第226話 首謀者
馬車が停まった。目的地に到着か。或いは別の馬車に乗り換えて更に走るか。とは言え時刻は18時過ぎだ。日が暮れた人気のない道は防犯上良くないだろう。いやよく考えたら不審者が同乗していた。
木箱の蓋が開く。猿ぐつわを付けられたが目隠しは無い。男は俺を抱きかかえて荷台を降りた。外はやや暑い。夕方でこの気温なら南下の予想は当たったらしい。
今回使われた馬車の荷台は箱型だ。荷物は木箱ばかりだが漏れ出る匂いから中身が野菜類だと分かった。その鮮度管理のためか、荷台内は風の精霊石による空調で温度上昇が防がれていた。
もし温度管理不要の荷物だったら木箱内が高温となり熱中症で死んでいたかもしれない。いや流石にそんな凡ミスはしないか。きっとそれを見越して野菜運搬に偽装したのだ。
俺を抱えた男と一味の女が荷台を降りると、残った男が後部の扉を閉めて馬車は走り去った。今、馬車番号が見えたぞ。役に立つかもしれないから覚えておこう。
降りた場所は石畳の道だ。幅は馬車1台が通れるほど。その両側は3階ほどの高さの木造建築物だ。窓がほとんど無いため倉庫だろう。その壁沿いの扉が開き、出てきた人物が軽く手招きをする。この建物が目的地らしい。
倉庫内の一室に入ると猿ぐつわが外された。窓は無く広さは6畳ほど。小さな机に椅子が2脚とベッド2つ。俺はその片方に寝かされた。雰囲気から仮眠室っぽいな。
おや? 音漏れ防止結界が無い。
「おおぉーい! 誰か助けてええっ!」
「大声を出しても無駄だ」
「えっ」
「この部屋は壁や扉に吸音材を使っている」
何だって……確かにアブソーブ合素だ。
「捕えた女と遊ぶ時にいちいち結界が面倒なんでな。まあガキには分からんか」
このベッドには色々と染み込んでいると。嫌なことを聞いた。
「ここが最終目的地か」
「……」
「まさか船に乗るのか」
「ほう、何故そう思う」
「勘だ」
「まあ直ぐに分かる」
今の感じは当たってるっぽいぞ。
扉が開き男女3人が入室する。えっ、見覚えのある顔が。
「イグナシオ!」
「名前を覚えているとは光栄だな。リオン・ノルデン」
こいつはウィルム侯爵の家令だ。
「キミたちご苦労」
イグナシオがそう告げると実行犯の男女は部屋を出る。イグナシオは閉まる扉を見届けると、椅子に座り脚を組んで机に片肘を突いた。俺を見下ろしながら微笑んでいる。
「感情を出さない印象だったがそんな顔もするのか」
「私とて人間だ。内なる喜びが表面に出て当然だろう」
これが本性だな。
「まずは手荒な扱いを詫びよう。リオン君の価値を考えれば優雅な馬車の旅が相応しかったが、提案しても拒否されるため、この様な手段に頼らざるを得なかった。申し訳ない」
「そう思うならこの拘束を解け」
「それは出来ない。旅はまだ終わっていないのでな」
「流石にもうウィルムの宮殿に着いているだろ」
「ウィルムなぞ……もう戻らない」
「えっ」
どういうこと?
「あんたはウィルム侯爵の家令だろ。侯爵に指示されて俺を拉致したなら他に何処へ行くんだ」
「閣下の指示ではない。私の独断だ」
「はっ?」
「目的地はクレスリン。キミはその手土産だよ」
「何だって!」
クレスリンだと。
「ウィルム侯爵を裏切ったのか」
「まあそうなる。もちろん捕まれば死罪だ。一族諸共な。だがここまで来れば心配はない」
「あっ、バレルマ湖の旅行は偽装だったか」
「ほう良く知っているな。察しの通り、私の家族はとっくにクレスリンへ入っている」
と言うことは、かなり前から計画していたのか。
「ここは何処だ」
「レリスタット侯爵領クリンゲン南部、シュトロム川沿いの港付近だ。明日早朝に船で対岸へ渡る。日が暮れるまでにはアルメール南部に着くだろう。再び窮屈な旅を強いるが容赦願いたい」
「ふざけんな! ゼイルディクへ戻せ!」
「声を荒げても疲れるだけだ。頭のいいキミなら抵抗は無駄だと気づいているはず。諦めろ」
くっそう……。
「おい、食事を運んで来い」
「はっ」
イグナシオの指示に一味が部屋を出ると、ほどなく食事の載ったトレイと共に戻る。ベッドの俺は起こされ両手が自由になった。
「キミは昼食が遅かったため空腹具合が分からん。食べれるだけ食べてくれ。両手が使えるからと言って変な気は起こすなよ」
俺の両隣りには一味の男女が座り、食べる様子を観察している。全く味が分からなかったが腹は膨れた。
「トイレは行きたいか」
「行きたい」
「おい、連れていけ」
猿ぐつわを用意されたが拒否する。
「もう大声は出さない」
「ふむ、まあいいだろう」
食後に口を塞がれると吐いてしまいそうだ。
男に抱えられて部屋を出る。トイレは部屋の隣りだった。大きい方を出すため扉を閉めてと伝えたが却下された。仕方なく見張られながら用を足す。何だか人間の尊厳を傷つけられた気がする。
部屋に戻ると再び両手を縛られベッドに寝かされた。
「風呂はクレスリンまで我慢しろ。この部屋には夜通しで見張りがつく。安心して眠るといい」
監禁しておきながら何が安心だ。
「では明日会おう」
「待て。話がしたい」
「……まだ眠るには早いか。いいだろう。しかしキミは本当に不思議な子供だな。とても8歳には思えん」
イグナシオは聞いていないことまでべらべらと話した。どうせならもっと聞き出してやる。
「あんたはウィルム侯爵の家令という申し分ない身分だった。仕事をきっちりこなす高い能力も持ち合わせている。将来における不安など一切無い様に見えたが、何故こんな賭けに出たのか」
「はは、なるほど。確かに不思議に感じるな。まあ教えてやろう」
彼は椅子に座り脚を組んだ。
「ウィルム侯爵はサンデベール地域の領主に等しいお方だ。そんな貴族家の家令長まで上り詰めた私には、何処へ行っても逆らう者などいなかった」
「村へ来た時も偉そうだったな」
「あの場は伯爵家令ディマスと男爵家のミランダか。その程度の身分では私の指示に従う他ない」
こいつ家令長だったのか。
「侯爵家令をも束ねる立場ならそれこそ安泰だろ」
「その通り。数多く仕える使用人の頂点、それが私だった」
「何も不満はないじゃないか」
「その上、当主たるウィルム侯爵閣下も素晴らしいお方だ。しかし長男サルバドールが酷い。キミも城で面会したから知っているだろう」
「ダンメルス伯爵?」
「うむ。あの男は物事を分かっていない。広大なサンデベール統治と盤面ゲームは全く違う。閣下が亡くなればヴァンシュラン家は滅びの道を辿るだろう」
あの欲望むき出しのギラギラした男か。確かにプルメルエントと俺を取り合いになっても総人口で勝つだとか、非現実的な根拠を披露していたな。
「あの男の下で働いても正しく評価はされない。それどころか失敗の責任を押し付ける。今はまだ閣下が何とか抑えているが、全権力を握ったら何をやるか分からない」
「そんなに酷いのか。でも一家が滅びるって流石に」
「サルバドールの長男フェリクスも言いなりだ。その長男エルナンドも輪をかけて酷くなった。キミは会食したから分かるはず」
「あー」
確かにダメな方向に出来上がっていた。あんなのが大人になって権力を握ったらと思うとゾッとする。
「いつまでもヴァンシュラン家が公爵になれない理由はサルバドールだ。国王はあの男を極度に警戒している。いずれは不祥事をでっち上げて陥れるだろう。もうヴァンシュラン家の未来は閉ざされているのだ」
「そこまでなのか」
流石は家令長のイグナシオ。かなりのところまで知っているな。真実かは分からんが。
「私は悲惨な末路を回避するため新たな環境へと動いただけ。その決断にキミの存在は十分過ぎるほどの後押しとなった」
「俺を巻き込まず勝手にやれ」
「いやキミも無関係ではない。サルバドールはアルカトラの組織を使った拉致を企てていた。キミが再びカルカリアへ出た際に狙うとな」
「ええっ!?」
「私はキミを救ったのだ。感謝して欲しいくらいだぞ。ウィルムに監禁され潰されるか、クレスリンで優雅に過ごすか。答えは明確だろう」
この理屈は馬鹿げている。
「俺の人生を勝手に決めるな!」
「あんな村の警備なぞ一発で突破される。伯爵程度の保安部隊が組織の本気に対抗など出来ない。現に今、キミはここにいるではないか!」
「うっ……」
「クレスリンには今回の実行犯級の手練れが数多く存在する。人買い組織を聞いたことがあるか」
「あっ!」
「貴族の間で恐れられる人身売買の巨大組織だ。本部はクレスリンに所在し公爵の配下でもある。その者たちを敵に回すか、自身の護衛とするか。頭のいいキミなら分かるだろう」
ミランダがビビってた組織だ。クレスリン公爵のお抱えだったとは。
「クレア教は! 現場は神殿だ、何か関係しているだろ!」
「もちろん連携している。クレスリンに大神殿があるのだぞ。トレドで馬車を乗り換えただろう、あの建物は神殿だ。ラムセラール神殿の祭壇も、尤もらしい理由をつけて何日か前に精霊石由来に変更している」
「やっぱり……」
「さあ、おしゃべりはここまでだ。明日は早い。ゆっくり休め」
イグナシオは去った。
お陰で情報は多く手に入ったが……人買い組織にクレア教、そしてクレスリン公爵か。あまりに相手が巨大だ。ミランダたちやゼイルディク伯爵、いやウィルム侯爵が協力したとしても、俺を助け出せるのだろうか。
自力で頑張るにも手が思いつかない。はぁ、どうしよう。




