第237話 孤独
クレスリン公爵宮殿から北西400kmと思われる山中。全く人気のない山岳地帯へAランク魔物クエレブレよって運ばれてきた。いや俺が勝手に背中につかまっていただけか。とにかく来てしまったからには仕方がない。この場所で生き抜く方法を考えないと。
まず大きな存在はクエレブレだ。彼の、いやオスかメスか分からんな。そもそも繁殖しない魔物に性別なんてあるのか。ともあれ俺を襲って来たレッドベアを、その圧倒的な力でぺちゃんこにした姿は頼りになる兄貴だった。
まあクエレブレにしてみれば、縄張りに侵入した魔物を倒しただけで、俺を助ける意図なぞ全く無い。むしろ午前中は殺意全開で襲ってきたからな。もちろん神の制御下では無くなった今でさえ、見つかれば問答無用で殺しに来る。
先ほどはたまたま最初に身を隠した岩を利用したが、振り返ってみるとこの距離感は絶妙だった。俺はレッドベアを引っ張り、岩の近くで一旦停止して直角に方向を変える。それを見たレッドベアが方向転換のため速度を落とした時にクエレブレに発見されたのだ。
つまりもっとクエレブレに近ければ俺が隠れる前に気づかれて挟み撃ちになり、遠ければクエレブレが気づかず俺はレッドベアに岩場へ追い込まれていた。あの時クエレブレは背中を向けていたが、視認ではない方法で魔物の接近に気づいたらしい。
岩からそっと頭を出してクエレブレを観察する。距離100m。また背中を向けて地面に突っ伏している。魔物は寝ないから休憩しているのか。おっ、首を上げて辺りを見回している。俺は頭をひっこめた。
恐らく何かしら違和感を覚えている。得体の知れない視線も感じているだろう。この岩はクエレブレから風下だ。魔物は人間の臭いに敏感らしいから風向きに注意するべきだな。思い返せば木苺地点からレッドベア出現地点は風下だった。
とは言え風向きも一定ではない。クエレブレに対して風上になれば見つかる可能性がある。気配消去は臭いにも有効なのか知らないが常時発動しておこう。このスキルは7秒が有効時間だったが結局は重ね掛けでずっと有効になる。もちろん魔力を使うけど。
さて、時間は16時。日が暮れる前に眠る場所の確保だ。クエレブレは危険だがヤツの縄張り内なら他の魔物は寄って来ない。魔物は寝ないなら夜間も有効だろう。従って寝床はクエレブレが睨みを効かせる範囲が最低条件だ。
この岩陰も悪くはないが、完全に身を隠せない上に、風向きによってはクエレブレに見つかってしまう。洞窟でもあれば助かるが周辺にそれらしき地形は見当たらない。まあ穴がこちらを向いているとは限らないか。
地形探知スキルを試そう。目を閉じて集中だ。
……。
おや、有効範囲が半径40mに広がっている。なるほど、木箱内での終日行使がレベル上げに繋がったらしい。探知内には洞窟らしき地形は感じ取れない。場所を変えてみるか。隠密を行使して風向きに注意しながら慎重に移動する。
岩から100m辺りに到着。地面に伏せて目を閉じ探知スキルを行使する。うーむ、無いな。じゃあ移動だ。
風向きは概ね南西寄りのため、クエレブレを中心に北西から南東にかけての半径が風下となる。その南東側を踏破したが良さそうな地形は見当たらなかった。今度は北西側だ。
ひとまずクエレブレから300mまでは探索したが、あまり離れすぎて縄張りから出てはいけない。そもそも縄張りの範囲はどのくらいか。そう言えば木苺のレッドベアに直ぐ反応しなかった。あそこはヤツから500m離れている。となると半径400mから500mか。
クエレブレから北西400m地点で縦穴を発見した。いや亀裂か。地面が大きく裂けている。幅は5m、長さは分かる範囲で100m以上、底は深いところで20mだ。これは断層か。表面の風化や浸食具合を見るにつけ新しくは無い。
むっ、断面に隙間があるぞ。幅1m、高さ2m、奥行3mほどか。恐らく雨水によって土砂が流れ出た地形だ。よく見ると地表に直径20cmほどの穴が開いている。あそこから水が入ったらしい。隙間まで地表から5m。ほぼ垂直の壁面を俺は慎重に下る。
隙間に到着。入り口からは対岸上の空が僅かに見えるが、奥に入れば視界は壁面だけとなる。つまり対岸から俺の姿は見えない。ここからクエレブレは南東に350m、縄張りと考えていいだろう。
さあ寝床が決まったなら日が暮れる前に腹ごしらえだ。木苺地点は東に700m。やや距離があるため速足で向かう。
その道中、魔物に発見される。ドリルエレファントだ。体長12m、体高6mの超大型Cランクが、北側の岩石地帯から真っすぐこちらへ突進している。向こうが風下のため臭いを嗅ぎつけたのか。どうやら隠密に臭い漏れ防止の効果は無いな。
南側へ全力疾走する。ほどなくクエレブレは俺とエレファントに気づいた。いかん、これでは挟み撃ちになる。
ガアアッ!
ファオオッ!
魔物同士が威嚇の咆哮を上げた。どうやら俺の存在よりお互いに注意が向いている。試しに速度を落として方向転換したが両者ともこちらへ向きを変えなかった。俺は全力で岩場に走り身を潜める。
硬い物がぶつかる衝撃音が響く。恐る恐る岩から頭を出して様子を窺うとエレファントの額に生えた巨大な角がクエレブレの肩に突き刺さっていた。ぐりぐりと回転しながら血肉をまき散らしている。クエレブレの左前脚はだらんと力が抜けていた。
クエレブレが今まで聞いた中で最も高い咆哮を上げる。次の瞬間、鈍い音と共にエレファントの角が根元から折れた。
クエレブレは翼を大きく広げると一度はためかせてエレファントの背中に飛び乗る。そのまま両後ろ脚をエレファントの腹に回して右前脚を股の間に突っ込むと、暴風が吹き荒れ、土埃が舞い上がった。
クエレブレはエレファントを抱えたまま真上に飛んでいた。あの巨体をそれ以上の巨体が運んでいる。全くもって信じられない飛行能力だ。クエレブレは上空1000m近くまで上がるとエレファントを支える脚を緩めた。
十数秒後、とてつもない轟音と共に地面が大きく揺れる。地上に激突したエレファントは横倒しになり僅かに脚が動いていた。
そこへクエレブレが急降下して両後ろ脚で腹を突き破る。すぐさま左前脚に噛みつき引き千切ると長い尻尾を打ち付ける。エレファントの巨体は少し宙に浮き、破れた腹を上にして止まった。
その破れた腹にクエレブレは頭を突っ込むと内臓を食い千切る。バリバリと骨ごと砕いているようだ。あの、クエレブレさん。もうエレファントは死んでますよ。
白い鱗が真っ赤に染まったクエレブレは、翼を広げて縄張りの中心へ降り立つ。左肩にはエレファントの角が刺さったままだ。
ガアアァ……。
クエレブレは力無い声を上げてうずくまる。するとピキピキと音を立てながら角が肩から動き出した。どうやら血肉の再生と共に異物を体外へ押し出している。
角が抜けた。あのクエレブレの硬い鱗を貫くとはトランサイト並みの刺突能力である。それを避けずに正面から受けたクエレブレ。恐らくエレファントの動きを止める狙いだ。肉を切らせて骨を断つか。
ともあれ怪獣大戦争のお陰で、俺の存在を完全に見失ったようだ。クエレブレは再生に集中して動く気配もない。今のうちに木苺を食べに行こう。
木苺を腹いっぱい食べてひと息つく。寝床へ向かう前に排泄も済ませるか。排泄物は臭いで魔物が寄って来るため、寝床や木苺より遠い場所がいい。中間地点をトイレとしよう。
ドリルエレファントの出現地点付近で用を足す。あー、スッキリ。
ガオオオッ
魔物だ。テラーコヨーテが2頭こちらへ向かって来る。慌ててズボンを上げてクエレブレへ向かう。くっ、コヨーテは足が速い。あまり引き離せないと方向転換の減速時に追い付かれるじゃないか。
ガアアアッ
クエレブレが魔物に気づいて立ち上がる。俺も完全に見つかった。ええい、ならばギリギリまで接近だ。突進するクエレブレ20m手前で減速し、方向転換して全力疾走する。恐らくコヨーテも減速して俺を追走するはず。
バアアアァァン
何かが弾ける音が響き、振り返ると背を向けたクエレブレが見える。その尾には鮮血が広範囲にこびりついていた。尾の下にはバラバラになったコヨーテらしき肉片と骨が散乱している。
俺は全力で岩陰に走り込み隠密スキル行使に集中した。
グルルル……。
クエレブレはゆっくりと縄張りの中心へ向かう。俺は見失ったらしい。クエレブレは傷の再生で動きたくなかったはずだが、きっちり仕事をしてくれた。兄貴、助かったぜ。
念のため長めに岩陰で身を隠し、日が完全に暮れた頃、慎重に寝床へ向かう。今、改めて分かったが、地形探知スキルは暗闇でも有効だ。つまり夜でも動けるじゃないか。これってかなり有用なスキルだな。
無事、寝床の穴へ辿り着く。
ふー……。
あー、疲れた。体力的にも精神的にもへとへとだ。とにかく今は休みたい。
……。
ブルッ、寒さで目が覚めた。時刻は23時頃か。気温は5度、すぐさま保温結界を施す。効果は3時間12分、これでは夜中2時過ぎにまた寒気で起きてしまう。結界はどんどん使ってレベル上げを優先するべきだな。
虫よけ、日焼け止め、風圧減少、音漏れ防止。
あれ? 音漏れ防止がある。やった覚えたぞ! 思い返せばフィルが毎晩使っていた。あの感覚が甦ったのか。
フィル……。昨日はキミの美しい胸に頭をうずめて眠っていた。とても温かく柔らかい胸。ああ、俺の選択は正しかったのか。こんな山奥で1人、岩の隙間で眠ることが果たして進むべき道だったのか。
何だか泣けてきた。
寂しい。心細い。辛いよぉ。誰かいないのか。
人物探知を行使してフィルとセーラを探る。
……。
いるワケないよな。はは……。
むっ、この反応は……テラーコヨーテ。1、2、3頭か。対岸の地表にいるぞ。しかし俺の存在には気づいてない。あれ? 魔物感知は発見されないと有効ではないはずだが。もしかして魔物探知か。どうやら探知の派生スキルである魔物探知を覚えたらしい。
おお、これはかなり助かる。何しろ見つかる前に存在を確認できるからな。範囲は……半径30mほどらしい。北西部防衛部隊のアルビンによると探知スキルの範囲は球状だ。
フッ……こんな環境で次々とスキル解放なんてね。いや、この環境だからこそか。やはり人間、追い込まれると真価を発揮する。ハァ、ならいっそスキル解放と成長を頑張るか。うん、そうしよう。時間はたっぷりある。
いや、そんなにのんびりできないぞ。10日を過ぎれば神の魔物が襲って来る。しかも350m先にAランク魔物クエレブレだ。ヤツが真っ先に仕向けられる上、守ってくれる騎士もいなければ、戦う武器すらない。
一体どうすりゃいいんだ。こんな山奥で1人生き抜くだけではなく、強大な魔物との戦いに備えるなんて。ハードだ。スーパーハードだ。フッ、流石は異世界転生だぜ。
あっ、おしっこしたい。
魔物探知でテラーコヨーテの位置を確認する。どうも対岸から離れたらしい。俺は隙間の入り口に立って用を足した。月明かりで亀裂の壁面がぼんやり見える。頭を壁面に出して空を見上げた。
そこには満天の星空が広がっている。天の川らしき光も見えるが地球のそれに比べて細い。この惑星の存在する恒星系は銀河の中心から離れているらしい。
隙間の奥に戻ると何かを足で蹴飛ばす。手に取ると精霊石だった。魔力を送ると火が点く。はは、明かりだ。安心するなぁ。ライターほどの火は十数秒で消えるが直ぐまた点ける。
横になり精霊石の火を見つめる。しかし不思議だ。何故火が点くのか。もしかして精霊石から可燃性のガスが出ているのか。いやいや、そうやって地球の知識に当てはめるのはよくないクセだ。これは魔法なのだから。
点火をぼんやり繰り返しながら再び眠りにつく。




