(あの女と同類か)
(どうしたものかねぇ)
ミハイルがアルミラに好意を寄せているのは間違いない。だが、なぜか自分との未来を考えていない。
(それに、望んでる相手って……なんの話だ)
話の流れを考えれば、アルミラに結ばれたいと思った相手がいる、ということになるがそんなものがいないことをフェイは知っている。
そもそも、アルミラの一番身近にいた男性は家族を除けばレオンだけだ。学園で誰かしらと親しくなった可能性は否定しきれないが、アルミラに限ってそれはないだろう。
(……まさか、レオン殿下とか言わないよな。いや、ねぇな)
即座に否定し、思い詰めるように顔を歪めているミハイルの様子を注視する。
「アルミラは君を嫌ってはいないみたいだったから、君が好きだと言うのなら……祝福したかったよ」
そしてその言葉に眉間に皺を寄せた。
万が一フェイがアルミラを好きだったとしても、その結婚生活は幸せなものにはならない。
それなのに祝福するとは、とんだ甘ちゃんだ。そう心の中で吐き捨てる。
フェイは国外にも名を轟かせてはいるが、それはあくまでも騎士としての話だ。表立って反発する者がいないというだけで、内心では憎悪の念を燻らせている者もいるだろう。
これまで得られていた貴族としての恩恵は大幅に減り、騎士の妻になったアルミラを揶揄する者も出るかもしれない。
しかもそれが王命でなされたとなれば、関わり合いになりたくないと避ける者も出るだろう。アルミラの生家であるフェティスマ家が手を差し伸べるかどうかも怪しい。
余計な口を挟まれない玩具にハロルドがちょっかいをかける図が目に浮かぶ。
(アルミラからなにも聞いてないのか、こいつ)
王の人となりを知っていれば、その部下であるフェイに嫁ぐことを祝福できるはずがない。大切なものを守るという意味でも、自分の手中に収めようとすることだろう。
ミハイルとの婚姻であれば、陰でちょっかいをかけるかもしれないが、フェイに嫁ぐよりはマシだ。
表向きは王太子妃として尊重しなければならず、気兼ねなく遊べない玩具に対して、興味が薄れる可能性は高い。
(なら、アルミラを娶ろうとは思ってないのもしかたねぇか)
アルミラはレオンの婚約者だった相手だ。その婚約はなくなったが、それを決断した王が認めてくれないと諦めるのも頷ける。
――そう考えて、先ほどから遮られ続けた言葉の先を口にし、王に乞えば望みが叶うと伝えようと口を開く。
「そこまでアルミラのことを思ってるんでしたら――」
「フェイ」
だが、またも遮られる。
さすがに三度も邪魔をされれば、できる限り穏便に話を進めたかったフェイも不快に思い、眉をひそめた。
このままでは埒があかないと構わず言葉を続けようとする。
「私はアルミラに幸せになってもらいたい」
「ええ、ですからミハイル殿下が――」
「彼女が望まない結婚を強いるつもりはないんだよ」
なおも遮り言いきったミハイルに、フェイはぴくりと眉を跳ねさせた。
(……こいつ、わかってるのか?)
ミハイルはこれまでハロルドとコゼットが決めたことに口を挟むことはなく、大人しく従っていた。
日和見な彼ならば、目の前にぶら下がった餌に食いつき、これまでどおり歪さから目を逸らして安穏とした生活を送る。たとえそれがハロルドの手の平の上だろうと――そう、思っていた。
そしてそれは、ハロルドも一緒だろう。
まさか数ヶ月もしない間に乙女心に花が咲き、触れたい話したいと思いながらも尽くそうとする複雑な思いを抱くことになったなど、わかるはずがない。
しかも、好きな相手のためならばたとえ主君相手だろうと命を賭してでも守ろうとするだろう、という夢見る少女のような考えから祝福しようとしていたと気づくには、あまりにも情報が足りていなかった。
(……どっちだ、これは)
だから、悩む。
もしもハロルドの思惑をわかっていないのなら、迂闊なことは言えない。それによって警戒されることになれば元も子もない。
だがすべてわかっていて、決定的なことを言われる前に遮っていたとすれば、ハロルドの思惑には乗らないと真っ向から否定されたことになる。
「今日はもう遅い。私は戻ることにするよ」
なにを言うべきか、なにを言わないほうがよいのか――悩み言葉に窮するフェイをミハイルは一瞥すると、返事も待たず立ち去った。
(ああ、くそ)
向けられた眼差しに舌を打つ。熱を帯びたその目に、心当たりがあったからだ。
(あの女と同類か)
今から十年ほど前にあった、物見塔での一幕。あの日、フェイはその場にいた。
騎士団に放り込まれてからまだ一年ほどしかしていないフェイだったが、ハロルド直々に護衛を任され共に物見塔に上った。
物見塔は王城からは少し離れた場所に建っている。同じ敷地内とはいえ、間に庭園などを挟んでいるため、普段はあまり利用されていない。
軍事的な意味合いはなく、その昔秘密の恋を楽しんだ王女が逢瀬を楽しんだ――そんな逸話があるような場所だ。
そこに呼び出されたマリエンヌの浮かれようは、フェイが「どうして俺ここにいるんだろ」と思わず遠い目をしてしまうほどだった。
熱のこもった瞳、はにかむような笑み。この場で求められればすぐにでも応じそうなほど甘ったるい空気を発するマリエンヌだったが、ハロルドはそれを一刀両断した。
「側妃でなくても構いません……あなたのおそばにいられるのなら……」
言い募り、思いの丈を語るマリエンヌに、ハロルドは困ったなと言うように眉を下げる。まるで聞き分けのない子供を諭すようなその表情に、マリエンヌは息苦しそうに顔を歪めた。
そこに一縷の望みもないと察してしまったのだろう。ふらつき、細く白い指が窓枠に触れる。
「……私は、あなたを愛しております」
熱に浮かされた潤んだ瞳がハロルドから外れ、自身の背後にある窓に注がれた。
「あなたのおそばにいられないのなら、我が身に意味などありません」
「――マリエンヌ!」
名前を呼ばれたことに喜ぶような歪んだ笑みを浮かべながら、マリエンヌの体が窓の外に消えた。
呆気に取られていたフェイが動くよりも早くハロルドが窓に駆け寄るが、そこにはもうマリエンヌの姿はない。
「僕を愛している、だって」
ハロルドが窓の向こうを見ながら言うが、フェイはそれになにも返せなかった。マリエンヌが消えた方向から、けたたましい音が聞こえてきたからだ。
「ここまでするほどなら、別の遊び方をすればよかったかな。もったいないことをした」
感慨もなにもない呟きは、騒音の中に消えた。
マリエンヌが死んだことによる影響は大きく、いまだに尾を引いている。
(もしもまた、同じようなことが起きたら……)
ハロルドは杓子定規でしか人の心を測れない。強すぎる思いは彼の予測を超え、なにが起きるかわからない。
だが、たとえどうなろうとハロルドは気にしないだろう。それによって影響を受けるのは周囲だ。
またも悲劇が起きたときどうなるかを想像し、歯噛みする。
(あいつの子供ならあいつの子供らしく、愛だの恋だのにうかされんなよ)
わざわざ持ち場を離れたのに、逃げることなく捕まったレオン。
そしてマリエンヌ同様強い思いを抱き、なにをしでかすかわからないミハイル。
人でなしの父親の血を継いでいるとは思えない二人に、フェイは頭を乱暴に掻きむしる。
(興味なさそうだ、と報告するべきか……)
その場合、アルミラとフェイの婚姻を企てるかもしれない。
どうしたものかと悩むフェイだったが、土を踏む音が聞こえぴくりと肩を跳ねさせた。
「あら、フェイじゃない」
「……コゼット様」
振り向くと、夜着にショールをかけただけのコゼットがそこにいた。その無防備すぎる格好にフェイは咎めるように顔をしかめる。
「こんな時間に、なにを?」
「月が綺麗だから散歩に出ただけよ」
「……そのような格好では冷えます。部屋までご案内しますので、お手を」
手を差し出すと、コゼットは「出てきたばかりなのに」と不満を漏らしながらも手を重ねる。
コゼットがこうして散歩に出るのはそう珍しいことではない。
コゼットの部屋付きの侍女は、辛辣な言葉を吐かれたくないと無意識にコゼットを避けている。そしてその隙を狙って抜け出しているのだからたちが悪い。
昔からコゼットの世話をしている者は、気づいていながらも口を挟まず好きにさせている。
そのため毎度、コゼットとハロルドの護衛を兼任しているフェイが部屋に連れ戻していた。
「そういえば、最近はあの子なにをしているのかしら? どうせまた、孤児院だのなんだのに行ってるんでしょうけど」
「そうですね、民からも慕われています」
「本当、馬鹿な子。そんなことしてもどうにもならないのに」
その言葉に、フェイは曖昧な笑みを返す。
必要があればハロルドの横に立ち正妃としての公務をこなす傍ら、ミハイルの身辺にハロルドの息がかかっている者が近寄らないようにと目を配らせている。
一見すると問題なく過ごしているように見えるコゼットだが、彼女の世界はあの日から、壊れていた。




