「私のためだよ」
レオンとアルミラの付き合いは十年にも渡る。そしてその中で、アルミラがレオンの言葉を歪曲して捉えた回数は一度や二度では済まされない。
馬に乗れないからと癇癪を起しただけで、馬術を習うようなのが相手だ。レオンは常日頃からアルミラに対してだけは、曲解されないよう気をつけていた。
「……そんな意味があったようには思えないけど」
だがミハイルは二人の関係性を知らない。
訝しがるように眉をひそめている。
「そんなことはありませんよ。ミハイル殿下に務まらないということは、私なら務まるということですから」
「それはさすがに飛躍しすぎでは? 君がレオンを信じたい気持ちはわかるけど、あれは言葉どおりの意味だと思うよ」
好ましく思っている相手を悪く考えたくないというのは、誰よりもミハイルが一番よくわかっている。
わずかに感じる胸の痛みをごまかすように、表情を和らげたしなめるように言った。
「言葉どおりとは?」
だがアルミラは不思議そうに首を傾げるだけだ。その鈍い反応にミハイルはぐっと片手を握りこむ。
「だから……君のせいだと思っていて、私を彼の代わりに王にしようとしていると……実際、そう言っていただろう?」
「もしも本当にそう思っての言葉でしたら、王は務まらないとはっきり言っているはずです。それに、彼の性格を考えればミハイル殿下だけでなく、誰にも務まらないと言うと思いますよ……それに、あの状況で私のせいだと思うほどあいつは馬鹿ではありませんよ。まあ、フェイ様の前であんな突拍子もないことを言い出す程度には馬鹿ですが」
落ち着いた声色で、さも当たり前のように言われると「そうなのかもしれない」と思えてしまうのだから不思議なものだ。
ミハイルは和らげた表情を引き締め、まじまじとアルミラを見つめる。
「だからあれは、あの場で彼がしようとしていたこと――レイシア嬢を守ることを代わりにやれと命じたと考えるべきです」
「それで君はレオンの言うとおりレイシア嬢を守るのか?」
自分の婚約者を奪った相手なのにという意味を言外にこめて言うと、アルミラは「そんなまさか」と笑った。
「私はあいつの婚約者ではありません。願いを聞く義理も理由もないのに、そんなことはしませんよ」
晴れ晴れとした爽やかな笑顔を向けられ、ミハイルは言葉を失う。
陽光を浴びきらきらと輝いているようにも見え、状況も台詞の内容も頭から抜け、向けられた笑みに見惚れた。
「まあ、あいつの真意がどうだとかはこの際置いておきましょう。それよりも、今はミハイル殿下のほうが大切です」
「わ、私が……?」
先ほどまでの漂っていた真剣な空気が消えているのは、声の調子や表情をアルミラが変えたからだろう。
そのせいか、ミハイルは大切という言葉に瞳を揺らした。
「はい。考えて選ぶのはご自身でしていただかなければいきません。ですがその過程で誰かに頼るのは悪いことではありません」
レオンの王位継承権が失われたことが広まればミハイルを取り巻く環境は変わる。これまで同様に過ごすことはできなくなる。
様々な者が近づいてくることになるが、その中には耳障りのよい言葉を囁いて操ろうとしてくる者もいるだろう。
下手に関わるとどうなるかわからないレオン相手では敬遠していた者も、穏和なミハイル相手ならば遠慮なく近づいてくることは容易に想像がつく。
「あなたを取り巻く環境は刻一刻と変わっていきます。そしてその中から頼りにできる者を選ぶこともできます。ミハイル殿下……あなたはもう一人ではないのですから、一人で悩まれなくてもよろしいのですよ」
柔らかな声にミハイルは顔をしかめる。
ここで即座に「君を選びたい」と言えればどれだけ楽だろうか。しかし、ミハイルにはそれを口にすることができなかった。
「アルミラ」
アルミラが説いたのは王としての在り方だ。そしてアルミラの言葉の中にアルミラ自身は含まれていなかった。
自分以外の誰かを頼れとはっきりと言われてなお、望みを口にできるはずもない。
(いや、わかっていたことだ……)
アルミラの眼中に自分がいないことは、昨日聞いたエルマーとのやり取りですでに理解していた。
それなのに大切だと言われただけで浮ついてしまう自分が情けなくなり、小さく息を吐いた。
(だけど、今だけは)
心の中で言い訳しながら、アルミラの手を両手で包み込む。目を合わせることができず俯いている姿はまるで、懇願しているようにも見えるだろう。
もしもここで「君が欲しい」と言えば、アルミラは困惑しながらも頷くかもしれない、あるいは明確な拒絶を見せるかもしれない。
拒絶されるのは言うまでもないが、頷かれたとしてもそれはミハイルが望んでいる形ではない。同情か責任感か、そのどちらなのかはわからないが少なくとも愛情は含まれないだろう。
だからこそミハイルは胸に秘めた思いの代わりに、アルミラが望むであろう言葉を口にする。
「私は君の期待に応えられるような王になれるだろうか」
「ミハイル殿下ならばなれますよ」
アルミラは最初から「王になりませんか」とミハイルに問いかけると同時に、醜聞になることを承知で、婚約の破棄を企んでいた。
王命によって成り立っていた婚約を、これまた王命によって破棄された。
正妃に相応しくないとされたアルミラが、次代の王になるミハイルに嫁ぐことを王は許さないだろう。
最初から望みなど一片もなかったことを噛みしめ、ミハイルは遠い昔に亡くなった母を思い返した。
(母上も、こういう感じだったのだろうか)
いつかまた私を呼んでくれる、見てくれる、そう願い、尽くし続けたマリエンヌ。
同じように考えているわけではないが、ミハイルとマリエンヌの間にそうたいした差はないだろう。
叶わない思いに身を寄せ、慕い尽くそうとしているのだから。
「おや、待っていたのか」
壁を下り、寮に戻ろうとしていたが途中でエルマーを見つけアルミラは目を丸くした。
腕を組み、仏頂面で立っている姿はまるでこれから文句をつけてこようとしているように見えるだろう。
「お前はなにがしたいんだ?」
「言っただろう。お姫様の救出だよ」
「婚約者じゃなくなった相手なのにか?」
かつては憤れば声を荒げ、不満があれば簡単に拗ねていた従妹に探るような視線を送る。
「騎士物語の主人公みたいな情熱、お前にはないだろ」
「従兄なのにずいぶんな言いようだな」
「従兄だからだよ」
レオンの婚約者になってからというもの、アルミラは妥協と割り切りを覚えていった。そうしていく中で、かつてのような爛漫さが失われたことをエルマーは知っている。
「あいつに命令されたからってわけじゃないだろ?」
これまでは「レオン殿下のご命令ですので」で貫かれてきたが、その言い訳を使わせるつもりはなかった。
最初の婚約破棄宣言で最後の願いだとアルミラ自身が言っていたのだから。
「私のためだよ」
「……お前の?」
「ああ。あいつはレイシア嬢を巻き込みたくないようだが、今さら手遅れだ。それに、彼女はレオンに対して負い目があるからな。それを利用して助け出してやったら……悔しがる顔を見られそうだろう?」
微笑むアルミラに、エルマーは額に手を当て溜息をついた。
「ミハイル殿下は、どうなんだよ」
「ミハイル殿下?」
アルミラに脇に抱えられて窓から飛び降りる瞬間、エルマーはこちらを羨ましそうにみるミハイルを見逃さなかった。
そしてその瞬間、色々悟った。ありえないと心の中で絶叫しながらも、悟らざるを得なかった。
「彼は善き王になってくれるそうだよ。本当にいい人だ。彼なら、人でなしの王によって荒らされた国に平穏をもたらしてくれそうだ」
「おま、お前なぁ……」
可愛い妹分を歪めたレオンに対して怒りを抱けばいいのか、負い目を利用されるレイシアに同情すればいいのか、従兄だからと巻き込まれた我が身を哀れめばいいのか――
「少しは男心ってものを理解しろよ……」
だがそれ以上に、歪みきったアルミラに惚れて、しかもその気持ちにまったく気づかれていないミハイルが不憫でならなかった。
思わず漏れたエルマーのぼやきは、さっさと歩きはじめたアルミラに届くことなくかき消えた。
これで第一部終了です。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
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