前日談 ミハイル
ミハイルは黒い棺の上に白い花を供えた。この花は葬儀でよく使われるものだ。
本来ならば決別の証として棺の中に花を供える。そうすることによって、生者より手向けられた白い花が旅路に咲き、迷うことなく死者の国に誘うと言われている。
だが今回の葬儀では直接花を供えることができなかった。棺の蓋は固く閉ざされ、中を晒そうとはしない。それでもせめて手向けとして、棺桶の上に乗せた。
直接ではなくとも、旅路に咲くようにと。
弔いの鐘の音が鳴る。
一つ、二つ、三つ。四つ目が鳴り終えれば、棺は暗い土の底に埋められる。ひとすくいずつ土がかけられ、黒が茶に塗り変わるのをミハイルはただぼんやりと見つめた。
知らせはあまりにも突然だった。ミハイルとマリエンヌは昼間までいつもと変わらず談笑していたというのに、それからほんの数刻もせず、ミハイルの元にマリエンヌが亡くなったという報が入った。
「見ないほうがいい」
向かった先で、ただ閉ざされた棺に縋り、最後に顔が見たいと懇願したミハイルの訴えに誰も頷かなかった。
そうして母親の最期を見ることもできず、実感の湧かないまま葬儀の日となり、埋められていく棺を前にしてもミハイルにはどこか夢うつつのようだった。
王の妻とはいえ、側妃であるマリエンヌの葬儀は慎ましいものだ。
親族や友人、それから弔いたいと言ってきた者たちだけがこの場にいる。
公的な場に王と共に出席できる正妃と、決して王の横に並ぶことができない側妃の違いは葬儀の場にも表れた。
これが正妃の葬儀であれば、近隣諸国の者も弔いに来ただろう。だが公的な場では慎ましい態度を望まれる側妃に他国との繋がりはない。
それでも、慈善活動に力を入れていたおかげかそれでもある程度の人が早すぎる死を惜しみ参列してくれていた。
惜しむらくは、王が取り計らっている葬儀のため貴人以外の参加が認められていないことだろう。
もしも貴人以外も参加できるとなれば、今以上の人が集まっていたはずだ。
あるいは、この葬儀にコゼットが参列していればもう少し人が増えたことだろう。正妃が参列を拒否した葬儀に、躊躇なく参加できる貴族はそう多くはなかった。
「母上」
だが、そんなことは母親を失ったばかりのミハイルには関係ない。
参列者が何人だろうと、ぽっかりと空いた心の穴を埋めることはできなかっただろう。
「……どうして」
マリエンヌの死は不運な事故だと伝えられた。
だがどうしてそうなったのかをミハイルに教えてくれる者はいなかった。
いつも穏やかな笑みを浮かべている王が、珍しく表情を消して葬儀を仕切っている。
淡々と指示を出す父親の姿を目で追いながら、ミハイルは強く手を握りしめた。
「ミハイル殿下、おかわいそうに」
マリエンヌがいなくなり、新しく世話役となった侍女は慰めるようにミハイルに声をかける。胸元を飾る鮮やかな青色に、ミハイルは母親の瞳を思い浮かべた。
「眠れるまで子守歌でも歌いましょうか?」
「……それよりも、なにか物語を教えて」
マリエンヌは毎晩ミハイルに夢のような恋物語を語っていた。侍女に母親の姿を重ねたわけではなく、これまでの習慣を崩すことを嫌っただけだ。
だがマリエンヌとは違う声で紡がれる、マリエンヌのものとは違う物語に、ミハイルはようやくもう二度と慕っていた母親の声は聞けないのだと実感し、大粒の雫を落とした。
侍女は物語を語りながらいたわるように優しく金色の髪に触れる。その手つきもまた、マリエンヌとは違っていた。
ミハイルはそれから毎晩のように物語をねだった。そうして少しずつではあるが新しい侍女に慣れてきた頃、コゼットの命令によって配置換えが行われた。ミハイルの世話役は一新され、物語を教えてくれた侍女もいなくなった。
次期王になると言われ友人を宛がわれたりもしたが、それでもふとした瞬間にマリエンヌを思い出しては寂しさを感じ、空いた穴が塞がらないまま月日だけが流れていく。
そうして気づけば一年が経とうとしていた頃、レオンが城に戻ってきた。
それでもしばらくの間はなにも変わらなかった。魔力が暴走しているレオンは部屋にとじこもっているため顔を合わせることもなく、ミハイルはただ学ぶだけの生活を送っていた。
だがある日、王がレオンを次期王にすると宣言し、ミハイルの生活は激変した。
友人として宛がわれた者たちはそのままレオンの友人になり、もう何度目になるのかわからない配置換えによって、使用人も入れ替わる。
(父上が決めたことなら、きっとそれが正しいんだ)
マリエンヌは毎日のように「父親の力になってあげて」とミハイルに話していた。父親である王の決めたことに異論など持てるはずもなく、ただ流されるままにすべてを受け入れた。
そのため部屋から出るようになったレオンと遭遇したとき、ミハイルは心からの賛辞を贈った。
「うるさい! そんなこと思ってもいないくせに!」
だが返ってきたのは、明確な敵意だった。こちらを睨みつける目と怒鳴り声に、ミハイルは浮かべていた笑みを引きつらせ言葉を失う。
「ああ、もしかしてお前、どうして母親が死んだのか知らないのか」
そうして黙りこむミハイルに、レオンは躊躇することなくさらなる敵意を注いだ。
「お前の母親を殺したのは俺だ! そのときのことも教えてやろうか? ああ、それがいいかもな。知れば、俺に話しかけようなどと二度と思わなくなるだろうからな!」
土に埋められていく棺桶と、重みに負け歪んでいく白い花がミハイルの脳裏に浮かぶ。
そして鐘の音が鳴る錯覚に襲われ、笑うレオンの前から走り去った。
(不運な事故だった。皆、そう言ってた)
だがどういう事故なのかは、誰も教えてはくれなかった。ぐちゃぐちゃした頭で、当てもなく動いていた足が誰かにぶつかり止まる。
「ミハイル殿下、どうしたんですか?」
降って来た声にミハイルが顔を上げると、十代半ばほどの少年が立っていた。
彼は二年前に王が拾ってきたと言って騎士団に入れたという経緯の持ち主で、家名を名乗ることなくただフェイとだけ名乗った。
出自どころか素性すらわからないということもあり、騎士団で不当な扱いを受けることが多いフェイのことをマリエンヌはよく気にかけていた。マリエンヌと一緒に行動していたミハイルもフェイと話す機会が多く、付き合いはそれほど長くはないが気心の知れている相手と言ってもいい。
フェイならば嘘をついたりごまかしたりしないだろうと、ミハイルは震える声で問いかけた。
「フェイはどうして母上が死んだのか、知ってる?」
「マリエンヌ様ですか? あー、なにか聞いたんですか?」
しゃがみ視線を合わせてくるフェイに頷いて返す。
まいったなと言うように頭を掻く姿になにか知っているのだと察して、ミハイルは知ってるなら教えてと縋るように頼んだ。
ミハイルの必死さに、フェイは悩むように視線をさまよわせた。だがそれからいくらもしないで、さまよっていた視線がミハイルに向く。
「俺が言ったってのは秘密にしてくれますか?」
「誰にも言わない。だから、教えて」
フェイはそれから少しの間黙り、ミハイルの目を覗きこむようにしながらゆっくりと口を開く。
「マリエンヌ様はね、自分で選んだんですよ……物見塔から身を投げる道をね」
それからどうしたのか、ミハイルは覚えていない。ただ気がつけば自室にいて、寝台に座っていた。
「母上、どうしてですか。どうして……」
ミハイルにとってマリエンヌはいつもそばにいる、身近な存在だった。それなのになぜか今はどこか遠くに感じ、子供のように無邪気に接していたときと同じようには語りかけられなくなっていた。
ミハイルにとって、マリエンヌは自分を愛し慈しんでくれた存在だ。それが自分を置いて死ぬなどとは考えたくもなくて、意識がふとレオンに向く。
「どうして、レオンは自分が殺しただなんて……」
なにか勘違いしているのかもしれない。
そう思っても、再度レオンと対峙して勘違いだと指摘することがミハイルにはできなかった。
空いた穴は埋まらず、弱った心であの敵意と向き合うだけの勇気が持てないまま、ミハイルは長い時を一人で過ごした。




