第211話 ラウルとセレン
神の魔物と対峙した牧草地帯、そこから西へ15kmほどのカルカリア騎士団ブローム支部へ俺たちは移動した。治療や報告を終え施設の食堂へ向かう。
「昼時を過ぎたので利用者はほとんどいませんね」
「心配せずとも我々の分はある」
受け取りカウンターへ近づくとトレーに載った食事が出された。近くの長机に運ぶ。
「商会長、このあとはヘニングスですか」
「うむ。男爵の屋敷は西へ5kmほど、十数分で着く」
「あら結構近い」
「ここはハルデンの南西端でありヘニングスの北東端に接している」
「境目なんですね。そう言えばラウルは会食を無事終えたでしょうか」
「予定通りなら先にヘニングスで待っているはず。こちらは色々とあったが伝えていた時間に合流できる」
昼食を終えて食堂を出ると数人の騎士が待っていた。その中から指揮官服の30代女性がミランダへ話しかける。
「コーネイン副部隊長、この度の活躍見事であった。私はアナベル・レンスタール、テルナトス保安部隊副部隊長だ。ゼイルディクまで一行の護衛をいたす」
「トゥルネー団長より聞いている、道中任せた」
レンスタールとはカルカリア伯爵の家名だ。城の所在する地域の治安を身内が担っているのね。
「バストイア男爵が支部内でそなたらを待っている」
「ほう、では案内を頼む」
ああ来てたのか。そりゃバストイア保安部隊も参戦し傷を負ったのだ、領主なら気になって駆け付ける。
施設の一室に入ると数人の騎士とバストイア男爵が待っていた。
「おお来たか、そこへ座ってくれ。いやはや、まさかあの様な魔物が領内へ降り立つとは。そなたらがいなければ街がどうなっていたか分からん、迅速な対応、感謝申し上げる」
「騎士ならば当然です」
「無論、バストイア勲章に相応しい功績だ、後日授与式を催すため是非受けていただきたい。フリッツ殿、リオン殿も含めてだ」
「身に余る名誉です」
やっぱり俺もか。
「今回買い付けた馬は全て勲章の副賞とさせてくれ。代金は不要だ」
「お気遣いありがとうございます」
「なに、魔物素材の利益を考えれば比べ物にならん。見たかあの一覧を」
「魔物装備を少し」
「ワシはあまり詳しくないが記録にも残っていない高性能品が複数あるらしい。商会関係者の話では数十億相当だと、それも1品の価値だぞ!」
男爵は興奮気味に目を見開く。
「何たらドラゴンの素材は大きすぎるため運搬作業中だが、あれも合わせてかなりの売却益となる」
「グラスドラゴンです、男爵」
「おおそうかアールベック。しかし誰も知らない巨大なAランクなぞよく倒せたな」
「アールベック保安部隊長率いる騎士たちのお陰です。改めて迅速な対応を感謝します」
「私は魔物対応も久々でな、それもAランクと聞いていささか不安もあったが、コーネイン副部隊長の的確な指示により犠牲者の1人も出さず討伐に至った。こちらこそ礼を申す」
男爵の隣りで頭を下げる40代男性。この人が現地の指揮官か。
「先程ウチの家令をエーデルブルク城へ向かわせた。コーネイン副部隊長が18日に授かるゼイルディク極偉勲章、ワシもその栄誉を見届けようではないか」
おっ授与式に来るのね。
「さてそなたらも予定があるだろう、あまり引き止めてはいかん。ヘニングスまでウチの馬車を遠慮なく使うといい」
「では失礼します」
部屋を出て馬車乗り場へ。
バストイア男爵はとても嬉しそうだった。そりゃ思いもよらない高額の臨時収入だからね。もし共鳴率34%加算の腕輪が1000億超えの値をつけたら驚きで顎が外れるのではないか。
「騎士団馬車の後に2台続いてくれ、最後尾にもう1台付く。我々の同行はヘニングス及びハンメルトのグランドラ支部へ通達済みだ」
「手数を掛ける」
「任務だ。気にすることはない」
アナベルとミランダのやりとりを聞き馬車に乗り込む。1台目は俺とミランダとフリッツ、2台目は防衛部隊のガストンとラウラ、そして商会護衛のアヴァンとレナーテだ。
しかしテルナトスの保安部隊がハンメルトまで護衛するとは。わざわざバストイアやヘニングスの馬車を借りて俺たちの存在を悟られない配慮だったのに、前後を騎士団の馬車で挟むと目立つ気がする。
いやまあ貴族家の馬車なら保安部隊が護衛して当然か。ただ配下の保安部隊ではない点が不自然ではある。
「アールベックも態度が大きく変わったな」
「どういうことですか商会長」
「ウチの者がバストイアへ赴いた際には横柄な対応も受けたと聞く」
「あー、ビクトルの調査をしてましたね」
そりゃ嗅ぎまわっている人物に友好的な接し方はしない。
「でも直ぐ来てくれて助かりました」
「注意を惹く役目は果たしたが戦力的にはそうでもない。彼らの剣や槍は弾かれるか浅い傷止まりで、矢においても深く刺さっていなかった」
「あらら」
「もちろん十分訓練された騎士たちだ、対人が主であろうと戦闘スキルは魔物にも通用する。しかしグラスドラゴンは格が違った」
そんなに強敵だったのか。
「ここ最近、相手が何であれ簡単に切断できるため感覚が麻痺していたが、決して我々が強くなったのではない、強いのはトランサイトだ。私も以前の武器では通用していたか分からん」
俺が訓練討伐で犯した過ちだ。ジェラールから借りたウィルスンク合金では全く通じなかった。剣技を得た今ならある程度は戦えてもトランサイトほどの圧倒的な立ち回りは無理だろう。シンクライト含めて本当に規格外の性能だね。
「となると俺のシンクルニウムの弓が通じたのは何故でしょう」
「高い共鳴率やGD型が作用したか。ともあれ素材がトランサイトならより効果的だ。近くトランサス合金のミランデルを用意してやる、それをトランサイトに変えて使え。扱いは特別契約内の武器供与とする、代金は不要だ」
「ありがとうございます」
うひょー、弾丸の矢を放てるぞ。
「矢はどうしましょう。訓練討伐でも使うならAランク素材は勿体ないかと」
「合わせて用意するから心配するな。ところでお前は放った矢を回収をしたか?」
「えっ……いやそのままです」
2本は弾いたからまだ使えるはず。Aランク素材なら安くはないよな。あー、置いて来ちゃった。
「ワシが全て回収しました、ご安心を」
「ほっ良かった、すまないフリッツ」
「命中した矢もシャフト部分は廃棄物だ。今回の戦場ならば家畜が脚に引っかけて怪我をする恐れもある。森の中なら仕方ないが見つけやすい環境では回収努力が規則だ、弓士となるなら覚えておけ」
「は、はい!」
勿体ないじゃなくてゴミだから回収か。考えてみれば当然だ。
「矢も外せば回収が手間となり軌道によっては周囲に危険が及ぶ。放つなら絶対に当てろ。命中すれば魔物と同じ場所に残り回収も容易となる」
「ほんとですね」
弓矢は運用面で気にすることが多いなー。そう考えると魔法は回収する必要が無いし、角度をつけて放てば落下前に消えるから周りも危なくない。おお、魔法って優秀じゃないか。
「そろそろ到着だ」
馬車列はヘニングス男爵邸宅の敷地内に入る。屋敷の前には数人の出迎えが見えた。ラウルの姿もあるぞ。
「長時間の移動ご苦労、ワシはベルナルド・リスベドス・バン・ヘニングス、リスベドス家の当主である。魔物対応と聞いて心配したが、その様子だと大事に至ってないか」
親しみ易い笑みを浮かべて50代男性が最初に声を上げた。この人がヘニングス男爵か。バストイア男爵ほどではないが立派な腹をしている。
「私はセレン・リスベドス、ラウル様とのご会食、とても楽しい時間を過ごせました。ノルデン家の皆様とは今後もご縁が続くことを願います」
上品にほほ笑む若い女性、どうやらラウルの会食相手だ。高級料理店で別れず一緒に来たらしい。
俺たちも名乗りを済ませる。
「客間でひと息つくといい」
男爵に案内されて屋敷内へ。客間のソファに腰を下ろすと紅茶が配られた。
「音漏れ防止結界は施してある。10分程したら農具について話がしたい」
「承知しました」
ヘニングス男爵は去った。
「おやラウルは何処へ」
「あの女と共に奥へ消えた」
「へー、仲良くなったのかな」
「どうだか」
現時点では何とも言えないか。
「まあ思ったほど媚びた印象は無かった」
「商会長は受付嬢に手厳しい姿勢ですよね」
「綺麗どころを揃えて必要以上に愛想を振りまく。商会員や客にちやほやされ勘違いを起こす。上客の身内に同年代の後継ぎがいれば縁談を目論む。そんな中身のない女を多く見てきた」
なるほど実体験が元か、商会長という立場なら接する機会も多いのだろう。
「それが経営者の身内ともなれば顕著だ。お前の近辺では冒険者ギルドコルホル支所のグロリアを思い浮かべてみろ、冒険者受けばかり気にして仕事ができる様に見えるか」
「えっと……うーん」
「無論、あの異動は支所長であるアレフブレードの根回しにより実現した。でなければ冒険者として真面目に活動せずフラフラ遊んでいた19歳がギルド受付なぞ就けるはずがない」
あの子そんな素性だったの。確かに若干のギャルっぽさは感じたが。
「でもコルホルに来る若い冒険者が増えたって支所長は言ってましたよ。仕事面でも覚えようと努力している様子です。立場が人を作るってこともあるんじゃないですか」
「ほう庇い立てるか、お前はああいうのが好みなのだな」
「8歳に何言っているんですか」
「大人の思考もあるのだろう」
そうだけど。
「まあ私も許可したのだ、もう少し様子を見てやるか。ただ商会の受付は流石にあれでは務まらない」
「商売ですからね」
「リオン様、アーレンツ子爵家の家令ナタリアは元々ロンベルク商会本部の受付嬢でした。彼女曰く、極めて難関の試験を突破したと」
「へー、あの人そんな経歴だったの」
言われてみれば美人で知的で礼儀正しい。
「ナタリアは身内などの伝手が無い。かなりの努力を積み重ねたはず」
「まるでセレンが実力で勝ち取っていないみたいですね」
「経営者の娘であり男爵の姪ならばそう思われても仕方がない。そのまま身分による優位性に甘えるか見合った人材に育つかは本人次第だ」
失敗しても周りが全力でフォローしてそう。
「それにしても貴族家系の18歳ならこれまで縁談も多かったはず。余程相手に恵まれなかったのでしょうか、もちろんセレン側に問題があるかもしれませんが」
「……或いは単に恋愛がしたいか」
「え?」
「親が決めた相手ではなく自分で見つけたいと身分を顧みない女は一定数いる。大抵は年齢だけ重ねて見向きもされなくなるが、その時に気づいても遅い。運良く相手が見つかっても経済的に困窮する場合が多く、結局は実家に泣きつく」
真実の愛は色々と覚悟が必要だね。
「その辺りも仲を深めれば聞き出せるだろう」
「ただ付き合いを続けるにしても年の差が14歳と大きく感じます」
「大半の男は若い女を欲するのではないか」
「そりゃ肉体的な話です、何というか世代による価値観の違いとか」
「32歳と承知の上で会ったのだから問題ない、むしろかなり年上が好みではないか」
言われてみれば確かに。
それにしても本人の知らないところで好き勝手な言い様である。でもちょっと楽しい。
おやヘニングス男爵だ。
「落ち着いたかね。本来は食事でもしながらゆっくりと話したいが、そなたらの日程の都合もある」
「忙しなく申し訳ありません」
「では農具の話をするか」
男爵が向かいのソファに座ると隣りに50代の女性が続いた。
「シガー・バエナと申します。リスベドス農場にて農具部長を務めています。どうぞ宜しくお願いします」
「コーネイン商会長、現場の意見はこのシガーが把握しておる。何でも聞いてくれ」
「はい男爵」
「まずはトランサイトの鍬だが極めて素晴らしい性能だ。共鳴率に応じて耕起の範囲が広がるのだからな、単純に作業効率が2倍や3倍になる」
そんな特殊能力だったね。
「今は試験運用と聞いたが我が農場に本数を増やせるか」
「ゼイルディク伯爵に確認が必要ですが恐らく可能です」
「ではあと2本頼む」
「掛け合ってみます。ただ様々な条件での検証結果を求めているので、その環境をご用意いただく前提です」
「もちろん全面的に協力する」
圃場や耕起士の違いかな。
「また現在の2本運用では最終的に返却か買取りをご選択いただきますが、追加となれば全て買取りが条件です」
「それは金額によるぞ」
まあここが肝だよな。武器なら1本100億が相場だけど鍬にはそんなに出せないだろう。
「幾らで売るつもりだ」
「……1本5億です」
「は!? コーネイン商会長、それでは誰も買わないぞ、せいぜい2億が限界だ」
「別の試験運用者からは妥当だと伺っています」
「ほう……では2本の追加が通ったとして現在の2本と合わせれば20億の買取り値か」
「いいえ、5億は正規販売時の想定価格です、試験運用となれば半額ほどでしょう」
「となると4本で10億か……いいだろう、追加申請を頼む」
「承知しました」
これは生々しいやり取りだ。それにしても武器と比べたらかなりの開きがあるな。
「さてシガー農具部長に聞きたい。共鳴率と作業時間は平均してどれほどか」
「20%で1時間です。10分程休めば同じ時間を継続可能です」
「ほう、思ったより長く続くな」
「初めは30分ほどで休憩でしたが慣れで変わります。トランサイトとの相性にもよりますが耕起士によっては1日でその効率に至りました」
20%維持を1時間って魔物戦闘でそんな運用は厳しいぞ。もしかして農具は共鳴を維持する魔力負担が少ないのか。あー、あるかも、よく考えたら道具を振りかざす対象が全く違う。
これって共鳴率加算の腕輪なら負担を変えずに効果範囲だけ広がるのでは。そうかむしろ瞬間的な高い共鳴率より長時間運用にこそ価値があるかもしれない。こりゃトランサイトの鍬が普及したら腕輪需要が高まるかも。
「耕起の深さはどうか」
「そちらは打撃の数値が反映されるため共鳴率が上がればより深くなります。また砕いた土もより細かくなりました。ただこれらに耕起士がスキルによって関与し、同じ広さで深さだけ変えることも出来ます」
「では最大値などが上がると解釈すればいいか」
「おっしゃる通りです」
これは興味深い。トラクターで例えるなら進行速度やロータリーの深さ調節か。いやー、本当に人間が農機具の一部だぜ。
「ひとまずこの場は以上だ。引き続き検証と記録を頼む」
「承知しました。後日まとめて報告も致します」
いいね、やっぱり現場のプロが使ってこそ。
「男爵、そろそろ発ちます」
「では見送るとしよう」
屋敷玄関前へ出るとヘニングス男爵家の馬車が2台用意されていた。俺たちはバストイア男爵の馬車から荷物を移動する。ただこれ、騎士団の護衛が同行するなら騎士団からもう2台を借りてそっちに乗れば良かった気もする。
「ウチもバストイアの馬だ、ハンメルトまで1時間半も掛からん」
ヘニングス男爵は自慢気に漏らす。まあ送り届けたい気持ちを汲み取るならこれでいいか。
馬車に乗り込み出発する。しばらく走るとだだっ広い農場地帯へ入った。
「なーんにも無いですね」
「見渡す限りの畑だな」
しかしこれだけの広さを農業機械無しでよく管理している。
「おやゴーレムですか」
「うむ、肥料散布や収穫などに使う大型農具を操る役目だ」
何やら長い棒状の装置をゴーレムが引っ張っていた。そりゃある程度の面積を一気に作業する工夫は必要だよね。いくらスキルがある世界でも人の手だけでは限界がある。
「ところで商会長、トランサイトの鍬は武器と比べて随分と安いですね」
「主な能力である効果範囲拡大、あれによって得られる恩恵は耕起士の削減だ。即ち2倍なら2人が1人、3倍なら3人が1人で済む。つまり人件費が浮くだけ」
まあ効率が上がるってそういうことだよね。
「実のところ農場経営者は現状で概ね満足している。もしトランサイトで耕した土でしか育たない野菜があり、それが高く売れるなら話は違うが、残念ながら土も野菜も同じだ」
「あー、確かに」
「お前は武器と比べてと言ったな。トランサイトなら届く、トランサイトなら外さない、トランサイトなら切り裂ける、明らかに現状の武器とは一線を画し、それが騎士や冒険者の被害を抑え、延いては街の安全と発展に大きく寄与する。単に効率の話では無いのだ」
なるほどね、得られる恩恵が価格に反映されると。
「他にトランサイト素材の道具を作っただろ」
「はい、斧や鋸ですね」
「あれも鍬と大差ない金額だ。木を早く切り倒せる、木材を早く加工できる、優れた性能ではあるが結果は変わらない。まあ石切鋸に限ってはトランサイトでしか加工できない石材でもあれば幾らか価値が上がるな」
これまで花崗岩らしき建材は何度か見かけたので、現状であれを加工できるならトランサイトの出番は無いかも。となると鉱物が対象だが、モース硬度で言えばダイヤモンド、コランダム、トパーズ辺りか。
ただ精霊石から抽出できる鉱物は加工もやり易いからな。鉱物土状態は定着させるまで硬い粘土程度らしいし。それなら定着後に活躍の場があるか。そもそもトランサイトの硬さってどのくらいなんだ。
「商会長、鉱物には硬さの基準ってありますか」
「あるぞ。ただそこまで重要視していない。武器や道具に使う際は鉄以上の硬度があれば事足りるからな。それよりも形状による項目だ、鋸なら切削があっただろ。トランサイトは150、合金で225は一般的な鋸と同等だ」
「飛び抜けて高くは無いのですね」
「トランサイトが高性能なのは特殊項目にある共鳴効率120%と範囲拡大だ。高い共鳴を施せば圧倒的な作業効率を実現する。無論、切削の値も上昇するため硬い石材でも加工できる」
なるほど形状による項目そして特殊か。
「硬ければ優れているとは限らないのですね」
「その通り。おや、ドニア川が見えてきたぞ、あの橋を渡ればハンメルトに入る」
「ほんとだ大きな川が見える」
ドニア川はゼイルディクとカルカリアの境界だ。
「そこからカルニエ湖方面へ向かい、湖の手前で右折すればエナンデル1番線だ」
「城まで続く大通りですね」
確かウィルム侯爵が来た時に交通規制して周辺の大渋滞を引き起こしていた。明日から極偉勲章授与式だから来賓によってはまたあちこちで渋滞するかも。
「リオン、魔物対応もあったのだ、グランドラ支部の鑑定訓練は省略してバイエンスへ直ぐ向かってもいいぞ」
「んー、到着時に判断します」
「そうか」
休めば魔力は回復するけど精神的に疲れたからね。そう鑑定訓練は集中力を要する。
「あの商会長、道具類の試験運用が終わればしばらくはコーネイン商会が独占販売できるんですよね。でも鍬の価格を聞くと手間に見合った収入にならないのでは。もちろん武器と比べてですが」
「ヘニングス男爵が快く馬車を貸し出し、屋敷を乗り換えの場としたのもトランサイトの性能に満足したからだ。もし繋がりを持ちたい貴族が建設商会や家具商会を経営していたらどうだ。斧や鋸の試験運用を持ちかける、或いは優先して製品販売をする」
なるほど、恩を売りたい貴族へピンポイントで話を持って行くのね。
「幻の鉱物を先駆けて使える優越感も覚えるだろう。確かに価格は導入効果に見合ったもので武器ほどの荒稼ぎは期待できない。しかし狙いは別にある」
「むしろトランサイト素材の道具を他にも試作して、あらゆる業態に対応するべきだと」
「その通り。料理に使う鍋でも髪を切るハサミでも、或いは馬車の車輪でも。金属製の道具を使う商会は幾らでもある」
そうやって手を広げれば思いもよらない性能が発見されるかも。
「これは将来的に武器商会の部門を増やすだけでは収まりませんね、職人確保も大変じゃないですか」
「試験運用品なら外注でトランサス合金製を用意できる。ただお前の言う通り、本格的に製品販売に踏み切るなら個別に商会を立ち上げる方がいい」
「ただでさえ魔導具商会が進行中なのに、流石に手を広げ過ぎでは」
「……新規参入は余程の影響力がある品目に限る。心配することは無い」
そりゃトランサイト1品でも十分商売になるけど、もし俺の他に生産者が現れたら強みが無くなる。そうなると何の基盤もない商会なんてお荷物になりかねないぞ。まあミランダならその辺りも見越していると思うが。
そもそも対外的には伯爵工房の生産だ。コーネイン商会が独占販売ばかりしていると要らぬ敵を作りかねない。それを防ぐため他の商会に販売権を移したなら、それこそ立ち上げた商会の存在意義が問われてしまう。
トランサイトを絡めた人脈の構築は有効な手段だけど、先々のこともよく考えないとね。
「着いたぞ、ゼイルディク冒険者ギルド、グランドラ支部だ」
馬車を降りるとクラウスが出迎えた、屋敷で待っているはずだけど来てくれたのね。その隣にはバイエンス男爵もいる。
「父様!」
「バストイアで魔物対応があったと聞いて心配したが、元気そうで良かった」
「うん、怪我は無いよ」
「フリッツもミランダも大事ないか」
「ワシは問題ありません」
「私は軽い凍傷を負ったが大したことは無い」
「ミランダはリンドブルムの首を落としたのだろ、こりゃカルカリア極偉勲章だな」
「フッ、まあそうなる」
ミランダが小さく息を吐き応えるとクラウスはニヤリと笑う。何かを感じ取った俺は軽く剣を払う動作をした。それを見てクラウスはうんうんと頷く。飛剣で倒したと伝わったようだ。
「これはレンスタール副部隊長ではないか、久しいな」
「2年ぶりでしょうかバイエンス男爵」
この2人は知り合いか。そうか伯爵の家系同士だもんね。何かしら接点があるのだろう。
「では我々はテルナトスへ引き返す。コーネイン副部隊長、失礼する」
「遠方の同行、礼を申す」
アナベルと騎士たちは馬車に乗り込んだ。今から帰ると向こうに着く頃には日が暮れる。任務とは言えご苦労様。
「ミランダ様、荷物はバエインス男爵家の馬車へ移動しました」
「そうかフリッツ、ヘニングスの馬車は直ぐ帰るのか」
「近隣で宿泊するそうです」
こっちは泊りか。まあ護衛もいないし暗くなっての移動は控えるのだろう。
「さてリオン、素材保管施設へは行くか」
「はい商会長」
せっかくの機会だ、予定通りやり切ろう。
「あっラウル、長時間お疲れ」
「このくらいの移動は運送ギルドの仕事なら珍しくありません。ただ正直申しますと慣れない馬と馬車には気を使いました」
「貴族家の所有だからね。それで会食はどうだった?」
「……無難にこなせたと思います」
「今後は?」
「来週、会食の誘いを受けました」
おっやるじゃん。
「どうするの?」
「私はもう少し話をしたいと」
「じゃあ気に入ったのね」
「ええ、まあ。クラウス様、構いませんか」
「もちろんだ、ソフィも応援するだろう」
そうかー、ラウルの好みはあんなタイプかー、見た目は可愛かったからねー。
「メースリックへの訪問、もしくはバストイア勲章授与式に合わせて日程を組むといいだろう」
「分かりましたコーネイン夫人」
「ねぇ話はどんな内容だった?」
「……主に馬車の形状や素材について、それから私が過去に訪れた地域に大変興味を持たれてました」
「旅が好きなのかな?」
「はい、その通りです」
おー、長距離運送の経験が生きたね。おっと、つい気になって聞き出したが8歳の子供が縁談に興味があるなんて変に思われたかな。まあいいや。
「リオン、話の続きは屋敷でも良かろう」
「そうでした、行きましょう商会長」
「俺もついて行くぞ」
ミランダ、フリッツ、クラウスと共に素材保管施設へ向かう。ラウルは防衛部隊の騎士や護衛たちと俺の用事が済むまで休憩だ。バイエンス男爵はハンメルト保安部隊となにやら話がある様子。
さーて鑑定訓練、頑張るぞ。




