つける。その根元にはキノコがびっしり生えていた。ブナシメジか。店売りの様な密集した株ではなく傘が大きく茎もしっかりしている。特有の大理石模様は薄く全体的にクリーム色だった。
何個か収穫して川原へ引き返す。焚火で炙り食すると、コリコリとした食感と共に濃厚な旨味が口に広がった。美味しい。めちゃくちゃ美味しい。香りマツタケ味シメジとはよく言ったものだ。
それにしてもキノコの旬は秋だぞ。ここでは初夏でも生えているのね。高地だからか、或いは異世界だからか。いずれにしろ食材の充実はありがたい。もちろん怪しいキノコもいくつかあったが、英雄の記憶が正確に食用を見分けてくれた。
夕方。焼き魚と天然シメジで腹を満たして寝床へ向かう。道中、トイレ付近で魔物と遭遇しクエレブレに処理してもらった。ブーツのお陰で立ち回りが段違いに良い。精霊石が入った肌着袋を持っていたが問題なく動けた。
トイレ近くで魔石を3個拾い、精霊石と合わせて寝床直上の地表にまとめる。魔物素材も手で運べる大きさは同じ場所へ集積した。訓練に必要なだけ肌着袋に入れて寝床へ下りる。
砂抽出と定着、点火を交互に繰り返すが、やはり飽きる。水や風も何か役に立つかもしれない。合間に挟んで気分転換にするか。それでも飽きたら空中浮遊を織り交ぜよう。
浮遊の高さは最大20cmだ。時間は10秒ほど。落ちる前に再度浮遊を試みたが無効だった。どうやら効果時間が切れると一度地面に着かなくてはならない。
姿勢に制限は無かった。寝床の天井は2mほどなので立ってもいいが、胡坐をかいても、寝そべっても浮くことは出来た。
試しに火の精霊石を持ったまま浮いて火を点けるが落ちない。ほほう、どうやら身体能力強化とは別の魔力を使っているらしい。この際、精霊石訓練は全て浮きながらやってみるか。
眠気が襲って来たので結界5種を重ね掛けする。例によって23時過ぎと午前3時前に寒さで目を覚ました。本当に寒い。改めて保温結界のありがたさが身に染みる。
横になっている地面はむき出しの岩ではなくある程度の砂の層がある。試しに直接岩に寝そべると底冷えを保温結界で防ぎきれなかった。恐らく氷なども直接手に触れれば冷たい。この辺りの断熱性能もレベル上げで向上するだろうか。
日が昇り、空腹を満たすために木苺地帯へ赴く。
日付は6月27日か。こんな生活をしていればカレンダーなど意味を成さないが、神の魔物の日程があるため把握は必須だ。前回は6月25日だった。次回も10日後と考えれば7月5日以降が要警戒である。
あと9日。一通り訓練したが、とてもそんな短期間で戦闘能力を準備できるとは思えない。やはり逃げる隠れるを繰り返し、魔物が神の制御下を脱するまで凌ぐしか無いだろう。そう考えるとより広域の地形把握も必要だな。今日はまだ行っていない縄張り外を探索するか。
木苺と焼き魚を食べ終えて茂みで休憩する。川を眺めていると対岸の木々の向こうが明るかった。下流方面の木々の奥は暗い。即ち森が広がっている。ならば対岸も同様に森が続くはずだ。
あの不自然な明るさは地形が関係しているのか。途中から急斜面とも考えられる。もし崖の様な地形なら洞窟などの隠れる場所があるかもしれない。
対岸を探索するには川を渡る必要がある。上流方面も川幅は変わらず20mだ。見える範囲で深いところは1mほど。歩けないことは無いが中央は流れが速いため足を取られる危険性もある。
いや中央は水深2mだ。無理だ。歩けない。
ありゃ? 何故分かった。
……。
地形探知か! おお、川底の地形が手に取るように分かるぞ。なるほど結構大きい岩があちこちに沈んでいる。これを伝えば渡れないこともないぞ。
ただ濡れた服に保温結界が働くだろうか。冷たい水の中だって同じことが懸念される。うーん、ちょっと厳しいな。無理をしてまで川を渡る必要はないか。そもそも途中で魔物に見つかったら逃げ切れない。
あっ、浮遊ってどうなんだ。川原の浅い水面に向かい、浮遊を念じながら右足を出す。えっ何かを踏んでいる。そのままゆっくりと左足を上げて体重を載せると、見事に水面から10cmほどの高さへ浮いていた。
パシャン
10秒後に着水する。
これは凄い。地面だけではなく水面にも有効なのか。しかし移動が出来なければ川は渡れない。対岸の探索は諦めよう。
となるとトイレの北側か。やはり探索するにもクエレブレの風下側から攻めていくべきだ。他の魔物を引き連れていない状態でクエレブレに見つかっては非常に危険である。
トイレ北側の岩場を歩き回る。途中、何回か魔物に見つかったがクエレブレに処理してもらう。地形的には平坦な岩場が続くだけで大きな洞窟などは見つからなかった。
夕方。縄張りから北へ200mほど離れた地点まで足を伸ばす。遠くに森の様な木々の密集が見られるので明日はあそこまで行ってみるか。その森の木が不自然に大きく揺れだした。よく見ると巨大な魔物がこちらへ向かっている。ドリルエレファントだ。
エレファントと言えばクエレブレが重傷を負った魔物である。面倒な相手だが今回も頼んだぜ。いつものように魔物をクエレブレに引き渡し大きな岩に身を潜める。
激しい衝撃音が辺りに響く。また捨て身でドリルを突き刺したか。
えっ? ドリルが折れている。角を失いよろめいたエレファントにクエレブレは尻尾を叩き付けた。エレファントは横倒しになりその左前脚にクエレブレが噛みつく。何とも形容しがたい血肉を引き裂く音と共に脚は食い千切られた。
続いて左後ろ脚を食い千切りエレファントの腹を踏みつける。何度か繰り返すと腹の中にクエレブレの右前脚が入った。そのままエレファントもろとも脚を蹴り上げる。
ズウウゥン
信じられないことにエレファントの巨体が宙に舞った。推定重量30トン超えの肉の塊を片脚で蹴飛ばすなんて。クエレブレの筋力は計り知れない。
ガアアアッ
クエレブレはエレファントの頭付近に噛みつき骨を砕く音が響く。更に尻尾を打ち付け踏みつけた。もう明らかに勝負は決しているが兄貴の気が済むまでやらせてあげよう。
体中が真っ赤に染まったクエレブレはいつもの地点へ降り立つ。胸から肩までえぐった様な傷跡が見えた。恐らくドリルだ。なるほど貫きはしなかったが皮膚の一部が裂かれていたのね。
日が完全に暮れてから慎重に寝床に辿り着く。
魔物には個体差がある。先ほどのドリルエレファントは先日の個体よりやや大きく見えた。つまり魔力や耐久力も上だ。もちろん自慢のドリルはとんでもない破壊力だろう。しかしクエレブレはそのドリルをへし折った。
フリッツの話では倒した魔物が昇華する時、近くの魔物に血肉を形成していた魔素が吸収される。その魔物は吸収前に比べて強さが増すらしい。
もしかしてクエレブレは強くなった? 確かにこの2日で多くの魔物を倒しており、そこには質も伴っている。Bランクのデスマンティス、恐らくファイアワイバーンも仕留めただろう。
普段はこんなペースで討伐しない。何しろ縄張りに魔物は近づかないから。しかし俺が引き連れてくるため排除せざるを得ない。うーむ。クエレブレの強化は頼もしいが、神に操られた時はかなりの脅威だな。
いやAランクなんだから元々脅威だ。どの道、クエレブレに頼らなければこの環境で生きてはいけない。
ならばいっそ最強を目指して鍛錬してもらうか。うん、そうだよ。よく考えたら探索中にAランクとの遭遇だって可能性はある。相手がAランクでも負けない強い兄貴。頼もしい限りだぜ。




