覗き見は良くない
テントの外に出た。テント内の空気と比べると、とても澄んでいるように思える。
「うっ。まっぶしー」
「だね」
二人の目に、光が差し込む。時間帯は夕方になっていたようで、空がオレンジ色だ。
夕方といっても、彼らは暗いテント内から移動したんだから、眩しいに決まっている。
そのぐらい予測しておけばいいのに。
やれやれ、迂闊な奴らだ。
「いやー、面白かった」
「ほんと面白いや」
「ファイリさんはこういうのはよく見に行くの?」
ファイリは、一瞬、思案を巡らした風に表情をつくった。
「たまに行くかな」
「たまにかぁ、俺は全然行かないな。今回は楽しかったから、また行ってみよ」
「じゃあさ、あと一週間くらいここにいる予定だから、その中でもう一回行こうよ」
「良いね。それがいい」
二人は、王都に戻りながら歓談した。
そういえば、と和樹が思い出したように言う。
「あの劇の主人公のホルスってのは戦神って呼ばれてたんだよね」
「うん。中学校の四年生あたりで習うよ」
小・中・高、大学という区別は、こちらにもあるらしい。制度そのものは国ごとに定められているが、どのくらいの年数で小学校から中学校に上がるか、といったものは慣習的に決まっており、いずれの国でもだいたい同じだ。(当然例外はある)
小学校三年間で一般常識を習い、中学校五年間で基礎学問を習い、高校四年間で発展内容を習い、大学は長さが決まっておらず教育機関というよりは学術/研究機関みたいなもの、というのが慣例だ。
つまり、戦神についての話を習う中学四年とは、こちらでいう中一くらいの頃になるのだろう。
「まあ、習うとは言っても、間違いのない歴史じゃなくて、伝説とか神話とかそう言った類の話だからね。正しさ、という点においてはさっきの劇となんら変わらないんだ」
「えっ? でも、戦神って実在したんじゃないんですか?」
たしかに、今まで聞いた話を統合すれば、そういうことになるはずだ。なのに何故、正史を習わないのか。真っ当な疑問、である。
「それはそうなんだけど……彼に関する文献は、ほとんど残っていないんだ。彼が生きていたと証明するものは少ない。例えば、絵画や、彼の知人の日記だとかね」
「ならばそれを教えれば良いのでは」
「ことはそれほど簡単じゃなくてね」
ファイリは真剣な顔で話した。
「そうした証拠は、すべて根拠が薄く、絶対に正しいとは言えないものなんだよ」
「でも、それならどうして実在したと言えるの?」
「それは……んー、話してもいいものか。まあいいか。それはね、彼の存在を示す生き証人が何人かいるからだ。彼らがどこにいるのかってのは機密だから僕も知らないんだけどさ」
「ほう、そういう理由なんですか」
その知識もさることながら、ファイリは説明も上手い。教師にでもなればいいんじゃないか? 絶対に向いていると思うがなあ。
和樹は頷いたあとに、ん? と首を傾げた。
「えーっと、ファイリさん。戦神さんは、何年前の人でしたっけ」
「千年前ですね」
んんん? と、和樹はさらに不審そうにしている。
「生き証人って何歳……?」
その言葉を聞いて、ファイリは、さも愉快だという風に笑った。
「実はね、彼らは千歳はゆうに超えている竜なんだ」
「り、竜!?」
とまあ和樹は大分驚いているが、しかし考えても見ろ。シャンクペトルに来る道中でグリフィンという幻想の生物に出会ったし、そもそもエイヴィは竜人だ。これは、むしろ竜がいない理由がないだろう。いるに決まっている。
「でも、それなら辻褄は合うか。なるほど」
「着いたよ」
王都の賑わいに、改めて和樹は圧倒される。日本ではありえないような喧騒。例えるなら、真昼間の都市部にいる人間が、夜の繁華街レベルに騒ぐとこうなるのだろう。
この雰囲気もなかなか良い。
「おお。やっぱり凄い」
「和樹くんの世界にはこういうのなかったりしたの?」
「うーん、いやあったけど、こんなに『良い賑わい』ではなかったなあって」
「『良い賑わい』?」
「あ、うん。なんていうか、騒いでる人はいても、悪感情を持っている人は一人もいないから」
周りを見ると、たしかに騒がしいけれど、しかし決して怒鳴ったり、騒がしいことを不快に思ったりしている人間はいない。特に、誰も無表情でなく、感情豊かに振舞っていることも、良い雰囲気の理由であろう。これはそうだな……地域の祭りとか、特別な日だとこういう光景が見られたりする。だが少なくとも日常では中々お目にかからない。
シャンクペトルの王都ブルカン、否、異世界では、ある意味、日本でいう非日常が日常に存在するのかもしれない。
羨ましい限りである。
きっと、仕事も少ないんだろう。まあ、勝手な偏見だが。羨ましいことに変わりはない。
と。雰囲気に和みつつ歩いていると、ダニィルとエイヴィを見つけた。
「お、ダニィル様とエイヴィ様が」
「ほんとだ。おーい、ダニィルさ——」
ダニィルとエイヴィの二人は、不審な様子で裏路地に入っていった。
「あれ? どうしたんだろう」
「んー、見にいってみる?」
和樹は一瞬思案した後、ファイリに目配せし、行こうという提案に乗ることを伝えた。
足音をたてぬよう慎重に走り、注意深く追う。まあこの追跡はちょっとした遊びみたいなものだが、かなり重要な情報を手に入れるために効果的なことでもあった。
裏路地で追っていくと、ダニィルらは、不思議な雰囲気の店の中へ入っていった。怪しげに暗幕で覆われた露店だ。中は見えない。さすがに中へ入る訳にもいかず、店の外で見守る。
とはいえ、何もしないというのもつまらん。どうするのかと思えば、かれらは、店の近くに身を隠して屈んだ。どうやら、出てきたところを驚かせようとしているようだ。
その証拠というか、兆候といえば、二人がイタズラ好きな子供のような、悪い顔をしている事か。楽しそうでなによりだが。
店の中から、うっすら光が漏れている。暗い色の光だ。魔法か何かを使っているような光である。
不思議に思って様子を伺うと、中から声が聞こえる。深刻な話をしているふうに聞こえる。
気になるな。和樹も同じように気になったらしく、耳をそばだてている。
『そん…………か、竜が?……ただって…………行けるか?』
『ああ、多分大……だ。説……らいならできる。まかせてくれ』
少しずつ声が鮮明になる。いや、それは言い方が正しくない。正確に言えば、和樹が暗幕に寄っていき、音源に近づいているという事だ。
つまりは、暗幕に接触し、今にも倒れそうだ。
そして倒れこんだ。暗幕を押しのけ、店の中に入ってしまった。
ダニィル、エイヴィ、さらに奥にいるローブ姿の老人の視線が集まった。
重苦しく立ち込める空気。押し潰されるような圧を感じて、和樹は、つい声を発した。
「こ、こんにちは〜。えー……皆さんお揃いで、どうしました?」
どうしました? って……。
絶体絶命じゃねえか。
◇ ◇
「ははあ、つまり、わたし達が気になって見に来たと」
いかにも呆れたという声でダニィルが言った。
「そうなりますね」
対する和樹は情けない声で答える。
「つけまわすのは感心しないな、和樹殿」
「はい、すみません……」
「まあまあ、そのくらいにして下さいよ、ほら、彼も反省しているのですし」
ファイリがフォローを入れるが、彼も立派な当事者であることを忘れてはならない。
ダニィルは、またも呆れたふうに言い放つ。
「いや、君もね? まるで第三者みたいな言い方をしているけど」
「それはそうなんですけれどね、そのー…………まーいいじゃないですか、別に」
この飄々とした態度たるや、いかなる追求にも動じない風格すら感じられる。なんでやつだ。上司泣かせな……。下手に反論されるよりきついものがあるんじゃないか?
ほら、ダニィルも困っている。戦いの時はその冷静さが役に立つのだろうが、あくまで組織の一員としては扱いが難しいようだ。
「それで、ダニィルさん達は何を話していたんですか? 深刻な話をしていたようですけど」
と唐突に切り出したのは和樹だ。
なんというメンタルの強さだろうか。先程ファイリが飄々としているとは言ったが、和樹も大概である。きっと、(コミュ力が少ないぶん)人の懐にズカズカ踏み入ってしまえるのだ。
案外、この二人のコンビは相性がいいのかもしれない。最強タッグだ。
「うーん、言っていいものか」
「私は良いと思うが。報告しておいた方が、良い」
「そうだね。まあ言おうかな」
「実はね、そこの山に二頭の竜が現れたんだ。なんでか争っていて、付近に住む住人達の家だったりが損壊したりといった被害が出ているんだよ」
竜が山で争う理由は無数に考えられる。が、どのような訳があろうと、見過ごせない。実際に被害があるのだからね。
さらに深く聞くと、竜の存在は、今しがた占いによって発覚したのだという。住人の被害は数日前からあったけれど、原因がいまいちハッキリしなかったために占い師に頼ったそうだ。
その占い師はというと、店の奥で、満足気な顔で眠りこけている。仕事と休息のメリハリをつけるタイプなのだろう。ダニィル曰くこの街では一番の占い師だが、机に突っ伏して眠る姿からは、そんなことは想像もできない。
「で、今対策を練っていたところに君らが来たわけだ」
何となく危険を感じた和樹は、逃げる準備を始める。
「なるほどなるほど。よーく分かりました」
「以下同文です。僕も納得したんでまた遊んできますね」
いやいやいや、とダニィルが引き止める。
「秘密裏に事を進めようとしてたから、君らにも手伝って欲しいんだけどなー」
『いやーちょっと無理です。暇じゃないんで。じゃあ』
ハモるにしては長いセリフを一言一句外れることなくピッタリあわせた。二人とも足掻くなあ。
「拒否権はないぞ。覗き見した二人が悪いのだからな」
和樹は『魔王遣い荒過ぎないですかね!?』と、思ったとか、思わなかったとか。