第175話 アーレンツ支部
メルキース男爵より希少な魔物装備がジルニトラから出たと報告を受ける。その腕輪は鉱物共鳴に15%と13%を加算でき、魔力操作の長けた者が合わせて装備すれば100%を十分超える。これはトランサイトの試験素材生産110%に到達できる計算だ。
フローラから聞いた話では合金のトランサス割合が変化共鳴率に連動しているとのこと。例えばトランサス70%なら130%、トランサス80%なら120%、つまり合わせて200%になる計算だ。一般的に合金に含まれるトランサスは60~70%が多く、80%近くで仕上げるには高い技術が必要とのこと。
俺のミランデルはトランサス81%、つまり共鳴119%で生産できた。ミランダが到達できる共鳴は85%、ジルニトラの腕輪2個で113%まで実現できる。既に試験素材の条件は超えているが、更に自力で91%まで高められれば合金をも生産可能となる。
ミランダは元々魔力操作が得意であり、子供を3人産んでいるため魔力量も多い。その上剣技レベル29なので剣の生産に特化して訓練すれば、或いは近い将来可能性がある。もちろん彼女ではなくても既に世の中には91%に到達可能な人間もいるだろう。
従ってジルニトラの腕輪2個の所在がかなり重要となった。男爵の話では騎士団アーレンツ支部へ保管されているはずだが伯爵の手に渡った可能性もある。城なら90%付近を実現できる者がいるかもしれないが、それだけでは生産できない。そう、強化共鳴と変化共鳴の違いだ。これに気づいて習得できるか次第だな。
そんなことを悶々と考えながら客間の懇親会に合流する。男子と女子が集まっている席にはカレルの姿があった、養成所から戻ったのね。
「リオン、いらっしゃい」
「食堂はどうだった?」
「まあ普通かな、寮の部屋もよくある作りだった」
だろうね。
「でも養成所の敷地はかなり広い、色んな訓練が出来そうだよ」
「士官学校も広いぞ」
「そうね、アルデンレヒトの2倍はあるわ」
「あっちは保安部隊だからな、バウムガルドはもっと広かった。ただメルキースは更に広いな」
要は敷地を囲む壁次第と思うが。郊外にあればいくらでも広げられるわな。
「そうだ、父さんの邸宅敷地はメルキース士官学校が2つ入る広さだよ」
「はあ!?」
「凄いな!」
「流石トランサイト男爵と言われるお方だ」
「村周辺の森を切り開けばいくらでも土地を確保できるからね。ただ広いのはいいけど警備も多く必要になる。対人も魔物もここのみんなの活躍を期待しているよ」
「お任せください」
「私も屋敷でのお勤めを目指して頑張ります」
そんなことを話しているとお開きの時間となった。俺はクラウスと客室へ向かう。直ぐに風呂を済ましてソファに身を沈めた。
「子供らとも仲良くなったようだな」
「うん、みんないい子だよ」
そうだ、クラウスの意見も聞いておくか。
「あのさ父さん、変化共鳴のこと伏せたままがいいかな」
「実は俺も男爵の話を聞きながら思った、共鳴率到達だけでは無理だろうってね。変化を知っているのは俺と母さんとフリッツだけか」
「フローラさんは知らないけど何か感づいているとは思うよ」
「近くで見ているからな。まあ俺はミランダなら教えてもいいとは思う、他にエリオットや男爵も、神の封印を知っている面子ならな」
「そっか」
よく考えたら生産に関わることだからね。職人として報告義務はあるかもしれない。
「頃合いはお前が決めればいい」
「うん、分かった」
そもそも変化共鳴を習得する難易度が俺では分からないからね。それを探る上でもミランダには知ってもらうべきか。
「さ、寝よう」
ベッドに入ってお休みの挨拶を交わす。
◇ ◇ ◇
朝だ。既に起きていたクラウスと挨拶を交わし顔を洗って歯を磨く。
「着替えが部屋の前にあったから入れておいたぞ」
「うん」
昨晩脱いだ服は洗濯乾燥を終えて戻って来た。多分他の身内の服もここの使用人は同じ様に対応したから数があって大変だったね。いや着替えくらい持参してるかな。あー、でも。
「父さん、身内の人たちも相応しい服装が必要だね」
「おおそうだな、今日合わせに行ってもらうか」
庶民のいい服ではまだお客さん感覚だ、貴族家に仕えるならもっと品質にこだわらないと。そうやって着こなすうちに威厳や気品も備わるだろう。なんて他人事ではないな、まずは俺たちが手本を示さないと。
「軽く走り込みの訓練をするか」
「うん」
2人で庭園に出る。
「まだ暗いな、今日は雨かもしれん」
確かにどんよりしてる。出掛けるから多く降らないで欲しいが。
「念のため最初の身体強化はゆっくりやれ、ちょっとでも痛みが出たら止めるんだぞ」
「分かった」
少しずつ魔力を集中して強化する。流石に丸一日以上休んだから問題は無かった。クラウスも一緒に軽く走り込みを続ける。
「ここにいたか」
「おはようございます、商会長」
「ミランダも訓練か」
「いや今日の予定についてだ。城に10時なら8時に出れば十分間に合うが立ち寄るところがあるため朝食後に直ぐ出発する」
「どこだ」
「騎士団アーレンツ支部だ、あまりお目に掛かれない魔物素材が多く保管されているからな。リオン、例の訓練に利用するといい」
「そっか!」
鑑定するんだな。フローラの話では種類をこなせば上達に繋がる。これはAランク素材を稼げるチャンスだ。
朝食を終えて出掛ける準備をする。城へ向かうのはクラウスとソフィーナそしてミランダだ。
「イーデンスタム家はアルデンレヒトを朝食後に出発する。ここには昼までに到着するだろう」
「分かりました男爵、では行ってきます」
マティアスやランメルトたちも見送りに加わったため玄関前は大人数だ。そんな遠くへ行かないけどね。身内のみんなは頃合いを見て服を合わせに出掛けるらしい。
それでアーレンツ支部か、ただ討伐地点に一番近いのはメルキース支部だよな。
「商会長、何故素材はアーレンツで保管するのですか」
「ベルソワ検問所付近はアーレンツ子爵領だからだ。メルキース男爵領は城壁含めてこちら側、我々が戦ったのは壁の向こう側だ」
「そういうことですか」
「ただクエレブレは城壁直下のため微妙ではある」
「確かに討伐後に少し寄りかかっていたからな。お、ならばバイエンス男爵の倒したガルーダはメルキース支部にあるのか」
「もちろんだ」
ふーん、じゃあほとんどアーレンツへ行ったのね。
「素材を売ったお金は騎士団へ入るのですか」
「いや領主だ」
まあ騎士の給金を負担しているからね、それを持っていかれるのは厳しい。なるほど領地の人口が少なくて税収が見込めない代わりに領地内討伐の魔物素材は売ることが出来る。そういうことか。
「Aランクが討伐されると注目度が高くなる。素材が運ばれる支部には商会の仕入係や貴族の使いが集まって来るぞ」
「じゃあ今回はかなり盛り上がっているな」
「もちろんだ、なにしろアーレンツ子爵領地でのAランク討伐数は実に12体だからな」
「12体? 検問所が9体だろ、それから村のサラマンダー、あとの2体は?」
「バーゼル駐留所より東へ3km、西部討伐部隊が仕留めたリンドブルムとガルグイユも含まれている」
「あそこも領地だったな」
改めて広いね。
「でも西部が倒したのに素材だけ持っていかれるといい気はしないですね」
「おお、そうだな、西部の管轄はメールディンク子爵が領主だろ、給金を払って怪我人も出ているのに割に合わないぞ」
「それはお互い様、北西部も他で倒せば同じことだ。ただ境界付近の魔物討伐は揉めることが多い」
「はは、どっちで倒したかで素材の取り合いか」
追い詰めて止めを隣りの領地なんてのも嫌だなぁ。
「実はグレンヘン検問所より東へ3kmの地点で倒したクエレブレ、間違いなくアーレンツ子爵領内だがフローテン子爵が難癖をつけて持って行った。戦ったのは北部の騎士であり、もうそっちは12体もあるんだから取り過ぎだと」
「えー」
「まあ貸しが出来たと思えば」
次回、境界付近で討伐したらそれを貰えばいいか。
「それで例の腕輪についてだが」
「おおそうだ、今どこにあるんだ」
「ひとまず経緯から説明する。一昨日18時頃か、アーレンツ支部にて売却対象の素材、魔石、装備の一覧が発表された。その中にはジルニトラの腕輪2つも含まれる、性能は共鳴15%と13%加算だ」
「かなりの注目を集めたのでは」
「当然だ、これまで聞いたこともない数値だからな。途端に大騒ぎとなり値付け合戦が高騰の一途をたどる」
「どのくらいまで上がったんだ」
「正確には分からんが20~30億と聞いている」
え、その程度?
「安くないか」
「いや十分高い、通常の使い方ならばな。それがトランサイト生産に結びつくと分かれば100倍は軽く超えるだろう」
「確かに」
では腕輪2個で5000億、間違いなくおかしい金額だがトランサイトの利益を考えると妥当かもしれない。
「ところが2時間ほど過ぎて突然訂正を発表した。正しくは15%が5%、13%が3%だったとな」
「なんだそりゃ」
「他にも多くの魔物装備があるのに訂正はその2点だけ、明らかに不自然ではある。そもそも注目される希少品だ、情報を出す前に何度も確認するだろう」
「これは意図的な操作だな、伯爵が関与したか」
「恐らくはな」
明らかに裏があるね、こりゃ。
「そんなんで買い手は納得したのか」
「元は聞いたこともない高い数値だ、見間違いだったとの理由も案外受け入れられた」
あらら、そうなの。
「結果、値付けはどんどん下がって5%は500万程度となる」
「よく分からんが妥当なところか」
「いや高いな、ジルニトラの腕輪という希少性が加味されたのだ。しかし一夜明けてその5%は1000万を超えていた、更に昼過ぎには2000万、夕方には3000万だ」
「どうしても欲しい者がいるのか、もしや!」
「うむ、どうも伯爵が更新がある度にそれを超えた値付けをしている」
「ちょっと分かり易いじゃないか」
バレバレだな。
「無論、他の仕入係も疑念を抱いている。そもそも現物鑑定が拒否されるのだ、遠くに保管しているワケでも無いのに明らかに不自然だろ。これは最初の発表通り15%だったのではないかとの噂も広まっている」
あー、もー、グダグダだ。
「最初に発表した時点で何をしても裏目ね。もう15%のまま伯爵が50億くらいで買えばよかったかも」
「その通りだソフィ」
「なんなら俺が買うか」
「はっは、コーネイン商会も黙ってはいないぞ」
やめてあげてよぉ。
「怪しまれているならもう今からでも15%に戻せばいいだろ」
「いや伯爵は15%の腕輪が出た事実を変えたかったんだ。プルメルエント公爵に知れたら必ず買い付けに来る」
「おー、そうか、はは、向こうはいくら共鳴すれどもトランサイトにならないから頭を抱えているだろう、その解決になるかもしれない魔物装備だからな」
「実際どこまで伝わっているかによるがな」
具体的な共鳴率を知っていれば直ぐ動くな。そしてとんでもない高値を付ける。
「クレスリン公爵との値付け合戦ですか」
「おい、最終価格が想像できないぞ」
公爵同士の経済力対決、それはそれで興味ある。クレスリンが勝ちそうだが。
「もう最初からジルニトラの腕輪は存在を伏せれば良かったのにな」
「魔物素材を回収したら迅速に買い手へ情報提供するようにと担当者は指導されている、素材は硬化までの時間が限られているからな。尤もそれは角や牙に限った話、魔石や魔物装備は30日の猶予がある」
「なら急ぐ必要はないだろ」
「支部には多くの買い手が今か今かと待っており、時間が経つにつれてどんどん増える。その上かなりの希少品だ、早く伝えて値付け合戦を誘発し、遠方より高値を付ける買い手を呼び寄せるのだ。つまり領主の利益のために担当者は務めを果たしただけ」
確かに魔物素材と同じタイミングで発表すれば合わせて情報が広まりやすいよね。その担当者は真面目に仕事をしたのに叱られるのかな、なんとも理不尽だ。
「特にゼイルディクは魔物素材の供給が多いため遠方の仕入担当者が多く常駐している。最初の発表が18時だったから夜通し走って帰っただろう」
「それは15%の情報のままだな、再びこっちへ来たら混乱するぞ」
「雇い主によっては収拾つかんかもな、さあそろそろアーレンツ支部へ着くぞ」
ああ、受付で怒号が聞こえるかもしれない。
馬車は大きな環状交差点を左折して騎士団施設に入る。かなり広い乗り場だが既に多くの馬車が止まっていた。明らかに貴族家の馬車が多い、遠方より来た買い手だなこりゃ。
「おい、プルメルエント公爵家の家紋だぞ」
「よく分かるなミランダ、まあ当然か」
「腕輪を出せと暴れていないでしょうか」
「あり得るな」
うわ、怖い。
「皆様、おはようございます」
「フリンツァー本店長! 一緒に来てたんですね」
「ああ言い忘れた、後ろから商会の馬車も付いてきたのだ。支部では共に行動するぞ」
そっか仕入に来た体にするんだね。
支部に入ると受付でミランダがやりとりする。
「これはコーネイン北西部防衛副部隊長! 先日のご活躍大変感服いたしました」
「何? ミランダ様が来たのか」
「4体も仕留めた化け物だぞ」
「おいおい、口を慎め」
聞こえているぞ。
「今回はコーネイン商会長として来た、素材の買い付けをしたい」
「はっ! 直ぐにご案内いたします」
「まず魔物装備を見たいのだが」
「申し訳ありません、現物ではなく一覧からの値付けとなります」
「そうか、ジルニトラの腕輪はいくらになっている」
「……5%が4000万、3%が3000万、値付け主はゼイルディク伯爵です」
「分かった、魔石は見れるか」
「はい、こちらです」
受付横の部屋に案内される。ソファに座り少し待つと騎士が木箱を持って来た。テーブルに置いて蓋を開けると魔石が並んでいる。全部同じに見えるのだが。
ミランダは俺に目配りする。
『ジルニトラ』
『ジルニトラ』
『リンドブルム』
……。
12個の魔石鑑定は直ぐに終わった。ミランダを見て頷く。
「間違いありません、いやー、これほどのAランク魔石、圧巻ですな」
フリンツァーも鑑定が終わったようだ。
「では素材庫へ案内してくれ」
「はっ!」
騎士について長い廊下を進む。一旦建物を出てすぐ隣の建物に入った。騎士は受付らしきところでやりとりをして奥へ進み、俺たちもついて行く。
「こちらです」
扉の向こうは大きな倉庫の中だった。そこには魔物素材が大量に並べられている。
「うわー、凄い」
「Aランク素材はそちらの端から向こうの壁まで全てです」
説明する騎士について進む。仕入係だろうか、熱心に素材を見る人があちこちにいる。俺は片っ端から鑑定していった。
『ジルニトラの角』
『ジルニトラの棘』
『ジルニトラの翼爪』
ここはジルニトラばかりだな、2体分か。
「ほー、真っ黒なんだな」
「それにしても大きいわね」
『リンドブルムの角』
『リンドブルムの爪』
隣りはリンドブルムか。こっちも2体分。
「これはまた一段と大きい」
「クエレブレの背中の角です」
クラウスとソフィーナが質問して騎士が応える。その間にひたすら鑑定を続けた。
『グリフォンの羽根』
へー、角や牙じゃないの初めて見たかも。
「珍しいな」
「はい、かなりの貴重品です」
「何に加工するの?」
「私では分かりかねます」
こんな巨大な羽根ペン嫌だ。
『サラマンダーの角 定着:29日4時間』
「あっ!」
「どうした?」
「いや、父さんの剣まだかなーって」
「おお角が素材だったな」
「6月7日、明後日ですクラウス様」
「そうかフリンツァー」
うひょーっ! 定着期間が見えるようになったぞ!
『サラマンダーの爪 定着:29日4時間』
『サラマンダーの爪 定着:29日4時間』
『サラマンダーの爪 定着:29日1時間』
ありゃ、3時間ズレてる。あ、そうか!
『サラマンダーの角 定着:29日1時間』
こっちが村で仕留めた方だな。サラマンダーは17体の中でも一番最初と一番最後に倒したことになるのか。
「サラマンダーで最後か」
「その通りです」
ふー、終わった! 物凄い数だったぞ。
「こちら側から道へ出られます。馬車が回って来ているはずですが、ああ、ありました」
メルキース男爵家の家紋、あれだね。
「案内ご苦労であった」
「はっ!」
「おおそうだ、受付の騎士に私を化け物と言った者がいる、確認してアーレンツ子爵へ報告しろ」
「なんと! これは大変失礼いたしました! 直ぐに対応します!」
うわ、あの騎士どうなるの。
「私はここまでです、お気をつけて」
「はい、フリンツァー本店長」
馬車に乗り込むと直ぐ出発する。
「どうだったかリオン」
「鑑定情報に進展がありました、定着期間が見えます」
「おおっ!」
「まあっ!」
「流石だな」
「もしやサラマンダーの角の時か」
「そうだよ父さん」
「突然見えるようになるんだな」
確かに何の前触れもない。これ多分見えない経験値的な何かが蓄積されているんだろうけど、それが確認出来たら訓練する心持ちも違ってくるぞ。いや、逆に途方もない現実を見せられてヤル気が無くなるかも。
もしかして鑑定スキルのレベル41以上ってそういうところも見えるようになるのかな。まあいずれにしても先の話だ。
「やはりAランク素材は修練において大きな進捗を促すのだな」
「恐らくそうでしょう」
「まあ滅多に見ないからな、あんなに並んでいるのは異常だ」
「ほんとそうね」
確かに圧巻だった。総額いくらで売れるんだろう。
「リオンも魔物合金を何か試してみるか」
「え、いいの父さん」
「そりゃお前が稼いだ金だ、欲しいものがあったら買えばいい」
「商会長、構いませんか」
「どうして私の許可がいる、好きにするといい」
そうなんだ。えー、何にしよう。
「リオンは魔力集束も一発で出来た、Aランクでも難なく使いこなせるぞ」
「どうせなら最上級のジルニトラにしたらどうだ、そもそも2体ともお前が倒したのだぞ」
「あー、そうですね、じゃあ商会で確保をお願いします」
「剣でいいか」
「はい」
「分かった、一番いいところを何としても手に入れてやる」
ちょっと楽しみが増えたね。ジルニトラの剣か。




