第163話 ウォレンとカチュア
メルキース男爵邸宅の客間でイザベラの兄ラウルと話をする。彼はカルカリア南部オレフェスで長距離の運送業を営んでいた。馬も馬車も自ら所有する個人事業主である。職業柄、色々なところに行くので噂話もあちこちで聞いているみたいだ。
そんな会話から出てきた地名、バストイア。馬の牧場などが広がっている地域らしいが、俺はその名前を聞いて不思議な感覚を覚えた。そう、カルカリアを初めて聞いた時の様な、いや、それよりももっと身近な印象だ。
これは発明家の記憶が反応しているのではないだろうか。もしかしてバストイアに魔導具の技術者が住んでいたのでは。
「あの、ラウル叔父さん、バストイア出身の有名人はいますか。例えば魔導具関連とか」
「魔導具? さあなぁ聞いたことない。ただバストイア男爵家は畜産ギルドの幹部に就く事が多いらしいぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
「私も貴族の他に分からないわ、何か気になるの?」
「いやちょっとね」
イザベラも知らないか。うーん、神が手間を掛けて残すほどの記憶なら、有名な人物かと思ったんだが。いや、待てよ、記録に残ってないだけかも。そう、表には一切出て来なかった、或いは、その存在を意図的に伏せられたか。
まあ俺の感覚が正しいとは限らない。何か勘違いしている可能性もある。いずれにしてもミランダに伝えておこう。闇雲に調べるより、僅かでも関連性のある地域だろうから。
ラウルが机に出したカルカリアの地図を眺めると他にも聞いたことのある地名が目に入る。アレリードはラウリーン商会の本部があるよね、領主の子爵家は騎士貴族だったか。そしてメースリック、領主家がフリッツの母親の実家なんだよな。
「ラウル叔父さん、メースリックってどんなところ?」
「北東部の地域だな。見ての通り城壁を抱えているから防衛部隊がある。その向こうの森にも討伐部隊が入っているな。それから城壁の北側に大きな湖があるだろ、ここの魚を使った料理が有名だぞ、値段は高めだが」
「へー、湖かー。この周りの印は騎士団の施設?」
「大体はそうだが村もあるぞ。後は湖畔に金持ちの別荘か」
「ふーん、色々あるんだね」
別荘とは。ちょっとしたリゾート地でもあるのか。そっか、魚類の魔物は淡水にはいないみたいだし。泳いだりボート遊びとかしてるんだろうな。
「俺も何回か行ったが城壁の外に出るのはやっぱり魔物が怖いな」
「オレフェスにも稀に飛んで来るんじゃなかった?」
「低ランクばかりでそこまで危険はないさ。ところが城壁の北側はずっと森と山だろ、数が来ることもあるし大型もいる。Bランクだって時には襲ってくるらしいし。だからベラたちが暮らしている環境はとても信じられないよ」
確かに非戦闘スキルの人たちにすればそうだね。よく考えるとコルホル村に用事があって来る人たちも、ちょっと怖いと思いながら馬車を走らせているんだ。なるほど、中央区に住んでいる人、西区の料理人や浄水士、みんな常々似たような思いを抱いているのだろう。
クラウスたちは戦える、俺だってそう。やっぱり自分で魔物に対応できる人と、逃げて隠れるしかない人では魔物に対する意識が随分と違うよな。
「でも兄さん、屋敷が出来たらあっちで暮らすことになるのよ」
「んー、そりゃ、貴族家なら対魔物の準備もしっかりしてるだろうけど、本音はやっぱり怖いな」
「大丈夫よ、私やメルが守る」
「そうだぞラウル、ベラはワイバーンの首を落としたんだ、強いぞ」
「クラウスだってサラマンダーの首を落としたでしょ」
戦闘に縁遠い人が聞いたら中々の会話だな。ラウルもちょっと顔が引きつっている。
「まあ屋敷の近くには防衛部隊の施設も新たに作るし、そこの騎士たちにはトランサイトを何本も配備する。ドラゴン程度なら敵ではないぞ」
「トランサイトという鉱物はそこまで強いのか」
「もちろんだ……実はこれもそうなんだが、戦いの根底から変わるほどだぞ」
そう言いながらクラウスは剣を少し抜く。
「幻の鉱物だよな、その作り方を見つけただけで貴族になれるんだから、よっぽど凄いんだろう。ちなみに1本いくらだ?」
「これは130億だな」
「は!? お、俺の耳がおかしくなったか」
「いや正常だ。まあ今売られているのは100億前後が多い」
「そ、そうか、聞いた話ではそこからいくらかクラウスの手元に入るんだろ、そりゃ貴族にもなるし領地も任されるわ……あ、あのさ、俺は一生あんたに付いて行くぜ、何でも言ってくれ」
「嬉しい言葉だな。魔物対応の件も全力を尽くすから安心してくれ」
さらっと100億とか言うクラウスの異常な金銭感覚をラウルは感じ取ったようだ。
「おいベラ、このお方はとんでもない金持ちなんだな」
「そうよ、兄さんもその貴族家に仕えるんだから自覚してよね」
「……ちょっと色々と勉強しないといけないな」
「だったら、この屋敷の馬車や馬を世話している者に聞けばいい。覚える気があるなら丁寧に教えてくれるだろう」
「そうか、分かった。迷惑かけない様に頑張るよ」
「ただ、縁の無かった世界だ、少しずつでいい」
ノルデン家の馬車を任せるなら外でも常に見られるからね。それにきっとウチ関連の要人を乗せることもある、その人や出先で失礼があってはならない。あー、今日の村からここまでが正にそうだった。全然意識してなかったけど。
「ご歓談のところ失礼いたします」
その声の主である使用人に皆一斉に注目する。
「昼食の準備が整いました」
「そうか、もう昼だな、みんな行くか」
俺たちが立ち上がるとブラード家の面々も続いた。
ホールに着くと円卓が2つ、ノルデン家3人は片方に案内され男爵夫妻が加わる。もう片方はブラード家大人4人とラウルだ。カトリーナ以下子供3人は近くの低いテーブルに集まり使用人が囲んでいた。
「あれは子供専任の世話係だ」
「そうなんですか」
俺が興味ありそうに見ていると男爵が教えてくれた。
「大人同士の会話に子供を見ながらでは集中できまい」
「確かに」
俺も子供な気がするがまあいいや。
給仕が飲み物を注いで回り男爵が立ち上がるとグラスを持って皆注目する。
「ノルデン家、ブラード家、そしてラウル・ディンケラ、今日は我が屋敷によく来てくれた。そなたらは近く貴族家の一員、或いは仕える者として身分を変える。ワシら男爵家はその道を示す準備がある、遠慮なく何でも聞けばよい。まずこの場はゆっくりと過ごされよ」
挨拶が終わりグラスを少し上げて一口飲む。心構えと指導する意思表示か。ただ俺たちやブラード家は村に帰るけど、ラウルはしばらくここで暮らすんだよな。いやー、1人だと心細いぞ、まあそれもディンケラ家が来るまでの辛抱か。
「午後にミランダが戻ったら共にメルキース保安部隊へ視察に行くとよい」
「護衛候補を見るのですね」
「うむ、ウィルムより来た騎士とも顔を合わせておけ、ここには2名が配属されている」
「そうでした、お、そう言えば、明日ウチの実家がここへ来ますよね」
「時間は15時頃と聞いている。今日はアルデンレヒトで宿泊予定だ」
「もう向かっているのですね」
そっか遠いもんね。
「それで保安部隊の施設は屋敷の裏手と聞きました。実家の連中がここでお世話になる間に護衛人選の手助けをしてもらうのはどうでしょう」
「ほう」
「俺も村で過ごすことが多いため、そう頻繁にこちらへは来られません。ならば近くに住んでいる兄たちに協力を願いたいのです」
「良い考えだな、加えて保安部隊の2人にもその任を与えるか」
「ええ、職場が同じなのでより近くで見ることが出来るでしょう」
なるほど、いいね。
「皆が選んだ者ならば信頼をおけます、母さんやリオンもいいだろ」
「いいわよ」
「うん」
「より決まりだな。今日会う時にその旨を伝えよう」
初対面でいきなり頼み事にはなるが、騎士の任務として取り組んでもらおう。
「ところで騎士夫妻の子供たちは士官学校へ編入したのよね」
「そう聞いたな、2人いたはずだが」
「いや3人だ、防衛部隊に配属された騎士の子を含めるとな。いずれも高等部であるため、ウチのルアンナが気にかけておるから安心しろ」
「そうでしたか、ありがとうございます」
おー、ルアンナ、セドリックの長女だな。14歳だったか。また会うことがあれば礼を言っておこう。
「ブレイエムの監視所には4名配属されたな。あれは村から近い、エリオットにでも顔合わせの機会を設けるよう言っておく」
「はい」
そうだね、監視所ならいつでも行ける。
しかし騎士は大変だな、任務とは言え突然の異動で慣れない環境に身を置くのは。そう言えば、エリサの実家はヴァステロースだよな、兄ウォレンはどうして遠く離れたアルデンレヒトの保安部隊なのだろう。これも異動があったからか。
食事を終えて客間に座る。
「ひと息ついたら母さんと訓練に行くよ、リオンはどうする」
「じゃあ俺も行く」
シンクライトの訓練をしよう。空に飛剣を放てば大丈夫だよね。
馬車に乗って訓練場に到着。敷地の隅っこだ。ソフィーナは射撃場と思われる場所へ向かう。クラウスは細い木の棒を地面に刺して間合いを取った。
「リオン離れてろ」
「うん」
ブンッ、スパパン
「おおー」
なるほど、伸剣の的にするんだね。
「一発で伸剣が発動してるよ、凄いね父さん」
「はは、本当に広い間合いだな、こりゃとんでもない武器だ」
「あ、そう言えば、父さんって土属性が高いんだよね、精霊石は使わないの?」
「いやいや、とても武器に付与できるレベルじゃないよ」
「あらら」
「土属性はな、少し特殊なんだ、何でも一時的に武器を鉱物で覆って強化するらしい」
ほー、そんな使い方だったのか。
「それが出来るレベルは相当高いし錬成も必要だと聞く。だから土属性で剣や槍に精霊石を付けてるヤツは見たこと無いぞ」
「うわ、そうなの」
おいおいフローラ、土属性がオススメとか言うけどまず無理じゃんか。
「だから土属性で戦闘に精霊石を使ってるのは魔導士くらいさ、西区でも1人いたかな」
「ふーん」
石ころみたいなの飛ばしてるの見たことあるけど、あれがそうなのかな。
「あ、俺は向こうで素振りの訓練するよ」
「おお、素振りか、周りに気をつけろよ」
「大丈夫、上に向かって素振りするから」
「なら安心だ」
謎の会話である。
それから俺は対空飛剣の訓練をした。はは、ほんとに周りからみたら素振りなんだろうな。
「やってるな」
「あ、商会長!」
ミランダが帰って来たので集合して屋敷まで戻る。少し休んで保安部隊へ向かった。その道中、先程クラウスが男爵と話した件を伝える。
「ふむ、分かった。では今回はその2名と面会すればいいのだな」
「それで頼む」
「ところでトランサイトはどうか」
「もちろん凄い、これは魔物からすればたまったもではないぞ」
「矢の速度が全然違うの、だって放ったら速すぎて軌道変更できないのよ、笑っちゃったわ」
「また近くに北区進路へ入るか」
「ああ、是非試してみたい」
そんな用途にされる魔物たち。
「商会長は会議、どうでした?」
「多少、汚い言葉が飛んで荒れたが問題ない」
あららー。
敷地を囲む塀沿いに道を進んで曲がるとほどなく馬車は止まる。
「降りるぞ、ここだ」
へー、本当にすぐそこなんだね。
「コーネイン副部隊長! お待ちしておりました」
「ああ、例の件だが少し変更になった。今回は配属された2名だけでいい」
「はっ! では連れてまいります、奥の部屋でお待ちください」
ミランダについて応接室の様な部屋へ。中で座るとほどなく2名の騎士がやってきて、直ぐに姿勢を正して言葉を発する。
「メルキース保安部隊、本部所属、ウォレン・エシルストゥーナ、37歳」
「同じく本部所属、ウォレンの妻カチュア、36歳です」
「うむ、まあそこへ座れ」
「失礼します」
「ええと、俺はクラウス・ノルデン、35歳、隣りは妻のソフィーナ30歳、こっちは長男リオン8歳だ。それと長女ディアナ10歳は学校の寮にいる」
ウォレンか、キリッとして正義感が強そうだな。カチュアも凛として芯がしっかりしてそう。
「今回は急な異動で迷惑をかけた。ただ優秀な騎士が近くにいてくれるのは心強い。今後ともよろしく頼む」
「いえ、任務ですのでお気になさらず。場所が変わっても治安維持に全力を尽くします」
「そうか。それで騎士だからか性格だからか知らんが、もう少し気を抜いて話してはくれないか。ウォレンはエリサの兄だろう、エリサの夫は俺の兄、身内じゃないか」
「……承知しました。しかしその、普段からこれに近いので直ぐには変わりません」
「ああ、無理しないで少しずつでいい」
うへー、完全に染み込んでいるんだな。まあ仕方ない。
「クラウス様はエーデルブルク城の昼食の場にてお見かけしておりました」
「おお、そうか」
「あのような場に私どもが同席させてただけたこと、大変光栄に存じます。ウィルム侯爵閣下とゼイルディク伯爵、また他の方々もそうそうたる顔触れで、いやはや、驚きでした」
「私はリオン様が侯爵家のご令息ご令嬢と同じテーブルで堂々とされていたことに感服いたしました」
「いやいや、かなり緊張してましたよ」
いやまあそうだよね、一介の騎士があんな場に普通呼ばれない。
「それと1つお礼を申し上げます。我が子、ライアンとアストリア、このメルキースの士官学校へ滞りなく編入手続きを行って下さり、誠にありがとうございます」
「ああ、それは俺も同じ思いだ。手間を掛けたなミランダ」
「いいや、当然のこと。ふむ、そうだな、ウォレン、カチュアよ、士官学校へ入れば寮暮らしで親から離れたも同然だが、まあたまたま距離が近い。休みくらい会ってやれ」
「それは……はい、お言葉に甘えます」
お、ちょっと表情が緩んだ。
「ウチの子供らも毎週の様に屋敷に帰って来る。なんならそっちの子と一緒に屋敷へ入り、そこで会えばいいだろう」
「ご配慮を感謝します」
「商会長も少しは一緒にいてあげてね、クラウディアたち、最近嬉しそうだよ」
「そ、そうか……分かった」
ふふ、人に会えと言った手前、こう答えるしかないもんね。
「さて、本題だが……」
ミランダはノルデン家護衛候補の選出を依頼した。
「それはもう、誠心誠意取り組みます。お任せください」
「まあ村にも護衛が多くいる、当面は問題ないからそう急ぐことは無いぞ。それで明日ウチの実家がここへ来る。メルキース男爵家の屋敷で世話になるからエリサや兄さんともよく相談してくれ」
「承知しました」
「俺は、そうだな、少しは話しやすい方がいい、母さんは?」
「そうね、あんまり近くで気を張られるのも疲れるから、そういうのを前面に出さない人がいいわ、リオンはどう?」
「俺は……よく分かんない」
「はは、そうか」
うーん、難しいな護衛って。あんまり仲良くなっちゃ有事の際に気を使っちゃうし、かと言って取っつきづらいのも怖いし。いやまあ、目的は守ることだからそれでいいんだけども。まあ腕が確かならそれでいいか。
「さて、では帰るか」
2人に見送られ屋敷へ馬車は向かう。
「アルデンレヒトでは規律が厳しかったのか」
「ここも緩くは無いぞ」
「いやまあそうだろうが、何だか雰囲気が根本的に違う」
「治安の差だ、村の保安部隊を見れば分かる」
「確かにな」
都会は色んな人がいるからね。舐められちゃいけない。いや田舎にも変なヤツが来るだろうが、対応するその頻度の違いは明らかだ。
「ああ、そうだ、忘れないうちに。商会長、カルカリアではバストイアを重点的に調査お願いします」
「ほう、何かあるのか」
「分かりませんが、俺の記憶には恐らく住んでいた感覚が残っています」
「む、分かった。帰ったら直ぐ指示を出す」
一番は行ってみればいいけど、工房馬車が出来るまでは遠出は無理だ。
屋敷に到着。
「客間で休んでいろ、その後はブラード家と合流し村へ帰るぞ」
そう告げてミランダは屋敷へ消える。俺たちは客間に座った。
「じーちゃんたちは屋敷を見て回ってるのかな」
「だろうな」
「庭にベラの姿も無かったからきっと一緒ね」
「それにしてもここに沢山お世話になるね、客室使うのかな」
「あー、確か使用人の部屋に余裕があるそうだぞ、そこに入るんじゃないか」
「そっか」
これはウチの屋敷もかなりの数が必要だね。
「母さん、あっちの別棟が丸々使用人の住居だったか」
「そうね、2棟並んで建ってたわ」
「え、そうなの」
「最早ちょっとした村みたいだぞ」
「へー」
凄いなー。でもそんくらい必要か。
「おう、お前たち、帰ったか」
「メルおっちゃん」
「屋敷はどうだったか」
「そりゃもう凄いのなんのって、なぁリーナ」
「うん! 広ーい!」
「ウチの屋敷はここを建築した商会が手掛ける。基本的には近い間取りになるだろう」
「そりゃ楽しみだ」
しばらくしてカスペルたちも戻って来た。
「義父さん、ひと息ついたら村へ向かおう」
「そうだの、年寄りにはちと刺激が強すぎたわい、のう、エミー」
「こう言っちゃなんだが、落ち着かないね」
「はは、そうか、じゃあ直ぐに帰る準備をするか」
使用人に告げるとしばらくしてミランダがやってきた。
「では行くとしよう」
玄関に出るとメルキース男爵家の馬車が並ぶ。
「本日は貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございます」
「うむ、また来るといい」
代表してランメルトが挨拶をする。
「兄さん、また近いうちに来るから」
「おう」
「すまんな、1人で」
「なぁに、気の合いそうな御者がいたから今日は色々聞いてみるよ」
ふふ、ラウルは適応能力高いのね。しかしそんなコミュ力があるのなら彼女も出来そうなもんだが、まあそっちの縁はまた違う話か。
馬車に乗り込み男爵夫妻とラウルの見送りを受ける。
それにしてもメルキース男爵家とはかなりの関係性になったな。もう身内みたいなもんじゃないか。でもここまで来れたのも男爵家のお陰だし、これからも頼らなくては何もできない。




