「仮面を被っているような女は嫌ですか?」
(このままいけばあいつの望みどおり婚約破棄できるだろうけど、どう泣かせたものかな)
泣かせるにしても、泣かせる方法は考えねばならない。下手を打ち、恨みを買いすぎて今後つきまとわれたら、痛み分けもいいところだ。
これまでレオンの横暴ぶりを利用して色々なことをしてきたアルミラだが、踏み込みすぎないようには気をつけてきた。
もうすでに恨みを買っていてもおかしくはないが、つきまとうほどのものではないだろう。
王族の婚約者でありながら――という悪評が立つことにはなるが、アルミラにとってはどうでもいいことだった。
(婚約について言い出してくれたことは助かったな)
このまま何事もなく婚約を維持して学園を卒業すると、レオンに嫁ぐことになってしまう。そうなる前になんとしても婚約を解消しようと考えていたところに、レオンからの婚約破棄宣言だ。渡りに船とはまさにこのことだろう。
しかも学園にいる間であれば外でなにかやらかすよりも安全だ。ミハイルに言い寄っていることも、本来であれば即座に不貞と断じられるような行いだ。
だが学園というこの場でなら、一線を超えなければある程度のことは許容される。婚約破棄だけなら断じられたところで構わないのだが、泣かせるという目的を達成させるためには時間と手間が必要だった。
(そういう意味ではレイシア嬢に感謝するべきか)
どうせいつものごとく横暴な振る舞いをして孤立無援となり、それによってさらに不機嫌になって暴走でもするだろうと予想していた。まさか恋心により暴走するとは、想像すらしていなかった。
あのレオンの心を射止める令嬢が現れるなとは思いもしていなかったのだからしかたない。
人嫌いとまで言っていいほどのレオンが肩を抱き、いつも不機嫌そうな顔に笑みを浮かべ、自分勝手なことばかり言う口が下手ではあるが褒め言葉を紡いだ。
もしも学園に入る前の自分にそう教えたとしても、信じなかっただろう。
ここ最近のレオンの変化は、それほどまでにすさまじかった。
(そうすると、レイシア嬢を利用するのが一番だろうな)
これまではレオンが誰かに心を預けることはなかった。それどころか、レオンの我儘に付き合いきれなくなって離れていく者ばかりだった。
だがレオンとレイシアが親密になってからすでに二月近くが経過するが、レイシアがレオンから離れていく素振りはない。
(レイシア嬢もまんざらではないのかもしれないな。そうすると自主的に離れさせるのは難しいか)
レイシアが自主的に離れていくことはないという部分は当たっている。外れているのは、後が恐ろしいという理由だということだ。
「楽しそうだけど、どうかした?」
「ミハイル殿下と肩を並べて学べるのです。心躍らないはずがありません」
横に座るミハイルが顔を覗きこんできたので、アルミラは即座に笑みを作った。それからすぐに、仮面を被っているのだから表情を取り繕う必要はなかったことに思い至る。
ミハイルとアルミラは今、学園に併設された図書室にいる。
市場の散策は「さすがに二人で出かけるのはまだ早いと思う」という、ミハイルの純情すぎる理由によって却下された。そのため、図書室で自習するという、とても健全な休日を過ごすことになった。
もしもその場に女性関係に長けているエルマーがいれば「出かけるだけなのに早いもなにもないだろ」と呆れていたことだろう。
「レオンは図書室に来ないだろうし、その仮面を外してもいいんじゃないかな?」
「あの人は神出鬼没ですから。いつどこに現れるかわかりません」
勉強をしに図書室に来ることはないだろうが、なにか命令するためにアルミラを探しに来るかもしれない。少しでも顔を合わせる可能性がある限り、仮面を外す気はなかった。
「ミハイル殿下は仮面を被っているような女は嫌ですか?」
嫌に決まっている。むしろ仮面を被っている女性を好む男性を探すほうが難しいだろう。
「いや、私は別に……アルミラがそれでいいなら、いいんじゃないかな」
これが言い寄っている振りで、別に懸想しているわけでもなんでもないことはミハイルもわかっている。
だが重ねられた手に動揺したミハイルは、思わず視線を逸らし許容してしまった。どこまでも初心な男である。
なんとも甘い空気が漂いそうなやり取りだが、忘れてはいけないのはミハイルの横に座るのが、男子用の制服をまとい仮面を被っている、一見しただけでは女なのかどうかすらわからない怪しい人物だということだ。
「ただ、ほら……先ほどから注目を集めているようだから」
「ミハイル殿下が麗しいからではないでしょうか」
ミハイルの美貌もアルミラの怪しさの前では霞んでしまうことだろう。
実際、図書室に入ってきた者はアルミラが視界に入ると足を止め、思わず二度見してしまっている。
(レイシア嬢があいつの愛だけで満足してくれればいいが、もしも正妃を狙っているのなら彼女もどうにかしないといけないな)
だがアルミラはそんなことには毛ほどの興味も抱かず、今後についてを考えを巡らせていた。
もしもレイシアがアルミラの心の声を聞いていたら「滅相もございません!」と全力で否定していたことだろう。




