第207話 フリッツの過去
メースリック子爵邸宅にて夕食を終え客室に案内される。
「お召し物をこちらのカゴに入れてくだされば明朝までに洗濯乾燥いたします」
貴族屋敷は基本的にこのシステムらしい。じゃあ夜間にその仕事を担う使用人もいるのか。設備含めてノルデン家の屋敷でも必要だね。
「リオン様、直ぐ風呂へ入りますか」
「そうだね。ところでフリッツ、もう2人なんだから呼び方も言葉遣いも直してくれ。後は寝るだけで切り替える必要も無いだろう」
「……うむ」
唯一と言っていい何でも話せる相手だ。畏まっては率直な意見を言い辛いだろう。
風呂を上がってソファに座る。
「ふー」
「疲れたか」
「そりゃ朝から馬車に乗りっぱなしだからね。アレリードでも鑑定で集中する時間が長かったし」
「魔物素材鑑定に進展があったな」
「まあね。ただ役に立つのか不明だけど」
「覚えたスキルを全て活かす必要はない。一般人ならそれで食っていけるが、お前は通過点に過ぎないのだ」
確かに。進展は嬉しいけどその都度スキルに関する事柄を広げてはキリがない。鑑定スキルを伸ばす最終目的は人物鑑定だからね。
「ところで村のコーネイン商会で付き添わなくなったからフリッツと話す時間が取れないね」
「フローラ主査が担当だからな。お前はワシと話したいのか」
「そりゃまあ」
とは言え何を話すか。そうだこの際聞いてみよう。
「フリッツはこのアベニウス家が母親の実家なのに今まで距離を置いているように感じた。何か理由があるの?」
「貴族家だからだ。その血筋を利用しようとする者や妬みを避けるためゼイルディクではなるべく隠しておいた。先入観や偏見を除いた人付き合いがしたかったのだ」
なるほどね。
「メースリックでは12歳まで過ごした。7~9歳は貴族学園初等部に通っていたが、性に合わず中等部からは町の平民学校へ移った。そこで周辺から貴族学園や士官学校に行けとしつこく言われ大変煩わしい思いをした。お前も似たような境遇だから少しは分かるだろう」
「おおー、正にそうだよ。ただ平民学校を両親はよく許してくれたね」
「身分の差を体感させて貴族学園か士官学校へ編入させる算段だった」
確かに浮いてしまうからね。ディアナがシャルルロワに編入する理由も近いところだ。
「でもゼイルディクでは騎士だったよね、そのためには士官学校にも通ったはず。どんな心変わり?」
「……色々とな」
うーむ、突っ込んだ話になるか。
「まあいい機会だ、話してやろう。お前も英雄の力などかなりの秘密を打ち明けてくれた。ワシの過去など比べるまでもない」
「あれはまた別だよ」
「家令となりノルデン家に仕えるのだ。ワシがどういう人間か知っておく必要もある」
「そっか……じゃあ頼むよ」
フリッツは居直り少し上を眺めてひと息つく。
「ワシは統一暦2236年にレーンデルス家の長男として生まれた。父親ローエンが20歳、母親クラリーネが18歳の頃だ」
「若い夫婦だね」
「ローエンは士官学校を出て直ぐにカルカリア騎士団北東部にて優れた才能を発揮していた。それを見た領主のアベニウス家は身内に引き込むため4人の子のうち一番下の次女クラリーネと婚約させたのだ」
貴族家からの縁談は断れないか。
「ワシが4歳の頃に現在のエスレプ開拓が始まり、6歳の頃にはカルージュ方面も本格的に切り開いた。両親はその最前線で指揮を執り多大な功績を残す」
「誇らしいね。でも6歳までのフリッツは誰が面倒を見ていたの? 駐留所に子供を預かる施設でもあるのかな」
「ワシは幼少期をメースリックの屋敷で過ごした」
特別扱いか。そりゃ領主のひ孫だからね。
「7歳になる年に貴族学園へ入学する。寮暮らしだったが屋敷の世話係が常に側にいたため何の不自由もなかった。両親とは物心ついた時からほとんど会っていない」
「最前線なら中々帰って来られないか」
「だがワシが8歳の洗礼を終えて戦闘スキルを授かったのを境にローエンは頻繁に指導へ訪れた。またその年に妹のララベルも授かる」
ふーん、ちょっと騎士団の仕事も一段落したのかな。しかし第2子まで8年空くとは、周りの子供たちは年子が多い印象だから珍しい方だね。
「それから4年後、ワシが12歳、ララベルが4歳の頃、両親はカルカリア伯爵の命令によりゼイルディク西部へ移る。ローエン32歳、クラリーネ30歳だった」
「そこで移住か」
「エスレプやカルージュの開拓も区切りがついたため2人が抜けても影響は少ないとの判断だ。他方ゼイルディクは王国城壁拡張のため開拓を急いでいた」
ほう拡張か。
「どの辺が広がったの?」
「当時クランツからデルクセンの北部城壁は完成していたが、メルキースからバウムガルドまでは現在より東へ10kmほどの位置だった。マクレームの冒険者ギルドと養成所を挟んでいる広い道路、あれに沿ってボスフェルトやハウトスミットの中心を通り南へ延びていたのだ」
確かにあそこは道幅がかなり広い。なるほど城壁が中央を通っていたのか。
「開拓が遅れていたボスフェルトを近隣の拡張計画に間に合わせるため人手が必要だった。城壁の一定区間が町寄りに留まれば形が歪な上、そこまで繋ぐ余分な城壁も必要となる」
「どうせ作るなら真っすぐがいいね」
側道の運用面でも直線が望ましいだろう。
「両親はカルカリアで培った経験と統率力をいかんなく発揮し、2年後の2250年、現在の王国城壁の完成に間に合わせたのだ」
「フリッツはその頃何をしていたの?」
「ボスフェルトの冒険者養成所に在籍していた。ただ両親が近くで指揮官を務めていると知られればまた士官学校へ入れと声が掛かる。それを防ぐために親子関係は伏せていた。家名を偽りカルカリアから単身来たと。初めて1人の人間として扱われ晴れやかな心持ちだったぞ」
こりゃメースリックで相当色々と言われたらしい。
「養成所を出てから冒険者となり毎日の様に森へ入った」
「その頃から強かったの?」
「18歳でCランクだった。平均より3~4年は進んでいたな」
「へー流石だねぇ。妹は?」
「ララベルは移住後から両親の計らいでボスフェルト領主の屋敷で過ごし7歳で士官学校初等部へ入った」
「そっちは偽ってなかったのね」
「うむ」
好き勝手に生きている兄へどんな思いを抱いていたのか。
「冒険者生活は楽しかった?」
「当時ゼイルディク西部の開拓はサンデベールの中でも重点事業、あちこちから冒険者が集まりギルドは連日大盛況で多くの仲間とバカ騒ぎの日々だった。本当に充実していたな」
「いいねぇ目に浮かぶよ」
「お前も経験したいか」
「えっ」
十代で独り立ちして同年代との交流か。一番いい時期ではある。
「いや俺はいい。立場として無理だろ」
「そんなことはない。顔の知れていない町で身分を偽って紛れるのだ。そこの領主に協力を得られれば容易いぞ。それに下々の考え方を直に知ることで領主となった時に役立つ」
「まあそうか」
「学校へ行かない決断をしたのなら、その程度の楽しみがあってもいい」
「考えておくよ」
以前は俺の学園生活を否定していたが、自分が楽しい時代を過ごした話で配慮をしたか。確かに気の合う仲間を作って共に過ごす時間は尊いものだ。しかし神の魔物や刺客を解決できなければ単身で町暮らしは難しい。
「ワシは調子に乗っていた。同年代と比べて腕が立ったことも余計に勘違いを助長する。咎める親とも接しないため好きなように過ごした」
「これはモテたね」
「そうなるな。交際期間は短めで多くの女性を経験した」
おやおやカスペル以上のプレイボーイだったか。今のフリッツからは全く想像できない。
「冒険者稼業も順調に進み、ある程度の貯えを手にした21歳の頃、19歳のパーティメンバーと結婚した」
「若いね。もしかして妊娠?」
「そうだ」
やっぱり。
「両親に報告はしたが宴には呼ばなかった。妻の実家にもカルカリアから招くには遠いと伏せたままだ。もちろん妻には素性を明かした」
「ビックリしたでしょ」
「当然だ。ただ同時に大変喜んでいた。加えてその年にワシはBランクに上がり正に幸せの絶頂だった」
いいねぇ自立して家庭を築きランクアップで収入増加の見込みか。
「しかし結婚翌年の2258年、ゼイルディクは大規模な魔物襲撃で壊滅する」
「ああ、そこで来るのか」
「ボスフェルトまで一気に押し寄せた魔物の群れに騎士団と冒険者は一丸となって戦うが、あまりの数の多さに疲労は蓄積し1人また1人と倒れた。ワシも奮闘するが限界が近くなる。そして……目の前で妻を失う」
「あっ」
むう、これはキツいな。
「妻もお腹の子も守れなかった。これが自信にあふれたBランク冒険者か、その程度の実力で同年代の頂点と浮かれていたのか。魔力が底をついたワシは妻の亡骸を抱いて魔物に殺される時を静かに待った」
死を覚悟したのか。
「そのまま意識を失い気づくと治療施設だった。ウィルム騎士団が駆け付け魔物を蹴散らしたのだ。ああ、もう少し、もう5分でも早ければ妻は死なずに済んだのに。ワシは知らずに己の力不足を騎士団のせいにしていた」
「いやそれは……フリッツは精いっぱい戦ったよ、騎士団もきっと大急ぎで来たはず。誰のせいでもないよ」
「その時は正常な精神状態ではない。両親とララベルは幸運にも生き残り、ワシを見舞ってくれたが何も話すことは無かった」
妻が大好きだったのね。
「ワシは自暴自棄になり冒険者を辞めた。そこからは酷いものだったぞ、ハンメルトの裏通りで悪い仲間とつるみ、縄張り抗争に明け暮れたのだ」
「えー」
「生きている意味が分からない。目標も無く流されるまま時は過ぎた」
これは思っていたより重い話だな。
「フリッツもういいよ、思い出すのも辛いだろう」
「いや聞いてくれ。こんなところで終わってはワシも困る」
「そうか這い上がるんだね」
「半年ほどそんな暮らしを続けたが、ふとボスフェルトに行く機会を得る。するとどうだ、あれほど壊滅した町がかなりの復興を遂げていた。行き交う人の目には活力がみなぎっている。皆、なぜそんなに前を向けるのだ。ワシは不思議に思った」
きっとバウムガルドの領主が大きな支援を送ったのだろう。メルキースを預かったアレリード子爵の様にボスフェルトも復興まで任せていたからね。
「冒険者ギルドに足を踏み入れると見知った仲間が声を掛けてくれた。その多くは身内や友人を亡くしたが変わらず冒険者を続けていた。ワシは問うた、何故戦うのかと。そしたら面白い答えが返って来たぞ『そこに魔物がいるからだ』とな」
はは、登山家みたいだな。
「そして『俺たちは魔物を倒す冒険者だ、その他に理由があるか』と続けた。その時、塞ぎ込んでいた自分が急に馬鹿らしくなった。直ぐに悪い連中の集まりから抜け、冒険者へ復帰を果たす」
「おー、良かった。その一言をくれた仲間には感謝だね」
「その者はお前もよく知っている。西区のランドルフだ」
「えー!」
あの人、そんな過去があったのか。
「それからワシは冒険者活動にまい進する。それまでの怠惰な日々を取り返すように来る日も来る日も奥地へと赴いた。1体でも多く魔物を倒す、それがワシの生きる道だと信じて」
「うーん、冒険者なら正しい姿だろうけど少し偏った思考にも思える。なにかに囚われているような」
「きっと妻と我が子を守れなかった自身の不甲斐なさに嫌気がさしていたのだろう。勘違いしていたあの日の自分に喝を入れる。より強くなることが唯一の答えだと。或いは……森の奥で妻と過ごした思い出に縋っていただけかもしれん」
こればっかりは当事者にしか分からない心情があるな。
「そんなある日、両親からカルカリアへ戻るとの知らせが届く。カルージュの防衛部隊に配属されるのだ」
「あら帰るのね」
「両親は復興にも尽力したが一区切りがついたため、ゼイルディク伯爵から残りの騎士人生は故郷で過ごしてはと提案されたのだ」
「いいね。十分務めは果たしたよ」
「ワシも一緒にと誘われたが今更メースリックに戻っても仕方がない。18歳となったララベルは騎士となり西部討伐部隊で活躍していたが、ワシが戻らないなら共に残ると言ってくれた」
色々あったけど兄を気にかけていたのね。
「両親はその意思を尊重しワシらを残してカルカリアへ向かった。その僅か1カ月後、カルージュが魔物襲来によって壊滅したとの報を受ける」
「えっ」
「両親は懸命に戦ったが不運にも命を落とす。ローエン46歳、クラリーネ44歳だった」
これは辛い。
「ワシとララベルは直ぐにメースリックへ向かい葬儀へ参列した。何とも歯がゆい思いだったぞ。ワシが共に戻っていれば危機に駆け付けられたかもしれない。或いはボスフェルトに留まって欲しいと言えたのではないか。どうにかして防ぐことは出来なかったか。そればかり考えていた」
「いやフリッツは悪くない。全て魔物のせいだ」
「両親は騎士として最後まで勇敢に戦った。ボスフェルトにもたらした騎士精神は今も根付いている。失って初めてその偉大さを痛感した」
親は居なくなってありがたみが分かるのよね。
「何か恩返しをと考えた末、自らが騎士となる決意をした。ララベルはその選択をとても喜んだ。あれもワシの行く末を案じていたのだ。両親の期待に応えられなかったが、せめて妹の誇れる兄として身を立てよう。そう心に誓った」
それが騎士となる原動力だったか。フリッツもララベルがずっと気になっていたのね。
「ただワシは26歳、その年で冒険者から騎士への転向は珍しい」
「どうしたの? やっぱり士官学校かな」
「アーレンツに所在するリエージュ士官学校、あそこの青年部へ編入し1年間の突貫教育を受けた」
「厳しそう」
「死んだ方がマシと思える地獄の日々だったぞ」
「ひえー」
それを耐え抜いたフリッツも凄いけど。
「ワシはめでたく騎士となり北西部討伐部隊へ配属された。その時の部隊長が当代アーレンツ子爵だ」
「おー、そこで知り合うのね」
「当時ロンベルク部隊長は24歳、ワシが28歳だ」
「副は?」
「部隊長の姉の夫だ。ちなみに防衛部隊は当代メルキース男爵が部隊長、男爵夫人が副部隊長だった、当時は28歳と24歳か」
「へー、男爵夫妻が」
歴史を感じるな。
「それから2年間任務を遂行しワシは副部隊長となる」
「途中から騎士になって昇進とは凄い」
「元々Bランク冒険者の力量だ、真面目に取り組めば成果はついて来る。それがロンベルク部隊長に評価されたのだろう」
「指揮官となれば大変だね」
「多くの部下がいるからな。その頃にララベルは結婚しアルベルトが生まれる」
「おおっ」
やっとアルベルト誕生か。随分と年月が過ぎたと感じたがまだ30年前に到達したところとは。62年の人生はやはり多くが積み重なっている。
「その翌年、ララベルは産後休息を経て夫と共に北西部討伐部隊へ異動する。つまりワシの部下となった」
「いいね、兄の立派な姿を間近で見られるなんて。そう言えばもう偽名じゃないよね」
「もちろんだ。お陰で両親といつも比べられた。ただ不思議と重荷とは感じなかった。むしろ両親の偉大さを再認識し、いつかは自分も同じところへ辿り着きたいと日々精進したのだ」
その辺の精神面も士官学校で教え込まれたのだろう。
「そしてコルホル奥地での任務中に悲劇は起きた。Aランク魔物サラマンダーが現れたのだ」
「うわっ」
「遭遇した冒険者のパーティは全滅し、駆け付けた騎士や冒険者たちも蹂躙される。無論、ワシたちも参戦するが強大な力の前では直ぐ劣勢に陥ってしまう。指揮官であるワシの決断が迫られた」
「それはどういう」
「撤退か突撃か。しかし逃げても追ってくる可能性が高い。それこそ町へ向かえば甚大な被害だ。ならばなんとしてもここで食い止めるしかない。選択は決まっていた」
うう、キツいなぁ。
「とにかく誰かが首を落とせば終わる。皆、意を決して強敵へ立ち向かった。そしてロンベルク部隊長が止めを刺しサラマンダーは骨となった」
「おおっ」
「直ぐに負傷者の救護に当たったが、ララベルとその夫は息絶えていた」
「ああ……」
またしても身内を失うのか。
「ワシは葬儀が終えるまで気が張っていたが墓に納めた後は泣き崩れた。そしてまた、あの妻を失った時の様に何も考えられなくなった。冒険者に戻り、騎士へ転向し、指揮官にまでなった。何が足りないと言うのか」
「いや十分だと思うよ、相手が悪かったとしか」
「再びその様な魔物が出れば悲劇は繰り返す、何か対抗する方法は無いか。ワシなりに考え1つの答えを導き出した。冒険者だ」
ほう。
「士官学校の訓練は非常に厳しい。しかし養成所はそこまでではない。ワシ自身、両方を体験したからよく分かる。そして騎士は規律正しく組織立った戦闘を行うが、冒険者はパーティ単位の裁量に委ねられている。結局は金が稼げればいい、ある程度の力量に達すれば多くはそれで満足する。しかしそれでは強くならないし人によっては衰えもする」
「それが教官となる動機だったと」
「うむ」
なるほど冒険者たちの底上げか。
「ワシは騎士を辞めた。無論、ロンベルク部隊長含めて多くの騎士に止められたが決意は固かった。その半年後にはボスフェルトの養成所で教官に就任する」
「アルベルトは?」
「ララベルの夫の実家が引き取るか、はたまたメースリックへ行く話もあったが、最終的にワシが親権者となった。両親と同じ部隊で指揮官だったのだ。育てる責務はワシにある」
他人ならまだしも妹の子だからね。
「養成所の職員宿舎には小さい子を預かる施設もあった。教官としての職務の他はほとんどアルベルトと過ごしたぞ」
「じゃあ養成所で育ったのね」
「うむ、お陰で物心ついた時から将来は冒険者しか選択が無かったようだ」
「はは、まあ環境は大きいよね」
クラウスも宿屋に毎日冒険者がいる生活だったからなー。
「教官として10年ほど過ぎた頃、アーレンツ子爵より声が掛かる。コルホル村に西区が完成するからそこの住人となれと言うのだ。農作業の傍ら魔物討伐を指揮しろとな」
「へぇ子爵が絡んでいたのか」
「騎士を辞める時には意志を尊重してくれた恩がある。ワシが適任と考えるなら喜んで従うと返事をした。まあ教官も少し飽きてきたところだ」
「えー」
あの信念は何処へ行った。
「教官最後の年にはクラウスがいたぞ。10年間培った指導経験を余すところなく注いでやった」
「うわ……」
「コルホル村の住人となり10年ほど過ぎた頃、クラウスとソフィーナが西区へ移住してきた。クラウスはワシの顔を見て青ざめていたな。その2年後にはアルベルトがエリーゼと結婚してワシの家へ入った。エドヴァルドは生まれたばかりだった」
「おー、現在に近づいてきた」
それでもまだ俺は生まれていない。
「あのベルソワ防衛戦の日、アルベルトが目の前でサラマンダーの首を落とした時は心が震えた。個体は違うが両親の仇だ。トランサイトの力を借りたとはいえ、立派に育った姿にワシの役目は終わったと感じた」
「いや極偉勲章授与までしっかり見届けてあげてよ」
「ああそうだな」
「家令の仕事も始まったばかりだ。俺の封印解放もずっと付き合ってもらうから」
「もちろんだ」
それにしても激動の人生だった。
「後半は端折ったがこれがワシの歩んだ道だ。なにも一貫性のない行き当たりばったりの性格がよく分かっただろう」
「そんなことは無い。その時その時で最善の選択を繰り返しただけだよ。ちゃんと考えていると思うし、何より実行力がある」
「……そうか」
身内を次々と失ってよく立ち直った。立派だよ。
「俺には大人の記憶があると言っただろう」
「ああ」
「時代や国は分からないが、その1人の男が生きた41年の記憶がほとんどを占めている。何の取り得もない平凡な男だ。とても英雄とは思えないが何故だか一番身近に感じる」
「気づいてないだけで誰かの英雄かもしれん」
「誰かの……はは、そうかもな」
子供らにとって父親はある意味英雄かもしれない。いや間違いなくそうだ。
「その記憶の男は短い人生の中でも大きな決断を1つ下している。まあ仕事を辞めて実家に戻り農家を継ぐだけだが」
「辞めた理由は何だ」
「父親の最期を見届けるためだ」
「それは最優先としていい」
「父親は俺にとって英雄だった。無いものを沢山持っていた。それなのに死んでしまうなんて」
「大きな喪失感が残っているのか」
「そうだね」
形だけでも父親の真似をして農家となったが中身は全然だったな。
「……ワシを父と思うがいい」
「えっ?」
「こんな中途半端な男で良ければいつでもお前の親となろう」
「ああ、はは……ありがとう、フリッツ」
何だか分からないけど涙があふれた。
「さあ話し込んで遅くなってしまったな、明日も馬車の時間が長いぞ」
「うん、もう寝よう」
ベッドに入り照明を消す。
コルホルから遠く離れたメースリックの地。フリッツがここまで話したのも生まれ故郷に戻り感慨深くなったからか。魔物のいる世界で必死に生きる人たち、その生き様を知る上でとても貴重な時間だった。




