11 君が生きて残酷な未来は
「明日の姫様の顔合わせには、ピーターの『黒風』から何人かついていくってことで。他は待機。先方の要求がお供の者は最小限でってことだからな。仕方ない」
執務室に集まった各方面護衛官に対し、ロビンは翌日の予定をさらった。
どかっと椅子に腰を下ろすと、行儀悪く腕と足を組み、頬をゆがめる。
「王子様、うちの姫様がよく屋外に出ているっていうのを拡大解釈していてさ。王宮へ向かうから、姫にも近くまで迎えにきてほしいって。それで姫様が『黒風』と出るわけ」
向かい合って立ったジャニスが、悪意のない笑みを浮かべてロビンの渋面の理由を茶化した。
「姫様を呼びつけるだなんて初めて聞いたぞ、そんな顔合わせ。向こうの理屈としてはここまで出向いているのだから姫も少しくらい出てきてほしいって話なんだが。バカか」
ぶつぶつ言うロビンは本当に面白くなさそうな顔をしている。奇遇なことに同じ心境であったナザレスは、力強く相槌を打った。
「バカですね。ふざけてる」
「そうだバカだ。大バカだ」
我が意を得たとばかりにロビンが何度も頷く。ナザレスも頷く。
分かり合っている二人を見ながら、ジャニスは、ニコニコと笑ったまま言った。
「頭悪そうな会話はそのへんにしといてね。聞いているオレまでバカがうつりそうだから」
まったくいつも通りの態度である。特に不審な点はない。
実際、ナザレスだけでなくロビンもその態度に思うところは何もならいらしく、話を続行する。
「ところで、肝心のピーターはどうした?」
「姫様と畑仕事に精を出しているんだと思います。ピーターはあれで結構ああいうのが性にあってるみたいなんで」
ジャニスが答えれば、ロビンも納得したらしい。そのまま解散となった。
ナザレスとジャニスは揃って部屋を出る。
その直後に、ナザレスは声をかけた。
「話があるんだ」
「オレ、今日はもう眠いんだけど」
「わかった。じゃあ一緒に寝よう」
肩を並べて歩き、すかさず即答すれば、ジャニスは本当に嫌そうに息を吐いた。
「嫌だ。用件、五秒なら聞く」
「飲もう」
用件は一秒で終わったが、ジャニスは手のひらを額にあてて即答を避けた。
数歩進み、廊下の角を曲がる。
ややして、珍しくためらいがちに言った。
「……それ、オレが酒を飲まないのは知ってて言ってるんだよね?」
「お前は俺の誘いは絶対に断らないだろ。知ってるんだ。お前、俺のこと好きだろ。あ、飲む方は無理しなくていい。水でいい」
そこまで言うと、ついにジャニスはがっくりと肩を落とした。そして「わかったよ」と低い声で言った後、悩ましい様子で呟いた。
「そういうの、どうして言うべき相手に言えないんだろうこの男は」
* * *
誘ったナザレスの私室に二人で入った。
灯りを絞った室内は薄暗い。
その乏しい光の中で、簡素な趣味をうかがわせる調度品類が影となって沈んでいた。
ナザレスは窓際から机用の椅子を引っ張ってくる。ジャニスは、小さな一人用のテーブルに添えられていた木の椅子に腰掛けた。
目の前に、ナザレスが酒を注いだゴブレットを置く。ジャニスの前には水を注いだコップを置いた。
そのまま二人で向き合って話そうとしたが、やにわにジャニスがゴブレットを手に取り、口をつけた。
たったそれだけで、即効。頭を抱え出した。
「やっぱり酒はだめみたいだな……」
すでに呂律が回っていない。
「……なんでそんな無理をした」
止める間もなかった暴挙に、呆気に取られていたナザレス。ひとまずジャニスの手からゴブレットをとり、コップを差し出す。
ジャニスは水を飲み干してから、ふらふらと覚束ない足取りで歩いて、寝台に倒れこんだ。
ナザレスは椅子に逆に座って、背もたれを抱きながら眺めていた。
しばらくしても動きがまったくなく、不安になって声をかける。
「生きてるか」
「……お酒、空?」
寝たのかと思っていたジャニスが、緩慢な仕草で身体を起こす。まさかこの期に及んで酒を注ぐ気かと呆れて「寝てろ」と言う。
呆れたまま、尋ねた。
「ジャニス、お前なんで俺のことが好きなんだ」
「そんなに不思議がらなくても今この瞬間は最高に大嫌いだよ。オレに酒飲ませんなバカ」
「自分で飲んだと思うけど。元気そうだな。じゃあ聞くけど、なんで俺を王にしたいんだ」
続けざまに聞けば答えるかと思ったが、返事はなかった。
ジャニスは、身体を起こしたまま目を瞑っている。飲ませすぎたかと思ったが、一口だけなのだ。
しかも自分から。
飲んでいなければ頭もまわるし腕っ節も強いというのに。
もし何か。
その口から恐ろしい企みが語られたときには、剣を抜くことがあるかもしれないと覚悟していた。
負けるとは思っていない。勝てるかは微妙。
ジャニスは、ナザレスにとって昔からそういう相手だ。それなのに。
(わざわざ酒に潰れて弱みをさらした? 何のために)
ナザレスの視線の先で「あーだめだ」と言いながらジャニスが再び寝台に沈没する。
「ジャニス」
思わず立ち上がり、歩み寄る。
王宮にこもって事務作業が多いせいか、さほど日に灼けていないジャニス。軽く伸びをしたときに、いやに白い喉が目についた。
ナザレスは近寄れずに、足を止める。ジャニスは寝台の枕を掴んで引き寄せ、抱え込んだ。
「……ナザレスは、ゆるしたから」
目を瞑ったまま、たどたどしくつっかかりながら語り始める。
「十年前、こんな小さな国で、あんな恐ろしいことがあって……本当はみんな怖かったんだと思う。少なくとも、オレは怖かった……。ファルネーゼの命令で鎮圧部隊に加わってしたことも……その後、この王宮で起こしたことも、全部怖かった……。でも、それは正義の名の下に行われて、オレはただの一人の兵で……おかしいと言うことができなかった。だから、王子が怒ったときに、怒っていいんだってわかって、びっくりしたんだ。怒っていいんだって」
十年前。
ナザレスはかけるべき言葉もなく、口を閉ざしたまま。
ジャニスは、それでも続けた。
「でも、怒った王子を見たら、また怖くなった。取り返しのつかないことをした、後だったから……。信じられないかもしれないけど、あのとき、みんな絶望したんだと思う。そこまで正義を信じてまっすぐに来て、でもあの瞬間……ファルネーゼでさえ。だから、ゆるしを求めたんだ。まだ子どもだった王子に『聡明さ』を押し付けてまで。あんなの言い訳だ。ただ、自分が、誰よりもゆるされたかっただけなんだ……。でも、王子はほんとうにゆるした。国を立て直したのはファルネーゼかもしれないけど、もしあそこで王子がゆるさなかったら……みんな、こころが潰れた。王子が、ゆるして、膝を折り、道を示した。何より、生きることを選んでくれた。生き続けてくれたから、みんないま生きていられる。オレも」
「ジャニス。それは違う。あのとき、ゆるしたのはファルネーゼや、お前たち皆だよ。俺を生かしたのは、あのとき俺にファルネーゼを傷つけさせなかったお前たち皆なんだ。自分の無知を知らず、ただ何も考えずに生きていた俺をゆるしたのはファルネーゼで、お前たちだ。だから俺はいま生きている」
二人は、少しの間沈黙を共有した。
やがて、口元に笑みを湛えたジャニスが、少しだけ目を開けて言った。
「オレたち、同じことを言ってるみたいだね」
「そうだな。本当にそうだな。……そうだな」
他に言うべき言葉が見つからなかった。
ナザレスはテーブルに引き返し、ゴブレットに口をつけ、空だと気づいてすぐに置いた。
それから、たった今思い出したように言った。
「じゃあ、戦争を起こすなんてバカなこと考えるなよ」
「うーん……。王子が剣を捨てられるなら、戦争は必要ない、けど……。捨てられるの?」
再び視線を流されて、ナザレスはすべての動きを止めた。目を見開き、ジャニスを見返してしまった。
直後に、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、倒した椅子に躓きながら寝台に歩み寄った。
頭痛にでも襲われたのか、瞼をぎゅっと瞑ってしまったジャニスを強く抱きしめた。
「俺ジャニスすげー愛してる!」
「すげーイヤだわ。ふつーに……なめんなよナザレス。オレ上司だから、そういうの」
憎まれ口を叩きながら、ジャニスはナザレスの肩に顔を埋める。そのまま、ほとんど眠りに落ちる間際のようにごく小さな声で言った。
「……今日……すごく夕陽がきれいだったから、明日は雨が降るね」
「雨か! いいな、それはいいことだ! ……俺も、今度から畑に稼ぎにいってくるぜ」
はじかれたようにナザレスは身体を離し、ジャニスを揺すぶってみる。しかしジャニスからは返事はなかった。それでも、ナザレスは上機嫌のままひとりでテーブルに戻り、酒をあおった。
そして、ひどくいい気分で椅子で寝た。
肝心のアンジェリカとの企みを聞きそびれたことに気づいたのは、翌日、不覚にも二人して寝過ごしてしまい、事態がすでに動いた後だった。




