(昏倒させる時間もいるからなぁ)
レイシアは凡人凡才だ。
任せると言われても、どうすればいいのか思いつくはずもない。
(どうすればいいんだろう……)
ほぼ毎日のように招待されている夜会に今日も参加したのはいいものの、途方に暮れている。心ここにあらずの状態なレイシアに、これまたほぼ毎日のようにレイシアを囲んでいる男性陣は心配そうに「どうした」とか「悩みがあるなら聞く」と口々に声をかけた。
眉を下げて肩を落としている姿はその愛らしい見た目と相まって、最大限の効力を発揮している。
「あの……」
いくら考えても、良案は浮かばない。だが先延ばしにできるような話でもない。もうこうなったらどうとでもなれと半ばやけっぱちで口を開く。
レイシアが目を伏せ、ためらいがちに喋りはじめると、男性陣は続く言葉を聞き逃さないように口を閉じた。
(さすがに、ここでは話せないよね)
広間は人であふれている。兵の派遣を遅らせてほしいと口にできるような環境ではない。もしも誰かの耳に入れば、たとえ実施する前だとしても捕らえられることだろう。
一歩外に出れば完全にいないというわけではないが、こっそり話せる程度にはなる。
「……庭園で皆さまとお話したいのですが、よろしいでしょうか」
そして誘われた男性陣は、二の句もなく頷いた。
ある程度親密になった男女が人目を気にせず話せるようにと、いくつか気兼ねなく語り合えるようにそれ用の場所が用意されている。そして庭園はその一つだ。
ちらほらと明かりが灯ってはいるが全体的に薄暗く、会場内の賑やかさが嘘のように静まり返っている。
そして庭園にまで男性陣を引き連れてきたレイシアは周囲の様子を窺い、そこに誰もいないことを確認すると胸の前で手を握り、一同を見上げた。
「実は……皆さまにお手伝いしていただきたいことがございます」
レイシアに人を言いくるめる才能はない。それができていたら、レオンとの関係ももっと違うものになっていただろう。
彼女にできるのは誠心誠意、真心を持って正直に話すことだけだった。
「……私はレオン様と話したいと思っています。それで、その手伝いを頼めればと……」
ここにいるのは好奇心から声をかけた者や学園にいた頃からレイシアを気にしていた者ばかりだ。そのためレイシアとレオンの関係も、学園で起きたこともある程度は知っている。
レイシアが捕らえられたレオンを気にかけるのもわかるのだが、即座に頷けるような内容ではない。
なにしろレオンはミハイルを害そうとした罪で幽閉されている。面会したいと願ったとしても、却下されると思ったほうがいい。
「君が学園に戻るまでに申請が通るかわからないけど……」
男性陣の中で一番位が高い家の息子が申し訳なさそうに言うと、レイシアは一瞬きょとんと瞬きをして、それから首を横に振った。
「申請しても通らないと思うので、その……こっそりと忍び込むつもりです」
本当にレオンと会えるのかどうかはわからない。だがそれでも、話せる機会はもうここしかない。
(アルミラ様が侵入した後なら、多分そこまで危なくないよね)
アルミラがレイシアに外でのことを頼んだのは、そのほうが発覚する恐れも危険も少ないからだろう。
だが外でレオンの無事を案じているだけはレイシアの性に合わなかった。なによりも、計画が成功したらアルミラはレオンを他国に追いやる。
そうなれば話す機会は永遠に失われる。
「それで、援軍を王城に向かわせるのを少し遅らせていただければと……お願いします」
レイシアが頭を下げると、男性陣はとまどいつつ互いに視線を交わす。権力で面会を押し通すのとは訳が違う。到底頷けるような話ではない。
しんと静まり返る中、レイシアは駄目だったと肩を下げ、アルミラにどう報告するべきかと潤んだ瞳で一同を遠慮がちに見上げた。
そして、学園に戻る前日アルミラは城壁内にいた。侵入口はもちろん壁だ。
さすがに王城は社交期間でしか利用しない貴族の屋敷とは違い警備も多く、壁を下りる際にも巡回していた騎士と遭遇し、それからも何人か叩きのめしている。
(やはりフェイ様相手じゃなければ大丈夫だな)
迫る騎士をいなし、叩き伏せる。
最初は「あれ、なんでここに?」と不思議そうな顔をしていた騎士もいたが、今は敵と認識して向かってくる者ばかりだ。
だがそれでも、顔見知りでなおかつ生物学的には女性のアルミラ相手では躊躇してしまうのだろう。鈍った剣でアルミラに対抗できるはずもなく、撃沈している。
(他の場所を警備しているやつも来そうだな。急ぐか)
アルミラが侵入したという情報は城中に広まっていると思ったほうがいいだろう。
今は各個撃破に近いが、数が集まればその分歩みも遅くなるし、体力も使う。
レイシアがどれくらい時間を稼げるかわからない状況で、悠長にしている暇はない。
そして時間がかかればかかるほど、王を護衛しているフェイが来る確率が上がる。フェイ相手に正面突破するのは無理だ。まともに剣を打ち合えるような相手ではない。
さらにレオンを連れて脱出するための時間も必要だ。
(昏倒させる時間もいるからなぁ)
まず間違いなく、レオンはアルミラについてこない。レイシアが心配だということもあるだろうが、なにを企んでいるのかと警戒し、てこでも動かないだろう。
だがアルミラには押し問答を繰り広げる時間もなければ、説得する寛容さも持ち合わせていなかった。
(気づかれないように近づければいいが……難しそうだ)
見つけてすぐ気絶させることができればいいが、仕損じたら抵抗されることだろう。レオンがいる場所を考えると、後ろからこっそり忍び寄ることもできないので、二、三撃は食らわせるだけの時間もいる。
起きたときに暴れることも考慮して、縛っておく必要もあるので、その時間も計算にいれなければならない。
(まったく、手のかかる奴だ)
やれやれと肩をすくめながら「どうしてお前が!」と声を張り上げている騎士と向き合った。
長期休暇もいよいよ終わりを迎えようとしており、明日は朝から学園に向かわなければならない。
その日の警護に当たる者との顔合わせや、後期で行われる授業のための予習、それから卒業後に行われる立太子式の打合せもあり、ミハイルは疲れた顔で廊下を歩いていた。
だがふと、なにかがおかしいと気づく。
(騎士が少ないな)
今は書庫から自室に向かっている最中だが、すれ違う騎士の数が減っている、ような気がした。
巡回ルートは日によって変わるが、騎士の数が増えることはあっても減ることはそうない。
ほんの些細な違和感だが、いつもとは違う様子に首を捻る。
(前はどうだったかな)
ミハイルが学園に戻るのはこれが初めてではない。これまでどんなものだったかを思い返していたが、廊下の先に人影を見つけ考えるのをやめ歩く速度を落とした。
赤い瞳に黒い髪、つんとすました顔に、ピンと伸びた背筋。ゆっくりと歩いてくるコゼットに道を譲るように、廊下の端に寄る。
そして顔を伏せ、ただ通り過ぎるのを待つ。
これはマリエンヌが生きていた頃からしていることだ。身に染みついた習性のように、なにかを考える前に体が動く。
「ねえ」
いつもならばちらりと一瞥するだけで通り過ぎるだけのコゼットが、なぜかミハイルの前で足を止め、声をかけてきた。
(……なんだ?)
コゼットとミハイルの間にいい思い出はない。マリエンヌが生きていたときは嫌味を、死んでからはろくに言葉も交わさない関係だった。
だから嫌味を言われるのかもしれないと恐々と顔を上げ、コゼットを真正面から捉える。
ミハイルとコゼットの身長差は歴然だ。どうあがいてもミハイルが見下ろす形になり、コゼットの眉がぴくりと跳ねた。
コゼットが自分の身長に不満があると知らないミハイルは、その不機嫌そうな顔に体を強張らせる。
「私、今すごく赤い薔薇が欲しいのよね」
赤い瞳を細め、紅の塗られた赤い唇が歪む。まるで小馬鹿にするような笑みを浮かべているように見えるが、コゼットにとってこれは標準装備だ。そして当然、ミハイルはそのことを知らない。
引きつりそうな顔を微笑むことでごまかし「侍女に頼まれては?」と返す。
「あら、私のそばに侍女がいるように見えるのかしら」
ミハイルの視線がコゼットの周囲に向く。コゼットの横にも後ろにも誰もいない。
この場にいるのはミハイルとコゼットだけだ。
「では誰か見つけたら――」
「今すぐと言ったのに聞いてなかったの? あなたの耳はなんのためについているのかしら」
コゼットはくすりと笑うと、ここまでずっと真正面を向き続けていた顔を上に向けた。
挑発するような目で見上げられ、ミハイルは拳を握りしめた。挑発するように見上げ、小馬鹿にしたように笑う姿が、マリエンヌに嫌味を言っていたときと重なったからだ。
十数年間――身長も含め――コゼットの姿はほとんど変わっていない。艶やかな黒い髪も、白い肌も衰えることなく維持されている。
「持ってきてちょうだい」
それは正妃とはいえ、王子にするような命令ではない。だが、幼い頃から刻まれ続けた苦手意識から「かしこまりました」と頷くことしかできなかった。




