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9 夜の茶会

 バルコニーに姿を見せたアンジェリカは、心得たように縄を垂らした。

 それを頼りに、ナザレスは地を蹴ってやすやすと上り、裏庭から姫君の私室に侵入を果たす。


 手すりを乗り越えて、軽く床に足をつけ、部屋の中へと向かう。

 一足先に中に戻っていたアンジェリカは灯りのもとで茶の準備をしていた。その横顔を見つめてから、ナザレスはバルコニーに引き返した。手すりから身を乗り出して、闇に沈んだ裏庭を見下ろす。

 近衛隊が畑仕事に投入されてからはすでに数日が経過していた。畑の開墾具合は歴然としていて、どこまでも黒々と広がり、夜の闇と溶け合っている。

 振り返らぬままナザレスは部屋の中へと声をかけた。


「最近人手増えたけど、どうだ? 順調か?」

「何か言いました?」


 ぱたぱたと足音をさせて、アンジェリカが近づいてくる。気配を感じて、ナザレスは振り返った。


「あ、いい。先にやること済ませ。たいした話じゃない」

「そう? じゃあ待っててくださいね。すぐに用意しますから」


 言葉通り、アンジェリカは引き返すと、手早く作業を終えて、お盆にティーセットを載せて歩いてきた。そのまま、バルコニーに出されていたテーブルの上に置く。二人は揃って椅子をひき、同時に腰かけた。

 湯気がたちのぼり、ふわりと冴えた香りが立ち上った。


「ミントか」

「ええ。お庭で採れたの」


 短く答えて、ちらりとナザレスを見上げて微笑む。

 その笑顔に、ナザレスはやや長い時間視線を注いでから、そっと横を向いた。


 いつもは内気に振舞っており、見た目にも構わぬアンジェリカだが、こうしてくつろいでいるときなどは、がらりと違った表情を見せる。

 肩に流した髪はゆるくウェーブのかかった栗色。それが、彫りの深く、くっきりと整った顔立ちを良いバランスでやわらかく見せる。それだけでも評判をさらうには十分だろうが、化粧や衣装で、さらに華やかに見せられそうな美貌だ。

 たとえば、その内面に目を向けることなどない男を相手にしたとしても、不名誉な目に遭うとは考え難い。普段はこの美貌を無造作に扱い、隠しているとはいえ、幼い頃の姿でも一目見ていたならわかるはずだ。

 自分の容姿の威力をまったく認識していないルシュカならいざ知らず、このアンジェリカならいざという時にはなすべきことをするだろう。


(ルシュカなぁ)


 思い出してナザレスは小さくため息をついた。

 ルシュカは何かおかしいとは思っているらしいが、まだカルネリによる特訓を受けている。

 そのことに、ナザレスはひどく罪悪感があるが、敵を騙すには味方から。誰が敵で誰が味方かは実は混然としているのだが、ルシュカが騙されていることだけは確実だった。

 そんなことを考えていたせいか、心配そうに眉を寄せたアンジェリカに先手を打たれてしまった。


「ナザレス。何か言い辛いことがありそうですね。当ててみせましょうか?」

「いや、いい。言い辛いけど、言えないことじゃない。言わせてくれ」


 軽く手を振ってそう言いきってから、ナザレスはテーブルの上のカップに手を伸ばす。すっきりとした味わいのミントティーを一口飲んでから、カップを戻す。

 アンジェリカを見つめて言った。


「婚約の話は、本気なんだよな?」

「本気じゃないと言ったら、止めてくださるんですか?」


 間をおかずに返され、ナザレスは苦笑する。だが、誤魔化すことはせずに首を振ってみせた。


「止めない。アンジェリカには幸せになって欲しいと思うけれど、基本的にアンジェリカの選択は俺には関係ないから」


 アンジェリカは、うっすらと笑い、両手で自分のカップを包み込んだ。


「では、ルシュカに妙なことをさせているというの、あれは一体どういうことなのかしら?」


 知らないはずがない。日中の護衛にはピーターが差し向けられているし、アンジェリカ自身はまめにカルネリと顔を合わせているとも聞く。大体何が行われているかは把握しているのだろう。


「あれはジャニスの発案だ。本当はもっと早く言いに来たかったんだが……。ジャニスは、今回の婚約はとりあえず潰す気だ」


 一息に言うと、アンジェリカは小さく首を傾げた。


「『白蓮』のジャニスよね。私、あまり親しくお話をしたことはないのだけれど。そんなに私は嫌われていて?」

「嫌いというか……。ジャニスは数少ない旧王党派というやつで、すきあらば俺を政治に担ぎ出そうとしている。そのためには、今回の縁談がまとまったら、具合が悪いんだ。その……これは一つの考え方だが、アンジェリカと俺が結婚すれば、俺は王座につくことになる。もっとも穏便な方法として、旧王党派が熱望していることだ」

「あら。私、ジャニスとはいいお友達になれそう」


 艶やかににこりと微笑まれ、ナザレスは額をおさえる。


「俺に気を遣って、そんなことを言ってる場合じゃない。アンジェリカなら、良い相手はいくらだって見つかる。今回の縁談だって、にいい噂は聞かない相手だけど、実際会ってみたら良い奴かもしれない」

「ナザレス、そこまで。お話の続きを。ジャニスが縁談を潰したがってるのと、縁談を成功させたがっているルシュカの妙な行動のつながり、私にはわからないわ」


 まだまだ言い足りないナザレスであったが、時間を食ってる場合ではなかったと思い直し、続けた。


「もし本当にルシュカを顔合わせに連れて行ったとして、結果はどうなると思う。どんなにうまく行ったとしても、最終的には破談だ。そもそも別人なんだから、淑女としてうまく振舞う振舞わない以前の問題だ。今のままではうまく振舞えずに粗相を働いて破談の恐れもあり。……ずいぶん努力はしてるんだが」


 言い終えてから、つい顔をしかめてしまう。そんな自分に気づいて、お茶をさらに一口飲む。

 アンジェリカもティーカップを手に取り、目を伏せて唇を寄せた。静かに一口飲んでから、目を伏せたまま、囁くように言った。


「かわいそうなルシュカ」


 その一言に、妙にほっとしてナザレスは頷いた。

 アンジェリカ一筋のルシュカのことを、アンジェリカ自身には知っておいて欲しかった。

 ルシュカを唆したのは自分だということも。ルシュカは何も悪くないのだ。姫の護衛として、もう少し頭を使って欲しい気はあるが、今回は騙す側が身内だったので仕方ない。


「ついでに、それでことが大事になっても、ジャニスとしては全然構わないはずだ。侮辱されたと先方から戦がけしかけられれば、近衛騎士たちにも仕事ができるからな。……畑仕事よりは、よっぽどそれらしい仕事が」

「勝算はあるのかしら」

「検討するな。やりあって惨敗するとは思わないが、どちらにも被害は出る。負けるのは論外としても、勝っても恨みや憎しみを買うぞ。面倒この上ない」

「そんな理由で戦争を回避したいと願うのは、ナザレスらしいわね。ジャニスの気持ち、わかります。ナザレスが王になった国を見たかったと、私だって思うわ」

「ありがたいことに、『そんな理由』を俺に骨身にわからせてくれたのはお前の父上だよ。あの一件で」


 面白くもなさそうにそう言って、ナザレスは肩をすくめてみせた。アンジェリカはわずかに眉を寄せたが、ナザレスは小さく噴き出して、笑った。アンジェリカもほっとしたように息を吐き、微笑を浮かべた。

 二人の横を、穏やかな夜風が過ぎていった。風には緑の匂いとミントの香りが含まれていた。笑いをおさめると、アンジェリカは立ち上がって手すりに身を乗りだし、暗い裏庭を見下ろした。


「それでナザレスは、とりあえずジャニスの案にのっているふりをしているわけね。ジャニスの、縁談妨害工作に。でも、わからないわね。ジャニスといえば、切れ者というのは私の耳にも聞こえてるわ。もっと確実な妨害を仕掛けてくると思うのだけど」

「それがなぁ……。今のところ、何をするつもりかがわからないから、困ってる。とりあえずアンジェリカ、身辺気をつけておけよ、くらいしか言えない。もちろんわかり次第こうしてすぐに教えに来るけど」

「裏庭から一人で?」

「ん? ああ」


 なんの確認だ、とわからぬまま頷き返す。

 アンジェリカは遠く、広がった畑と闇に目を凝らすように顔を向けた。


「待ってます」


 ナザレスを見ることなくアンジェリカはそう言い、ナザレスはお茶を飲み干した。素早く立ち上がると、来たときとは逆の手順を踏むべく、バルコニーの手すりに足をかける。

 飛び降りる間際に、アンジェリカに「じゃ」と短く別れを告げた。


 アンジェリカは、表情をくもらせ、どことなく冴えないまなざしをしていた。それを見て、ナザレスは、目を瞬いた。見間違えではない。目を潤ませ、ぼうっとした表情をしている。

 安心させようと、ひとつ力強く頷いてみせる。


「雨のこと気にしてるんだろ」

「雨?」

「大丈夫だ。心配しなくても、そのうち降るさ。もしかしたら明日にも。だからそんな顔してないで、早く寝て、元気に働けよ。俺もひまを見つけて顔出すし。ピーターだけじゃ心元ないっていうか」

「心配してくれなくても、ピーターはすごく優しくしてくれてるわ。ナザレスより、ずっとずっと優しくて、思いやりがあって、仕事も一生懸命だし」


 何やら憤慨したかのように早口でまくしたてるアンジェリカを、ナザレスはあっけにとられて見つめた。なんだ、元気だなと了解した。

 そして、今度こそと短く別れを告げると、すばやく地面に降り立った。野菜の上に着地しないよう、細心の注意を払いつつ。


 その後は振り返ることもなく、宿舎に向かって一目散に駆けた。



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