第139話 準備室
コーネイン商会の2階にある準備室でトランサイト売上についての説明を受ける。それにしても単価が高い、もう今ある収入だけで生涯働かなくていいんじゃないか。
なんて考えるのは平民思考か、領地運営にお金が必要だからね。それに俺たちが預かる領地のほとんどは森か平原で、その開拓に膨大な費用がかかる。だから出て行くお金も桁がおかしいことになるはずだ。
「商会長、建設商会からの見積もりはどのくらいになるんでしょう」
「森を切り開いて整地するまで10アールにつき数百万が相場だ。それに地質や傾斜で工事内容も変わって来る。まあ多く見積もって1000万だろう」
「では開拓予定地が3km×2kmとして600ヘクタール、ええと、600億ですか」
「そうだな、それより高くなることはない」
うは、中々の数字だ。やっぱり自然に手を入れると高額になるな。ただ訓練討伐の進路を通った感じでは、そこまで起伏は無かった。まあなるべく平坦なところを進路にしたんだろうけど。思い出してみると奥の方はちょっと丘になっているところもあったな。
「屋敷予定地の辺りはほぼ平坦だ。そこまでかからんと思うぞ」
「おお、そうだったな、フリッツ、最初は中央区の候補地だったらしいし。ところでコルホル村の開拓にはどのくらいかかったんだ? ここは畑含めれば今回開拓する土地と似たような広さだろう」
「3年か」
「え、結構かかったな」
「それは当然だクラウス、何しろ森しかなかったからな。今の騎士団監視所もただの小さな拠点だった。最初の1年は開拓と言うより魔物と戦ってばかりだったぞ」
そっか、ただ木を切って地面を平らにすればいいだけじゃないんだ。魔物ね。確かにその存在が開拓の大きな障壁になる。
「ただ今は村がある。そこに隣接した森ならば全く環境が違うぞ。ミランダ、開拓が始まれば防衛部隊が多く常駐するのだろう」
「もちろんだ。恐らく西区の南側に建設商会の者が寝泊まりする仮設住居が建築される。その近くに騎士団の同様の施設も構えるからな。無論、仮の城壁付きだ」
「そっか、流石に中央区にそんなに多く人は入れませんね」
「うむ、本来は中央区の拡張が先だろう。ただそれでは時間が掛かる。今回は屋敷が先だからな」
にしても明らかに村の規模にそぐわない事業だな。
「敷地を囲む城壁の費用はどのくらいか」
「……そうだな、西区の城壁なら100mで3000万ほどだ。お前の敷地は3km×2kmで総延長10km、なら30億か。もちろん見張り台やら、出入り口の整備に余分に掛かる。それを含めて多く見積もっても40億だろう」
「そうでも無いんだな」
「精霊石から出す石だからな。尤も、その石の質を拘れば一気に跳ね上がるぞ」
「いや、ただの石で十分だ」
「どうせ15年やそこらで作り変えるんだ、魔物に破壊される可能性もあるしな。安い石でいい」
ふーん、確かに思ったほど高くはない。これが天然の石になると100倍くらいしそう。
「屋敷自体はどのくらいかかるか」
「建物だけならメルキースの屋敷で100億程度だ」
「ほう」
「ただ建築に3年を要した、素材に拘るとどうしてもな。しかしお前はそうもいかない、そこそこの素材なら30億程度だろう」
「ふむ、なるほど」
「拘りたいなら後から別館でも何でも時間をかけて建てればいい。それも行く行くは無用となるがな。何せ城を建てるのだから」
「はは、随分と先の話だな」
城ねぇ。まあこのトランサイトの利益を見ると、あながち突飛な話ではない気もしてくる。爵位も子爵、いや伯爵になるのか。それには領地の人口を100万くらいにしなきゃいけないんじゃ。一体、何十年かかるんだよ。
「金の話なら後は馬車と馬、それから人件費だな」
「あ、そうだ、商会長、訓練討伐で送迎してくれてる馬車、あれもう自前で準備できますよね」
「そうだな、貴族向けの馬車でも既製品なら10日もあれば準備出来るだろう、伝手を紹介してやる。おお、なら家紋も必要だな、ちなみにノルデン家にあるか」
「いやいや、そんなもんない」
「……そうだな、トランサイトで財を成したならやはり武器を象った家紋がいいだろう。ソフィーナ、考えてくれるか」
「ええ、分かったわ」
「お、母さんなら品のある作品が期待できそうだ」
「ゼイルディク貴族家の家紋一覧を持ってこよう、参考にするといい」
おー、ノルデン家の馬車、そして家紋か! 貴族らしくなってきたぞ。
「後は馬だな。メイルバルに良く知っている牧場がある、話をしておこう」
「頼む」
「さて、物や馬は頼めば用意できるが人はそうもいかない。だからと言って、あまり慌てて揃えると人選を誤る。ウィルムの身内が来てから考えても遅くはないぞ」
「そうだな」
「護衛はひとまずメルキース保安部隊から選出するといい」
「その件はエリオットが面会の日程を調整してくれている」
「そうか、なら任せよう。まあ西区の保安部隊をそのまま登用してもいいぞ」
「確かに、クラリーサはもう十分信頼できるからな、腕前含めて」
そうだね、ちゃんと仕事できる。
「ただ護衛とは必要以上に親密になってはいけないぞ。向こうはいざという時に命をかけるんだ、その身を案じてこちらの動きが鈍っては本末転倒だからな」
「うむ、分かった。リオンもそのつもりでいろ」
「うん」
そうだよね、護衛対象が護衛を気遣ってはダメだ。でももしそんなことが起きたら、大丈夫かって駆け寄っちゃう気がする。その辺の意識から変えていかないと。
「ところでリオン、昨日言ってたメルキースの地図を持って来たぞ」
「あ、お金持ってないや、すみません、引き出してきます」
「……まあ、地図くらいタダでやるのだが」
「俺が欲しいって言ったものは払いますよ」
「そうか、まあ金はいつでもいい」
ゼイルディクの地図代金も立て替えてもらってるからね。
「リオン、3万だったわよね、ここにあるから払っておくわ」
「ここって、準備室?」
「そうよ、急な入用にいくらか置いてあるの」
そう言ってソフィーナは壁際の家具の前に行き、何やらゴソゴソとしている。鍵付き金庫でもあるのだろうか。
「はい、ミランダ」
「うむ、確かに」
ソフィーナは硬貨3枚をミランダに手渡す。あれ、そう言えば硬貨って金属だよな。これも精霊石から出したものなのか。
「商会長、ちょっとお金を鑑定させてもらっていいですか」
「構わないが、これは貴族家が使う口座管理所から引き出したものだ。そこの金の登録情報はしっかり管理されている、偽造が紛れていることは無いぞ」
「ああ、いや、何で出来てるのかと思って」
「何だ材質か」
登録情報の管理? 製造番号とかあるのかな。
ミランダは1万ディル硬貨3枚を机に置く。前世で言う500円玉くらいの大きさだ。銀色だが少し黄色味がかかっている。
『オーアサイト合金
製作:プルメルエント造幣所』
「オーアサイト合金ですか」
「うむ、1万ディル硬貨はそうだな。切り替え開始は確か3年後か」
「切り替え? ああ、新しい硬貨に変わるんですか」
「そうだ、3年後に新しい1万ディル硬貨が流通を開始し、現行の硬貨と交換されていくのだよ」
「回収された硬貨はどうなるのですか」
「消える。交換開始から1年後にな」
ああ、やっぱりそうなのね。
「じゃあうっかり交換を忘れたら勿体ないですね」
「まあな、従って普段から現金で多くを置いてはいない。防犯のためにもな」
これはへそくりをしても、その存在を忘れたら思い出した時に消えている可能性があるな。タンス預金も危険だ。何しろ切り替えの理由がデザイン変更とかじゃなく存在自体の消失だもんな。
「どのくらい定着期間があるのですか」
「20年だ。ところでその硬貨はどこの製作になっている」
「プルメルエント造幣所です」
「そうか、ここらではプルメルエントとクレスリンに造幣所がある。流通している硬貨はほとんどがそのどちらかだ」
「へー」
そういやさっき偽造についても触れてたな。
「登録情報はこの製作者とは別ですか」
「そうだ。武器も所有者登録をするだろう。あれと同じようなことが硬貨にも行われる。ただそれを登録するにも鑑定するにも契約スキルが必要だぞ。だから今のお前には見ることは出来ない」
「あー、また別なんですね」
「通貨の登録士は特定の条件を満たさないとなれない。そしてその者しか登録できない情報があるのだよ。それが偽造防止の一端を担っている」
ふーん、例え見た目を完全に再現できても鑑定で分かるのか。しかし通貨の登録士ってかなり重要な仕事だな。
「それにしてもリオンは着眼点が特殊だな。硬貨の材質なぞ誰も気にもしないのに」
「俺も初めて知ったぞ、1万ディルはオーアサイトだったのか」
「私も。鉄か何かだと思ってたわ」
まあそうだよね。俺も前世の日本の硬貨も10円が銅、1円がアルミしか知らなかった。実は他も銅が多く使われているんだよね。
「さて、そろそろ夕方の鐘だ、西区へ帰るといい。リオンは明日、午前8時に工房へ来てくれ、付き添いはフローラだ。クラウスとソフィーナ、そしてフリッツ、それからランメルトはこの準備室に来てくれ」
「はい」
「分かった」
ランメルトも来るのね。さー、城から第2便が来たはずだから明日も頑張ろう。
「そうだ、お前たちの昼食についてだが、明日から中央区で済ますことを提案するぞ。西区と往復する時間の節約、その道中の防犯面が主な理由だ」
「確かに。日中はほとんど中央区で過ごすからな。俺は構わないが」
「私も賛成よ」
「ワシもそれでいい」
「俺もいいよ」
「決まりだな。場所はエスメラルダだ、高級料理にも慣れておく必要がある。代金は全てクラウスに請求がいく、フリッツ含めてな」
「ああ、そうしてくれ」
確かに理由としては妥当だな。こりゃ毎日のお昼が楽しみになるね。
「じゃあ帰るか」
店内に下りて保安部隊と合流、西区へ向かう。
ゴーーーーーン
夕方の鐘だ。
「凄い金額だったね、色々と」
「まあな、でもいちいち驚いてもいられない、慣れないとな」
「うん」
領主なんだ、大きいお金を動かして当然だからね。
食堂で夕食をとる。ああそうだ、ミーナはどうなったかな。見渡してみたが食堂にはいないようだ。
「帰りにミーナの様子を見に行っていいかな」
「いいぞ、みんな一緒だからな」
お人形を見せてもらう約束をしたからね。
レーンデルス家へ入るとミーナは居間に座っていた。
「あ、リオン!」
「元気そうだね」
「待ってたよ、ほら、お人形」
ミーナは笑顔で手編みの人形を掲げる。
「見てやれよ、服も作ったんだってさ」
側にいたアルベルトの言葉に促されミーナの隣りに座る。
「どうかな」
「うん、上手だね」
「えへへ」
「我が子ながら凄いよな、こんな細かい仕事が出来るなんて」
「あの、転んだって聞いたんですが様子はどうですか」
「らしいな、もう完治してるから何ともないぞ」
「そうですか、良かった」
いつもの可愛いミーナだ。
「じゃ帰るね」
「うん、来てくれてありがと!」
風呂を済ませて居間に座った。
「やれやれ、今日も色々あって疲れたな」
「そうだね」
ほんとだよ、人物鑑定されるわ、ミーナは襲ってくるわ。
「おお、そうだ、明日西区の住人が5軒、東区へ行くぞ」
「再編成だったね、ケイスも行っちゃうのか」
「朝飯を食べてからの移動だから、その時にお別れの挨拶もあるだろう」
「でも5軒って随分と空くんだね」
「まあな。それでウチが一番端だろ、ここは15番っていう住所だ。それで隣りのブラード家が14番、その隣りから13番、12番、11番と3軒が空くんだ。11番の隣りは5番でフリッツの家だぞ」
じゃあ食堂から北へ1~5番と11~15番なのか、と言うことは南が6~10番、16~20番なんだね。
「あとの2軒は食堂の近く、1番と6番が空くことになる」
「ふーん、それにしても西区の人は急な引っ越しになって大変だね」
「まあ移動だけなら1日で終わるさ。納屋の農具含めてもそんなに無いしな」
「え、でも家具を運ぶのは大変でしょ」
「いや、ほとんどは元からあったやつだ。だから東区にも同じように置いてある。つまり家から出す荷物で大きいのは布団くらいさ」
「あー、そうなんだ」
作り付けみたいなもんか。
「じゃあ、ウチが注文してるエスメラルダの家具、あれって扱いはどうなるの」
「もちろん俺たちのものさ。ただ出て行く時に荷物になるからそのまま置いて行ってもいいぞ」
「え、それは勿体ない」
「はは、高価だからな。ただ実際、町でも買い替えている人は、出て行く時はそのままのことが多いな」
「面白いのよ、集合住宅でも部屋ごとに家具の質が違うから」
「へー、そうなんだ」
なるほど、家具は基本、借りた部屋に元々あるものを使うのね。それで気に入らなければ買い替えて、出て行く時は置いて行くワケか。なんとも独特の文化だ。
「それで6月1日までに伯爵の護衛が空いたところ全てに入居する予定だ」
「遂に来るんだね」
「20人くらい入るらしい」
「うわー、多い」
そうなるともう、西区の半分近くが俺たち絡みの住人となるのか。
「それにしてもうまいこと空けたね。出入り口と搬入口に近い1番と6番、それから俺たちに近い方から3軒だもん」
「今回、表向きは希望者を募っているが、実際は領主からの移転命令だよ。多分、伯爵からの通達が来てる。もちろん協力金もそれなりに入るぞ」
「ああ、何だ。でもそうか、目的は西区に護衛を入れることだもんね」
「まあ俺が叙爵されることが分かったから、その理由にも薄々気づいてるんじゃないか」
なんだ、バレバレなのか。
「じゃあ残った西区の住人も、来る人がどういう人か何となく分かってるんだね」
「そういうこと」
まあ状況から判断すると想像に容易いか。
「ノルデン宿のみんなも来るんだってね」
「ああ、そうだな。会うのも何年振りか」
「でも男爵邸宅に住むのってびっくりするよね」
「まあ仕方ない、ただ貴族の環境に慣れてもらうのには丁度いいな。それで恐らくだが、兄さん一家をどういう人物か見極める狙いもあるのだろう」
「あー、確かに」
そうか、マティアスはクラウスに何かあった時、男爵継承順位が1番目になるからね。
「普通の人なんでしょ」
「ああ、真面目だぞ。面白くないほどにな」
「えー」
「父さんが言うんだからよっぽどね」
「何だよ母さんそりゃ」
「ふふ」
まあちゃんとしてるんなら安心だ。妻のエリサの兄は保安部隊、正義感が強いだろうから、きっと結婚する前からマティアスの人柄を厳しく見てたはず。それで認められたなら大丈夫だ。
「さー、寝るか」
ベッドに入っておやすみの挨拶を交わす。
いやー、今日は疲れたなホント。何というか気疲れだ。もうあんまりあれこれ考えるのは止めよう。悪い方向も想定して要らぬストレスになるんだよな。危機管理は大事だけどさ。




