「人を壁に使わないでいただきたいのですが」
レオンが魔力を暴走させることはあまり広くは知られていない。城で働く者にも知らない者がいるほどだ。
そのため、ただの子爵家の生まれで王家との縁も薄いレイシアはその話を知らない。
(魔法で物に当たっているとでも思ったかな)
環境に嫌気が差し癇癪を起していると思っても不思議ではないだろう。レオンの学園での生活態度はそれほど悪かった。
(だがまあ、多少収まったのならそれでいいか)
わざわざその勘違いを正す必要はない。自尊心の塊のようなレオンも自分が未熟だと知られたくはないだろう。
「……落ち着いたか様子を見てきます。ミハイル殿下にはレイシア嬢をお任せしてもよろしいでしょうか」
今は落ち着いていても、またいつ暴走するかわからない。
そしてレイシアには身を守る術はない。
「手荒な真似はしませんのでご安心ください」
ためらうようにアルミラとレイシアを交互に見るミハイルに向けて、言葉を重ねる。
「……わかった。だけど、もしも危険だと判断したらすぐに戻ってきてほしい」
「かしこまりました」
一礼し、話の流れが掴めないのか首を傾げているレイシアと固唾を飲んで見守るミハイルに背を向け、仮面を取り出して被ると扉の付いていない部屋に向かった。
中を覗きこむと、案の定そこにはレオンがいた。寝台に座り俯いているため表情は読めない。
「レオン殿下」
呼びかけるとぴくりと肩が動いた。
(どうやら意識はあるようだな)
一歩、部屋の中に足を踏み入れる。即座に攻撃を仕掛けてこない程度には理性もあるようだ。
そうなればアルミラに遠慮する理由はない。ずかずかと部屋の中を進み、レオンの前に立つ。
「なにをしにきた」
低く唸るような声にアルミラは苦笑を浮かべた。
(こちらが誰かもわかっている。ならば最悪な状態ではないということか)
わずかに上がった顔は射殺さんばかりにアルミラを睨みつけている。普段と変わらないその様子にアルミラは小さくだが安堵の息を零した。
(さすがに、自分が誰かもわかっていない相手を泣かせてもしかたないからな)
アルミラが泣かせたいのはあくまでレオンであって、レオンの形をしたなにかではなかった。
「お元気そうで安心しました」
「……これが元気そうに見えるだと? お前の目は節穴でできているのか?」
吐き捨てるような口振りも普段どおりだが、いつもよりは気迫に欠ける。
どこか自棄になっているようにも見えるその姿に、アルミラは「ふむ」と呟く。
(フェイ様が下にいたことを考えると、王がなにかしたか)
フェイはハロルドの護衛騎士だ。とくにこれといった用もなく塔に近づきはしないだろう。
そしてフェイは「警備を任されている」とも言っていた。
騎士団長にもかかわらず、フェイは度々任務を抜けたり命令に背いたりする。それなのに大人しく従っていたことを考えると、ハロルドがレオンになにかしたことは明白だ。
そしてそのなにかを推測するのは容易い。
「マリエンヌ様のことでも聞きましたか?」
何食わぬ口調でそう問いかけると、レオンの顔から表情が抜ける。
そして足元に散る石くずがいくつか弾けた。
「……どうしてお前がそれを知っている」
「私はあなたの婚約者でしたから、その程度のことは存じております」
厳密に言えば、フェイの愚痴に付き合ったり弱みを探る過程で詳しい話を知っただけだ。
だがそこまで詳細を語る必要はないだろうとアルミラは言葉を濁した。
「お前も俺を罪人だと言いにでも来たのか。そんなことのためにわざわざ足を運ぶとは、ご苦労なことだな」
「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、私はあなたを罵るためだけにここに来るほど暇ではありません。お力を借りにきました」
実際にはレオンの力があろうとなかろうと、そこまでの惨事にはならないだろう。
それを知っていながらレオンの力を借りるのは、国力とするために実績が必要になるからだ。
これまでの我儘三昧の印象を拭いきることはできないだろうが、それでも魔法を善行に使ったという事実は残る。
「お前が俺に頼みごととはな。いいだろう。その場に跪いて乞い願うのならば聞いてやらんこともない」
だが困ったことに、レオンとアルミラの仲は悪すぎた。
「力ずくで言うことを聞かせることもできますよ」
「それをやれるのならば最初からしているだろう。お前はそういうやつだ」
「城で火災が起きている可能性があります。それでも、私が頼まなければなにもしないとおっしゃるおつもりですか」
「城でなにが起きていようと俺には関係ない」
やはり縛って連れていくのが手っ取り早そうだ、とアルミラが懐にしまってある縄に手を伸ばそうとした瞬間、高く女の子らしい声がレオンの名を呼んだ。
「……レイシア」
レオンの視線がアルミラの横を抜け、入口に注がれる。アルミラもその視線を追うように後ろを振り返り、入口に立つミハイルとレイシアを見つけた。
「……待っていてくださいとお願いしたはずですが」
「どうしてもレオンと話したいといって聞かなくてね」
ミハイルは肩をすくめ、横に立つレイシアに視線を落とした。
(来てしまったものはしかたないか。隙を見て揺さぶりをかけるとしよう)
溜息をつき横に一歩避けようとしたアルミラだが、寸でで腕を引っ張られ訝しげに自分の腕を掴むレオンを見下ろす。
「……なにか?」
「そこにいろ」
「人を壁に使わないでいただきたいのですが」
返事の代わりに舌打ちが返ってきた。
(どうせこいつのことだ。情けないところを見せたくはないのだろう)
なにしろレオンは自尊心が服を着て歩いているような男だ。レイシアには堂々とした姿しか見せたくないのだろう。
アルミラはやれやれと肩をすくめ、レオンの襟首を掴んでレイシアの前に引き摺りだした。
「なにを……!」
「私はあなたの婚約者ではないので、命令を聞く義理も壁になる義理もありません」
「あ、ああの! レオン様! アルミラ様は私のためにしてくれたので、あまり怒らないでください」
アルミラを睨むレオンの腕に縋り付きながら必死で懇願するレイシアに毒気が抜かれたのか、レオンの顔が怒りから気まずそうなものに変わる。
「……どうしてお前がここにいる」
「レオン様に謝りたくて……私のせいで捕まってしまったので……私がいなければ、レオン様なら逃げることもできたのに……」
しゅんと小さい体をよりいっそう小さくさせる姿に、レオンが動揺するように視線をさまよわせた。
「お前のせいではない」
「私がレオン様の足を引っ張ってしまったのは事実です。だから、どうしてもそのことを謝りたくて、それと――」
助け船はないと観念したのだろう。レオンは真っ直ぐにレイシアを見下ろし、頬に手を添えた。
「……言っただろう。俺は身も心もお前に捧げると。俺がしたくてしたことだ」
「レオン様」
レイシアの瞳が潤み、レオンの手に自分の手を重ねる。
そして一度唇を引き結んでから、ゆっくりと開いた。
「あの、そのことなんですが……私はレオン様のお気持ちに応えることはできません」
「……知っている」
公衆の面前ではっきり言われたことを思い出したのだろう。レオンの顔が苦々しいものに変わった。
「レオン様がどうして私をそこまで気に入ってくださったのか、私にはわかりません。それに、私はレオン様がどういったお人なのかも、あまりよくは知りません」
「……ああ」
「なので、とりあえず、お友達になりませんか?」
レオンの視線がまたもさまよい、アルミラとミハイルに向く。
友達にしかなれないと言われたのか、あるいは友達の先を期待してもいいのか悩んでいるのだろう。
だがミハイルはそっと視線を外し、アルミラの表情は仮面で読めない。
レオンはそれでもなお視線をさまよわせていたが、真っ直ぐ見つめてくるレイシアに根負けしたかのように溜息を零した。
「わかった。いいだろう、友達になってやる」
「はい! ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべるレイシアに、レオンがなんとも言えない微妙な表情で微笑んだ。
「よかったですね。初めて友達ができて……それはそれとして、城で火災が起きているかもしれない件についてですが、向かっていただけますか?」
そこに間髪入れずアルミラが声をかける。
レイシアの手前断ることはできないとわかってのことだ。
「……いいだろう。だが覚えておけ、俺はお前の頼みだから聞いたわけではない」
「存じております」
レオンは最後に一度アルミラを憎々しそうに睨みつけてから、レイシアを腕の中に抱きこんだ。
おそらくこのまま転移するつもりなのだろう。レオンの腕の中でレイシアが「私も一緒に行く必要はないのでは!?」と叫んでいる。
「ああそうだ、レオン殿下」
「……なんだ」
「マリエンヌ様の件ですが、あなたのせいではありませんよ。彼女はすでに絶命していたはずです」
レオンの瞳が揺れ「そうか」と呟いた後、レイシアと共にその場から姿を消した。
「……思ったよりも強情な奴だな。いや、王のせいか」
マリエンヌはレオンの急所になるはずだった。
もしもハロルドが先に突いていなければ、泣かせる材料には十分だったはずだ。
まったく忌々しいと心の中で吐き捨てるアルミラの肩に手が置かれる。
「……今の話は? 君は、母上のことをなにか知っているのか?」
そして、アルミラの発した言葉はもう一人の、マリエンヌが急所になっている人物に刺さっていた。




