第225話 拉致(地図画像あり)
クレア教ラムセラール神殿にて清めの儀式の最中、俺は何者かによって誘拐された。いや略取か。それにしても奴らは俺が祭壇に座るタイミングをどうやって知ったのか。神殿裏からの横穴も予め用意されていたはず。
クレア教に協力者がいるのか。まさかクラウフェルト子爵? いやいや神殿で俺が行方不明になれば真っ先に関与を疑われる。それにオウウェン司祭の事件があったばかりだ。これ以上クレア教に傷はつけられまい。
いずれにしろ神殿で事が起きたのだ。関係者は何かしら接触があったはず。保安部隊からの聴取も彼らを中心に行われるだろう。
「お前たちはクレア教信者か」
「……」
「何故、俺の予定を知っていた」
「……」
「どうせ逃げられないんだ。教えてくれよ」
「……」
ちっ、ダメか。
さてどうしよう。このまま雇い主に渡される時を待つのも嫌だ。そうだ、スキルを使って何かできないか。
とは言え戦闘系スキルはダメだな。武器は無いし身動きも取れない。そもそも身体強化すれば両脚の怪我が戻ってしまう。ああだから真っ先に怪我を負わせて直ぐに治したのか。万一、足枷が外れても逃げられない様に。
使えそうなのは探知、感知、隠密あたりか。
感知は結界感知が機能した。あと3時間43分で音漏れ防止結界は切れる。もし重ね掛けを忘れたら大声で誰か気づくかも。馬車の走行中にどれだけ意味があるか分からんが一応覚えておこう。
隠密はどうか。気配消去で逃げ出したと思うかな。でも相手の視界外じゃないと効果が無い。目隠しで分からないけど多分ずっと見張っている。そもそも足枷の鎖を引っ張られたら体が動いて気配消去は解除される。
では探知か。地形探知を試してみよう。
……。
おおっ、荷台下に流れていく道が分かる! 範囲は半径10mくらいか。あれ? 確か森で走ってたら半径5mだったぞ。今は馬車に乗って動いているのに。ああそうか、俺自身は動いていない。と言うことは……おっ、目を閉じたら半径20mに広がった。
ただ大雑把な印象だけで細かい地形までは分からない。そこは流石に移動中だからか。それでも何も情報が無いよりはいい。どうも道幅は片側2車線程度で沿道は畑っぽいな。
……。
むっ、沿道が急に開けた。これは……水? そうか川だ! 直ぐに渡り切らないから川幅は大きい。
目的地がウィルム侯爵宮殿と仮定すれば南下だ。神殿からの経過時間は40分ほど。平均時速20kmとして13kmほどの移動距離か。いや誘拐犯が逃走しているのだからもっと速度を出す。それでも20km圏内だろう。
橋を渡り切った。馬車の速度と掛かった時間から川幅は170mほどか。
ゼイルディクの地図を思い出す。
神殿付近の大きな河川は3つ。レナン川、サンテ川、ドニア川だ。ただレナン川は王国城壁外を流れている。誘拐犯がわざわざ検問を通りはしないか。ドニア川方面はエナンデル2番線の規制で交通量が多いはず。つまり速度を出せない。
となるとサンテ川に架かる橋だろう。ミュルデウス市街地へ続くいずれかを渡ったと見ていい。そこから南下してダンメルス伯爵領を目指すならもう一度サンテ川を渡るはずだ。
サンデベール北西地域の地形を思い出す。
ダンメルスの面積はゼイルディクより少し小さい程度。このどこに宮殿があるのか知らないが、残りの走行距離は60~100kmに収まるだろう。休まず走れば午後のうちに到着する。
もちろん宮殿に向かうとは限らないし、雇い主がウィルム侯爵でなければ行き先は見当もつかない。ひとまず特徴のある地形を探知したら、記憶の地図と照らし合わせて現在地を予想しよう。それが何の役に立つかは分からないが今は出来ることは限られる。
◇
2時間ほど経過したか。交通量の多い幹線道路は使わず街中も走っていない。どうやら農道を中心に選んでいる。やはり人目が気になるか。
などと考えていたら大通りに出た。片側4車線以上はある。あのまま南下していればトレド伯爵領の南西辺りか。意外にも王国城壁に近いルートを通るのね。騎士が多いから避けると思っていたが。
いや待てよ。雇い主がウィルム侯爵なら、ウィルム騎士団に特定の馬車番号は詳しく調べるなと通達を出せるはず。つまりウィルムにおいて検問なんて意味がない。
むむ、曲がって細い道に入った。しばらく進んでまた曲がる。停車したぞ。ここが目的地か。
頭の布袋を外される。
「口を開けろ」
「えっ」
「言う通りにしろ。蹴るぞ」
男は丸めた布を俺の口に押し入れて、出せない様に布で覆い後頭部で縛った。猿ぐつわか。その上、目隠しの布袋を頭から被せる。うー、苦しい。
抱きかかえられて荷台から降りる。地形探知を試みたが情報が入ってこない。足音の反射から察するに屋内通路だろう。
床に降ろされ目隠しが外される。両手も自由になった。
「用を足せ」
そこは洋式便器が据えられた個室だった。馬車内で漏らせと言っておきながらトイレ休憩だったか。実はちょっと我慢していたから助かったけど。トイレの壁や天井は全て石造り。鑑定では天然の石材だった。この建物はアジトだろうか。
用を足すと再び両手を縛り視界を奪われる。荷台に運ばれると目隠しと猿ぐつわが外された。男は俺を抱えて木箱の中に寝かせ蓋を閉める。真っ暗だ。足枷の鎖は外されたままだが、手足の自由が利かないため脱出は厳しいか。
馬車は再び大通りへ出る。むむ、さっきと車輪の音が違うぞ。これは別の馬車だな。なるほどここへ寄った目的は馬車替えか。俺を木箱に入れたのはこの先に検問なりがあるのかもしれない。
おや、音漏れ防止結界が木箱を中心に半径1.5mに変わっている。なるほど男らが荷台に乗ったまま検問官に返事をして、聞こえなかったら怪しむもんね。待てよ。蓋って乗せただけのはず。うまくいけば俺を発見してくれるかも。
ちょっと試してみよう。上半身を起こしながら肩で蓋を押す。ぐぬぬ、動かない。くっそう、何か重いものが上に載っているぞ。まあ俺が考え付くことくらい対処しているか。
さて地形探知だ。あれ? 探知範囲が半分くらいになったぞ。もしや木箱に入っているのが原因か。おのれ、唯一の出来ることを邪魔しやがって。
ああ、腹減った。今の時刻は13時15分。何事も無ければ村へ向かう工房馬車内でトランサイト生産をしていたはず。きっと昼食はアーレンツ辺りで済ましただろう。アーレンツ男爵経営の肉料理店、美味しかったからまた行きたいなぁ。
どうしてこんな事になった。油断かもしれないが、だからって伯爵みたいな厳重警備を常時続けるなんて難しい。あの祭壇下からの接近も感知があれば気づいていただろうか。やっぱり俺自身が強くなるしかないな。
おや、荷台下の地面が遠ざかる。これは橋か! 長いな、多分サンテ川だ。このまま東へ向かえばダンメルス伯爵領も近い。
◇
時刻は15時20分、サンテ川と思われる橋を渡って2時間ほど経過した。俺の予想ではダンメルス伯爵領内を走っている。それにしては沿道に建物が少ない。ダンメルスはウィルム侯爵領の中心地、言わば州都だ。大都会のはずだが。
むっ、馬車が停まった。
「降りるぞ」
木箱の蓋が開けられ荷台に出される。猿ぐつわは入れたが目隠しはせずに荷台を降りた。高い天井の木造建築物。ここは倉庫か。
一室に到着すると椅子に降ろされ両手が自由になる。ほどなくトレイに載った食事が目の前のテーブルに運ばれた。
「食え」
猿ぐつわを外しながら男はそう告げる。その頭を覆った布は無く、顔が見えていた。テーブルには一味と思われる男女も同席している。テーブルを中心に3mの音漏れ防止結界があるね。
さあ、ひとまず食べるか。もう腹ペコだ。
ふーっ、味付けが薄く感じたが腹は膨れた。
「ここはダンメルス伯爵領?」
「……」
「雇い主はウィルム侯爵か?」
「……」
食事で気が緩み漏らすと思ったが。
「ここはダンメルスではない」
「えっ、じゃあ何処?」
「何処だろうな。ははは!」
むっ、ふざけているのか。神殿からは5時間近く経っている。平均時速25kmとすれば約125kmの走行距離だ。もし南下を続けていればレリスタットまで到達している。
「出発だ」
まだ走るのか。抱えられ荷台の木箱へ。どうやらまた馬車を替えたらしい。
◇
時刻は17時50分。食事した倉庫から2時間半が経過している。神殿から7時間半だぞ。走行距離にすると180km以上だ。いくらなんでもダンメルスはとっくに過ぎている。じゃあ目的地はウィルム侯爵宮殿じゃないのか?
倉庫以降は大きな川を渡っていない。神殿から20kmと70km辺りで渡ったきりだ。
サンデベール地方の地形図を思い出す。
主要河川は全て北から南へ下っており、最後はシュトロム川へ合流する。つまり100kmもの行程で大きな河川を一度も渡っていないなら、南下していたと見て間違いないのだ。
これらを元に推測すると、現在地は神殿から約180km南下した地点。レリスタット侯爵領クリンゲンの南側だ。恐らくはシュトロム川にかなり近づいている。
シュトロム川は広いところで対岸5kmにもなる大河だ。これを渡るなら橋ではなく船を使うはず。もちろん船に乗った気配はない。
もしや船に乗るのか? だとしたら目的地は何処だ? シュトロム川は遠く王都まで続いている。流石にそんな遠くまでは行かないと願いたい。




