(このままでは追いつかれる)
ミハイルは一人、頭を抱えていた。日の光も差しこまない物置は暗く、外から聞こえてくる音だけが状況を教えてくれる。
(なにがあったんだ)
いたか、いない、そっちには――飛び交うやり取りは騎士のもので、彼らが探しているのはミハイルだ。
今から小一時間ほど前、ミハイルは衝撃的な現場を目撃し、思わずその場から逃げ出した。護衛としてついていた騎士を撒いてしまったのは、一人になりたかったからだ。
ミハイルは一人で過ごすことに慣れている。マリエンヌが亡くなってからは、褒められることすら稀で、落ち込んで誰かに慰められるということはほとんどなかった。
そのため、寄り添う二人を見て痛みを覚えた心をどうにかしようと一人になった。
(レオンはレイシア嬢を好いていて、アルミラはレオンを慕っているわけではない)
そう自分に言い聞かせてみても、心は晴れなかった。
レオンとアルミラの間に恋愛感情がある――とまでは思っていないが、もしかしたらという考えが鎌首をもたげる。
(レイシア嬢を諦めてアルミラに目を向けて、アルミラもそれにほだされたとしたら……)
それはありえない想像だ。それなのに考えてしまったのは、二人の間にはミハイルの入り込む余地のないなにかがあると、常々感じていたからだろう。
レオンがアルミラを下僕のように扱っていたのは知っている。無理難題を押しつけられたアルミラが、それを解決しようと躍起になっていると聞いたこともある。
だがそのどれも、ミハイル自身が見ていたわけではない。気づいたらアルミラの髪が短くなり、男装していて、剣を扱えるようになっていた。
ミハイルがアルミラと親しくしていたのは学園にいた数ヶ月間だけだ。しかもそのきっかけすらレオンだった。
レオンとアルミラの付き合いは長く、当然ミハイルの知らないアルミラをレオンは知っている。まるでアルミラのことを理解しているような――たとえそのほとんどが悪態だったとしても――口振りに、心の奥底に澱みが生まれた。
だがそれでも、二人の仲を邪推することはなかった。レオンがレイシアに執心しているのは誰の目から見ても明らかで、レオンとアルミラが険悪なのも二人のやり取りでわかっていたからだ。
それなのに、寄り添う二人を目撃してしまった。
なにかがあってそうなったことはミハイルにもわかっている。だがそのなにかは、ミハイルの想像もつかないものだろう。
レオンがアルミラのことを知っているように、アルミラも彼女しか知らないレオンを知っている。
それを見せつけられたようで、逃げ出した。
そうして、城の奥にある人の寄りつかないような小部屋で一人落ち込んでいた。
レオンとアルミラの間に、ミハイルの知らないなにかがあるのは当然のことだ。アルミラをレオンの婚約者としか見てこなかったのはミハイルで、彼女のことを深く知ろうとしてこなかったのも、ミハイルだ。
(そんなことはわかってる。わかってるのに……)
どうしても嫉妬してしまう自分が浅ましく思え、自己嫌悪に陥っていた。
一体どのくらいそうしていたのか。時間も忘れてひたすら落ち込んでいたミハイルの耳に、喧騒が届いてきた。
何事かと外に出たミハイルを待ち受けていたのは、鬼気迫る顔をした騎士たちだった。
アルミラとのことで平静ではなかったからか、迫ってくる騎士から思わず逃げた。
自己保身を第一に考え、自分の命をなによりも大切にしていたミハイルは、逃げるのが得意だった。
もしもハロルドが気を変えてミハイルを次期王に指名した場合、コゼットはレオンを王にしようと躍起になるかもしれない。そんな想像から、城での逃走経路を調べ、身を守るために鍛えてきた。
培ってきたすべてを使って、ミハイルは逃げに徹した。
そうして逃げれば逃げるほど、騎士は捕まえようと躍起になる。探すことが目的だったはずなのに、いつの間にか捕まえることが目的になっていた。
フェイ考案の訓練を受けたくないという一心で、彼らは動いている。見つかったのだから訓練はないのではと思いながらも、捕まえられなければ訓練があるかもしれないと怯えていた。
そうした中で、ミハイルはある一人の騎士と対峙した。
騎士団総出での捜索、というのがよくなかったのだろう。ミハイルを見つけたのは、騎士になったばかりの青年だった。彼はこの一年の間に入ったばかりで、フェイ考案の訓練を知らなかった。
だが先輩である騎士全員が顔を青褪めさせて、ミハイルを探している。そのことが、彼の想像を掻き立てた。
想像というものは留まるところを知らない。実際よりも数倍ひどいものを想像し、追いかけていた疲労と焦燥、そして肥大した恐怖心により暴走した。
だが国で二番目に強いミハイルに勝てるわけもなく、簡単に撃沈したのだが、問題はミハイルがよくわからないが狙われていると思ってしまったことだろう。
騎士の忠誠心は先々代の王に仕えていたときよりも失われている。反旗を翻したとしても、不思議ではない。
ミハイルはいついかなるときも、命を狙われることを想定して生きてきた。そうして培ってきた想像力が、悪い方向に転がった。
模擬剣とはいえ剣を向けてくる騎士に捕まろうなどと思えるはずもなく、逆に模擬剣を奪って彼らを叩き伏せた。
どうして追われているのかもわからず逃げ続け、疲れ果てたミハイルは目についた物置に身を隠した。
だがそれも、長くは続かない。扉を開けられ、差し込む光の先に騎士服を見て、またも逃げた。
なにがどうしてこうなったのか、ミハイルにはわからなかった。一人落ち込んでいただけのはずなのに、なぜか今は騎士に追われている。
窓から飛び降りて外に逃げ、外で見つかればまた城内に逃げ込む。それを繰り返し、よくわからないまま走っていた。
そうして走り続けた末に、ミハイルは廊下に佇む侍女を見つけた。
「アルミラ」
侍女服をまとい、長い髪を編み込んだかつらをつけているが、その姿を見間違えるはずもない。
それがアルミラだと認識した瞬間、ミハイルの体は逆方向に逃げていた。
「どうして逃げるんですか!」
飛んでくる叱責に返す答えは持っていない。傷ついた心はまだ癒えておらず、このまま顔を合わせれば、嫉妬でよからぬことを口走ってしまいそうだった。
だがそれを説明すれば、その時点で二人の仲に嫉妬してしまったことがばれてしまう。
せめて心の整理がつくまではと思い逃げ出したのだが、ミハイルの身体能力はアルミラに劣っている。
(このままでは追いつかれる)
焦ったミハイルは、手ごろな位置にあった窓から飛び降りた。アルミラには劣るが、ある程度の高さならば無傷で着地できるだけの身体能力をミハイルは持っている。
地面に足が着くと同時に駆け出そうとしたのだが、アルミラの様子が気になり、上を向いてしまった。
ミハイルを追って降りようと、アルミラは窓枠に足をかけていた。
アルミラが纏っているのは侍女服で、ひらりとスカートの端が舞う。
中が見えたわけではないが、このまま降りてきたらどうなるのかを想像し、ミハイルは顔を赤くして目を覆った。
「ミハイル陛下」
そんな悠長にしていたら捕まるのは当然で、すぐ間近から聞こえた声にそっと目を覆っていた手を外す。
眼前にある化粧を施した、普段とは違うアルミラの姿に先ほどとはまた違った熱で顔が赤くなった。
「捕まえました」
ガン、とアルミラの手が壁に叩きつけられ、左右からミハイルの体を閉じ込める。
壁に入った亀裂に、ミハイルの顔から熱が失せ、ついでに血の気も失せた。




