「また奇抜な格好を」
怒りに満ちた瞳が教室を一望する。視線の合った者は即座に逸らし、怒りを買わないようにと息を潜めた。
影でどれほど暴君だと口にしようと、いざ当人を前にすると誰もが口を閉ざす。暗君になるのではと危ぶまれていても、王が撤回しない限りレオンが次期王であることは変わらない。
学園内でのいざこざは、大抵の場合子供同士の喧嘩として片付けられ大事になることはないが、しこりは残る。しかも相手は人を許すことを知らないような男だ。
下手に恨みを買って将来に支障が出ないようにと、この学園に通う子息息女は皆、必要以上に関わらないように注意してきた。
「また奇抜な格好を」
唾棄するような口振りに、教室の隅で気配を消していた子爵家の息子がアルミラを隠れ見る。
そこにはなぜか白い仮面を被り、男子用の制服を纏った令嬢がいた。
エルマーとなにやら密談していたことに教室にいた者は気づいていたが、レオンと関係することかもしれないと、意識して耳を傾けないようにしていた。
それがどうして謎めいた格好になってしまったのか、ぽかんと呆けた顔になる子爵家の息子だったが、レオンと視線がかち合いそうになり慌てて顔を伏せた。
この教室に残っていた誰もが、一刻も早くここを立ち去りたいと願っている。だが下手に動けばレオンの注意が向くかもしれないと思うと、誰も動けずにいた。
「顔も見たくないと仰せでしたので」
そんな中で、渦中の人であるアルミラだけが毅然とした態度でレオンに向き合った。
レオンはその態度に舌打ちをし、侮蔑の眼差しを注いだ。
「それで仮面か。お前の思考回路はどうなっているんだ」
「同じ学園に通う身、嫌でも出くわすこともあるかと思いこうして準備いたしましたが、なにかご不満でも?」
「お前の存在自体が不愉快だ」
「それならば、わざわざ会いにいらっしゃらなければよろしいのでは? 私も婚約者でなくなったあなたとわざわざ関わろうとは思いませんので」
アルミラの表情は仮面に覆われているのが、馬鹿にしていることは伝わったのだろう。レオンは再度舌を打つと射殺さんばかりにアルミラを睨みつけた。
「俺もお前に会いたくて会いに来ているわけではない。レイシアになにを言ったのか問い詰めに来ただけだ」
「レイシア嬢に……? はて、なんのことかわかりかねますが」
「とぼけるな! お前が余計なことを言ったことはわかっている!」
「そうおっしゃられましても、私としましては一体なんのお話なのやら。生憎ながら私はこれまでレイシア嬢と言葉を交わしたことはございません」
「では誰か使ったのだろう。お前はそういうやつだ」
見下す視線にアルミラは小さく首を傾げた。
レイシアがなにをしたのかアルミラには見当もつかなかったが、レオンの様子を見るに快いものではなかったのだろう。だが、それがどうしたという話である。
レイシアとレオンの関係がどうなろうと、アルミラの知ったことではない。
「お言葉ですが、どうして私がレイシア嬢になにか言わなければならないのでしょうか。私と関わりのない者にわざわざ気を配る余裕はございません。ミハイル殿下との親睦を深めるのに忙しいので」
あえてレオンが誰よりも嫌っている相手の名前を口にすると、レオンの目が吊り上がった。爆発寸前という様子に、アルミラは小さく笑みを零す。
「お前がなにか言った以外にあんなことを言うわけがないだろう!」
「さて、レイシア嬢がなにをおっしゃったのか存じませんが……誰も介入していないのであれば、彼女がご自身で考えて出した言葉なのではないでしょうか?」
「そんなわけがあるか! お前か、あるいはお前の近くにいる者がレイシアになにか吹き込んだに決まっている!」
激昂した台詞に、アルミラはけらけらと笑い声を上げた。癇に障るその笑い声に、レオンの怒りがさらに跳ね上がっていくのがわかる。
「恋い慕う相手の言っていることが本心かどうかの区別もつきませんか。それなのに人のせいにしようとは、ずいぶんと戯けたお考えをお持ちでいらっしゃる。誰かのせいにする前に、意思の疎通を図られたほうがよろしいのでは?」
「貴様……!」
歯を噛みしめ獰猛に睨みつけるレオンを前にしても、アルミラは飄々とした態度を崩さない。さすがに十年もの付き合いがあるので、レオンの怒りにさらされるのにも慣れたものだ。
「そのへらず口、二度と叩けないようにしてくれる……!」
轟、と鳴る風の音に可憐な声が混じる。
「レオン様……!?」
驚きに満ちたその声に、レオンは即座に出しかけていた魔法を引っこめた。
レオンの視線が自分から外れ、入口に向くのを見てアルミラも自然とその視線を追う。
そこには扉に手をかけ、胸元で片手を握り心配そうに教室の中を見ているレイシアの姿があった。ふわふわとした栗色の髪、驚きで見開かれた大きく丸い目。そして細く華奢な体躯。砂糖菓子のように甘い風貌にアルミラはほう、と心の中で小さく呟いた。
(こうして間近に見ると、なるほど確かに愛らしい)
アルミラはレイシアを遠目にしか見たことがなかった。
だからこうして間近に見るのは初めてのことで、その優美な花とまではいかないが花開く前の蕾のような可憐さは、確かに庇護欲をそそり、異性の目を惹きつけるのも頷けるほどのものだ。
(だがその見た目を使って多数の異性をたぶらかすのは感心しないな)
アルミラが冷めた目をレイシアに向けるが、幸いとでも言うべきか、仮面とレオンの凶行のおかげでレイシアは気がつかなかったようだ。
「レイシア、どうしてここに」
「帰ろうとしてたら、なんだか騒がしくて……あの、なにかあったのですか?」
ぎゅっと鞄の紐を掴み不安そうに瞳を揺らしている姿は、ただの怯えた小動物にしか見えない。
アルミラは先ほど感心しないと思ったばかりなのに、思わず心の中で賞賛の言葉を送った。
(私から見ても本気で怯えているようにしか見えないとは、中々やるな)
実際本気で怯えているのだから当然である。
「いや、なんでもない。お前が気にするようなことではない……いいか、俺の言ったことをよく覚えておけ。次なにかしたら容赦はせんぞ」
レオンはおろおろとしているレイシアの肩を抱き、憎々しげな視線をアルミラに送ると、返事を待つことなくレイシアと共に立ち去った。無論、レイシアの返事すら待っていない。
暴君の退場により、息を潜めていた者たちが一斉に息を吐きだす。張り詰めた空気が一気に柔らかくなり、穏やかな空気が流れはじめる。
「さて、あいつは彼女になにを吹き込まれたのやら」
まさか「アルミラ様が好きなんですよ!」と力説していたとは、さすがのアルミラでも察することはできない。
なにしろレイシアの評判はすこぶる悪い。男子からは可愛いだなんだと言われているが、婚約者のいる相手だろうと構わず話しかけ、困ったことがあればすぐに異性に頼り、屈託のない笑顔で篭絡することで有名だ。実際アルミラも、やけに近い距離で異性と話しているレイシアを目撃したことがあった。
しかも最終的にはレオンすら惑わせたとなれば、その評判は地に落ちている。
これまでレイシアと話したことがないアルミラに察しろと言うほうが無理のある話だろう。
「俺が調べてやろうか?」
「ああ、そうだな。頼む……私はミハイル殿下と親交を深めなければならないからな」
静観を決め込んでいたエルマーだったが、さすがにレオンが実力行使に出ようとするのならそうも言っていられなかったのだろう。
従妹の助けになるべく口を挟んできた。
まさかこの出来事がレイシアの転機になろうとは、このときは誰も想像すらしていなかった。




