3 ウヅカボヅラの憂鬱
翌日、快晴。
ナザレスがアンジェリカの部屋を訪れたとき、変わり者の姫は相も変わらず庭に出ていた。
この日のアンジェリカはナザレスの言いつけを守り、大きな帽子をしっかりとかぶっていた。
顔は目だけを出し、花柄のスカーフで全体を覆っている。
さすがに日傘を差しながらの土堀はできなかったので、白のレースで飾り立てられた傘はそばの木の根元にたてかけてあった。
そのかわり、手にあるのはスコップ。いつも通りの質素なドレスに身を包んだアンジェリカは、スコップに足をかけ、土を掘り起こす。堂に入った仕草である。
ナザレスは何か手伝おうとしばらく観察していたが、そのうちに諦めた。人の楽しみに手を出すのは無粋だと見切りをつけたまでだ。アンジェリカは、助けを望んでなどいない。
そのまま、所在なさげに岩の上に膝を抱えてしゃがみこみ、アンジェリカの動作を眺めていた。
視線に気づいたアンジェリカはチラチラとナザレスの様子を伺う。ナザレスは見られていることにまったく気づかない。
アンジェリカは、掘り起こした土を脇によけつつ、声をかけた。
「枯れたウズカボヅラみたいな顔なさってますけど、どうかなさったんですか」
「アンジェリカ。俺、ウズカボヅラって知らない」
「まぁ」
どことなく非難がましく驚かれて、ナザレスは気まずそうに横を向く。知らないものは知らないのだ。果たして、アンジェリカはそれを見逃すつもりはないらしかった。
ざくり、と勢いよくスコップを地面につきたてる。
土にまみれた両手を胸の前で組み合わせ、夢見るように斜め上を見上げて語りだした。
「ウズカボヅラというのは、水がなくても一生懸命一生懸命生きるすごい植物のことです! 私、いつもあの生命力には感嘆します!」
「水がなくても一生懸命生きる、感嘆するような生命力の持ち主が枯れるって……、結構壮絶な状況じゃねえか。枯らしたのかよ」
大人気ないと知りつつも、ナザレスは横を向いたまま拗ねたように言った。
少しだけばつが悪そうにしたアンジェリカは、スカートの裾を握り締めてもじもじと答えた。
「たとえです。枯れそうにもないものが枯れてしまったような、という」
ナザレスは片目を閉じつつ、視線を流してアンジェリカの様子をうかがう。そうだ、何も喧嘩しに来たわけではないのだ。ここらで空気を和ませつつ、まずは昨日のことを謝罪しよう。
口を開こうとした。まさにそのとき、うつむいたままのアンジェリカが言った。
「ウズカボヅラにはものすごくたくさんの棘があるんです。だから、煮ても焼いても食べ辛そうなんです。世話をしようにも愛情が抱き辛いという方も多いみたいで、とかく人気もありません。いい植物だとは思うんですけれど」
「アンジェリカ様。俺がもしそれに似てるっていうなら、今度からぜひともそう呼んでください。ウズカボヅラって。似てるんですよね? 遠慮しなくていいですよ。返事しますから」
顔を上げたアンジェリカは、ナザレスの早口の意図を理解し損ねたらしかった。少しばかり首を傾げてから、拗ねた目をしたままの横顔を見つめる。見つめ続ける。
やがて小さな声で、囁くように言った。
「ウズカボヅラ」
「……はーい!」
ナザレスは、万感の思いをこめて返事をした。立ち上がる気力はなかった。膝に顔を埋めて泣いてみようかなとは思っていたが。そこに近づく人の気配を感じて、のっそりと顔を上げる。
「なんちゅう遊びをしているんだ」
ロビンの問いかけに、ナザレスはすかさず「植物プレイ」と答えたが、きれいに黙殺された。
「姫、お庭仕事もいいですけど、そろそろ今晩のファルネーゼ様とのお食事会のご用意をなさった方がよろしいのでは。畑の世話は隊の連中にやらせますので」
そう言ったロビンの背後。
木立の向こうに、各色取り混ぜた隊士服姿。ざっと見た限り、すべての隊からまんべんなくつれてこられた者たちの姿があった。アンジェリカもそれに気づいた。
ナザレスはロビンに向かい、呆れて呆れ切った様子で言った。
「本気か? いちおうここは姫の私的空間なんだぞ? いくら労働力ったって、あんなにむさくるしい男共を連れ込もうなんて、隊長は何を考えているんだ? 何も考えていないのか?」
「上官に対する口のきき方に関しては、お前も何も考えていなさそうだが……。そうだな」
ロビンは顎に手をあてて考え込む。ナザレスはこれみよがしに毒舌を吐こうとしたが、アンジェリカの気配がいつもとは違うことにふと気付いてしまった。
握り締めた拳は、細かく震えている。
「すごい……! あんなにたくさんの男手があるなら、畑をもっともっと拡張できます。私、ずっと考えていたんです。無駄な国費の使い道の筆頭である近衛騎士隊を、もっと有効に活用する方法はないのかしらって。できれば農地改革に投入したいと、私が国を継いだら絶対そうすると決めてましたのよ。それが、こんなに早くかなうなんて」
リストラの危機にあったことをさりげなく教えられた近衛騎士隊の二人はそっと顔を見合わせた。
「存亡の危機だったみたいだな。隊長グッジョブ」
昨日の問題行動もグッジョブ、などとナザレスは実に前向きな発言をしたが、渋い顔をしたロビンは隊士たちに視線を流して小さく息を吐き出した。
「このまま味をしめた姫に隊士を根こそぎ『農地改革し隊』なんてものにとられても困るんだが。いますぐの脅威が無いからといって、軍備を削るのは危険すぎる」
「そうは言っても、昨今の状況からして、戦争なんか起こりようもねーし。剣振り回してるより鍬やら鋤を振り回していた方が国のためにはなるんじゃねえの? 毎日じゃなくても一日置きくらいに、鍛錬、畑、鍛錬、畑って」
ほんの一瞬、ロビンが目を細めてナザレスを見る。視線が絡む。ナザレスは余裕いっぱいの態度で破顔し、ロビンは深く息を吐きだした。
「ナザレスがそう思うなら、そうなんだろう。いっそ、ナザレスは剣を置いてしまえ。もうずっと前から似合っていなかった。武器は」
「何言ってるんだ。俺は強いぞ?」
「知ってる。だが、お前が誰よりも強いのは、剣じゃない。その頭の回転と弁舌の巧みさだ。お前の人生に、武器はいらない。さしあたり、今日のところは率先して鍬を振り回してこいよ」
ロビンはナザレスに向かい、手を差し出す。曖昧な笑みを浮かべたまま、ナザレスはその手にベルトから外した剣を柄ごとのせた。
「……畑を耕すなら、いらないだろうな」
すぐにロビンから視線を外し、立ち働くアンジェリカの方へと顔ごと向いて、真面目くさった口調で続けた。
「普段は内気で、男とまともに話せない姫様にとっても、これは絶好の鍛錬に違いない。あれだけたくさんのむさい男どもと毎日触れ合ってたら、男性恐怖症も治るさ」
「触れ合うのはダメだ。絶対に、ダメだ。姫様は嫁入り前なんだからな」
「ロビン、姫でえげつない妄想をすることの方がいけない。それは俺が許さない」
二人の会話の届いていないアンジェリカは、手袋をした指を何かを数えるように折り、一人で算段している。
それがあまりにも楽しげな仕草だったので、ナザレスは噴き出した。呵々と笑った。
空は澄み渡り、一片の雲もない。
ゆるやかに吹く風が、緑の匂いを撒き散らしている。
これまでルシュカとアンジェリカでせっせと世話をされてきた王宮の菜園を眺めて、眩しく感じて目を細めてしまう。
豊かさを思わせる、青々と茂った緑。順調に収穫のときを迎えてくれれば良いのだが。
ナザレスは、ゆっくりと空を見上げた。
(雨が降らない。今はまだ深刻な事態に至ってないとはいえ……)
一部の地域ではすでに旱魃被害が懸念されている。懸念では済まされない年もあるというのは、この国に生きて十を数える者なら誰でも知っていることだった。
かつて、この国ではまさに雨不足による水枯れによって、国中に飢饉と貧困が蔓延したことがあるのだ。
それは国土を、人の心を大いに荒廃させた。
各地では追い詰められた民が暴徒と化し、領主の館に討ち入り焼き払うなどの事件が続出。
鎮圧に動いたのは、当時の近衛騎士たち。隊士の中には、貴族階級の出身の者もいたが、町民の出の者、あるいは地方から出てきた者たちもいた。
彼らは命令に従いながらも、同胞へ剣を向ける、向けさせられる、そのことに激しい怒りを募らせていた。
渦巻く感情は、なんら有効な対策を打ち出さぬ王室に対して向けられた。
そして、クーデターが起きた。