第2話 宝石と魔物
体が軽くなると沢山の何かが集まった。高速移動の後、再び何かが集まり急降下する。不思議と怖くは無い。むしろ暖かい安らぎと幸福感に包まれた。それらは一瞬にも何年にも感じられた。
「う……ん」
「……オン、目が覚めた?」
この声は妻、いや母さんか。
「母さん?」
「そうよ、気分はどう?」
そうか母さんか。薄目からこちらを覗き込んでいる人影が見えた。
「うん」
よく分からないまま返事をした。どうやら俺は横になっている。確か収穫の途中だったが。
「収穫は?」
気になって思わず声が出る。
「父さんが朝終わらせたわよ」
そうか父さんが。なら安心だ。
ふぅ、起きたら納屋で作業の続きだな。台風の影響が少なければいいけど。それにしても父さんが手伝ってくれたなら心強い。
……あれ? 父さんは倒れたはず。そうか。もう治ったのか。
いや……。
「!」
父さんはずっと前に死んだ、母さんは何を言ってるのか。
「どうしたの急に起き上がって」
言葉の主は金髪に青い瞳の20代半ばの女性だ。
「だれ!?」
「え? あなたの母さんよ」
母さん? いや俺の母さんは60代で黒髪黒目だし顔も全然違う。そもそも外人じゃない。……あれ? 母さんはどんな顔だっけ?
「深刻な顔してどうしたの。熱はまだあるのかしら」
女性は手を伸ばして俺の額に手をあてた。一瞬、ビクッと身を引いたがクラッとしたので倒れないように集中する。
「熱は下がったみたい。お水ここに置いておくから。ちょっと父さん呼んで来るわ」
そう告げて女性は部屋から出る。
……どういうことだ。
畑で収穫していたはずだが、目の前が真っ白になって気づいたらここだ。まさか倒れて運ばれてきたのか。さっきの女性も熱がどうとか。それならここは病院か。今の女性は看護師?
台に置かれた水を飲み干す。ふー。
周りを見渡すと10畳ほどの部屋だ。室内にはベッド2つと2組の机と椅子だけ。家具の他、壁や床を含めて全て木造。生活感が薄いのは病室だからか。
窓は2個所。俺の寝てるベッドに面した窓からは隣の建物が見える。もう1つのベッドの奥の窓からは白っぽい壁が見えた。
「どこの病院なんだ」
言葉を発して違和感に気づく。俺の声じゃない、ずっと若く感じた。喉がおかしくなったのか。
自分の声に戸惑っていると、扉が開いて20代後半の男性が入って来る。髪は短髪だが色がおかしい。緑? 瞳は青緑かな。普段着のような服は所々汚れている。体つきはしっかりしていて少し汗ばんでいるようだ。
彼の後にさっきの金髪女性も続いた。
「リオン、体調はどうだ?」
男性が話しかけてきた。誰だこの人。医者? 看護師? それにしてはラフな格好だ。その上、染髪にカラーコンタクトとは。この病院はかなり自由な環境らしい。でもなぜ俺をリオンと呼ぶのか。
そしてずっと感じていた違和感がようやく分かった。さっきから話してる言葉が日本語じゃない。でも何故か理解できて話せている。どういうことだ。俺はいつの間に習得したのか。
男性は心配そうに俺を見つめる。ああ調子だっけ。
「えっと体調はよく分かりません、なんだかぼーっとしてます。いえ、声がおかしくなりました」
「声が? いつもと同じだぞ。ところでどうして丁寧な言葉遣いなんだ。俺は貴族じゃないぞ」
普通に話してるつもりだが、医者にタメ口はいかんだろう。貴族? なにかのジョークか、分からん。
「うーむ、母さんの言った通りやはりちょっと変だな。リオン、この人はだれか分かるか?」
男性が女性の方を向く。
「分かりません。看護師さんですか?」
男性は固まり、女性は両手で口を覆った。
「リ、リオン。この人はおまえの母さんだ。俺は分かるか?」
「分かりません。お医者さんですか?」
男性は肩を落とし、女性は涙目だ。
「こりゃまいったな。熱でやられちまったのか」
「そんな……確かに高熱だったけど」
「礼拝堂に行ってまた診てもらうように頼んでみる」
「そうよね、それがいいわ。お願い!」
「じゃ、行ってくる」
男性は急ぐように部屋を出た。礼拝堂? 何の話だ。
「司祭が来る前に着替えましょう」
確かに汗でびっしょりだ。女性は足元の桶でタオルを濡らして硬く絞った。
「はい、脱いで。拭いてあげる」
「自分でやります」
寝たきりではない。そのくらいできる。服を脱ぐと女性はそのまま俺を見ていた。えっ、ちょっと恥ずかしいな。まあ看護師なら見慣れているのか。
全裸で体を拭いていると違和感を覚えた。手足が短い。指も子供みたいだ。股間に目をやると毛が生えておらずツルツルだった。
「ええっ!?」
「ど、どうしたの?」
寝ている間に剃られたのか!? 何でそんなことを。いや根本的に何かが違う。これは俺の体じゃない、明らかに小さくなっている。いやいやそんなことあるはずない。けど俺の体だ。もしかして縮んだのか。
「トイレに行ってきます」
ひとまず用を足してから聞いてみるか。新しい服を着てベッドから降り、靴を履いた。着替えたら気分がスッキリして少し落ち着いたようだ。
「フラフラしない?」
「大丈夫です」
部屋の扉を開け正面のトイレに入る。洋式の水洗トイレだ。すぐ用を足して水を流すと、手を洗ってる時に気づいた。
「あれっ!?」
なぜトイレの場所を知っているのか。迷わず入ったぞ。それに今どうやって水を出した? 便座近くのレバーをひねると水が流れたが、これはいい。問題は手を洗った水だ。手洗い場には見慣れた蛇口ではなく、壁から伸びた棒の先に青っぽい宝石が取り付けられている。
確か手をかざしたら水が出た。もう一度やってみよう。
シャー
出た!
そしてすぐ止まった。
どうなってるんだこれ? 手をかざして反応するのはセンサーだろうが、水が出る構造が分からん。もう1回やってみた。今度は横から見る。
シャー
そしてすぐ止まる。
んんん!? 水が宝石から出てるように見えるぞ。
シャー
いや、よく見ると少し離れた空中から出ているのか。
シャー
間違いない、空中から出てる!
宝石が取り付けられた金属製の棒は細いため、中に水道管が通っているとは考えにくい。その金属棒はある程度の長さを二つ折りに曲げ、頂点を円状に加工してある。その円部分で上下から宝石を挟んでいる。文具のダブルクリップの摘み手部分と言ったらいいか。
上部金属棒の付け根にヒンジらしき構造が見える。棒を上げれば宝石を取り出せそうだ。ストッパーらしき部品をずらすと上の棒が少し浮いた。
キィ
金属がこすれる音と共に上半分の棒が上がる。宝石は下半分の棒に乗ってるだけ。
宝石を手に取ってみた。
形状は囲碁の石に近い。上から見ると直径7~8cm、厚さは最も厚い中央部で3cmほどか、色は全体的に青だ。ただ均一ではなく濃淡も見られ、少し渦巻いている。よく見ると表面から1mm程度の透明な層がある。
何故この宝石から水が出るのか。いや金属棒か? それにしてもなんというハイテクな、はたまたイリュージョンか。手の込んだ手洗い場だ。
この状態でも出るのか?
宝石から水が出るイメージをしたら水が出た。
「うわっ!」
びっくりして思わず宝石から手を放す。水が服にかかって濡れてしまった。ああせっかく着替えたのに、ええっと宝石はどこ行った。
「何してるのリオン」
「!」
しゃがんで宝石を探してると後ろから声がした。振り向くと先程の女性だ。
「あ! いやーそのー」
マズい壊したかな。
「遅いから心配したのよ。あら、もう精霊石が空になったの? まだ替えてそんなに経っていないのに」
なに、せいれいせき?
女性は床の宝石を拾って金具に戻す。そして手をかざし水が出た。
「これでいいわ」
「ああどうも、すみません」
「……部屋に戻りましょう」
「はい」
あーびっくりした。宝石から水って魔法みたいだな。
トイレ前の廊下の先は、下り階段のみで上り階段はない。ここは2階以上の建物で最上階らしい。階段の幅は人ひとりがすれ違える程度。病院にしては狭いように感じる。これは普通の住宅と考えていいな。
女性と部屋に戻り、ベッドで横になる。
目の前の女性は俺の母親だと主張するが、知らない人だ。そして出て行った男性を含めて俺をリオンと呼ぶ。俺はそんな名前じゃない。俺の名前は……えーっと、あれ? 分からない。何故だ。
「司祭が来たぞ!」
先程の緑髪の男性だ。その後にローブをまとった白髪の50代男性と20歳ほどの女性が続く。おお医者と看護師っぽい!
「……状態異常は感じられません。健康です」
ベッドに座った俺の頭や体を触りながらローブの女性は告げる。聴診器などを使わずに分かるのか。そもそもこの女性が医者?
「リオン、昨日は何をしていた?」
白髪の男性が問う。またリオンと呼ばれたな。それで昨日か。台風の影響が大きくなる前に急いで収穫していた。
「畑で収穫です」
「そうか」
「リオンは畑に行っていない。夕食後に急に熱が出て……!」
白髪の男性が手を上げると、緑髪の男性は言葉を止めた。
「聞きたいことはあるか」
そりゃ沢山あるけど、まずは場所だな。
「ここは何処ですか?」
「カイゼル王国のサンデベール、その北西に位置するコルホル村だ」
「知らない地名ばかりです」
はあ? 王国? ヨーロッパか。確かに皆、西洋人の顔立ちだ。
「ここはヨーロッパですか? そんな遠いところへ何故俺は運ばれてきたのですか? 健康なら家に帰りたい」
「ヨー……? そのような地名では無い。ここがリオンの暮らす家だ」
うーむ、話が全く噛み合わない。そうだ体のことを聞こう。
「体が縮んで声も変わりました。何故ですか?」
「リオンは何も変わっていない。昨日と同じだ」
いやいや明らかに変わっている。
「どうも記憶を失った混乱で、妄想を引き起こしている」
「やっぱり記憶が」
「うぅ……リオン」
緑髪の男性はがっくりと肩を落とす、金髪の女性は胸の前で手を組み、悲痛な表情だ。
「ひとまず様子を見よう。一時的な記憶障害は数日から1ヶ月ほどで治ると聞く。何かをキッカケに一気に思い出すこともあるらしい。その間は先程の様に意味不明な言葉を発することもある。従って、人には会わせない方がいい」
「分かった。家から出さない」
「それでは失礼する」
「連日、ありがとう」
ローブの2人は去った。
むむ、記憶障害に妄想だと。何を言っているのだ。いやもしかして妄想なのか? 何だか自信が無くなる。
「昼食は部屋に運ぶか。風呂も行かせずに、体を拭いて我慢してもらう。数日はその対応で」
「その後は?」
「……うーん」
2人は不安気に言葉を交わす。
ちょっと整理しよう。
まず現状は夢では無く現実だ。そのくらい嫌でも分かる。
次に俺の記憶だ。41歳まで生きたあの記憶。しっかりと覚えている。妻と付き合い始めたころに手をつないだドキドキ。生まれた子供の柔らかい手、ぷにぷにのほっぺ。抱き上げた軽さ。父親を看取った虚無感。初めて栽培した野菜を収穫した喜び。夏の日に高校野球を観ながら食べた素麺の味。
これら全てが妄想だと? 俺が作り上げた空想の物語なのか。自身の体から推測するに小学生ほど。そんな子供の頭で考える内容とはとても思えない。もしやとんでもない天才か、それともあまりにリアルな妄想をしていたせいで現実と区別がつかなくなったとでも。
それにしては記憶にある妻や子供たち、両親や親せき友達、皆の顔も名前も思い出せない。そもそも俺自身が分からない。お互い顔を見て名前を呼び合っていたのに。妄想にしてもまず考える要素が抜け落ちているのは何故だ。
いや、俺は知っている。皆の顔や名前も俺自身のことも。知っているのに思い出せない。この感覚は自身の考えた設定ではない。他の記憶も実体験に基づく記憶であり、決して妄想なんかではない。
ではこの状況は何なのだ。日本でもヨーロッパでもない、どこかの王国のなんとかという村。周りが嘘を言っているようには見えない。そして水の出る宝石。あのような高度な技術は日本で……いや、地球上でもないはず。
えっ、地球ではない? そんなバカな……いや待てよ。目の前が真っ白。気づくとベッドの上。知らない人たちと言葉。縮んだ体と高い声。水が出る宝石。
「リオン、そう慌てることはない。自然と戻るってさ」
「もし思い出さなくても心配しないで。私たちの大事な子に変わりはないから」
「おうそうだ。また楽しい思い出を沢山作ればいい!」
2人とも笑顔で俺を見る。
カンカンカン! カンカンカン!
なんだ!? 鐘を叩く大きな音が鳴り響く。
「魔物だ、飛行系か。リオンはトイレでじっとしてろ。行くぞ!」
「ええ!」
一転、鬼気迫る表情で2人は部屋から駆け出る。何が起こった。
ああ魔物か。
えっ、魔物? 確かに男性も同じ言葉を発していた。
俺はベッドから降りて言われた通りにトイレへ向かう。
「キラーホーク3体だ!」
「弓士と魔導士は城壁の上へ!」
「1体下りて来るぞ!」
大きな声があちこちから聞こえる。その後も数分間、掛け声らしき叫びが何度も響いた。
ギャアース
生き物の鳴き声か。
ギャアアース
まただ。
「あと1体だ!」
「こっちに引き付けるから体勢が崩れたら撃て!」
ギャアアアァーーッス
今度は近いところで鳴き声が。
ドスン
すぐに重いものが落ちる音が僅かに聞こえた。
「やったぞ!」
「もういないか!」
「よし終わりだ!」
ドンドン ドドン ドドン
太鼓? 打楽器らしき音が鳴り響く。しばらくしてあの女性が俺の元にやって来た。
「終わったわよ」
「何事ですか」
「魔物よ。キラーホークが3体。魔物も忘れちゃったの?」
「ええと……」
「この辺は魔物が多くて、今みたいに私たちを襲ってくるの。でも心配ないわ。みんな強いから」
「は、はい」
ひいー、何という環境だ。
「報告に下りるわ。すぐ終わるから」
女性は去った。部屋に戻りベッドに入ると、外から子供たちの遊ぶ声が聞こえる。
魔物か。
俺は、いやこのリオンと呼ばれる男児は魔物を知っている。トイレの場所も、宝石から水の出し方も知っていた。言葉も理解できて話せている。つまりここの生活や環境に適応している。記憶には無いが、体や潜在意識には刻まれているのだ。
俺が倒れて運ばれてきたのではない。元々ここで暮らしているリオンに、何らかの理由で俺の記憶が加わった。そう考える方が状況から判断すると妥当だろう。
ではこの記憶は何だ? やはり妄想なのか? いや絶対に違う。日本という国、俺も俺の家族も確かに存在した。
畑で真っ白になってからこの状況だ、あの現象に何かあるに違いない。俺は台風被害を抑えるべく暴風雨が緩んだため収穫へ向かった。妻との会話はあれが最後だ。その時、遠くでは雷鳴が聞こえていた。
もしや落雷が直撃したのか。真っ白な視界はその瞬間だったと。そして死んだ俺は転生しリオンとしてこの世界に生まれ前世の記憶が甦ったと。
「フ、フフフ……」
変な笑いが込み上げる。そうここは魔物が存在し、宝石から水が出る世界。地球ではない。
異世界転生。
前世かは分からないが、記憶の妻はいわゆるライトノベルを好み、初めて彼女の部屋に入った際に趣味であると明かされた。俺も影響されて読み始めた。
作品の舞台設定では異世界転生が人気だったが、まさか自分の身に降りかかるとは。いやまだ決定するには早いが、状況を整理すると他に説明はできないのも確かだ。
はあー、どうしよう。でもどうしようもないか。それにしても突然だな。
もし転生なら前世に残した家族が心配だ。子供は2人とも小学校低学年とまだ小さい。妻は俺を失って母子家庭となるのか。母さんも息子を失った。俺も農業を頑張っていたのに。
なんでこんなことに。
涙出てきた……。
ベッドの中で膝を抱えぎゅっと目を閉じる。様々なことが続き疲れた。