13 願わくはその唇に
現場に着いたら、木立の間にのんびりとしたロビン配下の面々と、当のロビンまで見つけてナザレスは馬上から怒鳴りつけてしまった。
「お前ら、なんで働いてねえんだ!」
「えらそうな登場だけど、お前いつから俺の上になった」
さすがに部下の前で怒鳴りつけられたとあって、ロビンは眉間に皺を寄せて言った。
ナザレスは馬を飛び降りて、近くの隊士に手綱を預けながらロビンに詰め寄る。
「そういう問題じゃない。なんでルシュカがいないんだ」
ふっと辺りを見回せば、見慣れぬ顔がいくつか。身に着けているものも、ロビン配下の兵装とは違う。
「……お隣さん?」
「そうそう。オレらはここで足止め。ルシュカは、なんか先方に気に入られたみたいで、いまちょっと二人で散歩に。……いいのか? 仮にもアンジェリカ様の旦那になる男なのにそのへんの女にちょっかいかけるような奴で」
「ダメだと思ったら止めやがれ! そんな危機感で近衛隊の隊長とかやってんじゃねえよ! もういっそ、剣を捨てよ畑に出ろ!」
「ナザレス、畑仕事みくびんな。最近オレもアンジェリカ様のご指導を受けてやってみたけど、あれはアレだね」
「どれだよ!」
「奥が深いよ」
それだけの結論を引っ張られたことに、ナザレスはいきりたってつい胸倉に掴みかかってしまった。
「お前みたいに底の浅い男の話に最後まで付き合った俺がバカだった!」
投げ捨てるように突き放し、周囲に睨みをきかせる。
隣国の兵にまで、退かれている。
一瞬にして、俺は何をこんなに一生懸命になっているんだ、と我に返りそうになった。
いま我に返ったら何も乗り越えられない、と迷いを捨てた。
そばにいた隊士の一人に詰め寄る。
「どっちに行った!」
「あ、あちらです」
指差した方を見て、ナザレスは眉をしかめる。全然人影が見えない。
(あのバカ、淑女なら不用意に男と二人になるな!)
無駄に苛立ちながら「アリガト」と礼を言い、駆け出した。
* * *
木立の向こうに、白いドレスを見つけた。
勢いのままに走り出しそうになって、立ち止まる。ひとまず、木陰に身を隠して様子を見ることにする。
ルシュカは、髪が少し短いことを除けば、どこからどう見ても完璧な淑女だった。
普段男装に近い姿をしているときは、華奢で弱そうにしか見えなかった身体も、可憐なドレスで装えば折れそうでいかにも庇護欲をそそる愛らしさだ。
小首を傾げて微笑む仕草がどんな効果を発揮しているのか。
相手の満足げな顔を見れば一目瞭然。よほどうまく化けているらしい。
もっとよく見てみるかと身を乗り出しかけて、思い直して木陰に隠れる。
うまくやってるなら、それでいいはずだ。何も悪いことはない。
ここで自分が出ていけば話がややこしくなるだけで、百害あって一利なし。そう自分自身に言い聞かせていたとき。
「その、あの、……」
ためらいがちなルシュカの声が聞こえて、再び身を乗り出す。見れば、ルシュカの背に男が手を回しており、顔を近づけていた。
その瞬間。ナザレスは、都合の悪いすべてのことを忘れた。
「困りますよ、王子様」
声の感情を極力抑えておさえて、ナザレスは姿を現す。
二人の注目がナザレスに向かった。
特に、ルシュカは大きく目を見開いている。
そんな顔したら台無しだぞと思いながらも、つい笑いそうになって、慌てて気を引き締める。
ひといきに距離をつめると、ルシュカの手首を掴んだ。そのまま、後ろにおしやる。
「ナザレス」
「このたびは遠路はるばるおいでいただき光栄です。それなのに、アンジェリカ姫とお会いしていただくことができずに本当に申し訳なく思っております」
「誰だお前」
ウェーブがかった金髪に碧眼の優男。年の頃は二十歳前後といったところか。
特徴をすばやく見てとって、ナザレスは声を低めた。
「俺だよ、俺。悪い、公式発表では死んでるけど、生きてた。久しぶり」
「……俺?」
黒髪、黒瞳。十年前より身長は伸びているけれど、顔の面影は残っているはず。
腰の剣に手をかけたまま、男は動きを止めている。ナザレスはちらりとそちらに目をやり、呟いた。
「勝てるつもりか? 俺強かったよな。昔から」
剣さえ抜かれなければ、なんとでもしようがある。
(抜くな)
念じたのに、周囲で響いた怒声やガチャガチャといった金属音にすべてが台無しにされた。
「王子! ご無事ですか!」
「来るよなぁ」
思わず、掌で顔を覆い、指の間から周囲を確認する。五人。適当な距離を置いて王子に付き添っていたらしい衛兵が、姿を現し敵意むき出しに剣を抜いている。
おそらく、ナザレスの一人くらい「誤って」殺害しても、なんとでもなると考えている。
「一応言っておくけど、俺は曲者でもなんでもない。これうちの国の正規の兵装だ。殺したらそれ相応の国際問題になる自覚はあるか?」
「ほざけ。王子と姫の顔合わせに割り込むのは、すべて曲者だ」
衛兵の一人に高らかに言われ、ナザレスは笑った。
「そっくり返すぜその言葉。俺は恋路に割り込んだ曲者。お前らもな!」
宣言して、ルシュカへと視線を投げる。咳払いして、やや真面目な顔を作って言う。
「お嬢様。不本意とは思いますが、ここは俺に守られてください」
「何言って」
鞘走りの音に、応えて剣を抜きながらナザレスは吠えた。
「まとめて来い!」
一人目は、踏み込まれる前に懐まで飛び込み、思い切り腹部を剣の柄で強打した。
「来いってわりには、待たねぇな!」
野次られて、ナザレスはにこりと微笑む。
「悪い。俺結構せっかちなんだ」
続いて、二人、三人とかかってくるのを剣でいなしてかわしつつ、一人目が取り落とした剣をルシュカの方へと蹴る。
「持っておけ!」
反応はさすがに姫付き護衛のそれで、ほとんど反射のように刃を避けつつ拾い上げていた。
「姫!?」
王子に咎められ、ルシュカは「えーと、あの」と笑みを浮かべて余計なことを口走る。
「お手合わせします?」
なんの? そう尋ねられたら答えられる自信はなかったが、そもそも王子は言葉もないようだった。
「じゃあ私はこの辺で……」
言い訳しつつ、次の瞬間にはナザレスの横に走りこんで、打ち下ろされた剣を受けにいっていた。力ではかなわないので、流す。
身体が、動いてしまったのだから、仕方ない。
「ドレス」
動きにくいだろ、とばかりにナザレスに言われ、ルシュカは「この服装で立ち居振る舞い練習した!」と勢いよく言った。
背中合わせになったとき、ナザレスが小さな声で言った。
「アホか」
「護衛だから」
弱いくせに、とナザレスは言わなかった。代わりに、
「何人いっとく?」
肩越しに振り返って口の端を釣り上げるので、ルシュカは「三人!」とその場に立っている相手の人数を宣言する。
「王子を含めて、二人ずつと行こうか」
「王子も?」
話しながらも、切りかかっていた兵を二人同時に互いに相手どる。
一人余ってるな、と算段しかけたが、樹間を走り抜けてきた影がずばっとまさにその一人に鞘のついたままの剣を叩き込んだ。
どう、と倒れこむ兵の向こうに結わえた茶色の髪がしゅっと空を切る。
「来ちゃった」
どうにも緊迫感のない柔らかい口調で、ジャニスが手をぱたぱたと振った。
ナザレスもルシュカも思うところはあったが、目の前の相手を倒すのが先と剣を振るう。先に決着をつけたのはナザレスで、返す刃をルシュカの相手に向けた。
「その剣、お嬢には重過ぎなんだよ」
ルシュカを背中にかばいつつ対峙し、的確に相手の腹部へ剣の柄をめりこませる。
時間にしてわずか。
決着がついてしまった。
さやさや、と梢のさやめきだけが辺りの沈黙を埋めていた。
「えーと。とりあえず、今回は手を引いておけよ。な? ちょっとこいつワケありだからお前には渡せないんだわ。ナザレスからのお願いだ。あと、この件も不問な」
ナザレス、という部分に力を込めて言うと、王子は細かく震え始めた。否も応もなかったが、強引に言質をとりつけた体で、ジャニスがにこにこと詰め寄る。
「それでは王子、事後処理はぜひ私にお任せください」
* * *
「ちょっとナザレス! 何!」
ナザレスはルシュカの手を引っつかんだまま、さらに森の奥に進んだ。
その間、ルシュカは騒ぐに任せ、説明を放棄していたナザレスであったが、やや進んでから立ち止まると、困った顔で見下ろして言った。
「王子様とは、昔の知り合いだ。一回しか会ったことはないが、俺がすげー強くて何から何まで勝った。しかもあいつは俺のこと亡霊かなんかだと思ってるから、あれだけびびっていたわけだ。以上」
「その説明、全然わからない」
「後で面倒くさいことになりそうだったら、ファルネーゼになんとかさせる。まあいいじゃねえか、俺普段偉ぶってねえんだから、たまに特権使っても」
「……いや、普段からめちゃくちゃ偉そうなんだけど……まぁ、助けてもらったわけだけど」
納得いかない様子でルシュカはぶつぶつと言っていた。
しかし、ナザレスに見つめられているのを気づくと、いぶかしげに顔を上げて言った。
「なに?」
「いや……俺、お前にちょっと謝らなきゃいけないこと思い出して……」
歯切れの悪い様子のナザレスを、ルシュカはまっすぐに見つめる。その目の強さに、ナザレスは横を向き、早口で言った。
「お前にさ。俺の命やるから」
「え? いらない」
「おい、少しは考えて返事しろ! 淑女訓練の成果、俺もちょっとは見たいんだよ」
ただの八つ当たりを口走りながら、ナザレスはルシュカへと向き直る。
緋色の髪がさらりと樹間を通り抜けてきた風に揺れる。見開かれた瞳に、自分の姿が映りこんでいるのを認めて、ナザレスは一度天を仰いだ。
「ナザレス?」
後で。
まとめて謝ろう。
ナザレスは息を止めて、ルシュカに向き直ると身をかがめて、そっと頤に指で触れた。
瞼を伏せ、唇を奪う。
合わせられたのはほんの一瞬。
やわらかい感触をたしかめる前に、思い切り足で蹴飛ばされ、声もなく沈められた。
「淑女特訓の成果。望まぬことを強要されたら、毅然と断ること。って、カルネリ様が」
実に晴れやかに言って、ルシュカはしゃがみこみ、ナザレスの顔をのぞきこむ。
瞳に一瞬心配げな色が浮かんだ。
それをすぐに隠して、悪戯っぽく笑ってくる。
「痛い?」
「……痛いのは痛い」
ナザレスは正直に答えた。
ルシュカはほっと安堵したように息を吐き、声を上げて笑いだした。
結局、ナザレスも笑ってしまった。
そのとき、空からぽつりと一滴雨が降った。
ルシュカの頬に触れて涙のように流れたそれを、ナザレスは手を伸ばしてそっと拭った。
(了)