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(違う! そうじゃない!)

 婚約破棄騒動の渦中にいると思われているのは、子爵家の三女として生を受けたレイシア・フェルディナンドだ。

 ふわふわとした栗色の巻き毛に、低めの身長、そして丸く大きな目。小動物のような愛らしさを持つ彼女は、守ってあげたくなると男子生徒からの人気を(はく)していた。

 そして彼女の魅力にまいってしまったのは、そこらの貴族令息だけではない。


 アルミラに婚約破棄を言い渡したレオンもまた、レイシアの魅力にやられていた。


「喜べ、アルミラに婚約を破棄すると言ってやったぞ!」


 手を握りながら熱のこもった視線を向けてくるレオンに、レイシアは目を白黒と変えた。


 レイシアにとって、その言葉はまさに青天の霹靂(へきれき)だった。


 レオンが好いてくれているのはレイシアにもわかっている。だが二人の間には埋められない身分差があった。

 精々が愛妾、よくても側妃止まりだろうとレイシアは覚悟を決めていた。


 それなのにまさかの婚約破棄だ。驚くなというほうが無理がある。


「ちょ、ちょっと待ってください。レオン様、まさかそんな、本当ですか?」

「これで誰の目も(はばか)らなくてよくなったんだ。レオンと呼んでくれ」


 甘く囁かれ、レイシアの目がまたもや白黒と変わる。

 憚らないもなにも、二人の関係は公然の秘密だ。レオンが憚ったことは一度もない。


 だが今問題にするべきはそこではない。妄言であればと願わずにはいられないレオンの囁きに、レイシアは急いで頭の中でそろばんを弾きはじめる。


 レイシアは学園での男性人気をほぼ独り占めしている状態だ。すべての男性とまではいかないが、学園で人気投票を行えば首位を取れることだろう。


 それに対して、アルミラはそこらの男性よりもかっこいいと女性人気を博している。

 この状況でレオンが一方的に婚約を破棄したと広まれば――行き着いた想像に、レイシアはレオンに縋りついた。


「……レオン様、どうか早まらないでください。お気持ちは嬉しく思いますが、私は子爵家の娘。どうあがいてもあなたの妻にはなれないのです」

「心配するな。俺はじきに王になる。王の命令に背く者はいない」


 髪を手に取り微笑むレオンを前に、レイシアは心の中で叫んだ。


(違う! そうじゃない!)


 だがいくら頭の中で叫び否定しようと、当然ながらレオンには届かない。


 女性も男性も揃っている学園にいる間はまだいいが、一歩ここを出れば男性には男性の、女性には女性の戦いが待っている。

 その戦いに女性から不評を買っているレイシアがのこのこ出向けばどうなるか――少なくとも、歓迎はされないだろう。


 女性たちの恨みを買うことによって痛い目を見るのは、レオンではなくレイシアだ。全貴族女性を罰するなど、たとえ王だろうと許されるはずがない。


「レオン様、どうかアルミラ様に撤回をお願いします。私はあなたのお気持ちがあれば、それで十分です」


 レイシアが儚げに微笑むと、レオンの顔が一瞬だが歪んだ。


(怒らせちゃった!?)


 機嫌を損ねてしまったのではと危ぶみ、慌てて今の発言を撤回しようとするが、それよりも早くレイシアの手が強く握りこまれた。

 真っ直ぐに見つめてくる赤い瞳にレイシアは息を呑む。


「安心してくれ。俺は身も心もお前に捧げるつもりだ」


 酔いに酔った言葉に、レイシアはこの馬鹿王子と心の中で悪態をついた。




 翌日、レイシアのもとに一通の手紙が届いた。それはもうひどい罵詈雑言の書かれた手紙に、レイシアは溜息を零す。

 この程度であれば可愛いものだが、いつかは直接的な手段を取ってくるかもしれない。

 護身用具を胸に抱きしめ、これから訪れるであろう災難にぶるりと体を震わせた。


「レイシア、迎えに来たぞ」


 寮を出たところで待ち構えていたレオンに声をかけられ、レイシアは口元をほころばせた。

 さすがにレオンがいる前で仕掛けてくる者はいないだろうと安堵したからだ。


「レオン様、ありがとうございます」


 レイシアが微笑みながら言うと、レオンも口元をほころばせて柔らかな笑みを浮かべた。


「婚約者として当然の義務だ」


 婚約破棄を宣言してから丸一日も経っていないのに、レオンの中では新たな婚約が成立していた。その衝撃展開に、もはやこの王子にはなにを言っても無駄だろうと、レイシアは引きつりそうになる顔を必死で笑顔の形に留めた。


 余談だが、レオンがアルミラを迎えに行ったことは一度もない。

 むしろ荷物を持たせるために迎えに来させていた。


「レオン様はお優しいのですね」


 その事実を知っているレイシアだったが、レオンのご機嫌を取るために言葉を紡ぐ。

 この我儘な王子の機嫌を損ねれば、待っているのは転落人生だ。女性には毛虫のように嫌われており、男子生徒からの人気があるとはいえ、レイシアを守り続けられるのはレオンしかいない。

 崖っぷちな状態であるからこそ、レイシアは自分の前に垂れ下がる、蜘蛛の糸のような細い希望に必死で縋った。


「当たり前だろう。恋人なのだからな」

「まあ、そんな。恥ずかしいです」


 手を取られたかと思えば流れるように指先に口づけが落ち、レイシアは顔を伏せた。

 ここは女子寮の前だ。寮を出てきた人たちの視線がびしばしと飛んできている。


 注目されることに慣れているレオンはともかくとして、レイシアは誰かの悪意にさらされた経験はあまり多くない。痛いほどの視線を受けながらも笑みを絶やさずいられるほど、レイシアの神経は図太くできていなかった。

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