2 暇だと奴らはロクなことをしない
「ひまだね~、お前ら」
茶色の猫毛を無造作に首の後ろで括ったその男は、ひどくだるそうにそう言った。
白の詰め襟の隊士服を身に着け、オーク材の質素で頑健そうな机の前に実に優雅に座っている。向かい合う獅子の描かれた王国旗を背に、堂々たる態度。しかし威圧感よりも親しみやすい雰囲気が勝つ。
目鼻立ちのくっきりと整った容貌に、若々しい輝きを宿した瞳。
机の前に直立不動で居並ぶ三人を見渡し、端に立っていた金髪で黒の隊士服の青年に顔を向けた。
「ピーター。仮にも北方護衛官で近衛の三番隊『黒風』の隊長として、王宮での不用意な刃傷沙汰なんか起こしていいわけないよね?」
「ジャニス。不用意、ではない」
ジャニスと呼ばれた茶髪の男は、続けて真ん中に立つ青年に視線を向けた。
「ナザレス。お前はどうなの。東方護衛官、四番隊『青嵐』隊長。なんで姫を呼びに行っただけで近衛隊士二人と剣を合わせることになってるわけ」
「ルシュカはともかく、ピーターとは合わせるところまで行ってません。未遂です」
ジャニスは、ふーん、と薄ら笑いを浮かべて相槌を打ってから、最後の一人の名を呼んだ。
「ルシュカ」
「私は姫の護衛です。姫に害をなす者があれば、誰であろうと切るだけです」
勇ましい言い分であったが、それを聞いたナザレスはルシュカへ横目を流した。
低い声でぼそりと言う。
「切れねえよ。お前弱いもん」
即座に、ルシュカは足を振り上げ、あやまたずナザレスの足の上に振り下ろした。ダン、と鈍い音が上がった。さほど広くない室内のこと、誰の耳にも聞こえたはずであったが、ナザレスが苦悶の表情を浮かべた他は動きもなく、皆しらっとやり過ごす。
「嘆かわしいね。一歩間違えれば大惨事。しかも理由なんかどうせあってもないようなもの……、泣ける」
ジャニスは、涙を拭うように目元を指でなぞっていた。もちろん、嘘泣き。つまるところ、ただのパフォーマンスである。
そのわざとらしさを見過ごせなかったナザレスが、つい口を滑らせた。
「始末書の一枚や二枚さっさと書けよ、ジャニスが」
ぴたり、とジャニスは動きを止める。
やや演技過剰とも思える、ゆっくりとした仕草で振り返った。
「ナザレス、それ本気で言っているの? 後悔しないな?」
「しない」
「自分でやりなよ~。ナザレスはそろそろ本当に左遷されるぞ」
「そこは二番隊『白蓮』隊長の西方護衛官ジャニスがなんとかするところだ。任せた」
「偉そうに言うな」
たしなめるジャニス。ピーターとルシュカが同時にため息。
まさにその時、雷鳴のような音を立てて、ドアが開かれた。
「お前ら……! 白昼堂々何やらかしてやがるんだっ。剣の錆にしてやるからそこに直れ!」
隊士服の色は、萌黄色。
圧迫感を与える、筋骨隆々とした巨躯の持ち主。短めに刈られた鋼色の髪は、針のように頭を覆っており、頬には大きな古傷がある。
手は、すでに剣の柄にのびていた。
「あの人はあの人で、話し合う気とか最初からねえし」
ナザレスが男に目を向け、あっけからんとした調子で言った。
声こそのんびりとはいていたが、顔には少しだけ緊張がはしっている。他の面々も、今にも剣に手を伸ばしそうな一触即発の空気を醸し出していた。
男は、机の前に腰掛けたジャニスに濃い灰色の目を向けた。
「何やってんだジャニス。そこはオレの席だぞ」
「不良どもにちょっとした指導をしていただけだよ。一番隊『黄雪』隊長にして我等が近衛騎士隊長ロビンの手間を省こうかと」
答えたジャニスは、片目を瞑ってみせると、音も立てずに席を立った。
ロビンは胡散臭そうな目でそれを追っていた。が、思い出したように隊士たちに目を向ける。
「不良ども、いい加減にしろよ! オレは始末書なんか書かないぞ!」
「心配しなくてもルシュカが書きますよ」
ナザレスは、ひどく真面目くさった様子で言う。
名指しされたルシュカは目をむいたが、何を言うよりも先にピーターが口を出した。
「ダメですよ、ルシュカは字が下手すぎます。事務官に、読む前につっかえされますよ」
「それを言うならピーターだって! ものすっごい頭悪そうな字のくせに!」
両の拳を握り締めたルシュカが、片方の拳をナザレスの胸に叩きつけ、押しのけながらピーターにくってかかる。
ピーターは秀麗な顔をゆがめた。
押しのけられたナザレスは、事態を悪化させた責任を感じたらしく、少しだけあわてたように言う。
「ルシュカ、俺が悪かった。謝るから落ち着け。ピーターは字が頭悪そうなんじゃなくて、そもそも本人の頭が悪いんだ。ものすごく」
「だったら、ナザレスが書けばいいじゃない!」「いいじゃないですか!」
ピーターとルシュカが、同時にほぼ同じことを叫んだ。
二人に責められたナザレスは、煙たそうに手を振ってみせた。
ロビンはイライラした様子で、細かく足踏みをしながら見ていた。すぐ横にいたジャニスが、その肩に手を置いてかんで含めるように言う。
「ロビン、こいつらの始末書は俺がチェックするよ。ロビンが書く分は俺が代筆しても良い。それで今回の騒動は有耶無耶にしておこう。ロビン隊長には全然なんの手間もとらせないから」
人好きのする、愛嬌のある笑顔。
ロビンは、腕を組んで考え込みはじめた。
「俺はずいぶん楽をさせてもらうようだが、ジャニスはそれでいいのか?」
「うん。全然いいよ。いずれロビンを蹴落として隊長の座をもらう前準備だから」
しん、と辺りが静まり返った。
全員の注目が、それを言ったジャニスに集中していた。
やがて、ロビンが口火を切った。
「よくわかった。一番最初に始末すべきなのはお前だ」
「それで俺が勝っちゃったら、本当に一番隊の隊長の座を奪っちゃうことになるけど、良い?」
焦げ茶色の瞳は炯々と輝き、剣呑な光を宿らせている。
ロビンは、不意に戸枠に身体をもたれかけると、眉間を揉みながら盛大なため息を吐き出した。
「どうしてオレの部下はこう、なんでもかんでも剣で解決しようとする奴ばかりなんだ……」
「職業軍人だからじゃないの? ヒマ持て余すとイライラすんだよね」
ジャニスが、肩をすくめて悪びれなく応じる。
その陰ではナザレスが「脳筋なのは上が上だからだ」と呟き、「それは否定のしようがないな」とピーターが応じ、「二人ともよせよ。そこ認めたらなんか大切なものがダメになっちゃうよ」とルシュカが返していた。
「大切なもの?」
「上がバカだから下もバカって理屈が通ってしまったら、私たちもバカということになる」
少年めいた甘さのない顔に、生真面目な表情を浮かべて、ルシュカは力説した。
ナザレスはちらりとロビンに目を向ける。目と目が合う。一瞬だけ視線を絡めて、すぐにルシュカに向き直った。
「俺は隊長をバカとは誰も言ってないぞ。言ったのはお前だからな」
ロビンは肩を落としたまま、とぼとぼと机に向かった。その後姿を目にした全員に、さすがにばつが悪い空気が漂う。
ジャニスも含め、四人で顔を見合わせた。
責任を押し付けあうように目配せが飛び交うが、圧倒的多数の、つまり他三人に「お前が悪い」という視線を向けられたのはルシュカである。
「お前、ちょっと謝ってこい」
三人に責められ、ルシュカは執務机に向かったロビンに目を向ける。少しの間思案するように固まっていたが、ややして横に立つナザレスを見上げて小声で言った。
「こういうときは、土下座なのか?」
「やれるもんならやってみな」
「イヤだな。そんなことをするくらいならいっそ刺し違える」
「それ、謝るっていわねえ」
お前らうるせえ、とぼやきながらロビンがぱたぱたと手を振って遮った。
「ジャニス。今度の件でオレはよくわかった。お前らがヒマだとどんだけアホか」
「ずいぶん悲しい事実を直視させちゃって申し訳ない気もするけど、事実だね。だからといって近隣諸国と戦争を起こすわけにもいかないし。どうしようか?」
あくまで軽い調子で言ったジャニスに、机の上に肘をつき、指を組み合わせたロビンは腹の底に響く低音で言った。
「ヒマなど感じる隙がなければいいんだろう。俺に考えがある。明日からお前らとんでもなく忙しくしてやるからな。覚悟しておけ」
◆近衛騎士隊
1、黄雪(南方護衛官)ロビン:いかつい筋肉。
2、白蓮(西方護衛官)ジャニス:茶髪長髪優男
3、黒風(北方護衛官)ピーター:金髪の麗人
4、青嵐(東方護衛官)ナザレス:黒髪の青年
○紅(姫様付き)ルシュカ:赤毛の美少女