第135話 ウィルムの人たち
コーネイン商会2階の一室で、俺は人物鑑定を受けた。その情報は洗礼時と明らかに違う。ウィルム侯爵家令のイグナシオは平静を装っていたが、鑑定士マースカントが書き記す手元を見て、一瞬目が見開いたのを俺は知っている。
間違いなく普通ではないとの認識だ。共鳴を抜きにしても、短期間でこのスキル構成に至った事実は誰が見ても異常だと分かる。この情報をウィルム侯爵がどう判断するか。俺が向こうの立場なら手元に置いて英才教育だな。将来、あらゆる面での活躍が期待できる。
もちろんそれをミランダや伯爵は良しとしない。ただ爵位が上なら従うしかないのか。先のイグナシオとのやり取りを見ても、突然の鑑定を拒否することは出来なかった。まあディマスは神の封印を知らないから鑑定されても問題ないと判断したのだが。
ならばいっそ伯爵に神の封印を伝えるか。そうすれば俺をゼイルディクから何としても出さない措置をとる。いや、それは現状、トランサイト生産でも同じことか。そうだ、シンクライトの件もあるのだ。絶対離さない。
しかしそれで変に対立すると面倒だな。ならば逆に俺の方から動いてウィルムへ行くか。まず伯爵やミランダたち、そしてクラウスたちの利益をしっかりと確保する約束をする。そして侯爵の元で働くのも選択肢の1つかもしれない。
でもあれだろ、プルメルエント公爵やクレスリン公爵は王族だ、ウィルム侯爵より上の身分。何かのきっかけで不思議に思えば、今回の様に公爵の鑑定士がやってくる。そして再び同じ流れだ。じゃあいっそ、最初から王都に行って王城で働くのが正解か。
どんなに隠しても限界はある。その過程で気疲れするくらいなら、最初から最高権力者に仕える方が効率はいい。その上で自身や身内の安全、そして安定した収入が約束されれば。そう、トランサイトを多くの最前線に。その願いも国王の元なら円滑に進むだろう。
「さてでは、私からクラウス様のご親族に関して報告します」
ヴァステロース子爵家令のエデルミラが声を上げる。俺が悶々と考えている間に皆ソファに座り紅茶が配られていた。
まあ今考えても仕方ない。誰かに相談するにしてもこの場が終わってからだ。
「まずご実家ノルデン宿の皆様ですが、全員、コルホルへ移住するとのご決断です」
「え!? そうなのか」
「まあ、来てくれるのね」
「それも出来る限りの最短日程で行います」
「いやしかし、父さん母さん、兄さん夫婦、それから2人の子供で合計6人だ。そんなに来ても西区に住むところは無いぞ。中央区へ住居を構えるのか」
へー、もう来るんだ。
「加えて宿でお勤めされている浄水士のご親族もいらっしゃいます」
「ええと、レナね」
「はい」
「どうするミランダ、確保できそうか」
「それは問題ないが、やや窮屈だな。それに2人の子供は学生だろう」
「はい、長男ディック様は15歳で専門学校生、次男カレル様は14歳で冒険者養成所の訓練生です。お二人とも寮に入っています」
「となるとそれぞれ編入先も考えないとな」
そっか、確かに。え、もしや貴族学園?
「クラウス、いっそメルキース男爵家で預かるのはどうだ」
「え、それは屋敷で暮らすと言うことか」
「うむ」
「いやしかし、そこまで面倒を見てもらうのも悪いな」
「ウチは構わんぞ、宿屋の経験を活かした将来の訓練も出来る。それが仕事としての水準ならば給金も出そう」
「ふーむ」
メルキース男爵の屋敷はホテルみたいだったからな。
「加えて警備面でも安心だ。エデルミラよ、決断した理由はその方面であろう」
「コーネイン夫人のおっしゃる通りです。もちろん最長1年はこちらの警備を常駐させますが、その、お立場から申しますと、かなりの騎士を配置させることとなります。それが幾分物々しくなりまして、宿をご利用するお客様にご迷惑ではないかとの判断です」
「まあ確かに騎士が多くウロついている宿屋は入り辛いな」
ふーん、そんな理由か。逆に警備がしっかりしている宿屋なら安心して利用できそうだけど。まあ雰囲気は随分と変わるわな。
「先日も宿泊客全員に人物鑑定を義務付けると子爵が申しまして、流石にそうなると宿の経営に影響も出かねません」
「あー、それはダメだ。誰も客がいなくなるぞ」
うわ、やり過ぎだなそりゃ。
「ただ子爵としましても、何としても守ると、かなりの力の入れようです。そのお気持ちはどうか察して下さい。トランサイトの製法発見とはそれほどのことですから」
「いやまあそれはありがたいが、何とも」
そうか、これを機として恩を売るんだな。実家を世話した貴族として覚えてもらうんだ。そして将来何かあった時に、それを引き合いにこちらへ頼る。何でも繋がりを作っておけば後々生きるんだ。ただちょっと空回りな気はするが。
「クラウスよ、子爵がそこまでするのも当然だ。マティアスは兄であり、ただ1人の兄弟。お前に万一のことがあれば男爵を預かる順位として1番目に当たる」
「あ! そういうことか」
「はい。コーネイン夫人のご提案の様に、ヴァステロース子爵邸宅で暮らしていただく案もございました」
「いや流石にそれは悪い。分かった、ではすまないがメルキース男爵邸宅で俺の屋敷が完成するまで預かってもらおう」
「うむ、任せろ」
ほー、そんな継承順位なんだ。ソフィーナが1番目じゃないのか。女性は貴族になれないのかな。あー、確かに、いままで見知った貴族は全員男性だ。
ただしかし、兄弟か。マティアスは真面目に宿屋をしてるっぽいけど、要らぬ野心が芽生えれば何が起きるか分からない。金や権力は人を惑わすからな。んー、まあ怨恨でも無い限り大丈夫か、考え過ぎだな。血を分けた弟だもん。
「エデルミラ、他の者はどうだ」
「はい、クラウス様の母ミリアム様のご実家も、揃って移住を決断されました。ミリアム様の兄夫婦とその長男夫婦、更にその子供3人が対象です」
「そうか、まあ母さんの実家は宿から近いからな、相談も円滑に進んだのだろう」
「はい、同じクノック地域ですから」
「こっちは西区と中央区でなんとか住居を構えるか、子供は皆学生だな」
「はい」
「他にはどうか」
「今のところ明確な意思表示は以上です。あとは実家の宿にお勤めの浄水士レナ様、その母マリベル様、妹リーリア様も前向きに検討されています」
あー、こういうのは少人数だと不安だけど、多く行くなら随分と違うな。こことあそこが行くことになった、じゃあウチも。そんな風に芋づる式に増えていくかもしれない。こりゃまだ知らない人たちが手を挙げるかも。
「それから……レナ様の交際相手も移住希望と申し出ておりますが」
「んー、そうか。ただ来るのは構わないが一緒にメルキースの屋敷には住まわせられないぞ、そうだなミランダ」
「無論だ。近くに住むなら好きにしろ」
流石に身内ではない他人だからな。
「最後にマティアス様の妻エリサ様の兄夫婦関連です」
「確か騎士なんだよな」
「はい。アルデンレヒト保安部隊2名、ウィルム北西部防衛部隊3名、士官学校訓練生4名です。その全員に確認したところ、ウィルム侯爵の指示があれば従うとのことです」
「はは、そうか。イグナシオ殿、頼めば可能か」
「可能だ。最速で向かわせる」
うは、騎士は領主の命令に従うからそうなるか。
「ミランダの意見は」
「エリサも移住が決定したのだ。その兄夫婦、ましてや騎士が近くにいれば安心だろう。無論、メルキース保安部隊、ゼイルディク北西部防衛部隊で預かる。もちろん訓練生も士官学校で迎えるぞ」
「分かった、では、イグナシオ殿、ウィルム侯爵に対象9名の異動命令を頼む」
「承知した」
ああー、決まっちゃった。知らないところで話が進むのって怖いなー。まあでも話は聞いてたみたいだし、心構えは出来てるよね。
「では次にウィルム侯爵とノルデン家の面会についてだ。こちら側の案としては3日後の5月30日の午前午後、翌日6月1日の午前が近いところだ。ディマス殿、伯爵はどうか」
「5月30日午前10時以降、午後は15時まで、6月1日は午前10時以降で調節可能だ」
「伯爵も同席するのだな」
「そうだ、場所はエーデルブルク城。そちら側の同伴は自由だが予めディマス殿に伝えてくれ」
「分かった。では5月30日10時でお願いしたい」
「うむ、侯爵は問題ない」
「伯爵も可能だ、では決まりだな」
3日後の5月30日10時にエーデルブルク城か。うひー、何言われるんだろう。あの鑑定結果を踏まえて来るからなー。
「さて最後に頼みがある。リオン殿のトランサイト共鳴変化を1本お願いしたいのだ」
「商会長」
「うむ、許可する」
「そうか、ではこの剣だ。加工賃10億ディルは後に振り込む」
「え、高すぎるぞ」
「侯爵のお決めになった金額だ、受け取れ」
10億かよ! まあ、売ったらもっと稼げるけど。つくづくトランサイトは桁がおかしい。
剣を握る。あんまり簡単に出来るとこを見せちゃいけないんだよな。それに黙ってやらないと。そうだよ、10億の仕事だ。丁寧にゆっくり仕上げるぞ。
お、久々に強化から変化への切り替えでやってみるか。
キイイィィン
10%、20%
キイイィィィン
30%、40%
キイイイィィィン
50%、60%
キュイイイィィィーーン
70%、80%
キュイイイィィィーーーン
90%、100%
よーし、では変化共鳴だ。
ギュイイイィィィーーーン
110%、120%
ギュイイイイィィィーーーン
130%……変わったね。
シュウウウゥゥゥーーーン
「ふー、はー、ぜぇぜぇ、終わりました」
「見事であった。マースカント!」
「はっ!」
剣をテーブルに置いて俺はソファに沈み込む。ミランダをチラッと見ると、軽く何度も頷いている。どうも希望に添えたようだ。
「トランサイト合金です」
「そうか。リオン殿、大変素晴らしい。サンデベールの未来は明るいぞ」
あの共鳴を見たからか、冷静なイグナシオもいくらか興奮しているようだ。
「以上で用事は終了だ。皆の対応を感謝する。ではディマス殿、城へ」
「うむ」
そう告げてイグナシオは立ち上がる。エデルミラとマースカントも続いた。
「では見送って来る」
「俺も行こう」
ミランダが立ち上がるとクラウスも続いた。ディマスと共に部屋を出る。
残ったのは俺とソフィーナ、フリッツ、ランメルトだ。
「ぷはー、くたびれたぜー」
「はは、おっちゃんずっと黙ってたもんね」
「そりゃそうさ、俺が口を挟める内容じゃない。それにこの場はしっかり聞いて、ベラたちに伝える役目だからな」
「それでも意見があれば言ってもいいぞ、男爵夫人の兄になるのだ」
「そう言うフリッツもだんまりじゃないか、家令だろ」
「……実のところ、今はミランダが家令のようだな」
はは、違いない。ちょっとした疑問にも即答するし、その場で決めることもできる。ただ実家をメルキースの屋敷に迎えるなんて、あの人の一存で決めていいもんなのか。まあ、多少は想定してたと思うけど。
「お、帰って来たな」
クラウスとミランダがソファに座る。
「ふー、中々に疲れる相手だった」
「おう、クラウス、よく対等に物言いできたな」
「まあエデルミラはな。しかし、メルよ、あのイグナシオとう男は全然違うぞ。妙な威圧感があって息が詰まった」
「俺は絶対に仲良くなれない部類だな」
何というか、効率重視で無駄が嫌い。スマートに仕事をこなして満足感を得るタイプだ。部下でいれば頼もしいな。
「ところでシンクライトって何だ?」
「おお、メルは知らなかったな。この際伝えるか、いいだろうミランダ」
「構わん、ただランメルトの心の内に止めておけよ」
「は、はい、分かりました」
まあ名前が出た以上気になるよね。
「シンクライトって言うのはな、トランサイトを超える鉱物だ。それをリオンは作ることが出来る」
「はあ!? あれ以上の鉱物だって?」
「シンクルニウムを共鳴させて作るのさ、レア度4だぞ。今言えるのはそんなところだな」
「レア度4! おいリオンお前どうなってやがるんだ」
「へへ……」
どうもこうも、それが英雄を超える力さ。
「それを伯爵は侯爵に伝えてないのか。だから今日、もし関連することを聞かれても知らない振りをしろと」
「ただ向こうは知らないのだから聞かれることは無い。あの優秀なディマスでも、そこまで考えが及ばなかった、それほどシンクライトは重要機密なのだ。まあイグナシオが切れ者故に、念のため確認したのだろう」
ふーん、ディマスもちょっとイグナシオにビビってたのか。それで釘を刺すつもりが、知らなかったランメルトに広める結果となった。余計なことは言わない方がいいね。
「では、リオン。工房に下りて仕事を頼む。ランメルトも行って昼の鐘まで一緒にいろ」
「はい」
部屋を出て一旦店内へ進む。そこでブレターニッツが声を掛けてきた。
「結界は施してあります。12時まで持つでしょう」
「ありがとう」
工房に入り、休憩スペースへ座る。フローラはいないのか。
「お前はここでいつも仕事をしてるんだな」
「そうだよ、おっちゃん」
弓を持つ。
ギュイイイィィーーーン
ここへランメルトを向かわせたのは、残ったメンバーで俺の鑑定結果について話すためだろう。クラウス、ソフィーナ、ミランダ、フリッツ、この面々は神の封印を知っているからな。さて、どう対応するつもりか。
それで俺はどうしたらいい。鑑定直後は王都へ行くことさえ考えたが、果たしてそれが正しい判断なのだろうか。いや待て、周りの環境に合わせての判断なぞ、何が正しいんだ。俺自身の問題だ。そう、フリッツは貴族の都合で振り回されるなと言っていた。
俺は……どうしたいんだろう。
前世では小中高大学、そして就職と、よくあるコースに収まるように生きてきた。両親もそれを望んだし、それに応えていれば、後は自由にさせてくれた。そう、俺はゲームに興味があったから好きなだけ遊んだんだ。
もちろん飛び抜けた才能でもあれば違った進路があっただろう。でもそんなものはない。ならばおのずと人並みに生きることが目標となる。
ところが、どうだ。俺は会社を辞めて実家に帰った。そしてやったことのない農業に取り組んだ。元々環境があったとは言え、うまくいくかなんて分からない。それなりに勉強して大学に入り、それなりに仕事もこなしていた。俺はそれを全て捨てたんだ。
そのきっかけは父親だ。あの時は父親が心配で他のことなんてどうでもよくなった。とにかく側にいたい、最後の時まで見届けたい。そうしないと一生後悔する。だから動いた。
この世界でそこまで俺を突き動かす要因は何だ、何を失うと後悔する。それはやっぱり家族だ、クラウス、ソフィーナ、ディアナ。隣りのブラード家も同じくらい大事だ。フリッツや西区のみんな、世話になっているミランダたちも。
王族や侯爵が大事か? そりゃ国や領地に取っては大事な存在だ。だが俺にとってはそうでもない。そんな人のために俺は働くのか、この環境を捨てて。
なまじ英雄を超える力なんて異常な才能があると、出来ることがあり過ぎて感覚がおかしくなってしまう。まるでその力に振り回されている様だ。はは、そうか、分かったぞ、俺はその器じゃない。英雄にはほど遠い存在だ。
そう、ならば身の丈にあった生活を続ければいい。大事な家族や信頼できる人たちと共に。
「リオン、さっきからボーっとしてるけど、仕事しなくていいのか」
「あ! うん、やるよ」
弓を握る。
ギュイイイィィーーーン
そう、俺はこの環境で満足している。今はそれ以上を望まない。侯爵に来いと言われても断る。俺は大切なみんなと一緒にここにいたいんだ。だから動くつもりはない。むしろ合わすのは侯爵の方だ。
「リオンも大変だな。その年で色々考えることがあって」
「え、うーん、まあね」
「俺が子供の時は何も考えてなかったぜ、だからお前も抱え込まないで周りに任せればいいぞ」
「うん、分かった」
ランメルトなりに気づかいしてくれてるんだな。
「そうだ、おっちゃん、父さんや母さんから少し聞いたよ、冒険者時代のこと」
「おおそうか、色々あったなあの頃は。ソフィも危なっかしいから」
「え、そうなの? しっかりしていると思うけど」
ふむ、兄目線ならまた違った印象なのか。
「まあ頭はいいけどな、ただ少し世間知らずと言うか、自覚が足りないと言うか。冒険者になるのはいいが、かなり心配したぜ」
「母さんが養成所を出て直ぐに一緒のパーティになったんだよね」
「おう。ソフィは養成所の頃からモテたんだ、凄く可愛かったんだぞ、今でも可愛いが。それで変な奴が寄ってこない様に、俺が近くにいることにしたのさ」
「へー」
ふふ、ランメルトはソフィーナ大好きなんだな。
「それで丁度その頃、パーティが解散して1人になったクラウスと出会ったんだ。話した感じ真面目そうだし、そこそこ強いから、じゃあ一緒にやるかってね」
「ふーん」
「それから1~2カ月してか、ジェイクとフレイが入ったのは」
「お、初めて聞いたよ、その名前」
「そうか、2人は姉弟だった。今なら30歳と29歳か」
へー、そっちも身内の2人だったのね。
「あいつらどこで何してるんだか。お、クラウスの叙爵を聞きつけて訪ねてくるかもな」
「それは可能性あるね」
「はは、ビックリするだろうな、まさかの貴族だから」
昔の仲間か、いいね。ソフィーナがディアナを妊娠するまでの約3年、一緒に魔物と戦った言わば戦友だ。きっと気心知れた仲なんだろう。




