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番外編1 明日の約束

※以前短編で投稿したものの再録です。

 好きにならないはずがない。


 良いところを指折り挙げれば、折って、開いて、折って、いつまでもとめどなく列挙できる。

 粗野に見せかけて優しい。絶対に人を見捨てない。ときどき厳しいけど、人を試したりしない。いつもまっすぐ目を見て話してくる。ものすごく綺麗な目をして。殺す気かと。


「わかります。そういうのを、『推しが尊い』といいます」

「ほんっとーに……。ほんっとーに……。尊いんです……!!」


 くっと拳を握りしめたアンジェリカの、テーブルをはさんだ向かいでは、ジャニスがひたすらに腕を組んでうんうんと頷いていた。

 夜も更けて、深夜。

 このところ二人は、ときどきこうしてアンジェリカの私室でお茶を飲みつつ推し談義に興じている。

 なお、推し本人には死んでも知られたくないのでこれは極秘の密会だ。


「ひどいと思いません? 私、あの方が標準と信じて育ちましたのよ……。幼い頃から、すぐそばにいて、男性といえば基準があそこなんです。こんな状態で、この先どうやって生きていけば良いのかと」


「わかります。ひどい話です。オレだって、君主ってこういう人なのかなって兵士になりたての頃からずっと見てきたんですよ。自分が命を預けるのはこの人なんだって。それがまさかいつの間にか部下だし、そのくせ全然従順じゃないし、あげく『なんでそんなに俺のことが好きなんだ』なんて聞いてきやがるんですよマジぶち殺すかと思いました……!」


「致し方ありませんね……。私だって、あの方の言動にいちいち殺意にも似たものを覚えますもの。あれで、全然、私の気持ちに気付いてなかったなんて……。気付いたら気付いたであの……!」


 アンジェリカが絶句した気配に、ジャニスは頷くのをやめて片目を細める。テーブルに拳をのせて、うつむいてしまったアンジェリカを見据えて、抑えた声で言った。


「姫、もうそのお話は。また涙が止まらなくなりますから」

「……無理です……。もう泣いてます…………」


 ぽたぽたと、白い天板に涙のしずくが落ちていく。細い肩が震えている。

 ジャニスはちらりと室内に視線をはしらせ、ベッドに置かれた羊毛のショールを見つけると、ひょいっと立ち上がって歩み寄り回収し、アンジェリカの背後から両肩をくるみこむようにかけた。


「オレはここにいた方が良いですか。それとも今日はこの辺で」


 抑揚のない声は、決して冷たくはない。神経に障るのをとても気にかけている繊細さだ。


「……あなたには、カッコ悪いところもずいぶん見られてしまっているから。今さらだわ。待ってて、今日はこの間より早く立ち直るから。お茶を……」

「はい。温かいのをご用意しますよ」

「いえ。私が。その方が、気がまぎれるから。座ってくださる?」


 手の甲で涙をぬぐいながら立ち上がり、顔を伏せてジャニスの横を通り抜ける。

 目の前を、梳られた艶やかな髪がさらりと流れていくのを、ジャニスは見送る。触れることが出来ぬ相手と知っているからこそ。

 ただ、触れずにできることも、いくつかはある。


「そういうのは、手が震えていない人がやった方がいいですよ。軍属って一通りなんでもできるんです。中でもオレは結構器用ですよ」


 かちゃかちゃと台の上で音を立てて茶器を揃えようとしているアンジェリカの横に立ち、手に触れないように意識しつつ茶器をおさえる。アンジェリカがハッとしたように顔を上げ、思いがけず二人は間近で見つめ合う形になった。

 ジャニスは茶器を割らないように台に戻し、軽く肩をすくめた。

 泣き顔を見られたせいか、落ち着かない様子で俯き、アンジェリカが消え入りそうな声で言った。


「器用な方だとは思ってます」

「光栄ですが……、ではもう一つ、付け加えてもよろしいですか?」

 ジャニスはきわめて軽い調子で言い、アンジェリカはつられたように顔を上げてわずかに首を傾げた。


「どうぞ?」

「ありがとうございます。器用との自負はあるのですが、実は女性はあまり得意ではありません。身近に女性がいたわけではないので、接し方に迷いがあります」

 突然の申し出に、アンジェリカは首を傾げたままするりと言った。


「全然そのように感じなかったのですけど。もし私が女性として至らない点があったことで、あなたとの友情が成立していたのだとしたら、かえって良かったということね」

 まだ涙の残るアンジェリカの顔を見下ろし、ジャニスは完璧に抑制のきいた調子で言った。


「それはどうでしょうかね。そういう過小評価はどうかと思いますよ。実際オレ今結構……」


 ジャニスは不意に天井を仰ぐ。

 アンジェリカは不思議そうに一歩前に進んで身を寄せ、ジャニスを見上げた。


「何か困ってます?」

「困っているというか。ナザレスやっぱすげーなって思ってるところです。ナザレスもよくここにお茶を飲みに来ていたんですよね」


 そーっとジャニスは恐る恐る下を見る。ばっちり見上げているアンジェリカと目が合い、凝固する。

 アンジェリカは小さく笑った。


「もう来ることはないと思います。そういう線を引かれてしまいました」


 肩のショールがずるりとずれる。アンジェリカが掴むより先にジャニスが手を伸ばし、落下を未然に防いだ。

 指先がわずかにも触れないように、慎重な手つきでそっとアンジェリカの肩に戻した。


「今日のところは、この辺で引き揚げますね」

「……そうですか」

「姫のお茶はとても美味しいので、名残惜しいのですが。オレの見立てによると、姫はかなり立ち直りつつあるようです。だから、ナザレスの話はもうこの辺で終えるべきかもしれません」


 バルコニーへと足を向ける。決心が揺らぐ前に、この部屋を立ち去るべきだ。その断固とした歩みに、アンジェリカが軽い足音を立てて付き添った。


「それはもう、ここには来ないという意味ですか?」

 肩を並べられ、向き合わずにはいられない空気にジャニスは動揺を抑えこんで口を開く。

 しかし、アンジェリカの方が早かった。


「私達には、ナザレスのこと以外話すべきことがないとでも思ってらっしゃるの?」

「はい、まぁ。そうですかね……」

 歯切れ悪く同意すると、アンジェリカはジャニスの胸元までぐっと迫って続けた。


「あなたは話し足りていても、私は全然足りてないんです。もっと! すごく! 推しが尊いというお話がしたいんです!!」

「んんん?」

「私、唯一の女友達であるルシュカとは決してこの話はできないんです。ご存知ですよね?」

「あ、はい」

「そこまでわかっていて、もうやめましょうだなんて、私に死ねとおっしゃってます?」


 なんだこの剣幕。

 アンジェリカが歩を進めるにつれ、ジャニスは後退を余儀なくされ、ついにバルコニーの手すりに背中を預ける形になった。

 追い詰められていた。

 アンジェリカの表情に涙の気配はなく、代わりに苛立ちのようなものがあった。迫力があった。


「やめましょうと言ったつもりはないんですが……」

 苦しい。苦しいが、他に何も浮かばず言うと、ついにアンジェリカの手がジャニスの胸元に伸びた。


「!?」

「ジャニス、私今初めて、自分が権力者であることを有効に使えそうな気がしています。あなたにはずっとそばにいて欲しい。私には、あなた以外にいないんですもの。どんな手段をとっても、あなたには私と一緒にいて頂きます」

「うわぁ……」


 正直な反応として、それ以外の声が出なかった。

(なんでこんな暴君覚醒しちゃったの)

 ぎりぎりまで胸を逸らして逃げの体勢をとっていたジャニスであったが、思い直して姿勢を正す。わずかに逡巡してから、胸にかけられたアンジェリカの手首をそっと掴んで、やや強引に離した。


「それはつまり、ナザレスのことを話す相手としてですか」

 一応の、確認。

 対してアンジェリカは、なぜかきょとんとした反応を見せた。ジャニスが一瞬目を見張るほどのきょとんぶりだった。


「どうかしら。ジャニスとなら他にも楽しいお話たくさんできると思います」

「何を根拠におっしゃってるかわかりかねます。オレは女性とそんなに楽しい会話ができる人間じゃないんですが」

「あら、私はあなたといてすごく楽しいのよ。ジャニスはどう? 楽しくなかったですか?」

 生真面目な顔で聞き返されて、ジャニスはもはや言葉もなく奥歯を噛み締めた。


(なんだこれ。ナザレス以上にたちが悪いぞ。なんだこれ。死にたい)


「楽しかったのは、楽しかったですよ」

 やけっぱちな調子で言うと、アンジェリカは花がほころぶような笑みを浮かべた。


「良かったです……!」

 その笑顔はひとまず目に焼き付けた。

 勝手に、心の中まで占領してきたのだ。

 一生忘れられないんじゃないかと、息も止まってしまいそうな鮮烈さで。


「それでは、次はいついらしてくださいます? 明日ではいかがですか」

「急ですね」

「待つのは、本当は、好きではないんです。ですから、お帰りの際はぜひ次のお約束もしてくださいませ」


 これはナザレスが悪い。絶対的に完全にナザレスが悪い。

 文句の一つでも言いたい。

 お前が数年がかりで姫をあんな風にしたんだぞ、と。


「承知しました。では、明日も夜が更けてから」


 約束を交わす。

 それだけで、アンジェリカが本当に嬉しそうに笑い、頭がくらくらしてしまう。

 綺麗な顔には乾いたとはいえ涙の痕も残っているのに。

 あんなに泣いていたのに。

 そんなに楽しいことあったか? 本当に?

 それが自分の手柄だと思うほどには自惚れていなくて、それゆえにジャニスは胸の内で繰り返す。


(ナザレスが悪い。待たせて、振り返らないで。上司のオレに傷心の姫をどうしろと)


 いい加減立ち去るべき。

 そう考えた瞬間、自分の手がアンジェリカの手を掴んでいる事実に思い当たり、ジャニスは一瞬で背に汗をかく。


「ジャニス? どうなさいました?」

 アンジェリカの敏さが少し疎ましい。そんなに敏感なら、さっさと手を払ってくれれば良かったのに。

「痛くはなかったですか」

 声をかけて「あら」とようやく気付くのは一体全体どうなっているのか。しかも、笑みをこぼして「いいえ」と言われてしまっては、謝る隙もなく。

 手をゆっくり放し、情けない思いで顔を見やると、微笑みはそのままにそこにあり。


「おやすみなさい」

「はい。ジャニスも」


 月並みな挨拶は涼やかに返されて、ジャニスはいよいよ立ち去るべく手すりに足をかける。

 まさにそのとき、背後からアンジェリカに呼び止められた。


「寒くはないですか。あなたが使ってください」

 振り返るとショールを差し出していたので、ジャニスの中でもう最後の何かが音をたててキレた。


「オレがそれを持って帰ったら密会も何もあったものじゃないですよね!!」

「あら。それもそうね」

「そういうの! 言われないと気付かない程度の認識だと大変困ります! もっと秘密の保持を意識してください! 密会を成立させるのも長続きさせるのも姫次第ということになります!」


 もはや部下に言うよりは若干丁寧程度の勢いでまくしたてると、アンジェリカは大いに納得したように頷いた。 


「長続きさせましょうね」


 神妙な調子で言われて、ジャニスはやれやれといった態度そのままに手すりに再び足をかける。

 肩越しに振り返って言った。


「もし密会が続けられなくても。その時は、秘密に会う必要もないくらい、オレはオレで努力します」

 宣言。


 超絶鈍感姫にその心など問いただされたくなくて、そのまま闇に身を躍らせた。


 翌日の約束を胸に抱いて。


(了)

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