第205話 素材成分
カルカリア北西部に位置するアレリード子爵領、その領主屋敷にて昼食をいただく。
「メースリックまでは30kmほど、1時間半もあれば着く。昼食後に直ぐ出発すれば時間を持て余すだろう。屋敷の庭園でも回ってはどうか」
「管理の行き届いた美しい庭園には興味がありますが、今回は街中で視察を予定しています」
「ほう、どこへ行くのか」
「商会通りと冒険者ギルドロートリスト支部です」
「はっは、仕事熱心であるな。いつ戻る」
「15時頃です」
「そうか、ではその時に馬車を出せるよう手配しておく。2台だったな」
「はい、お手数をおかけします」
「何のことは無い」
しかし子爵ともあろう貴族が格下のメルキース男爵家へここまで世話をするとは。もちろんトランサイト販売権利獲得は十分値するが最終的に権力を発揮したのはアーレンツ子爵だ。俺たちが働きかけたって実際にどの程度の影響力だったのか分からないだろう。
且つて復興まで預かった地域として気にかけているのか。それとも他に狙いがあるのか。うーむ、良い待遇を受けると無駄に勘繰ってしまう。
昼食を終えて客間へ移動する。
「少し休んだらまず商会通りだ。数分で着く」
製品鑑定だね、頑張るぞ。
「リオンはウチの商会員の子として動く手筈だ。カルカリア支部ロートリスト本店勤務予定のエベラルド・アギレルという男で35歳、この次男として振るまえ」
「分かりました」
「お前はマカリオと言う名だ、同行する間はエベラルドを父ちゃんとでも呼べ、いいな」
「は、はい」
俺は今からマカリオ・アギレルか。
「では行くとしよう」
屋敷近くに停車していたコーネイン商会の馬車にミランダとフリッツと乗り込む。ラウルは残ってアレリード子爵家の馬車に慣れるとのこと。
「あ、そうだ、俺は弓術を覚えたようです。20mの的でも高い精度を連続で成功させました」
「おお!」
「リオン様、流石です」
「ですから神の魔物が襲来した際は、まず残り1体まで飛剣で最速で倒し、弓に持ち替えて弓技解放を狙いたいのです」
「うむ承知した。この後、騎士たちに段取りを伝えておく」
数分ほどで商会の入る倉庫へ到着。
「初めましてリオン様、エベラルド・アギレルと申します。本日は商会通りの視察に同行いたします」
「父ちゃん、早く行きたいよ!」
「!? おお、そうだなマカリオ、しっかり見て回るんだぞ」
こういう演技は悪乗りしそうだから自重しないと。
フリッツと護衛2人を引き連れて倉庫を出る。ミランダは騎士たちと先程告げた魔物対応を打ち合わせていた。
通りへ出てほどなく武器商会の連なった一角に差し掛かる。このくらいの距離なら少し足を伸ばしてコーネイン商会まで来てくれるだろう。
「うわー大きいお店だね」
「ここはラウリーン商会本店だよマカリオ、裏手には大きな工房もある」
流石はお膝元、店内展示品も多い。よーし、片っ端から鑑定するぜ。
「次は隣りのアベニウス商会だ」
ここの経営はメースリック子爵家だな。今回カルカリアで2つめのトランサイト取り扱い商会になった。
「次はガイスラー商会に行くぞ」
ゼイルディク北東部のクランツ男爵が経営者だ。アレリードに隣接しているから出店も当然か。
「ここまでの3商会、ラウリーン、アベニウス、ガイスラーが主に騎士や士官学生向けに販売している。店内の雰囲気や客層も似た感じだろう」
「そうだね」
「次は隣りのベントラン商会、ここの経営者は貴族ではないが鑑定士ギルド幹部だ。カルカリアの冒険者の中では最も利用者が多い」
「ゼイルディクのカロッサ商会が大きくなった感じかな」
「おおそうだ、良く知っているな」
精霊石の流通を押さえているのね。
「更に向こうのストランド商会はフェルセン子爵が経営者だ。その隣りはモエレガード商会でラントル男爵が経営している。この2商会も冒険者寄りの客層だな」
「ラントルはアレリードの東、フェルセンはアレリードの南、カルカリアの武器商会って北部から北西部の領主経営に偏ってるんだね」
「昔は色々とあったが今はそうだな。ただ北部商会の歴史は古くても100年前後、南東部オレフェス子爵が経営するガンヘル商会は約200年前に創立だぞ」
「へー!」
「200年前と言えばカルカリア伯爵が子爵になった頃で、ゼイルディクはまだ全面が森で覆われていた」
きっとカルカリアは南部から開拓の手が入ったから、当時最前線で立ち上げた商会が今となっては最古参になるのね。ウィルムの商会がひしめく中でよく生き残ったものだ。堅実な経営方針なのかな。
隣接するブラガス地域は色々と気を使うから鍛えられたのだろう。そう言えばオレフェスってラウルが住んでいたな。オレフェス子爵家の印象も聞いてみたいところだ。
「ところでコーネイン商会はこっちで騎士と冒険者どっち寄りの方針なの?」
「当面は半々でいくと商会長はおっしゃっていた。まあ店舗施設も大きいからな」
客層を分けるためだけに別店舗を構えられるほど広いもんね。
ベントラン、ストランド、モエレガードと冒険者向けの3商会を見て回る。その隣りも武器商会だね、ガンヘルかな。
「あっ、ルーベンス商会か」
「ここで冒険者向けの通りは終わりとなる」
流石手広くやっているね。この店舗は撤退の雰囲気はなさそうだ。
「カルカリアの武器商会は6つなの?」
「うむ。ゼイルディクは北と西に城壁があるから商会も10と多い」
「父ちゃんはお店でどんな仕事をするの?」
「主にお客さんと作る武器のお話かな」
「母ちゃんは?」
「……工房の職人だ、来月こっちに来る」
「兄ちゃんは?」
「……ロートリストの中等学校に夏休み明けに転校する」
「ふーん」
エベラルドは戸惑いながらも応えてくれた。兄が寮暮らしならゼイルディクに残っても良さそうだけど一家で引っ越すのね。ところで俺が扮するマカリオ男児8歳はどういうシチュエーションでここにいるのだろう。本来なら初等学校2年だよな。まあいいか。
「いっぱい見たなマカリオ」
「うん父ちゃん、楽しかった」
しかし鑑定結果に進展は見られなかった。まあ魔物素材に比べれば圧倒的に鑑定経験は少ない。もっと意識して数をこなすべきか。
コーネイン商会倉庫へ戻る。
「帰ったな、次は冒険者ギルド支部だ、引き続きアギレルは同行しろ、私も行く」
ミランダも加わって通りを歩くと直ぐにギルドの建物が見えてくる。なるほど近くにあるのね。これなら素材確保もスムーズだ。
窓口でミランダがギルド職員とやり取りを始める。
「コーネイン商会長、お待ちしておりました」
「伝えていた通り商会員とその子も同行する」
「伺っています、では素材保管施設へご案内します」
フリッツや護衛も従えてギルド職員について行く。
おお、素材が山ほど並んでいる。見たところデルクセンのエストレマ支部と同等だ。恐らく城壁北のエスレプ村周辺の素材がここへ集まるのだろう。
見渡すと素材鑑定士らしき職員が忙しく動いている。買い付けの客も何人かいるようだ。どうも商談を終えた小さめの素材は木箱にまとめて荷車で運ぶが、大きい素材は札のついたヒモも巻きつけて売約済みとしている。
Aランク素材が多く集まったアーレンツ支部では入札制度の様な運用だったが、普段は先着順でどんどん売り捌いているのね。まあ硬化までの時間が限られているし、毎日いくらでも入荷するから回転速度を重視か。
そんなことを考えながら鑑定を進めていく。
『ガルウルフの牙
定着:29日3時間
成分:F04 L03 R01
G03 A01 W01
H12 D11 М13』
うお、なんだ!? 急に情報量が増えたぞ。成分? 文字と数字が沢山並んでいるな。
ふむふむ9つの項目それぞれに2桁の数値があるのね。このガルウルフの牙は上段中段が1~4、下段が11~13と明らかに差がある。HとDとМは何を意味しているのだろう。
他の素材はどうかな。
『キラーホークの角
定着:29日4時間
成分:F15 L06 R02
G09 A17 W04
H01 D07 М15』
この素材はFとAとМが15~17か。さっきの牙より全体的に高めだな。
『レッドベアの角
定着:28日17時間
成分:F29 L26 R06
G27 A02 W08
H02 D14 М26』
おお、数値が上がった、流石はレッドベアだ。なるほど魔物ランクが上がると数値も上がるのか。そりゃ当然だな。4項目が26~29と言うことはDランクが20台、Eランクが10台だろうか。と言うことは。
『マッドマンティスの鎌
定着:27日22時間』
ありゃ、見えない。
『クリムゾンベアの角
定着:28日3時間』
『テリブルグレズリーの爪
定着:28日7時間』
やっぱりだ、どうやらCランク素材は成分が見えない。これは俺のスキルレベルに関係してそうだ。
以降もそれなりに見て回るが成分値を確認できた素材はDランク以下だった。やはりレベル不足で間違いない。その成分値も魔物系統によって偏りがあるらしい。どうやら獣系がF、L、G、鳥系がA、虫系がRの値が高い傾向だ。HとDとМは系統による規則性は感じられなかった。
『エビルアントの甲殻
定着:29日2時間
成分:F02 L04 R20
G07 A08 W10
H08 D06 М09』
ほほうR20か。Rでは見た中で一番高いぞ。どうもEランクは20が上限らしい。
「どうした坊主、難しい顔をして」
「えっ、いやあ魔物素材って色々あって楽しいですね」
「はは商会員の息子として有望だな」
鑑定士たちにも子連れの視察は伝わっているようだ。
「これはどこへ運ぶのですか」
「仕分けするんだよ、興味があるならついて来な」
「はい!」
彼はR20と札が掲げられた区画へ素材を置く。成分の通りだ。
「R20って何を意味しているのですか?」
「根菜向けの肥料として効果が高いのさ、えーっと、大根や人参、芋やニンニクなんかの畑に振りまくとよく育つんだ」
「へー!」
なるほど肥料用途か。
「あっちのFやLの区画は何ですか?」
「Fは果樹向けでブドウやリンゴなんかの肥料だ。Lは主に葉物野菜でレタスやホウレンソウなんかに使う。麦やトウモロコシはFとLを混ぜるって聞いたな」
「そんな意味があるのですね、じゃあGやAは?」
「Gは家畜飼料で牛や豚や羊の餌に混ぜる、Aも家畜だけど鶏に与えるのさ。Wは養殖の魚と聞いたな」
そっちは飼料か。
「じゃあHやDは?」
「……Hは人間が食べる料理に混ぜるそうだ。何でも免疫力向上に繋がるらしい。ああ、病気になりにくいってことだ。DとМは知らん」
「そうなんだ」
「部位ごとにも高くなりやすい数値があるぞ、頭の角はFLGが高め、肩や背中はLGだな。この甲殻はRが高めになりやすい。それで虫系はRが元々高いから、このエビルアントの甲殻は最も根菜肥料として向いているのさ」
「へー、ありがとう教えてくれて!」
「武器用途で買い手がつかなかった素材は、全部ちゃーんと仕分けして加工場に運ばれるんだぞ」
「おっちゃんたちのお陰で美味しい料理が食べられるんだね!」
「よせやい、農家や料理人に比べたら大したことはないさ」
これはいい社会勉強になった。
それにしてもこの世界はいたるところに分かり易く数値なりを用意しているな。本来は人間が色々と試して独自に基準を設けるもの。それが用途含めて提示されれば楽ではあるけど創意工夫する余地が少なくも感じる。
これらは間違いなく神が創り出した世の中の仕組みだ。それを逸脱することは許さないと言わんばかり。こりゃ化学肥料なんか作ったら絶対に気を悪くする。そもそも魔物肥料の効果がかなり高いから出番はなさそうだけど。
さて14時40分か、そろそろだな。
「父ちゃん、終わりにする」
「じゃあ帰ろうか」
ギルドの管理施設で挨拶をしてコーネイン商会倉庫へ向かう。
「エベラルド、ありがとう」
「リオン様のお役に立てたなら光栄です」
ところで彼にはどの様な目的で伝わっているのだろう。武器と素材を見て回るって鑑定関連の何かだよな。まあ祝福を目指しての特訓、或いは既に習得済みの鑑定スキル訓練か。いずれにしてもミランダの指示なら従うまでだ。
「では出発する」
ミランダとフリッツと共にコーネイン商会の馬車でアレリード子爵屋敷へ向かう。
「成果はあったか」
「素材成分を閲覧可能となりました」
「おお!」
「職員に質問していたのはそれが理由でしたか」
「商会長やフリッツは素材成分のDとМの意味は分かる?」
「……知らん」
「ワシも存じません」
そっか、ちょっと専門分野っぽいからね。
ほどなくアレリード子爵屋敷へ到着。おや、子爵とラウリーン商会長が玄関前で待っているな。
「帰ったな、ウチの馬車はいつでも出られるぞ」
「お手数をおかけします。ラウルはいけそうか」
「はい、コーネイン夫人。とても素直な馬です」
武器などの荷物をアレリード子爵家の馬車に載せ替える。防衛部隊の騎士と護衛はもう1台の馬車に乗り込んだ。
「随分と武器を携行しているのだな」
「メースリックで空いた時間にリオンの訓練のためです」
「はっは、両親は冒険者だったな」
なるほど聞かれたらそう答えるのか。
「折を見てクラウス殿や夫人も我が屋敷へ来るといい。エスレプ視察も兼ねれば色々と参考になるだろう。あそこもコルホルと同じ城壁外の開拓村だ」
「その時はお願いします」
確かにカルニン視察はとても有意義だった。
「では行ってまいります」
「実り多き旅を願っておる」
「お気をつけて」
屋敷の使用人も加わって大人数の見送りとなった。
「随分と丁寧な対応ですね」
「フン、手を振るくらい誰でもできる」
まあそうだけど。
「メースリックへは1時間半ほどか。ロートリストの町を出れば牧場や畑が広がっている。恐らく隣接するラントル男爵領のクリング川まで何も無いぞ」
ミランダのいう通り数分走ると一気に開けてきた。
「おや前方に大きな城壁が見えますね」
「あれは且つて騎士団駐留所だった施設だ、今は何に使っているかフリッツ」
「食肉加工や乳製品製造、それにパンやパスタなどの小麦製品の工場です。城壁は3km四方あり、中には住居や学校なども一通り揃っています。周辺地域含めてマーマッド加工区と呼ばれています」
「へー、1つの町だね」
城壁からはひっきりなしに馬車が出入りしている。賑やかさが伝わって来るね。
「ここを左折すればメースリック子爵邸まで1本道となります」
巨大な環状交差点を抜けると大通りに入る。片側6車線と無駄に広い。その沿道には建物は少なく牧場と畑が広がっていた。
「この道は2190年から2210年までの20年間、城壁が通っていました。その2210年には北へ10km拡張し今のカルカリア城壁となったのです」
「だからこんなに広いんだね」
「当時の側道もそのままですから単純に城壁の奥行が道路として中央に加わりました」
明らかに交通量に見合ってないけど狭いよりはずっといい。
「じゃあさっきのマーマッド駐留所が活躍した時代は2190年以前になるのかな」
「はい、2160年頃から2190年までの約30年間、カルカリア北西部の重要拠点として役目を果たしました。2190年にこの通りに城壁が拡張されてからはマーマッド検問所に役目を変えます」
「フリッツはよく勉強しているね」
「城壁拡張の歴史は基本です。もちろんゼイルディク方面も学んでいますから折を見てリオン様へもお伝えします。年代ごとの地図を交えれば分かり易いでしょう」
「その時はお願い」
どの様に城壁が広がっていったかね。
「20年ごとの拡張が基本期間のため次は12年後の2310年となる。ブレイエム監視所まで拡張するならあそこも検問所と役割を変えるだろう」
「おー、10km広がるのですね」
「コルホル周辺の開拓状況によっては村をまるごと城壁内に収めてもいい。クラウスの屋敷の西側をレナン川沿いに西区まで通して、北区から東はアルカン川をまたいでグレンヘン駐留所付近まで、そしてマクレームへ繋ぐ案もいいだろう」
そうか、将来城壁が通る区画を見越して開発を進める必要もあるな。
「監視所より南はレナン川沿いにボスフェルトまで繋いでもいいが、向こうの開拓状況次第では現状維持となる」
「あれ? ロルバス村でしたっけ、トランサイト配備で奥地まで開拓できるなら城壁も広がりそうですけど」
「レナン川の向こうには南北約30kmの山脈があるのだ。従って王国城壁はその山脈の北端と南端にそれぞれ独立して西へ伸ばすしかない」
「地形は仕方ないですね」
ただかなり歪な形になるな。
「2350年、間に合えば2330年の拡張に合わせて山脈ごと城壁内に取り込める。つまり山の向こう側で繋がるのだ」
「えー、あんな大きな山脈が城壁内に入るのですか」
「あの程度の山は国内にいくらでもある。アルカトラ侯爵領とモレド侯爵領なぞ約200kmに渡って高い山脈で隔たれているぞ」
「200km! サンデベールの東西と同じ長さじゃないですか」
でも考えてみれば王国内が平野ばかりなワケない。
「近いうちに国内の地形も学ぶといい。いたるところに山地があり、それを領地城壁で囲っているのだ。王国城壁はどちらかと言うと国境の基準点という意味合いが強い。もちろん魔物襲来に備えているが規模によっては突破される。それなら厚みと高さを上げればいいが20年の更新頻度ではあれが限界なのだ」
確かに上を見たらきりがない。何より精霊石から抽出した石である以上、昇華後に同じものを作る前提だもんね。
「あれ? さっきのマーマッド加工区、以前は駐留所だったなら城壁は理解できますが、今は王国城壁内にあります。もう個別の城壁は不要に感じますが、もしかして天然の石ですか」
「その通り」
「なるほど、撤去するにも手間ですからね」
「それもあるが王国城壁を魔物が突破した際に避難施設として機能させるためだ。実際に2218年にカルカリアは大規模な魔物襲来で城から北半分が壊滅状態となった」
「え!?」
なんとカルカリアもそんな被害を受けていたのか。
「犠牲者はゼイルディク壊滅時よりも多い。サンデベールではここ100年で最も凄惨な魔物被害だった。そんな中でもマーマッド加工区は持ちこたえて復興時の食糧確保にも一役を担った」
「なるほど! 食肉、乳製品、パン、パスタ、それらの在庫が数多くあったのですね」
「駐留所跡地の城壁を残したまま食品加工場とする領主が多いのはそのためだ」
そっかー、かつては最前線で騎士や冒険者を守っていた施設だからね。頑丈な作りなんだ。
「そろそろクリング川を越えるな、対岸に街並みが見えて来ただろう」
「商会長、メースリックってどんな町ですか」
「人口は約7万、全域に畜産や野菜栽培が盛んだ。施設では北西部の城壁近くに士官学校や養成所、冒険者ギルドが集まっている。中央の子爵邸宅付近は商業地で飲食店も多い、南部は果樹栽培も広域に取り組んでいるな」
「へー、色々あるんですね」
「領主は全域を子爵家、南部ブランシュ地域を男爵が担っている。確か木工職人ギルド長で専門学校も屋敷近くにあったな」
ほほう、家具商会とかやってそうだな。
「そして城壁外側のカルージュ地区、あそこも子爵領だが男爵を置いている」
「開拓村ですか、じゃあ騎士貴族なんですね」
「いいや、ただの商人だ。カルージュには大規模な別荘地があってな、バレルマ湖の南はロムステル側含めて金持ちが船遊びをするための施設が充実しているのだ。そこの運営を担っている。確か宿泊ギルド幹部も務めていたな」
「あの大きな湖沿いですか」
バレルマ湖っていうのか。地図で何度か見た限り琵琶湖くらいの大きさだったな。
「湖では漁業や養殖業も盛んだ。その水産物を使った飲食店がメースリック北部には多く、やや高級志向ではあるが金と時間に余裕のある連中が遠方からも訪れると聞く」
「商会長は時折り引っ掛かる言い方をしますね」
「フン、大した教養の無い小金持ち相手なら商売もやり易い」
「分かった! 妬みですね。地理的な恵みを享受しているのが羨ましいと」
「ほう、言ってくれるじゃないか」
「商会長は他人の商売がうまくいっていると何かとケチをつけたがる気がします」
「いや違うぞ、物の価値をよく知っているからこそ至る思考だ。そうやって目利きを積み重ねないと無駄に高い買い物をさせられるぞ。貴族となるなら覚えておけ」
「あっ……はい」
まあ言わんとしていることは分かるけどね。
「トランサイトなぞ最たる例だ。本当に100億が価値に見合っていると思うか?」
「……えーと、随分と高いですね」
「今の生産速度で広まれば3年後の更新時にはせいぜい30億程度だ」
「えっでも依存すれば何億でも買ってくれそうですが」
「その頃にはAランクの魔物合金がかなり充実する上、高性能な魔物装備も多く出回るだろう。つまりトランサイト抜きでも戦力の大幅な強化が成されるのだ。全く不要とは言わないが同じ本数ではなくとも十分戦える」
あー、そういうことか。
「1カ月もすればクラウスもソフィもサラマンダー武器を使いこなす。冒険者と言うのはな、扱い辛い素材を制御下に置いたと顕示したいものだ。誰でもすぐ使えるトランサイトでは面白くないだろう」
「ちょっと分かる気はします」
「だから物珍しさで飛びついている今、なるべく高値で売りぬけるのだ」
まあ30億になったとしても十分ぶっ飛んだ金額だけどね。
「大通りから中道に入ったぞ、そろそろメースリックの屋敷じゃないか」
ミランダの言う通り敷地を示す長い壁が見えてきた。ほどなく正門前に停車しラウルが門番とやりとりをする。
「しっかり役割を果たしているではないか」
「そうですね」
ラウルはこっちに来て短いのに成長したな。いやせざるを得ない境遇ではあるが。とは言え慣れない仕事で心労が蓄積しているはず。この旅が終わったらしばらく休暇を与えよう。




